第7話 予知

 慧が不格好に隠した家の表札は、件が蔦の長いプランターを使って自然に隠して見せた。防犯グッズは一通り買った。釘を組み合わせ踏んだら血が出るマキビシも作った。当日はこれを家の床中に撒く予定だ。


 とりあえず一通り準備を終えた所で、件が死んだ。すぐに帰ってきた。

 12日まで、残り5日になった。

 

 慧は手慰みにマキビシの数を増やしていた。最初の頃は釘を増やして攻撃力を高めようと考えていたが、作っていくうちに原初の、三つ棘があるものの方がよく刺さることが分かった。


 接着剤で固めていくのもお手の物だ。

 もう慧は指同士をくっつけて、件に泣きつくはめにはならない。

 黙々と作業をしていると、傍らに置いていたスマートフォンが震えた。画面を見れば黄色い水仙のアイコンが写っている。

 星野からだ。


「肝試しのかわりに考えたんだよ」


 出るなり、前振りもなく星野はそう言った。


「星野。諦めてなかったんだ……」

「暇だったからな」


 当たり前だ、とでも言うように話す星野に慧は呆れた。自分が一切揺らいでいない。世界が終わっても星野は平然と生きていそうだ。あと、吉も。最近吉はラインでずっと今日の晩御飯の写真を送ってくる。昨日は学校で取った雑草を煮込んで七草がゆもどきを作っていた。家には帰らないらしい。楽しそうで本当になによりだ。


「その名も、超常現象試しだ!」


 星野は受話器の向こうで叫んだ。


「せっかく近くでラグナロク現象が起こっているんだ! 始まりも唐突だったんだ。空と同じように唐突に終わってしまってもおかしくない。その前に実際に行ってみたいじゃないか」


 風切り音が聞こえるので、向こう側で星野は興奮して拳を振っている。


「もしかしたら妖怪も見つかるかもしれない。ほら、妖怪研究部として見逃す訳にはいかないだろ?」


 星野のこじつけに、慧は苦笑いだ。

 妖怪を探したいなら、今、自分の家にいる。よく食べて、夜更かしの寝坊しがちな妖怪だ。ここんとこずっと一緒に暮らしているので、生態の研究は進んでいる。言えないけれど初めて妖怪研究部らしいことが出来ているのではないか。今は何をしているのかと目だけで件の様子を伺う。


 今日の件は持ち込んだブルーシートの上に座り込んでいた。片手にはオイルのスプレーを持っている。件を囲むようにして銃のパーツが並べられていた。

 慧は視線を膝の上に戻した。星野は続けて言った。


「場所は慧も知っていると思う。あの、カブト森だ」


 確かに、慧はその森をよく知っていた。病院の窓からずっと見ていた。その姿は目を瞑るたびに浮かぶ。

——けど、それよりも気にかかることがある。


「侵入方法や調査隊とかち合わせない日もちゃんと調べたんだぞ! 吉も参加するって。……怪我があるから、無理には誘わないが。どう?」


 最後、声のトーンを低くして訊いた星野に、慧は尋ねた。


「ちなみに、いつ開催する予定か聞いて良い?」

「勿論! 8月の12日だ」

 


「止めた方が賢明でしょう。相変わらず、森の中で死んでますし」


 相変わらず銃のお手入れを続けながら、件は言った。


「だよな。断った」


 慧は横目でカーテンが閉まっていることを確認する。ちょっとだけ隙間が空いていたので、洗濯ばさみで止めた。


「というか、計画自体も中止にした方がいいかな。予言、が外れて殺人鬼が星野たちを襲わないとも限らないから」

「いや、それは……」


 件は何かを言いかけ、また、血を吐いた。軽く慧に手を振って瞬く間に消える。ついでに銃も消えていた。ブルーシートの上にはスプレー缶だけが転がっている。あの銃は件の一部だったらしい。ノーベル賞ものの新事実だ。

 しばらく待っていると、勢いよく玄関の扉の開く音がした。ドタドタと大きな足音が迫ったと思うと、リビングに件が飛び込んでくる。件は慧の肩を両手でつかみ、至近距離で叫んだ。


「8月12日は絶対に出かけてください!」

「どっちだよ」


 慧は思わず突っ込む。件は我に返ると、頬を染めて慧から離れていった。ひとつ、咳払いをする。


「……どっちみち、狙われるということですね」


 どうやら、件は慧が家の中で死ぬ未来を見たようだ。ひきこもりで何とかなるほど敵は甘くなかった。


「なら、もっと本格的に家の警備を固めるしかないか。誰の迷惑も掛けたくないし」


 慧はため息をつく。目の前に転がるマキビシの山を見つめる。転がすのもそうだが、上から降らしても良いのではないだろうか。


「件、何か追加で分かったことはあるか? 些細なことでも良いから」

「……」

「どうした? 件」


 視線を戻すと、件は手を口元に当てて、じっと考え込んでいた。瞬きもしない姿はまるで人形のようだ。慧は生きているのかと静かに件に手を伸ばした。慧の手は届く前に件の口が動いた。

