第8話 探索

「八月十二日。天候、晴れ。探索には上々」


 星野が宣言した。


「これより、第一回超常現象試しを始める!」


 吉が合わせて、スマートフォンから大歓声の音を流す。星野が両手を前に差し出し、示す。


「こちら駆け込みゲストの佐藤慧君だ」

「待て待て待て」


 紹介された慧は、辺りを見回しながら言った。今、慧達がいるのは妖怪研究部の部室だ。一応部活動という名目で行われるのだから、最初は一旦部室に集まることになったのだ。ラグナロク前に訪れたのが最後で懐かしい……とは一切思えなかった。


 ホワイトボードには蔦が巻き付いているし、天井にはネットが張り巡らされている。そこにひっかけるようにして、ランタンや、ドライフラワー、干し柿等様々なオブジェクトがぶら下がっていた。椅子は全てパイプの部分が茶色く錆びたように塗装されており、フェイクと分かってても座るのに躊躇した。部屋の中央にはお鍋が鎮座している。


「どうしたんだこの部屋は」

「え? センパイにちゃんと言ったじゃないすか。部室を僕の巣にさせて頂くと」

「なんか、こう。イメージと違う。生活感とか、そういう意味で……」

「生活感ばりばり出したと思うんすけど」


 壁に新たに出現した棚には知らないキノコが瓶で育っていた。確かに、誰かが生活したような痕跡はある。錬金術師とかが。


「部長さんはこれを止めようとは思わなかったのか?」

「別に害はないからなあ。ちなみにそれはしいたけだ。小さいから分からなかったろ? 一回もう収穫して、二回目なんだ。醤油で煮込むとなかなか美味しいぞ」


 吉が何度も後ろで頷いている。星野は共犯者だった。

 呆れた慧に、星野は軽く首を傾げて言う。


「というか、慧の恰好もだいぶ変わっていないか」


 慧は自分の恰好を見下ろした。夏だというのに黒の長袖に長ズボン。首元にはネックウォーマーだ。極め付きは、ガスマスクだった。ゴーグルつきの本格的な奴だ。呼吸をするたびにシュコー、と空気の漏れる音がする。ヘルメットも合わせて全身黒色なので、変わった生き物のようにも思える。


「………着るか?」


 慧は足元には大きいキャスター付きのリュックサックが置いてあった。そこから、自分の着ているものと同じものを二セット取り出す。


「……ハッカ入ってる! スース―するっす」


 吉は颯爽とガスマスクを受け取ると、被り、はしゃいだ。他の服も自分の元々来ていた服の上から身につけていく。全てを着終わると、吉は慧の隣に立ってピースをした。


「見て見てセンパイとそっくりー」


 全身が丸ごと覆われてしまうので、吉の言う通り同じ人間が二人並んでいるようだ。見分けるポイントは声と右肩のギプスしかないだろう。


「なっ。慧とおそろいはずるい」


 つられて星野も服を手に取る。と、星野は上着を持ち上げて少し考えると、軽く表面を叩き、裏返してタグを見た。


「え。これ防刃アーマーじゃないか! じゃあ他に持っているのは」


 星野はリュックの中に両手を突っ込み、一番重くて、手ごたえのあるものを取り出した。

 オレンジ色の艶やかなボディに持ちやすい取っ手。一番特徴的なのは、前方から長く伸びる銀色のギザギザの刃。


 チェーンソーだ。


 試しに星野がスイッチを入れてみると、ぶぅーん、と刃が音を立てて回転した。ぶら下がっている柿に当たって実と果汁が弾け飛ぶ。スイッチをもう一度押す。部室は静かになった。


「慧。片腕でチェーンソーは使えないと思うぞ」


 星野が冷静に言った。

 件に勧められて攻撃力が高そうと思って持ってきたが、よくよく考えれば確かに星野の言う通りだ。慧は思わず頷く。チェーンソーは星野の手により没収された。


 慧は星野や吉にこれ以上漁られる前にと、鞄の中に再び手を突っ込んだ。取り出し、見せびらかしたのは消防署のマークみたいな棒だった。慧が軽く力を籠めると、棒は一気に伸びた。さすまただ。不審者を取り押さえるときに使う。消防署のマークの由来そのものだった。

 吉のガスマスクのゴーグルが、中のマスクとの相乗効果で急速に曇っていく。俯き、奪い立てのチェーンソーに指を這わせながら星野はつぶやく。


「お前……随分色々と用意が良すぎないか……」

「何があるか分からないだろ」


 慧はぶっきらぼうに答えた。ちょっと、やりすぎたかもしれない。いや、殺人鬼から身を守るのにやりすぎは悪くないのだが、目立つな、というもうひとつの目的においては失敗だったのかもしれない。

