第3話

 人は憎しみだけでも生きられる

 けれどいつかその憎しみに喰われ

 盲目となる



 クロードは不機嫌全開でラップトップパソコンの前に座っていた。

 玄関から入ってすぐのダイニングテーブルの上にパソコン。椅子に本人。何をするわけでもなく、画面と睨み合っている。

 家の中にあるパソコンで唯一満足に稼働するのがこの頼りないパソコン一台であった。

 メインで使っていたのは彼の自室にある巨大なタワーを持つデスクトップ。それが二台。荷台それぞれに画面がデュアルでセットされていた。さながら管制室の様相を呈していたが、今は電源が入っておらず、画面はどれも真っ暗だ。

 もう一台は同居人のデスクトップ。スペックはさほど高くなく、常用している様子もなかった。これも今は点いていない。

 八型の小さな画面を覗き込む表情は険しい。

 下を向き影になっているその目は真紅。右目にはモノクル、それを更に金の髪が覆っている。

 眉は常時不機嫌につり上がり、目の下には慢性化した寝不足と眼精疲労の為に隈。

 神経質を絵に描いたような顔だ。

 その彼が隈を一層濃くして静かに苛立ちを爆発させている原因は、同居人が作った今朝の朝食が不味かったからだけでも、それに怒って追い出したらそれきり半日帰ってきていないことだけではない。それは単に追加の火薬に過ぎない。

 何もかも先日起こった停電に起因していた。停電だけなら許せたが、それだけでは済まなかった。停電の原因が電線に大電流が流れたことに起因していたからだ。

 過電圧が街中を襲った。

 荒稼ぎ中だったにもかかわらず、彼の自室にあったパソコンがショートした。電源から若干の火花が散ったほどだ。

 数時間後、電気が復旧してスイッチを押したが、待てど暮らせど駆動しない。

 明らかに、かっ飛んでいた。

 過電圧の対策はそれなりにしていた。しかし、逆流してきた電気はその細工を一切問題とせずに押し寄せたのだった。

 家中の電化製品で無事ではなかったのは、かっ飛んだ二台のデスクトップと、冷蔵庫くらいのものだ。他は節電と称してコンセントを日常的に抜いていたので助かった。

 しかし、損害は大きい。

 そしてトドメのように不味いメシだ。

 同居人を家から排除して早十二時間。それは何の作業もすることなく電気の無駄遣いをし続けた時間でもある。

 だんだんと危険衝動が収まり始めるのと同時に、腹が減ってきた。

 怒るというのは何しろエネルギーが要る。大抵の気分が不快にシフトしているクロードは何かしら手でつまんで食べられる物が近くに置いてある。すぐに腹が減るからだ。それでエネルギー補給して、また不機嫌を続行する。同居人がそれを見かねてつまみを取り上げると、今度は三度の食事に有り得ない程食べて充電する。それだけ食べても、クロードの体重は僅かも増えず、相変わらず不健康に顔色が悪い。

 痩せぎすなわけでも華奢なわけでもなく、細いが体躯はしっかりしている方だ。

 一方、何処か線が細い感じは否めない。厳密に言うと、線は細く歪んでいた。

 腹は減ったが今はつまみが切れている。自分で料理をする気は毛頭無い。

 やっと冷め始めた頭に怒りの炎が再点火されようとした時、景気よくドアが開いた。



「おー。作業ははかどってるか? 天才。そうか、腹が減ったか。待て。今俺が何か作ってやるからな」

 騒々しい。クロードは反射的に眼を細めた。

 背が高く体格もいい男が中身の詰まった大きな紙袋を抱えて入ってきた。追い出されたついでに買い物をしてきた同居人が帰ってきたのだ。名を、ユン、という。

 ユンは典型的な茶髪に茶色の瞳をしている。背丈は百八十を超え、横に並ばれるのは好かない。クロードも百七十そこそこはあるが、横にユンが立って顔を見て話そうとすると顎を上げなければならない。見上げなくてはいけないなど、腹立たしくて仕方がない。

