第9話 惑星

 慧が惑星の景色に見とれている間に、星野と吉がはしごから降りてきた。


「ふへー。着いたあ」


 吉はため息をつき、颯爽とカメラを構えだした。パシャリとフラッシュの音が何度もする。慧の惹かれた森の向こうの空もフィルムに大量に収まった。


「もう大丈夫だぞ。慧」


 最後にふわりと地面に着地すると、星野は言った。慧は頷き足をブランコからどかす。

 見る限り、植生はカブト森と変わらないようだった。当然だ。元々はカブト森の一部だったのだから。


「おわ」


 一歩踏み出そうとして慧は転んだ。思った以上に体が前に進んだのだ。片腕で起き上がろうとして力を込めて、勢いよく浮く。今度は後ろに倒れ込みそうになり、慧は慌てて踏ん張った。

 駆け寄り、慧が崩れたバランスを直すのを手伝いながら星野は言う。


「重力軽いみたいなんだよ、ここ」

「センパイも形無しっすねぇ!」

「そういう吉は足滑らせて落ちかけたじゃないか」


 二人が平然としているのは、はしごで降りて来る際に重力の切り替えに慣れたかららしい。星野はしゃがみこむと鞄から何やら取り出した。

 覗き込むと、それは針のついたはかりだった。台所で使う小さな奴だ。


「うちから持って来たんだ。で、これが小麦粉100g。袋も重さに入ってるから料理には使えないが」


 星野は石をはらって地面を整えると、その上にはかりを置き、ゆっくりと小麦粉を載せた。

 ゼロを示していた針は瞬く間に右に傾く。50の目盛を過ぎ、60に行く途中で止まる。細かく読むに56gだ。


「半分、くらいか」

「月よりは重いみたいだな」


 月の重力は地球の六分の一だ。はかりをいじりながら星野は言う。


「月の重力が地球より軽いのは月が地球よりも軽いからだ。この惑星は月よりは軽いはずだ。マジで法則性もなくムチャクチャなんだな。ラグナロク」


 星野の解説に聞き入ろうとしたところで、慧の体がまたしても浮いた。


「おわッ」

「見て―。部長。超力持ち!」


 吉が慧を抱えて持ち上げたのだ。胴体に腕を回し、釣果を自慢する漁師のようなポーズだ。慧は吉の腕から逃れようとピチピチと撥ねる。その様子に星野が吹き出した。


「でもこれじゃあ強くなるどころか逆修行なんだよな」

「あああ! 吉放せ!」


 慧は地面に開放されると、高速で吉から距離を取った。心なしか牙をむいている。星野は苦笑しながら、使い終わったはかりと小麦粉を鞄のなかにしまう。立ち上がり、二人に振り向いて言った。


「さて、探索に行こうか」


 慧と吉は顔を見合わせると、先程のやりとりも忘れ勢いよく頷いた。


 


 サクサクと落ち葉を踏む音が鳴る。三人の呼吸が響く。静かだ。先ほどまで似たような森の中を歩いていたからこそ分かる。


「蝉とかどこいったんだろうな」


 慧達以外の生き物の音がしないのだ。


「一応、こういうのはいるみたいっすね」


 吉はかがみこむと、一枚の落ち葉を拾い上げた。少し湿っている茶色い葉の上に、一匹の蟻がしがみついていた。何が起こったのか分からないとばかりに、触覚を蠢かせ右往左往している。


「蝉も、あと鳥も。飛べる奴はみんな逃げたんだろう」


 星野は翼のように両手をはためかせると、地面を蹴った。体は浮上し、ゆっくりと落ちていく。スローモーションのような、今まで日常では見られなかった現象に慧は見とれた。

 吉がそっと蟻を地面に戻し、星野の後をついていく。我に返り慧も続く。


 しばらく歩いていると、ふいに景色が変わった。

 前方、同じ特徴を持っていたはずの木々の枝葉が、暗く濃くなっていた。

 近づいてみると地面の色も異なっていた。グラデーションのような境界線で分かたれている。空気の色も違うようだ。藍色に覆われ、奥まで見渡すことが出来ない。


 原因は分かっている。

 この森は球の形をした土地だ。そこに上から太陽光が降り注ぐと、自然の法則に従って影が出来る。


「ここから先は夜なんすね」


 吉の言葉がとてもしっくりきた。一人一人順番に夜の世界に足を踏み入れる。ある程度進んだところで振り返ってみると、今まで自分のいた場所がまぶしく光り輝いていて、逆にあちら側が異物のように見えて面白い。

