第11話 役割
時間は遡る。
吉の腕を引き、星野は走っていた。茂みを突っ切る。枝や葉を気に留める必要はない。防刃服の前でそれは些細なことである。
あいつ一体、何処まで分かって。
星野は眉をしかめた。舌打ちをひとつ。それを後ろから走る吉に気づかれないように努めて明るい声を出す。
「さて、脱出の方法を考えるか」
「考えるって……探せってセンパイは言ってたじゃないすか」
吉は言い返した。後ろを何度も振り返りながら。危険な場所に慧を置いてきた罪悪感からか、とにかく忠実に慧の言葉に従おうとしているらしい。星野は空を仰いだ。こんな事態だというのに相変わらず、外の森と太陽が見える。
星野は言う。
「ナイフ男はひとりで来たようだが……仲間の存在を匂わせていた。脱出先を仲間が見張っている可能性がある」
『うん。自分もどうかと思う』。自らの恰好についてジェフはこう言った。まるで誰かに命令されて仮面をかぶっているみたいだった。
「銃の人が味方だとしても、私達にはどっちがその人の使った道か分からない。二分の一で罠の道を使うのはリスキーだ」
吉は星野の分析に息を呑んだ。銃を持っていた人のことを勝手に慧の味方だと思い込んでいたからだ。慧にナイフを投げて……殺そうとしたジェフを撃ったからと言って、慧を撃たないとは限らないのだ。こぶしをぎゅっと握りしめる。それでも足は止めない。
「……そうすけど。結局、新しい手段が思いつかなければ確率はゼロじゃないすか?」
「いやたった今思いついたからそれは大丈夫だ」
星野は言い切った。
「やば部長。やば」
夜の世界に踏み込んだところで、星野達は立ち止まった。中腰になり軽く息を整える。吉の方は息が荒く、だいぶへばっていた。
「このあたりで良いか。十分ナイフ男から離れただろう」
ライトを点けよう、としたところで星野はやめた。吉にも指でバツマークを使って知らせる。敵に居場所を伝えるようなことをするのは止めた方が賢明だ。吉は小声で星野に聞く。
「がむしゃらに逃げてきちゃいましたけど、ここで大丈夫なんすか、脱出。部長がどういう方法で出る気かは分かりませんが、その、地表との角度とか」
「あー。ここは、はしごのあった位置より、地表から少し高い場所だ。安心しろ。太陽の見える位置だけは確認して走ったから」
上空から世界を確認することが出来なかった時代、人間達は天体を頼りに旅をしてきた。同じくほぼ未踏で地図のないこの惑星でも頼りになるのは太陽である。基準となる地点を決めてしまえば、太陽がどう見えるかによって大体どの方角に進んでいるのかが分かる。というか、惑星が小さいので分かりやすい。
「ひえ」
何故か吉が悲鳴をあげた。
そして、現在。土埃はまだ空気中に漂ったままだ。切り株に片足を置き、チェンソーを持ったまま星野は振り向いた。
「吉。お前の体重いくつだ」
「ご、58キロっす」
「そうか私は56キロだ」
言うなり、星野は切り倒したばかりの木に刃を突っ込んだ。「これくらいかな」と呟くと、ケーキを切るみたいに切り分ける。ぶぃぃぃんと唸る音がまた鳴る。
人の背より少し高いくらいの長さの丸太を作ったところで、チェーンソーを地面に置いた。それからリュックサックを漁り、何かを取り出した。茫然とする吉に近づきそれを握らせる。
「吉の方が手先が器用だから、結ぶのは任せるな」
「ロープ……部長も用意がいいっすよね」
蛍光オレンジのまぶしいロープだった。暗闇でもよく見える。先端に持ち手なのかプラスチックのわっかがついている。伸ばして確認は出来ないものの、長く、三十メートルくらいはありそうだった。
「これは慧のせいだ」
星野が不本意そうに言った。闇の中手探りだというのに、吉はあっという間に丸太にロープを括り付けた。道具として使うのは分かっていたので、紐をなるべく余るように結んだが正解だったようだ。星野はひとつ頷く。
「じゃあ反対側を同じように自分の体に巻け」
一回結んだあとだった為、ただでさえ早かった作業がもっと早く終わった。脱出の方法を教えてもらってないので盲目的に指示に従ってきた吉だったが、縛り終えたところでふと気づく。
「ロープ。なんで僕に巻くんすか」
「いっせーので、この木を上に放りなげるぞ」
吉を無視して、星野は言った。ガスマスクのせいで顔は決して見えない。丸太を縦に立てる。それを手伝いながら吉は重ねて言う。
「これ、もしかして一人用の脱出プランですか」
「重力が弱いしいけるはずだ」
「部長」
星野の体がびくりと震えた。
確かに、これは吉が指摘するように一人用の脱出方法だった。吉の体重より少し重い丸太を用意し、上に放り投げる。ラグナロク現象を突き抜けた丸太は地表に向かって落下する。二倍に戻った重力で、吉を引っ張りながら。吉が現象を突き抜けてしまえばこちらのものだ。
そのまま、星野は震える声で話した。
「銃声も鳴り響いて、チェンソーの音も立てたのに周りからの反応がない。ということは警備員もやられている可能性が高い」
銃声が再び遠くから聞こえた。慧達が戦っているのだ。警備員だって馬鹿じゃない。三人の鼠は見逃したとしても、銃刀法のある国でこんなに犯罪の音が鳴り響いているのに何のアクションもとらないなんておかしい。
「ちゃんとした、助けが必要だ。先に森を抜けて通行人のふりをして通報しろ」
通行人。心の中で吉は復唱した。部外者だ。慧の後ろ姿が思い浮かぶ。ふたりにとって、自分は部外者でしかないのか。慈しむような声で星野は言った。
「銃声が聞こえた、で。いいな」
星野は丸太を構えた。吉も協力して持つ。ここで駄々をこねても仕方ないからだ。役割はすでに、逃げ出したあの瞬間に割り振られた。これが必要なことも分かっている。
最後に、吉は尋ねた。
「部長は?」
「慧を助けにいく」
聞こえた言葉は、低く、覚悟に満ちていた。
いっせーの!で丸太が投げられる。遅れて覚える浮遊感。急速に星野が、地表が、惑星が遠のいていく。
「ぁ」
小さく声をあげたところで、がくん、と体が落下した。風切り音がして吉は地面に叩きつけられた。体を転がす。受け身は慣れていたが、それでも然程痛くはなかった。
落ち葉のせいだろうか。吉の下で、長い年月をかけて堆積した葉が音を立てる。起き上がろうとそこに手をつき、気づく。視界に見えた手のひらは真っ黒な手袋で覆われていた。
吉は森の外に向けて駆け出した。
ハッカの匂いはよく目にしみた。
吉を見送ると、星野はきびすを返して走る。太陽の位置を確認していたのは脱出経路を確保する為だけでなく、慧の下にすぐに戻れるようにする為でもあった。今は暗くて見えないが、ここから昼までの距離だったら記憶力でカバーできる。
只の高校生たる自分がナイフを持った男、多分殺人のプロにどう立ち向かうかはまだ考えられていない。ある程度の対策は立てているだろうけど、慧だって似たようなものだ。向かって行く途中に何か方法を思いつけば良いと思う。思いつかなくても。
「ま、肉盾くらいにはなるだろ」
星野は笑った。
ちなみに両手でチェンソーを構えていた。
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