「貴様。今まで一体何処で何をしていた。白状しろ」

「あのな、おまえがでりゃーって俺のケツ蹴って追い出したんだろうが」

「帰ってくるならもっと早く帰ってこい。帰らないなら永久に消えていろ」

「やーだ、またカリカリしてんの? クローディアちゃん……ってイタイッ! イタイって! ネジを投げるな、ネジを!」

 先日周辺機器を分解したときに取り出したネジを掴んで、クロードは表情を一切変えずに投げつけた。ネジの量は一回分しかなかったので攻撃の続行は残念ながら断念したが、何ならこの役に立たない部品全てを投げつけても良かった。そんなもの、倉庫を探せばいくらでもある。

「貴様こそその名前、女の名前だろう」

「俺が知ってたらその由来を得々と語ってやるのになぁ。残念だなぁ」

「貴様にしたり顔されなくて良かった。ま、どうせ大した意味もない名だろう」

「これまたひでぇコト言うなぁ」

「さあ、早くメシを作れ」

「……へーい」

 口の中でもごもご言っているようだが、どうせ聞こえないから気にしない。

 ユンはコートを椅子に掛けてから奥にある台所に向かうと、まず換気扇を回した。

 これは調理中の匂いが漂うのが気に入らないため、そうしろと言ってある。出てきた料理なら何でもないが、その過程のものは得意ではなかった。中途半端に胃が刺激されるし、完成するまでの経過に居合わせたいとそれほど思わないからだ。ユンには以前、理解できないと言われたことがある。普通は匂いが漂ってくるだけで期待が膨らむものなのだろう。しかし、そう思ったことはない。

 興味がないのかも知れなかった。食べる、ということそのものに。

 確信はしていないが、そんな気はしている。

 台所から聞こえてくる音が、今朝、自身のリミッターを飛ばしたものに酷似していることに気付き、クロードはパソコン前の椅子に座ったまま台所の方を見た。見たところで、台所は一つ奥にあるので様子を観察することは出来ない。

「おい。今度の食事はまともに作れよな」

「大丈夫。いつものチャーハンだから」

 やりかねないとは思っていたが、予想が当たることは願ってない。

 朝に続き、昼は抜かして、夕飯。

「同じメニューとは……。貴様。脳に叩き込んであるレシピ集をチャーハン残して何処かに落としてきたのか? 同じ事を二度やるのは莫迦だぞ。いや。貴様の場合それ以下だ」

「だーかーらぁ。大丈夫だって」

「……何だ。その意味の無い余裕は」

 熱せられたフライパンに具が入れられる音がした。

 台所の様子が気になり、クロードは立ち上がってそこに行くと、壁に凭れながらユンを観察した。

 何もかも今朝と同じだ。

 今朝は、牛乳を取りに来るついでに眺めていた。短時間で眺めるのをやめ、居間に戻った直後に惨事の元をフライパンに投入したのだろう。

 今度はそんなふざけた真似はさせまいと半ば睨み付けるように見ていた。勿論、普通の調味料しか入っていかない。

 ふと思い浮かんだ考えに、クロードは眉間に皺を寄せた。

「ユン」

「なにか?」

「貴様。今朝のアレはわざとだろう」

「おー。スゲェ。よく分かったじゃん。ワサビを溶かし込んでだな、小さじ一杯のマヨネーズにコチュジャンと酢を適量入れて、仕上げにソースとレモン汁で味を調えるんだ。美味かったのにさぁ、不味いとか言って捨てた挙げ句調理人蹴り出すんだもんなぁ。世の中なってないよなぁ」

 フライ返しに語りかけ、落胆したように肩を落とすユン。

 しかもきちんとどんな物を入れたか羅列した上で、美味しい、などと言っている。

「貴様の味覚は崩壊しているのか?」

「クロードの感性の方が崩壊してるさ――って、包丁は取っちゃダメですよー! 反則ですよー! 俺はフライ返ししか持ってないんだからな!」

「では、そこのでかいおたまに変えていいぞ」

「わ、わーい。これなら全部鉄製だし、互角に渡り合えるかも!」

「それならこちらはコレだ」

 瞬時に持ち替えたのは刀。唐突に現れたそれは、クロードの右手の中に仕舞われている物だ。鞘から僅かに抜くと赤い刃が光を受けて一瞬だけ輝いた。それを見せつけられたユンはたじろいだ。

