第4話 安らぎは麻薬のように

「お帰りなさい、イコライさん」

 酔った手でカギを開けようとガチャガチャやっていたら、若い女の顔をした彼女がドアを開けにきた。目が合うと、なにやら嬉しそうにニコニコと笑っている。


「ソラ……先に寝ててくれって、メールしただろ」

 口ではそう言いつつも、イコライも心の中では嬉しいと感じている。

 ソラはそんなイコライに対し、ミディアムショートの美しい髪の下にある綺麗な顔に、少しムッとしたような表情を浮かべて応じた。


「もう。何度言えばわかるんですか? そういう方面で、私のことを人間扱いしなくていいんですよ」

 口調は怒っていたが、上着を受け取る時の手つきは、いつも通りの丁寧なものだった。

「私、疲れたりしないんで」


 そう言って、片目をパチッと閉じるソラを見たイコライは、かわいいなあ、と思う。実際、ソラはすごい美人で、道を一緒に歩いていると、よく視線を感じる。

 だがまあ、それはそれとして。


「そういう問題じゃないんだよ、ソラ。俺の感じ方の問題なんだ」

「感じ方って……つまり、私を夜遅くまで待たせると、いたたまれなくなる、ってことですか?」

「そう、そんな感じ」

「そんなこと言われても……それなら私じゃなくて、人間の恋人を作れば良かったんじゃないですか?」


「……そんなこと言うなよ」

「す、すいません」

「いや、そんな、謝らなくてもいいけど」

「だっていま、イコライさん傷つきましたよね? 傷ついた顔しましたよね?」

「は、はあ? 傷ついてないし。ただ、ちょっとグサッと来ただけで」

「傷ついてるじゃないですか」


 ソラはおかしそうに笑った。可愛かった。

「……お腹すいたよ。なんかある?」

 ソラが作ってくれた夜食はおいしかった。ソラは食卓の向かいに座って、どことなく嬉しそうに微笑みながら、イコライと同じものを食べた。イコライはそんなソラを見てもう一度、可愛いと思った。


 この笑顔を守りたい。

 ……難しいことなんか、考えたくない。


 イコライが、そんな風に感じ始めたその時、ソラが話しかけてきた。

「戦争、終わったんですね。おめでとうございます」

「ん、ありがと」

「またしばらくお休みですよね。この部屋も引き払わなくちゃ。今度はどこで過ごすんですか?」

「それなんだけど……今回の休みは、実家で過ごそうと思うんだ」

「そうですか……」

 ソラは少しがっかりしたみたいだった。


「その間、私はどうしていればいいですか?」

「いや、だから、それなんだけどさ、ソラ」

 イコライは、フォークを置いて居住まいを正し、少しだけ固い声で言った。

「両親に、君を紹介しようと思うんだよ」


 その瞬間、ソラは目を見開いて驚いた。それは、イコライが初めて見る表情だった。一緒に暮らし始めた頃のあの時でさえも、こんな顔はしなかった。


「え、ちょ、だって、イコライさんの実家って、すごい歴史のある……」

「うん。大戦の前まで貴族だった。いまでもまあ、家は大きいね」

「だ、大丈夫なんですか? そんなおうちに、私なんかが行っても」

「まあ、母さんも平民出身だから、話せばわかってくれるんじゃないかな」

「何を言ってるんですか!」


 ソラが頬杖を解いて、声を上げる。

「お母さんと私じゃ、全く違いますよ、イコライさん!」

 イコライが何か言う間もなく、ソラは言った。

「だって、私……ロボットなんですよ!」



 外見は人間の女の子と見分けがつかないが、ソラはロボットだ。

 ロボットと付き合ったり結婚したりする人間は、まだまだ珍しい。というか、はっきり言ってマイノリティだ。だからいまの世の中には、ロボットと結婚する権利を求める活動家なんてのもいる。


 だがイコライは、特に思想とか信条があってソラのそばにいるわけではない。ロボットの権利とか、そもそも人間が人間であることの意味とか理由とか、あまり深く考えたことはない。いや、考えたことはあるが、それは、ソラと一緒にいることとは関係ない。


 ただ、ソラと暮らしていると、すごく居心地が良い。掃除も洗濯も完璧で、おいしい料理だって作ってくれる。家計の管理までしっかりこなしてくれるし、何より、家に帰ってソラと顔を合わせて、言葉を交わすと、とても心が安らぐ……夜の相手だって、ちゃんとしてくれる。


