第二章 8月12日 殺人鬼に襲われ、死亡

第6話 同棲

 件の予言の正当性は、先程のチンピラどもによって証明されたばかりだ。慧はするりとその言葉を信じられた。


「私も全て分かっているわけじゃないんです」


 件はソファに腰かけると言う。


「今私が知っているのは、貴方を殺した人間はひどく殺人に手慣れていて、ナイフを武器にしているということ。次に殺人鬼を自称していることです」


 慧は眉間をもみ込みながら考える。


「容姿は分からない、か。通りすがりの人間が俺を殺しに来るということもあり得るんだな」


 そして、自分の知っている人間が殺人鬼である可能性もある。

慧の懸念を消すように、件が音を立てて手のひらを合わせた。


「はい。只、ひとつ良いお知らせがあります。貴方が殺されたのは森の中。貴方の入院していた病院の近くにある、カブト森の中でした」


 カブト森。そう言われて、慧の脳裏に浮かぶのはあの浮いた姿の森だ。カブトムシが沢山とれることから代々地元民からカブト森と呼ばれている。そう星野から入院中に聞いた記憶がある。


「ということは……」


 件はにやりと笑うと頷いた。


「当日家の中に引きこもっていれば大丈夫でしょう。ま、念のため私もこの家で寝泊まりさせて頂きます」


 安心して、件の言葉に同意しようとして、慧は気づいた。


「……ん?」


 慧は件を見る。大きな目に、ふっくらとした薄桃色の唇。小さくて形の良い耳。灰色のワンピースから覗く四肢は細く白く、それでも柔らかいことをあの日の病院で慧は知っていた。


「その、件。しばらく家に両親はいないんだ。件が追い出したからだけど。だから申し訳ないんだけど、別の所の方が……」


 慧は公序良俗に忠実でいたい。年ごろの少年が恋人でない異性とひとつ屋根の下で過ごすのはよろしくないことだと思うのだ。

 若干冷や汗をかいている慧に、件は平然と返す。


「やりたい放題ですね」

「やりッ!?」

「セキュリティを強化しましょう。ホームアローンみたいに」

「そっちね。そっち……言い方変えるか。一つ屋根の下で男女が暮らすことを何というか知ってるか?」


 割と直接的な言い方をしたつもりなのに伝わらなかったので、慧は間接的に言うことにした。訝し気に慧の様子を伺っていた件だが話を聞いているうちに、ああ、と膝を叩いた。


「その質問で想定されているであろう答えはおそらく、同棲、ですね。でも、それはあくまで世間的な認識であって本来の同棲の意味は、只、一緒に暮らすことなんですよ」


 件はしたり顔で言う。慧はがっくりと肩を落とした。


「成程。貴方の心配していることが分かりましたよ。安心してください。指一本、一切、貴方には触れませんよ? 夜はちゃんと貴方のご両親の寝室の押し入れの中にあった来客用のお布団を一階に敷いて寝ます。貴方の自室のある二階には行きません」


 一応、件は質問の意図は分かっていたようだ。だか百八十度方向がずれている。あと、いつの間にか家探しをされている。


「ということで、同棲しましょう」


 満面の笑みでこう告げる件に、慧はもう何も言えなかった。


「あ。じゃあ。汗っぽいのでお風呂借りさせて頂きますね」


 慧の様子を無視して、件は颯爽と横切って行った。しばらくして何か物音がしたと思うと「タオルお借りしますね」という叫ぶような声が聞こえた。命の恩人だ。タオルの一枚や二枚全然かまわない。とりあえず、慧は返事する。返事して、我に返った。


「えええー」


 リビングとお風呂場は直線的に近い為、水音が良く聞こえた。両手で耳を塞ごうとして片腕が不自由なことを思い出す。代わりに慧はテレビを点け、音を大音量で流した。その間の慧の顔は真っ赤だった。




 テレビの内容は然程頭の中に入らなかった。バラエティ。それだけだ。誰かが何かをして観客が大笑いをする。食べ物と動物の映像が沢山。司会の人やゲストの人がこちら側に向けて手を振って、映像がフェードアウトしていく。切り替わり、ニュース番組が流れた。ラグナロク現象のものだった。思わずリモコンに手を伸ばし、テレビを消す。