焔妃えんひ相手じゃ分が悪すぎる! 俺の剣も出せ!」

「世の中常に不平等だ。その点には安心して潔くこの刃を受けろ。今なら楽に逝かせてやる。拒むのなら寸刻みの刑だ。まずは末端部分からだな。いや、その前に煩い口を刻んでしまうか」

「なに具体的にグロイ話してるんだよ。早くそれ置けって。ったく、本気ぶっちゃって」

「実際本気だが?」

「はいっ! はいはいはいはいはい! 出来たよー出来た!」

 クロードの本気宣言に慌て、ユンは大げさなアクションでフライパンの中身を二等分に盛りつけた。

 実に簡単、豚肉と椎茸と長ネギと御飯を炒めて卵を混ぜて醤油を垂らしただけのチャーハンだ。匂いも通常であり、今朝のような独特の一歩も二歩も引いてしまいそうなものが立ち込めることはなかった。

 粗末なテーブルに向かい合わせに座り、合掌もなしに食べ始めた。

 醤油味。以上。

 今朝食べた物と同じ料理とは思えない程に味がシンプルになっている。

 作らせている手前ある程度の苦情は差し控えようなどと言う考えは、クロードの頭の中には一グラムもない。作るんだったら美味い物を作るのが当たり前だ、くらいの構えである。

「俺が居ない間にパソコンどーよ。直った?」

「貴様が居ても居なくても直る物は直るし、直らない物は直らない」

「あー、もう、どうでもいいから、どうなんだよ。直った? 直んない?」

「うんともすんとも言わん」

「残念だね。でも、そのちっこいのでも金は稼げるんだろ?」

「効率の問題を全て度外視するな。前と後の環境の違いを考えろ、莫迦」

「でも、デュアルディスプレイをダブルにしなくたって、金儲けはやれるじゃん」

「収入が減る。なによりつまらん」

「じゃあ、どうしたら面白くなる?」

 そう言う話をしているわけではないのだが。

 真顔で尋ねてきた同居人は、真面目に腕組みをした。チャーハンはあと少しで終わるというのに、このためにスプーンを置いている。

 律儀というか莫迦というか。

「じゃあ、停電の犯人を見つける! あー、でも、犯人見つけるって言っても多分ここら辺じゃないだろうから、これは駄目か。もし、出来たとしても、問題の直接解決にはならないしなぁ。弁償させるくらいか。それもつまんないな」

「提案から結論まで一人でやってくれたな。ずっと一人で喋ってろ」

「おまえがつまんねって言うから考えてるんじゃないか」

「そんなことしなくて結構だ。飯が冷めるぞ。だが、貴様のパソコンが壊れてくれなかったのが実に悔しい」

「な、なんでだよ。別にエロゲとかやってないだろ」

「そういう個人のことは勝手にしてくれて構わないが、問題は別の所だ」

 喋りながらもしっかり食べていたクロードは最後の一口を飲み込んだ。

 口直しに、飲みかけだった冷えたコーヒーを飲んだ。同時に思い返す過去。

「数ヶ月前に、貴様の所為でネットワークにウイルスが撒き散らされただろう。よく知りもしないのに適当なことをやっているからあんなことになるんだ。まったく、駆除と修復に一体どれだけ苦労したと思ってる」

「実際そう言っても全然苦労なんかしてねぇんじゃねぇの?」

「まあな。貴様じゃ到底無理だったがな。だが、下手をしたらあの時に今回と同じ事態が起きていてもおかしくなかったんだ」

「でも、被害は俺のだけだったし。クロードのは無事だったんだし。別に今更怒られること無いと思うんだけどなぁ」

「今から物理的に破壊してやってもいいんだぞ」

「あんまり使ってないから困らないけど?」

「……つまらん」

 怒りは込み上がるのに、気力が湧かない。足掻くことももがくことも、大分前にやめてしまった。じたばたとみっともなく手足を動かすことに疲れてしまった。

 しかし、じっとしていると苛々する。

 動きたい。動きたくない。相反する間にいて、苛立ちだけが募っていく。

 何がしたいのか、いつの間にかわからなくなっていた。



 クロードがずい、と空になったカップを押し付けてきた。

 入れろ、ということだ。彼のこんな態度には慣れっこだ。これが彼の気質であり、逆らうことは益にはならないのも知っている。残っていた夕飯を掻き込むと、不平は言わずにおかわりを注ぎに席を立った。ついでに、二人分の皿も台所へ持っていく。

