第10話 殺人鬼

「どうして」


 はしごのあった空間に手を伸ばしながら星野は言う。

 吉は何でもないように頭を掻きながら返した。


「えーと。警備の人に、回収されたとかすか?」


 そんな吉の手の甲を、つ、と汗がしたたる。足が震えている。慧は分かっている。吉は平気そうなふりをしているだけだ。吉の考えに星野は返す。


「見つからないように隠したつもりだし、第一、はしごなんかかかってたら一旦侵入者がいないか確認しにくるだろ」


 音のあまりないこの惑星では慧達の声はよく響いた。警備員がこの惑星に降り、誰かいないかと声を張り上げたなら気づかないはずがない。

 困惑する星野と吉。慧だけは現状の答えを知っている。件が見た一回目、二回目の未来でもこの事態は起こったのかもしれない。


 人質を逃さない為だ。そして、慧がこの場にいる今では獲物を殺す為。


 がさり、と慧達の後ろにあった茂みが音を立てた。その僅かな音が鳴りやまないうちに、慧は振り返り体制を整える。いつになく敏捷な慧の動きに、中途半端に後ろをむいたまま星野達が息を呑む。当然だ。慧が動けたのはあらかじめ危険を知っていたからにすぎない。

 人影が木々の隙間から姿を現す。


「あっえっとお邪魔しちゃった?」


 それは、普通の声だった。カラオケに行って間違えて隣の部屋に入ってしまったとき。もしくは、忘れ物を教室にとりに帰ったらクラスメイトがキスをしていたとき。そんなときに聞く声だった。

 一瞬、慧も警戒を解きかけた。警備員かもしくは慧達のような一般人が紛れ込んできたのかと思った。


 その声の姿を見るまでは。


 男は真っ白いパーカーに黒いジーンズを着ていた。声も含めると大学生のようだった。けれど、顔を見ればそんな一般人でないことが瞭然だ。男は言う。


「べ別に怪しい者じゃないんだ。いや、こんな格好しといて説得力はないか。うん。自分もどうかと思う」


 男は仮面をかぶっていた。パーカーと同じく真っ白な仮面だ。そこに落書きがされてある。円のなかに黒い円を描いただけの、死んだ魚のような目がふたつ。吊りあがり、頬まで大きく描かれた口がひとつ。太く黒いふちで囲われていて、中は赤く塗りつぶされている。

 男は顔が見えない程度に仮面を扇ぐように動かして見せた。


「あー。その君たちのかぶっているガスマスクみたいなものだと思ってくれ。顔を虫に刺されたくないんだ」

「……」


 慧はリュックサックに片手を突っ込みながら、星野達ごとゆっくりと後退した。その様子を見た男は、スマートフォンを取り出すと勘違いしたのか慌てたように首を動かして見せる。


「警察呼ぶ!? やめて!? ほんとに」


 首を勢いよく振ったせいで、仮面が歯に当たったのかかつりと音を立てる。男は気分を落ち着ける為にポケットに両手をいれる。


「ぼくはジェフ……そのー。用件はーあー、ごめん!」


 男は、ジェフは慧達に向かって頭を下げた。勢いよく。その勢いに乗って、真っ直ぐに、何かが慧に飛んでいく。

 慧は身動きひとつとれなかった。ひとつ瞬いた後には、びぃぃいん、と喉元でその何かが音を立てていた。目線だけをそちらにやる。ナイフだ。ナイフが刺さっている。


「がっ」


 遅れて走る衝撃に慧はうめき声をあげた。星野が悲鳴をあげ、吉が青ざめる。そのまま崩れるように前に倒れかけ——ナイフが抜けた。血は出ない。防刃着のおかげだ。でも刺さったということはあの硬い鎧を半分くらい貫通したということだ。


「おやすみだった台詞間違えた!」


 状況に似合わず軽い声でジェフは言った。その僅かな台詞の間も、慧の焦燥をよそに突っ込んでくる。右手には新しいナイフが握られている。左手が慧の右肩に向かって伸ばされる。ナイフが効かないと分かったから、近づいて、アーマーをはごうとしているのだ。


 慧はのけぞる。後ろに一歩下がる。しかし、ジェフの方が早い。指の先端が慧の体に触れようとしたところで、


 銃声が空気を切り裂いた。


 ぱ、と血肉が舞う。ジェフの指が円の形に崩れた。

 ジェフは飛び引いた。いや、既に飛び引いていたからこそ指だけで済んだ。


「いッッた!」


 悲鳴をあげつつ弾の方向から撃っている方向を予測し、ジェフは射線上に慧をいれようと走り出す。その前に一発また銃弾が飛ぶ。ジェフは避ける。避けたその隙に慧達の前に人影が躍り出た。慧達と同じ、ガスマスクに黒の防刃服姿。


 件だ。


 慧はほっと息をつく。件が死なずに来れたということは、作戦はだいぶ楽になった。件が時間を稼いでいる間にと、前の戦況を睨んだまま、慧は後ろにいる星野と吉に声をかける。


「星野、吉。先に行って、ここから抜け出す道を探してくれないか。あの男も……そうだが、来たからには出る方法も確保しているはずだ」


 その言葉を聞いた途端、吉が慧の腕にすがりついた。


「センパイなに言って。逃げるっすよ!」


 軽く袖を引っ張られる。吉には珍しく声に動揺が現れている。いきなり目の前で殺し合いが起きているのだ。無理もない。

 件は身動きをとらずに銃を構えている。最小限の動きだけで相手を狩ろうとしていた。一方でジェフの方は盛んに動き回っていた。銃の的にならないように。迂回しながら、少しずつ慧達に近づいてきている。