 見上げても空は、多分ここでは地面なのだろうが、暗くて見えなかった。スマートフォンを取り出して懐中電灯がわりにしようとする。そこで慧はあっと声を上げた。


「圏外だ……」


 画面の右上に映るアンテナが漢字の二字に置き換わっている。振ってみても変わらない。


「僕のもっすね。森の奥だからとか?」


 慧と同じようにあちこちに画面をかざしながら吉が言った。吉の言葉を星野が首を振って否定する。


「いや。さっき写真を見せたとき圏外じゃなかったろ」


 確かに、惑星に登る前にスマートフォンを通して星野に写真を見せてもらった。正直電波状態がどのように表示されていたかは覚えていないが、何も違和感を覚えていなかったということは星野の言う通り繋がっていたのだろう。


「成程。ラグナロク現象には電波を乱す、もしくは遮る効果があるのか」


 そりゃ科学者たちの調査も難航するだろうな、と星野は続ける。星野は軽く足元を蹴った。邪魔な石があったようだ。落ち葉が舞った。

 暗いことで先程とはまた違った緊張感が生まれる。転ばないようにあちこちにライトを照らした。視界はおのずとライトの範囲に沿ってピンポイントに狭くなる。だから、慧は気づいた。


「葉っぱとか茎とかが分厚くないか?」


 目の前にあった茂みの葉をひとつ摘み、指の腹でその厚さを確かめる。


「というか、それ以外が枯れている感じっすね」


 吉が辺りをぐるりと照らした。落ち葉の多さからも分かるように、一足先に秋に行ってしまったような光景だった。


「あ、そうか。サボテンか」


 星野が呟くように言った。静かなので星野の声は大きく聞こえた。吉は首を傾げる。


「サボテン?」

「月の一日の長さを知っているか?」


 続けて、星野が言葉にしたのは先ほどの台詞からはなんの脈絡もない質問だった。


「突拍子ないっすね部長。うーん。地球と同じ……ってクイズにしている時点でそれはないっすよねー」


 頭を悩ませる吉を横目に、戸惑いながらも慧が答える。


「地球より、長い?」

「正解」


 星野は右手を握りこぶしにしてつきだすと、その周りで左手の人差し指を回した。回転して見えるように手首を細かく動かす。


「月の一日の長さはおよそ29日……地球の一月と変わらないんだ。そして、この場所も、月と同じように地球の傍にあり自転している」


 三周し左手の指が右手の真下にきたところで、左手の動きを止めた。


「きっと、この場所は夜がものすごく長いんだ。公転せず地球の影の影響をもろに受けるから、月より長いかもしれない」


 星野はそっと右手を下した。視線を残された人差し指に向ける。憐れむように。


「もしかしたら一度もまだ夜が明けてなくて。つまり明日は来てなくて。ここに住んでいるモノにとっては今はまだ『あの日』なのかもしれない」

「へえ……」


 慧はライトを地面にあてた。落ち葉が動き、何かが這って去っていくのが見えた。そっと見送る。

 吉は更に首を傾けた。


「で、部長。それがサボテンと葉っぱと何の関係があるんすか?」

「あれか。夜が長いから、栄養を貯めなきゃいけなくなったってことか」

「その通り。日はなく長い間、光合成のエネルギーを得られなくなった。だから、エネルギーを蓄えていないものは滅んでいってるわけだ」


 見上げる空は黒。月明かりや朧雲は見当たらない。空気は乾いている。上から雨粒は降らないから。降っても、それは土埃だから。

 そして、それを起こしたのは他でもない慧なのだ。

 虚しさに包まれた慧だが、星野は違ったようだ。星野は言う。


「でも興奮するな! これ! 今は自然淘汰の真っ最中だが、これから先この環境に適した生物がどんどん育っていくだろう。そうしたら、新しい生態系の始まりだよ」


 声は高く弾んでいる。

 かつて、この世界は大きな怪獣、恐竜が支配していた。それが隕石によって滅び、生き延びたのは隠れてばかりの哺乳類だった。小さな鼠のようだったその哺乳類は子どもを増やし、大きくなり、やがて二足歩行になる。脳が成長しても支えられるようになり、文明を築く。衛星写真で見た夜の地球は今や光り輝かやいている。

 世界を指し示すように星野は両手を広げた。おお、と吉が感嘆の声を上げる。


「マジで、ここは、別の星になるんだ!」


 ガスマスクで分からなかったけれど、きっと振り返ったその顔は満面の笑みだった。




 慧達は語りながら惑星を探索した。それは惑星に対する考察であったり、もしくは全く関係のない吉の今日の晩飯の献立であったりした。途中で、慧が見た生き物は毒蛇だったんじゃないかと議論になり、さすまたで前方の茂みを叩きながら進むことになった。

 久しぶりに何もかもを忘れて楽しめた時間で、ラグナロクの前はこの三人でこういった体験をよくしていたことを思い出した。

 一周して、元の場所に戻るのはあっと言う間だった。星野は迷子にならないように木々に印をつけていた。だから、ここに絶対にあるはずなのだ。

 三人は茫然と並ぶ。慧は呟く。


「はしごがなくなってる」


 空から蜘蛛の糸のように垂れ下がっていた縄はしご。それが、跡形もなく消えていた

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