 保温してあるドリップコーヒーを注ぎながら、ちら、とクロードの様子を窺った。

 席に着いたままのクロードはパソコンを引き寄せ、何をするわけでもないのに小さい画面を睨み付けている。眉間には深い皺が寄って、口はへの字に曲がっている。

 最近、不機嫌顔に掛かる金髪がますます鬱陶しくなった。顔を全て隠してしまいそうな勢いで鬱陶しい。俯いて、前を見ないことも多い。クロードは、日に日に内に籠もっていく。

 寝付けず、眠りも浅く、眠れてもよく夢に魘される所為でクロードの目の下は酷い隈ができている。薬を貰ってこいと言っても拒まれる。運動でもして疲れてみろと言っても無視される。カフェインの取りすぎを指摘すると、反抗してもっと飲む。

 子どもの反抗か。

 居候を初めてかなりの時間が経つが、昔はもっと気力と殺気に満ちていた。

 何も解決できないまま過ごしてきた時間は、長すぎたのだろうか。矜持の塊だったクロードを卑屈にしてしまうほどに、数年という時間は長かったのか。

 どうにか元気を出して貰おうと、あの手この手で刺激してみるが、一瞬沸騰させることは出来ても、すぐに氷のようになってしまう。今朝のチャーハンも手の内の一つだったが、会話の最後には「つまらん」と言われて終わってしまった。今回も彼を能動的にすることは出来なかった。

 ユンは自分の分のコーヒーも注ぐと、二つのカップを持って居間に戻った。

 相変わらずこの家の主は仏頂面で鎮座している。

 クロードの目の前にあるパソコン。電源を入れておかれているだけのパソコン。それさえも壊れてしまったら、彼は動こうとするだろうか。メインで使っていた物が壊れても買い直しに行こうともしない時点で、そんな期待をすることは間違っているだろうか。

 見ていると表情が伝染してしまいそうだ。

 クロードの左手側にカップを置くと、ユンは斜め向かいの席に着いた。正面は重たすぎる。横は横で居られない。今居られる場所は限られていた。

 静まりかえった室内。斜め前方から漂ってくる重苦しい熱波を持った気配。上から横から異常な圧力がのし掛かってきた。

 重たい。

 黒い空の下にいて感じるのとは比べものにならないほど重たい。

 コーヒーを飲んでいても、最早味がしない。

 家なら自室、外ならドアの向こうへ。どちらかへ逃げなくては気道が塞がれてしまう。

 思えば、昨日の大停電からクロードの気配が重みを増していた。押し黙り、真紅の眼を細め、彼が何を思っているのかは皆目見当が付かない。

 まだ熱いコーヒーを一息に呷った。喉が焼けただけで、やはり味がしない。緊急避難として取り敢えず自室に駆け込もうと腰を浮かそうとした瞬間、クロードが椅子を蹴るようにして立ち上がった。身体の向きを変えて向かったのは玄関。おかわりしたコーヒーはまだ一口も飲んでいない。

