第7話 不明機との遭遇戦

 相手機は、民間航空識別信号を出していなかった。これは、その機体が軍事行動中であることを意味している。


 イコライはカイトに聞いた。

「たしか、北東三〇〇マイルに飛行禁止区域があったな」

「ああ。どの都市とどの都市の戦争だったかは忘れた」

 忘れても良い情報だ。イコライは無視して続ける。一瞬のうちに、友達と談笑する時の顔から、戦争をする時の顔に切り替わっている。


「カイト、どう思う? CAP(戦闘空中哨戒)かな?」

「そうだと思った方がいいだろ。三〇〇マイル離れているとはいえ、用心に越したことはない」

「わかった。俺が編隊長として、指揮権を行使する」

「任せた」


「カイト、お前は無線で呼びかけてくれ。俺はレーダーをいじって他にもいないか探す」

「了解」

「イコライさん」

 会話が途切れたのを見計らって、ソラが話しかけてくる。

「どうしたんですか? 戦争は終わったんじゃなかったんですか?」

「別の戦争を近くでやっているんだ」


 イコライは答えながらも、レーダーを操作する手は止めない。

「俺たち、敵と間違われてるかもしれない」

「そんな……でもそれなら、無線で話せば」

「いまカイトがそれをやってる……ソラ、悪いけど、話して良いって言うまで黙っててくれるか」

「……わかりました」

「ありがとう」


 一分ほどかけて、イコライはレーダーの操作を終えた。他にはいない。単機らしい。戦闘機は普通、単独行動はしない。仲間を撃墜されたのか、それとも、何か別の事情が……?

 いや、事情なんか知ったことではない、とイコライは思い直す。不要な情報だ。


「こっちは終わったぞ、カイト。相手は一機だ」

「イコライ。悪い知らせだ。応答がない。緊急周波数を含めて三つの周波数で呼びかけたが、ダメだ」

 距離四〇マイル……もうすぐ、ミサイルの射程内。

 イコライは決断を下す。


「武装安全装置を解除。戦闘散開してエンジェル一五まで降下。針路三一五に転針」

「イコライ。回避するなら、針路は一八〇の方が」

「却下だ。不明機をレーダーに捉えながら飛行できる針路を維持する」

「しかし……」

「編隊長は俺だ」

「……」

 指揮官が誰かを決めて、全員がその命令に従うことによって、決断と行動を迅速にする……戦争とはそういうものだ。


「命令を復唱しろ、カイト」

「……武装安全装置を解除。戦闘散開してエンジェル一五まで降下。針路三一五に転針する」

「実行だ……集中しろ」


 言うと同時に、イコライは降下しながら針路を変更、降下する。エンジェル十五とは、高度一万五千フィートの意味だ。それが戦闘を開始するのに最も適した高度だと、イコライは思っている。それより高いと、空気が薄くて舵が利きにくくなり、それより低いと、上を取られて不利になる。


 旋回しながら首を巡らせて後方を確認すると、カイト機が離れていくのが見えた。戦闘散開。攻撃を受けた時、一網打尽にされるのを防ぐために距離を取ることだ。


 それは、戦うことを意識した行動だった。


 カイトが提案した針路一八〇……つまり、戦うのではなく、相手に背を向けて逃げる案は、確かに一考に値する。現代の戦闘機の最高速度はどの機種もさほど変わらないから、追いつかれる心配はほとんどない。それに、この距離ならミサイルからも逃げ切れる。


 イコライがその案を却下した理由はただ一つ。戦闘機の後ろにはレーダーがついていないからだ。一度背を向けて逃げ出したら、相手のことが見えなくなる。言ってみれば目隠しをするようなもので、他の味方機の支援を受けられないこの状況で、それは危険すぎる。見えている相手には勝てるが、見えていない相手には勝てない。それに、二対一なら、戦えばこちらが勝つはずだ……だからイコライは、相手にほぼ正対する航路を選んだ。


 降下しながら、イコライは水平線のやや上のあたりに視線を集中させていた。距離が離れている相手を狙う場合、ミサイルは放物線を描いて飛んでいく。それはつまり、狙われている側からは、ミサイルは水平線のやや上に見えることを意味する。


 果たして、数十秒後。

「見えたミサイルだこんちくしょう」

 砂粒のように小さな点が空中に浮かんでいるのを見つけて、イコライは悪態をつく。あの間抜け、敵でもない相手にミサイルを撃ちやがった。どういう意味だかわかっているのか? 殺されてもいいですってことだぞ!


「一発だけだ……カイト。俺と反対方向にブレイクしろ。どっちが撃たれてるか確かめたい」

「了解」

 最近のミサイルはよくできている。発射されてすぐにはレーダー波を出さない。かなり相手まで近づいてから、ようやくレーダー波を出してロックオンする。戦闘機についてる警報装置は、ロックオンされない限り警報を出さない。だからこうして、目を凝らしてミサイルを見つける必要がある。


「……ああ、そっちだ。カイト、ミサイルがそっちに行ってる。AMMを用意して退避しろ」

「もうやってる」

 アンチ・ミサイル・ミサイル、通称「AMM」は、ここ十年ほどで急速に普及した兵器だ。これは従来からあった高機動短射程ミサイルを発展させたもので、戦闘機だけでなく、飛んでくるミサイルをも撃墜できる。このAMMのおかげで、戦闘機パイロットは持っているAMMと同じ回数までならミサイルに狙われても生き残れるようになり、航空戦のあり方は大きく様変わりした。