 件の暗い瞳孔に慧の姿が映る。


「貴方、なんでベッドの上で殺されてるんです?」

「いや知らないけど。俺、ベッドの上で殺されたの?」


 慧は視線を天井にやった。シャンデリアもどきの電灯が目に入る。その先には慧の自室、そして慧のベッドがある。大型家具店で買った普通のベッドだ。そこで殺されたのだと思うと今晩は眠れない気がする。

 慧の内心を悟ったのか件は言う。


「貴方って襲撃が来る日にすやすや眠れる程図太くないですよね」

「うん。そりゃそうだな。なら薬でも盛られたとか?」

「いえ。そのときの貴方は一切薬物を摂取していませんでした」


 件はきっぱりと断言した。ということは正常な意識のまま慧は自らベッドに向かったということだ。殺人鬼が来ると分かっていたのに。

 件は続ける。


「私は、8月12日に貴方が殺される未来を三回見ました。そのうち二回が森で、今回が家の中で……惨殺されるというものでした。二回目の未来も、よくよく考えればおかしいです」


 惨殺と言うときに件の声が震えた。よっぽど酷い死に様を見たのだろうか。それなら、先程家に入ってきたときの慌てっぷりも頷ける。


「私が知っているのは、その時点で確定されている災厄です。二回目のとき、すでに私は貴方がカブト森で殺されることを忠告していた」


 そうだ。件が死ぬ、新しく未来を見る前に慧達は家の設備を整えていた。慧は家が安全な場所だと知っていた。そして、カブト森が自分の死地になることも。


「俺はその忠告を無視するほど馬鹿じゃないな」


 自分の命だけでなく、世界にいる全ての人達の命が掛かっているのに、危険に突っ込んでいく真似を慧は絶対にしない。


「ええ。ですからそのとき、貴方には殺されると分かっていながら森に行かなきゃいけない理由があったんです」

「そしてその理由はまだ、現時点では分からない」

「はい」


 件は頷く。慧は俯いた。視界に先ほど使ったばかりのスマートフォンが見えた。先ほど星野と交わした会話を思いだす。


「そもそも、星野達が探索する場所と襲撃の場所が重なるのは偶然なのか?」


 慧は殆ど家にいたのに、何故わざわざ森なんかで殺されたのだろうか。考える。慧の口から、ひとつの思いつきが零れ出た。


「星野と吉を人質に取られた?」

「まさか」

「それなら全部に納得がいく」


 最初の予知でも、慧は無茶な行動をとっていた。のこのこと強盗についていったのだ。このときは、両親を人質にとられていたからだった。


 慧が必死に生き残ろうとする理由は、何よりも自分が死ぬと世界が終わって大切な人達の命が失われてしまうからだ。だからその肝心の大切な人達が世界が終わる前に危険に晒されてしまうならば、慧は彼らを助ける為に自ら危険に向かって行くだろう。


 それが例え、殺してくださいと殺人鬼の前に身を横たえることであっても。


 慧は玄関の方に視線をやった。玄関扉から入ってすぐに糸が張ってあって、飛び越えずに踏んでしまうと、クマよけ用のトウガラシスプレーが射出される仕組みになっている。

 今までに用意したものが勿体ないけれど仕方がない。

 件が二週間も両親を実家に封じ込めたのは、このことを想定したわけではないだろうがありがたかった。

 改めてお礼を言おうと慧は件に向き合う。そして、異変に気付いた。


 件は髪の毛を垂らし俯いていた。肩が小刻みに震えている。

 

「は」

「件?」

「はははははは!」


 突然、件は大きな声をあげて笑った。乾いた声だ。合わせて全身が痙攣する。頭を抱えたまま、天を仰いでいる。慧は思わず体をびくりと震わせた。

 笑いがやんだかと思うと、高く上がった手は重力にそってそのままテーブルに叩きつけられた。マキビシが一瞬、音を立てて浮く。

 妖怪は、唸るように言った。


「人でなし共め……!」


 歯がむき出しになる。茫然としている慧に横目で気づくと、件はぱっと表情を戻した。いつもの微笑みだ。


「いえ。失礼。取り乱しました」


 背筋を伸ばし、件は乱れた髪を手癖で直していく。張り詰めた空気がほどけ、慧はほっと息を吐いた。思った以上に多く出る。呼吸を止めていたらしい。


「とっとにかく。星野と吉の傍にいた方がいい。目の届く場所へ。脅されたりしないように」


 星野達の探索を止めても意味はないだろう。場所を変えたところで、殺人鬼の目的は二人から変わらない。多分これが三回目の未来だ。かといってふたりを慧の家に閉じ込めるのも駄目だ。期限が分からなくてキリがないし、引きこもっているうちに夏休みが終わり、もう一つの目的である「目立たないこと」が達成できなくなってしまう可能性がある。また、三回目の未来についてわざわざ件は慧が惨殺されていたと言っていた。家の警備にいらついた殺人鬼が、人質としてでなく殺す対象として星野達にその刃を向けかねない。


「だったら同行して。初めから、森で戦うことを前提に計画を立てた方が良いな」

「そうなりますね」


 件がパンと手を打ち鳴らした。


「計画の練り直しです」


 慧は頷く。自分の縄張りでないところで戦うのだから、より万全な装備を整えなければならない。それも五日間で。

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