 冷や汗をだらだらと垂らしながら様子を伺っていると、星野ががばりと顔を上げた。


「だいぶウキウキだったんだな! 分かるよ! 未知の土地に行くんだ! 楽しみだよな」


 そのまま、勢いよくガスマスクを被る。片手はサムズアップだ。別のガスマスクが慧を慰めるように肩を叩く。


「センパイ。僕も小学ン頃校外学習の山登りで、遭難案じて保存食一通り持ってったっすよ」


 慧は左手でそのガスマスクを掴んで、腕の伸びる限り向こうにやった。吉は、あーと小さく悲鳴を上げた。それを横目にテキパキと防刃服一式を身に付け、星野は言う。


「さて。じゃあこれ以上うだうだここにいるのも慧に悪いし、説明は道中にして出発するか」


 慧は言い訳したくても、何も言い訳出来ることがなくて、悲しく首を上下に振った。


 世界各地で起こった重力異常。専門家が派遣され、国際的に共同で研究が行われているものの、原理はさっぱり分からず成果は今のところない。とりあえず国連は一昨日、重力異常地帯を珍しさと危険度でレベル分けし、その取扱い方を定めることにした。このレベルは4段階ある。


 まず、レベル1。重力の方向は変わらず、その力の大きさが変わっている地帯だ。これは、道端の野良猫と同じくらいにはあまりにも多く見られ、気づかれていない場所も多い為、特に何らかの対策を行う必要はないとされる。只、この力自体の変化が余りにも大きく、日常生活に支障をきたすものならば、レベル3、レベル4に分類される。


 レベル2は、重力の方向が水平方向に変わってしまっている地帯である。立ち入ろうとしても、重力の大きさによっては強制的に追い出されてしまう。五メートルを開けたところに警告のロープを張ることと、エリアの直前に弾力性の高いネットを張ることを義務づけられている。また、このネットは敢て下にかがめば通れるくらいの空間が設けられており、仮に侵入者が現れたとしても、かがんで通るように誘導し、エリアを追い出された際に元の重力で落下する危険性をなくす狙いがある。レベル1程ではないが、これも多くみられる。


 レベル3は、重力の方向が上に働いている、もしくは無である地帯だ。一度侵入すると脱出が難しく、場合によっては生命が脅かされる。


「私達の侵入する森は上空の途中に向かって重力が発生し、場所によっては元の地表に対し上に重力が働いているから、レベル3だ。この重力異常は惑星型と有名だな」


 そう言って、星野は視線を上げた。先には、大きな緑の影がある。慧は見慣れたつもりだったが、こうやって間近で見てみると、息を呑む壮大な迫力だ。心なしか前よりも丸くなっている。時間の経過により、風や重力そのものによって均されたのだろう。

 レベル3の中では少し珍しい型なのだが、いかんせん珍しい気がしないのは、SNSで写真がよく挙げられているからだろう。惑星型はそう名付けられた通り、惑星みたいでよく映えるからだ。カスピ海上空に発生した水の球や、ゴビ砂漠の砂の惑星などがピース姿と共に撮影されている。最近の流行りは、遠近法を使ってつまんだ写真を撮ることである。

 カブト森の惑星は、元々の森が広大でその奥地にあり、近くのもっと交通の便の良いところに同じ森から出来た惑星がある為、特別人が押し掛けるような事態にはなっていない。


 ちなみにレベル4は重力の方向問わず踏み入った瞬間に命の危険があるものだ。余りの重圧に身体が弾けてしまうとか、そんな場所だ。今のところ中国に一件しか確認されていない。只、他にも発見されていないだけで存在している可能性があることから、ラグナロク前と環境が余りに変わった場所には近づかず、通報するように言われている。


 森の中は、見渡すかぎり一面の緑だった。鳥の声や葉の擦れる音、そして一番に蝉の声がした。夏なのに透き通るような涼しさがある。そういえば植物は葉から水分を出していて、打ち水のような効果があると聞く。

 慧はリュックの紐を左肩にひっかけ、さすまたを杖替わりにして歩いていた。


「普通に進んでいってるけど、そろそろ警告エリアに着くんじゃないか? いるんじゃないのか。警備とかが」


 何度も後ろを振り返りながら、慧は尋ねる。

 レベル3の地帯は、エリアから500メートル地点と、エリアの直前に警告とフェンスを設けること、警備員を派遣し管理をすることが定められた。

 慧は少しばかりこの警備員が活躍するのではないかと期待していた。


「ちっちっちー。センパイは世間を有能に見すぎっす」


 吉が指を振って言う。


「いきなり言われたって、予算もない中途半端な田舎の自治体じゃ実現できないす。ここ森っすよ森。機材を運ぶのだって一苦労、警備員も通勤が大変だ」


 慧は足元に視線を落とした。密密と草木が生え、地面は根っこや岩でぼこぼことしている。確かに車が通るには、まずはこれをどうにかしないといけないだろう。警備員が常駐するのにだって、ライフラインが必要だ。


「それに重力異常はここだけじゃない。あちこちっす。レベルが低くても、先に住宅街の方から優先するっすよねえ。今は一応の名目上の為に、ロープと少しの警備員しかいないんす」