「ど、どっか、行くのか?」

 尋ねると、クロードは振り向かないまでも立ち止まった。

「答えが、解らない。一日ここで考えたが解らない。だから、外へ行く」

 外。

 籠もりっぱなしであった男が、自ら外へ行くと言った。

「俺も行……一人がよろし?」

「最後まで言う前によく判ったな」

 最後に一瞥して、コート掛けからコートを取ると、クロードは出ていった。

 ユンは浮かせかけた腰を落ち着け、着席。

「出不精キングがお散歩ねぇ……。ま、いっか。ラッキーラッキー」

 折角注いできたのに一口も飲んで貰えなかったクロードのカップを引き寄せると、丁度良い頃合いまで冷めたそれを飲んだ。

 あの短くも長い沈黙の間、彼が何を考え何を思って立ち上がったかなど知る由もない。

 答えと言っていたが、何の答えが欲しいのだろう。それも解らない。

 悪い方へ転がらなければいい。それだけだ。

 きっとまだ卑屈な姿勢をして外を歩いていることだろう。

 家の中では姿勢がいいクロードも、外に出れば下を向き肩を落としている。以前、それを指摘したところ、クロードは聞き取り不能の言語を撒き散らした後に、ユンを家から締め出して一週間以上も中に入れなかったことがある。それ以来ユンは何も言わないし、クロードの方も相変わらずで改善する様子はない。

 ユンはその理由を知っていた。人目から逃れるように歩く理由も、自信を無くして卑屈になる理由も。

 それなのに指摘したからクロードがキレたのだ。

「早く元気になれよな、王様」

 出来ることは、食事と言葉を差し出すことくらい。あとは、本人次第だ。

 人の分のコーヒーを飲みながら、ユンはクロードが出ていった扉を見ていた。

「付いていったら怒られそうだけど、久しぶりのお外だしねぇ」

 子ども扱いするつもりはない。だが、引きこもりが稀に外に出ると変な物に出くわすかも知れない。何に、とは言えないが。

「ま、俺もお散歩するか。コーヒー豆買い忘れちゃったしね」

 コーヒーと書いてガソリンと読む。クロードの場合。

 カフェインが切れると停止する前に激しく癇癪を起こす。相手をするのが面倒になるだけでそれほど被害はないのだが、そうならないに越したことはない。

 クロードの分のコーヒーも飲み終えると、ユンは席を立った。椅子に掛けっぱなしであったコートを羽織ると、緩やかに表へ出た。


   *


 ネスジアの黒い空の下、クロードは俯き加減に歩いていた。

 目は前を見ない。

 隠しもしない目立つ金髪に、人々が時折視線をやる。彼らの目から逃げるように、クロードは足早だ。

 行き先に宛はない。知っている道を一巡するのがきっと精一杯だ。知らない道へ足を伸ばす気力もない。

 両手はコートのポケットの中。そのコートは赤。よく目立つ。

 地面に目を落とし、若干前屈みで姿勢が悪い。

 この様を、ユンに「卑屈だ」と言われたことがある。言われて、腹が立った。

 胸を張って歩けるだけの気概がまだあったのなら、何も苦労していない。鬱々と気分が沈むこともないし、苛立ちに感情を支配されることもない。

 一方で、何故ユンは前向きでいられるのか、とも思っていた。

 境遇はそれほど変わらないのに、まるで落ち込んでいる様子がない。生まれ持った気質の違いもさることながら、捉え方がそもそも違うらしい。

 彼には、ついて行けなかった。

 絶望もしない、泣きもしない、そんなユンのような強靱さは持ち合わせていない。

 だからこうして、ユンの言う卑屈な恰好で街を歩いている。

 昨日、このネスジアは僅かの間完全なる闇となった。一度も消えたことがない街灯が消え、家々からも灯りが無くなった。すぐに復旧したが、恐ろしいほどの暗さだった。

 原因は大停電。だが、停電自体の原因は分かっていない。ただ、どこからか膨大な電流が流れ込んできた、ということは分かっている。その電流が何処からどうやって来たのかは皆目見当が付かない。

 口にはしていないが、嫌な予感がしていた。

 巨大な街を一つ闇にしてしまう程の力の持ち主が何処かにいる。しかも、この近くに、だ。

 心当たりは無くもない。しかし、特定は難しかった。

 ――もしそれが、あいつならば……。可能か……? 近くに、居るのか……?

 断片しか蘇ってこない記憶が脳裏を駆けていった。

 この境遇の全ての原因となった男のことで覚えているのは、蒼という色、それだけだ。

 嗤う蒼。

 思い出し、胸が少しだけ軋んだ。

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