 そこで、慧は気づいた。

 慧を追い詰めていたシャワーの音がしなくなっていた。

 時計を見上げる。件がお風呂場に行ってから二時間ほど経っていた。流石に長い。


「くだーん。上がったのかー」


 慧はお風呂場に向かって声を上げた。返事もないし、物音もしない。


「くーだーん!」


 もう一度、今度は先ほどよりも大きく声を張り上げた。やはり返事はない。慧は慌ててソファから立ち上がるとお風呂場に向かって走る。

 慧の脳裏に病院で血を吐く件の姿が思い浮かんだ。

 もしかしたら死んでいるかもしれない。


「件! 大丈夫か?」


 慧が脱衣室に駆け込むと同時に、お風呂場のガラスの扉が開いた。洗面台の鏡に女性のシルエットが映った気がして、慧は慌てて手のひらで視界を覆う。


「あああ! 勘違いごめん!」


 すぐさま撤退しようと慧は一歩後ろに踏み出すが、混乱で足がもつれた。体が傾き、ギプスで覆われていた肩を思い切りぶつける。激痛が走り慧は悲鳴を上げると、無様に倒れ込んだ。自然と手が瞼の上から外れる。ぼやけた視界の中で、件が慧を見下ろしていた。


「貴方こそ大丈夫ですか?」


 あのワンピース姿のままで。

 頬は上気し、髪の毛は湿っているから風呂に入ったのは確実だ。心なしか、ワンピースまで湿っているように思える。

 助かった。のぞき魔の変態にならずに済んだ。けれど。


「件、お前、服も体の一部だったのか……!」


 慧はおののきながら言った。脱衣室で服を脱がずに、風呂に入った。服ごと体を洗った。それは、服が脱げないからではないか。

 よくよく考えれば、病院や先程死んだとき、服も残さずに件は消えていた。


「んん。んんん。うん。そうですね」


 件はせき込むと、ワンピースを見せつけるように一周その場でターンしてみせた。軽く水しぶきが飛んだ。


「私の服は耐久性と速乾性に優れているんですよ。皮膚の延長で出来ています。肩甲骨の下と鎖骨の下の皮膚です」


 件は裾の一部を引っ張ると、慧の目の前に持って行った。顔はにやついていた。


「お触りしますか?」

「……やめとくっ」


 慧が断ると、件は高らかに笑った。




 カーテンの隙間から見える空はすっかりと暗くなっていた。

 夕飯は件のおごりで寿司になった。

 台所で醤油用の小皿を用意して戻ると、件が急須を抱えた状態で固まっていた。視線の先ではテレビが付いている。佐島景についての特番だった。最近、テレビやインターネットでは佐島景の出演するドラマが再放送され、子供の頃の出来事を掘り出しては神話などに当て嵌めて盛り上がっていた。

 只、佐島景本人はあの日以来、テレビからもSNSからも姿を消した。国から保護されているそうだ。


 慧は考える。

 慧がサトウケイならば佐島景は偽物だ。本来なら佐島景の立ち位置にいるのは自分だった。


「お食事中は、テレビを消しときましょう」


 思考を遮るように件が言った。いつの間にかテレビは先ほどと同じように消されていた。件は慧と目を合わせてほほ笑む。件が抱えていたお茶も、慧の持ってきた皿もテーブルの上に並べられていた。


 完成された食卓に慧は唾をのむ。酢のいい匂いがする。目に飛び込むのは、盆に詰められた色とりどりの寿司だ。シャリの上に乗っている刺身の、艶とか脂の模様の入り方とかがいつも見てきたものと違う。付け合わせの卵焼きも表面は艶やかで気泡のむらは見当たらなかった。その癖柔らかそうだ。


「へへ。特上にしてしまいました」


 件が自慢げに両手でしめしてみせた。

 こんな贅沢、正月でもそうそうないと慧は思う。件は更に言う。


「明日の夕飯はステーキにしましょう。デリバリーの美味しい店、見つけたんですよ。せっかくだから一番高いメニューを。サイドも好きなだけ付けちゃいましょうね」


 目の前に寿司があると言うのに、翌日のことを思って慧は涎が出た。しかし、同時に気になることもある。


「でも、お金大丈夫なのか? 割り勘にしようとか言えたらいいんだけど、俺、お金そんな持ってないし」


 運転免許で右往左往している家族を置いて、余剰に家の資金を使うのも気がひける。


「平気です」


 件はそういうと、おもむろに袖口から分厚い封筒を取り出した。何処に収納されていたのか幾つも同じものが出てくる。慧はそのうちの一つの中身を見て、ぎょっとした。


「万の、札束ッ。これ、どうしたんだ?」

「んんー。なんて言えば良いでしょうか」


 件は頬に指をあてた。


「例えば、貴方は沢山の万馬券を買いました。オッズも高く一世一代の賭けです。しかし、その万馬券で応援していた馬は負けてしまいました。貴方はどんな気持ちになりますか?」