「逃げたってここは狭い。いつかは追いつかれてしまう。それにあいつの狙いは……」


 慧は自分の喉元をそっと撫でた。へこんだような傷跡が出来ていた。


「分かった」


 小さく声がした。声の主は返事も待たずに吉の手を引っ張っていった。吉の戸惑うような声と共に、足音が駆け去っていく。

 軽く地面に目を落とすと、先程抜けたばかりのナイフが無くなっていた。使い慣れていないナイフで応戦するより、使い慣れている相手に再び凶器にされる方が怖い。ジェフが回収する前にと星野が持ち去ったのだろう。

 こういうときに判断が早いのが羨ましいのと同時に頼りになる。


 守るべき気配はもうない。

 焦らず、さすまたを持ったまま、先程リュックサックから取り出したものを構える。

 件に当たってしまうかもしれない。そんなことを考える必要はない。その為にガスマスクを用意したのだから。重要なのは威力だけだ。


「喰らえ熊殺し!」


 空気の漏れるような音がして、辺り一面が赤い霧に包まれた。


 作戦その一。激辛スプレーだ。視界を遮り、星野達の逃亡の手助けをする。世界一辛いとされるジョアキアからたっぷり抽出されたカプサイシンは、視神経に強い刺激を与え、呼吸困難にも陥るという。

 出来ればそのまま行動不能に陥ってほしかったが、仮面のせいで一撃必殺とはいかなかったようだ。使い終わった缶を横に投げ捨て、追い打ちにジョアキア水入りの鉄砲を構える。


「うわ、これしみ痛っ」


 赤い霧の中から殺人鬼の苦痛の声が聞こえてきた。転げまわっている。

 一方、件はこの光景に舌打ちをしていた。

 銃が相手に効いていないのだ。

 不意打ちの一発が左手に命中して以降、銃弾はかすりもしていない。


 苦しんでいるような演技で油断を招いて、冷静に状況を分析して動いている。件よりコントロールの悪いはずの慧の水鉄砲が、何度も手足や腹に当たっているのがその証拠だ。しかも顔だけを綺麗に除いて。

 頭を抱えながらジェフはぼやく。左手の血が仮面にしたたる。


「二対一に、ショットガンとか無理だあ」


 撃っている銃の種類まで当てられた。確かに件が使っているのは散弾銃だ。散らばって飛ぶ複数の弾は、鳥のような敏捷な獲物の動きを削ぐのにふさわしいはずだった。

 ジェフが身を起こす。隙に見えるが——指を引くようなしぐさをすれば、すぐに飛び引く。この距離からは指の細かな動きが見えるわけもない。初めから罠だったのだ。


 残弾数残り2。

 ショットガンの弱点は装填出来る弾の数が少ないことだ。敵方はこれも把握しているだろう。

 ジェフがよろめいた動きを止めると、こちらに真っ直ぐに突っ込んできた。また作り上げた隙だと考えるが、足が止まらないのに気づき、慌てて一発。これも避けられた。撃ちためらいの間すら読まれた。


 僅かな空弾を捨てる瞬間にジェフが件との距離を詰める。いや、その後ろの慧に近づいていく。慧が水鉄砲で追撃するが、足を止めるには値しない。カプサイシン水の残量が無くなる。近い距離の相手には筒の長い銃は不利だ。最後に件が撃った弾は威嚇射撃にしかならなかった。


 弾がかすり、罅の入った仮面の下でジェフの口角が醜悪に吊り上がる。だが、弾の数を数えていたのは件とジェフだけではなかった。


「さすまたぁ!」


 件の横から、慧が棒を差し入れる。ずっと錫杖がわりにしていたさすまただ。ジェフは僅かに逡巡するが、只のつっかえ棒なら勢いで突っ込んで、そのまま慧を押し倒してしまった方が良いと考える。先ほどまで慧が撃っていた水鉄砲のように。


 棒の先端の曲線がジェフに当たる。


「おわわわわわ!」


 瞬間、ジェフの体に文字通り電流が奔った。ジェフがしびれている隙に弾をリロードしながら、件と慧は後ろに下がる。

 ジェフは彼らの動きを一旦見送ると、服についた染みを無事な指でなでて、仮面の下から舐めた。焼けるように辛い。目くらましだと思っていたが、このカプサイシンの存在自体が目くらましだったのだろう。舌先に感覚を集中させれば、その奥にしょっぱさがあるのが分かる。塩だ。


 これは電気を通すための導体なのだ。

 してやられた。だから、やり返さなくてはいけない。


「これが駄目か……」


 ふらつきながらもジェフが立ち上がるのを見て、慧は冷や汗をかいた。左手のさすまたを見下ろす。これは、スタンガンと組み合わせることによって件と改造したものだ。電圧は90万ボルト。熊も倒せる。分厚い皮の上から効くものを塩水をぶっかけて流したのだ。気絶していないとおかしい。


 戦場は拮抗していた。




 その頃、戦場のおよそ反対に位置する場所にて。

 ぶぃぃぃぃぃぃん。

 モーターが唸り声を上げていた。パチパチと木くずが飛び、ゴーグルに当たって弾ける。動じずに、そのまま刃を沈める。


「おーし。そろそろいくぞのけーッ」


 ガスマスク姿にチェーンソーで木をこっていた星野は、声を上げると思い切り目の前の木を蹴り上げた。音をたて、他の木の枝葉を巻き込みながら倒れていく。虫たちが一目散に逃げていく。

 思わず耳を塞ぎ吉が縮こまる。

 どしんと、大きな振動と共に土埃が舞った。


「うし!」


 星野は自分の成果に満足そうに頷いた。

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