 カイトの無事を確認してから、イコライは機体を大きくバンクさせて急旋回し、相手機……いまはもう敵機だ……に向首する。自衛のためのミサイルは十発。相手が一機なら十分だ。


「攻撃する」

「ちょっとイコライさん!」

 ソラが、約束を破って声を発した。

「戦うんですか!」

「ああ」

「だって、向こうは敵と間違えてるだけで……」

「無線で呼びかけはした。どんな事情があるにせよ、聞かなかった方が悪い」

「でも!」

「あいつはカイトを撃った」

「……でも、そんな」

「……ソラ」


 イコライは、スロットルから左手を離して、前方のヘッドアップディスプレイに触れた。イコライの指と指の間に、青空を背景に細い緑色の線で描かれた、ゆっくりと動く小さな正方形があった。まだ距離が遠くて目には見えないが、その箱の中に戦闘機がいるはずだった。


「俺にとっては……こいつよりも、ソラやカイトの方が大事なんだ」

 ソラが黙り込むのを確認して、イコライはスロットルに左手を戻した。

 距離二五マイル。

 この距離なら、ミサイルはまず外れない。


「フォックス・スリー」

 発射ボタンを押下すると、翼下から細長いミサイルが飛び出して行く。前方の空に吸い込まれるようにして消えたかと思ったら、よく見ると小さな点になっている。燃え盛るロケットエンジンが、揺らめく赤い輝きとなって目に映る。すぐに、その輝きも小さくなって見えなくなる。


 その時、やはり水平線の少し上に、かすかに動く点が見えた。どうやら、こっちにも撃ってきたらしい。

 イコライは待った。ミサイルは音速の四倍ほどで飛ぶが、遠距離から撃てば着弾まで数十秒を要する。

 唐突に、甲高い警告音が鳴り響く。ロックオンされた。


「フォックス・ファイブ」

 さっき撃ったものよりも小型のミサイルが、翼端から射出される。AMMは、高分解能の赤外線画像センサによって、超音速で飛ぶミサイルが発する熱を探知し、そこに真っ直ぐ突っ込む。


 十数秒後、正面やや上の空域で爆発が起こる。青い空に、黒煙の染みが滲んだ。

 距離一五マイル弱の時点で、イコライは敵機を肉眼で確認。まだ空に浮かぶ砂粒にしか見えないが、急旋回しているのがわかる。さっきこちらが撃ったミサイルにロックオンされたのに気づいて、避けようとしているのだ。


 敵はAMMを積んでいない? それは変だ、AMMを積んでいないのに戦闘に入るはずがない……イコライはそう思ったが、すぐに忘れる。敵がAMMを持っていないのは、極めて好都合だった。


 こちらのミサイルがレーダーを起動させたのを確認して、イコライは逆探知を避けるため戦闘機のレーダーを切る。降下して低空へ。近距離で下方に潜り込まれると、相手からすれば非常にやりづらい。


 それからまもなく、前方上空十マイルほどの空中で爆発。やはりAMMを切らしていたらしい。黒煙を引いて逃げようとする敵機を、肉眼で確認。チャンスだ。やつはいま、こちらが見えていない。


 イコライは敵機の直下に潜り込むような軌道を取った後、下方からえぐるように加速上昇しつつ、レーダーを切ったまま、AMMを攻撃モードで起動する。熱源探知式シーカーの弾頭冷却を開始。数秒で冷却が終わり、発射可能になる。


「フォックス・ツー」

 ミサイル発射。レーダーを一切使っていないので、逆探知は不可能。AMMは前後両方向に赤外線センサを積んでいて、目標と反対方向のシーカーを廃棄してロケットエンジンに点火する……だが、前後以外の方向、側面や上下面から飛んできたミサイルは探知できない。だから、こうした真下からの攻撃は非常に効果的だ。もっとも、AMMを積んでいない相手なら関係はないのだが、念には念を入れる。


 その時、背後でソラが身を乗り出すのを感じた。

「逃げていきます。もう十分じゃ……」

「ダメだ。戦闘機は、飛んでる限り戦える」

 言いながら、イコライは機体を降下させる。もしミサイルが外れた場合、死角から再攻撃を仕掛けるためだ。機体にかかる加速度の向きが急に変わったせいで、ソラが短い悲鳴を上げる。

 だが、再攻撃の必要はなかった。


 十数秒後、イコライたちの頭上の青空に、赤い火の玉がきらめいた。

 その中から飛び出してきて、黒煙を引いて落ちていく、一粒の点があった。

 それは、錐揉みしながら墜落していく、一機の戦闘機だった。

 遠すぎて、ただの粒にしか見えない。

 それでも確かに、それは人が乗っている戦闘機に違いなかった。

 その粒は、パニックにでも陥ったかのように、滅茶苦茶な回転を続けながら、みるみるうちに高度を下げていく。


「イコライさん……」

「ソラ。もう終わったよ。安心していい」

「安心なんか、できるわけないでしょう……」


 嫌なところを見られてしまったな、とイコライが思う、その後ろで、ソラは言った。

「次にああなるのは、イコライさんかもしれないじゃないですか……」

 パイロットは脱出しなかった。おそらく、ミサイルが爆発した時に絶命したのだろう。

 黒煙を吹き出す戦闘機は、白い雲の中に落ちて行って、消えた。


 青い空に白い雲。

 いまは少しばかり残っている黒い染みも、すぐに風に吹き流されて消える。


 世はなべて事もなし。

 これが、イコライたちの世界の日常だった。

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