 吉が遠くを指差す。指の先を追えば、小さくペグとロープが見えた。吉は立ち止まり双眼鏡を取り出すと、その場所の様子を伺いだした。代わりに星野が吉の言葉の続きを話す。


「そして、こんな木々の中じゃ監視の目をかいくぐるなんて容易だ。実際、私は三回、吉も一回下見をしているからな」

「OKクリア、警備向こう側に行ったすよ!」


 吉が小声で言い、指で慧達を招いた。すごぶる手慣れた様子だった。足音を立てないように静かに、ロープの方に近づく。それは腰程度の高さで、ラミネートされたA4用紙がぶら下がっていた。「この先立ち入り禁止」とポップ体で書かれている。いらすとやのうさぎがバツマークの札を見せていた。


 子どもの頃の慧はとても真面目な児童だった。夏休みの一言日記は毎日ちゃんと書いたし、横断歩道は手を挙げて渡っていた。足を持ち上げてロープを渡るとき、この頃の純粋無垢な心がとても刺激された。

 普通に前を進む二人は、黒板消しを打ち合わせて遊ぶような暴君だったと思うけど。


 二本目のロープのところまではあっという間だった。辺りは暗い。惑星に遮られているからだ。ここまで近くにくると、視界に全貌を納めることは難しい。惑星の下の地面がくぼむように抉られている。目線の高さの先には、逆さまになった木の先端が見えるのが奇妙だった。


「惑星はあだ名だが、同じように自転してるんだな」


 星野はそう言ってひとつの写真を見せた。吉と一緒に慧は覗き込む。ここに来たときに撮った写真らしい。目の前の光景と同じ緑の大きな影が映っている。星野はその写真に写る特徴的な杉の樹を指差した。真下にある杉の木は実物と見比べると、確かに、僅かだが動いている。

 何度も写真と比べては感心する二人を置いて、星野は惑星に近づいていく。

 そして、おもむろにロープの先へ指を突っ込んだ。


「きもい」


 それだけ言って、星野は指を引っ込める。続けて地面から適当な石を拾うと、投げ入れる。石は慧達からすると浮くようにして惑星に引っ張られていった。これにも慧達は小さく声を漏らした。


 確かに向こう側は、こちらとは違う世界なのだ。


 吉から慧に双眼鏡が手渡された。見張りの役目を交代する。

 代わりに吉はロープのギリギリまで近づくと、縄はしごを取り出した。アルミ製の丈夫なやつだ。続いてハンマーを取り出し、はしごの先端を地面に打ち込み始めた。星野は縄はしごから伸びた長い紐をピンと張るようにして、木々に縛っていた。より固く地面に固定するのが狙いだ。

 一通り作業を終えると、星野が慧を手招きした。


「右肩、使えないだろ?」


 だから、あまり慧に負担の掛からない方法を考えた、と星野は話す。よく縄はしごを見てみると、先がブランコのような構造になっていた。星野は慧に言った。


「まず、地面に寝そべるんだ。そうそう。で、板を跨げ。自分の体の向きに対して、板が垂直になるようにするんだぞ。後は、前にある紐をなるべく強く握るんだ」

「……これで、良いのか」

「完璧だ」


 頬に土の感触。目の前を歩いている蟻の足の動きが良く見える。出来上がったのは、なんともいえないポーズだ。なお、ガスマスク着用の状態である。


「じゃあ、まず、行ってこい」


 そう言って、星野が慧の体を押した。吉は縄はしごを抑えている。心の準備が出来ていなかった慧は慌てふためくが、無慈悲に体がロープの向こう側にずれていく。


「おい。待て。あ、あ?」


 まず、感じたのは足の違和感だった。中身が引っ張られているような。鳥肌が立つ。これが星野の言っていた感覚かと納得する。体が向こう側に進むにつれ、感覚は肩、頭へと這い上っていき、ついに、湿った地面を感じなくなった。浮いたのだ。視界がぐるりと回る。


「大丈夫かー。慧」


 混乱する慧に声がかかる。声の方向を見上げれば、さかさまの星野と吉がいた。錯覚を疑ってしまう光景だ。脳が熱くなり、紐を持つ手に力がこもる。

 足元を見ると、木々がこちら側に向かって生えてきていた。


「だ、大丈夫だ」


 慧がなんとか頷くと、星野が安心したように息を吐いた。


「ならセンパイ、おろすっすよー」


 吉がゆっくりと縄はしごを手放していった。遠い地面。だんだんと、その距離が近づいていく。


「向こうに着いたら、ブランコを地面に固定してくれ。ただ、足で押さえるだけでいい」


 星野の言葉に慧は了解、と返す。眼前には木の幹が見える。伸びる枝や節を上から辿っていくのは新鮮だった。

 地面に足が着いたとき、電流でも走ったみたいに体が震えた。慧はおずおずと跨いでいた板から降りる。言われた通り足でブランコを押さえつけながら、遠くを見る。


 木々の隙間から覗く景色は、地平線まで空だった。

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