 最悪だ。いや、災厄なのか。慧は件の特性を改めて思い浮かべた。


「チートギャンブル……!」

「おや、こちらは命がけですよ?」


 それを言われたら慧に反論する余地はない。第一、これからその件の稼いだ金にお世話になるのだ。


「いただきます」


 慧が言って良い言葉はこれだけだろう。右腕が動かないので、左手だけで不格好なサインを作る。その手の向こう側では、件が両手を合わせて祈っていた。

 温かいお茶で口を潤してから一個目の寿司を選ぶ。慧は迷わずイカの寿司にした。

 中学生の頃に授業で鮨という小説を読まされてから、慧はイカの寿司がたまらなく好きになった。

 歯切れが良い癖に、噛めば噛むほど確かにうまみが出てくる。特上というだけある。

 いくらの寿司を飲み込んでから、件は言った。


「明日の昼はホームセンターに行ってトラップの材料を買いそろえましょう」


 件は小皿に醤油を足した。その様子を見ながら、慧はふと疑問に思う。


「殺人鬼が俺をわざわざ殺しにくるってことは、俺がサトウケイだってバレてるんじゃないか?」

「貴方の情報は漏れているでしょうね」


 件はあっさりと答えた。


「なら」

「同姓同名だから狙ったのか。貴方がサトウケイという確信を得ているのか。しかし、重要なのは殺しに来ているのが一人ということです。恐らく情報が漏れたのはごく一部。更に貴方の死ではなく、貴方をこの手で殺すことに興味があるタイプです。趣味だか何だか知りませんが。おや」


 盆の上に先ほど食べたいくらの粒が残されているのに気づき、件は箸でつまみ上げ、口に放りこんだ。あっけなく小さな粒は消える。


「……死を望むだけの奴らなら。もしくは大規模な組織ならこれどころじゃすみませんよ。少なくとも、同じような奴らが1000人くらい攻めて来るはずです。いや、いっそこの辺に爆弾を落としますかね」

「うわあ」


 慧の顔が青ざめる。

その大量に迫ってくる敵は、今、佐島景の所に行っているのだろう。国は、いや世界は佐島景を守ろうと全戦力をもって立ち向かってくれるに違いない。だから、良かったのだ。佐島景は世界で一番有名な俳優になれた。

件が病院で会った時に誰にも教えるなと言ったのは、多分、きっと、そういうことに違いない。


「ま。ちょうど襲ってくるので漏れた先も口封じ出来ますね」


 件は嗤う。

 慧は大トロに箸を伸ばした。舌の上で脂が溶けて、美味しいのだろうけど慧の好みではなかった。お茶で流し込む。

 なんとなく、消されて真っ黒なテレビ画面が目に入る。反射して慧の姿が映っている。それを見ながら、慧はぽつりと言った。


「しっかし、なんで俺がサトウケイ、なんだろうなあ」


 口にものが入っているので喋ることが出来ず、件は首を傾げる。


「ほら、世界に愛されてるって言ってたろ。でも別に俺イケメンでも天才でも何でもないし」


 世界中の人間が言うように佐島景だったなら納得できる。芸能界でひっぱりだこの新鋭。

その人以外に身近な人間の中で慧が選ぶなら、まず、星野だ。彼女程頭の良い人間を慧は今まで見たことがなかった。暗記力が高くテストではいつも満点だし、更に機転もきき咄嗟の判断力が高い。例えば昨年、小学生が川で溺れていた時、慌てて飛び込んで一緒に溺れかけた慧に反し、星野は冷静に身の回りのものを使い、慧ごと助け出して見せた。

 吉も凄い。手先が器用でなんだって作れる。前に吉の作った学校のミニチュアを見せてもらったが、カメラで拡大すると本当に学校を撮っているみたいだった。

 そんな人間達がこの世には存在しているのに、慧は慧を選ばない。


「八重歯、とか?」


 突然、件はそんなことを言った。黙っている間、慧が選ばれた理由を考えていたらしい。食べている最中に口の中でも見えてしまったのかと、慧はぱっと口を片手で隠した。

 確かに、慧は八重歯だ。母からの遺伝だ。

 手の下でもごもごと言う。


「そんな性癖みたいな話なのか」


 慧は顔を赤くしていた。


「神様の考えてることなんかさっぱり分かりませんし。案外、そういうくだらないことかもしれません」


 同じ神秘の生き物である妖怪に言われると説得力がある。件は瞳孔の大きい目で慧を見つめる。


「だから、気にする必要はありませんよ」


 故にもっと食え、とばかりに件は寿司をあごで指した。遠慮なく次の寿司を頂く。帆立だ。舌触りがなめらかで濃厚だ。こちらは慧の口によくあった。すぐになくなってしまった。


「件。その」

「まだなにか?」

「敬語。俺にはため口で良いって言ったのに」


 指摘するタイミングがなかったので言えなかったけれど、年上に敬語を使われると体がぞわぞわする。

 慧は視線を寿司に落としていた。次に食べる寿司を吟味しているように見えて、耳が真っ赤だ。此処の所、慧の赤くなっている姿をよく見るなと件は思う。


「ああ。これはアイデンティティみたいなものです。もう変えられません。こちらもお気になさらず」


 件は口直しにがりを取った。生姜が鼻につーんときた。



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