 だから、イコライもそんなソラに応えてやりたいと思う。戦って、勝って、報酬をもらって生きて帰ってくることがそれだった。

 ただ心配なのは、自分が死んだ時のことだった。自分が死んだら、ソラはどうなるのだろうと、このごろよく考えるようになった。


 だから、イコライは実家にソラのことを頼むつもりだった。万が一、自分に何かあったら……メイドでも料理人でもなんでもいいから、ソラに居場所を与えてやって欲しい。そう頼むつもりだった。実家の両親も使用人も、割と物わかりの良い人間ばかりだから、たぶん大丈夫だろう、と思う。


 ということを、イコライはソラに説明した。

 だが、ソラの表情は晴れなかった。

「なんですか、それ……私のこと、重荷だってことですか?」

「え? 重荷って?」


 イコライは、ソラが言ったことを、なんだか唐突に感じた。そんな風に言われるとは、思ってもみなかった。

「ごめん、何の話?」

 ソラは、眉間にしわを寄せながら言う。

「……私って、邪魔じゃないですか? だって、家事をやらせるだけなら、安いロボットがいろいろあるじゃないですか。私みたいに、人間そっくりに作られてなくて、気まずい思いなんかせず、簡単に捨てられるようなやつが、たくさんあるじゃないですか」


「……」

 イコライはいまひとつ、ソラが何を言いたいのかわからなかったが、ともかく彼なりに、できる限り誠実に答えようとした。

「正直に言うと、俺が本当に心配してるのは、ソラのことじゃないんだ」

 イコライの目が伏せられるのを、ソラは見る。


「俺が心配してるのは、自分のことだ。俺は自分の仕事の心配をしているんだ。ソラのことを考えて、操縦桿を握る手が鈍ったりしないか、そのせいで、勝てる相手にも勝てなくなって、負けてしまうんじゃないか……そのことを俺は、何よりも怖がってる。その心配を少しでも軽くするために、ソラのことを家族に頼もうとしている。だから、はっきり言って、ソラの存在は重いんだと思う」


「だったら、私なんか……」

「でも、それは必要な重さなんだよ」

 イコライはソラの言葉を遮って言った。


「今日、俺はまた人を殺した。ロクな教育を受けてない、ひどいパイロットだった。たぶん、俺より年下だったんじゃないかな。とにかく、そいつは死んだ。でも俺は生きてる。なんでだ? なんでそいつは死んだのに、俺は生きてるんだ? 答えは、俺の方が強かったからだ。俺の方が、良い教育を受けていて、運も良くて、強かったからだ。じゃあ、なんのために? なんのために俺は、そいつを殺してまで生きることを選んだんだ? ……ソラ、お前のためなんだよ。お前がいてくれなきゃ、俺には、人を殺してまで生き残る理由なんてなんにもない。だから、俺にはお前がいてくれなきゃダメなんだ。お前は確かに重いよ。でもそれは、俺にとって、必要な重さなんだ」


 だが、それを聞いても、ソラの表情は暗いままだった。

「何を言ってるんですか……イコライさんが殺した相手にだって、恋人がいたかもしれないじゃないですか。その恋人は、私と違って、人間の女の子だったかもしれない」

 イコライはとっさにソラの手を握った。

「そんなこと言うなよ」


 イコライは、ソラの手を握りしめながら言った。冷たい手だった。

「あのな、ソラ。昔、俺には好きな女の子がいたよ。人間の女の子だった。でもその子は、俺にひどいことをしたんだ。とてもひどいことをした。たぶん、俺なんか死んでもいいとか、死ねとか思ってたんだと思う……でも、ソラ、お前は違う。お前は俺に優しくしてくれる。だから、俺もお前に優しくするよ。だって、そうするのが、きっと正しいことだから。人間とかロボットとか、そんなの小さいことだ。関係ない」


 言いながら、俺はなんて身勝手なやつなんだろう、とイコライは思った。

 ソラを生き残る理由にしていると言いながら、ソラのせいで戦闘に集中できなくなるのが怖いと言う。


 なぜソラが特別なのかと問われれば、ソラとは何の関係もない、昔の恋愛の話を持ち出す。


 ……結局、俺は自分のことしか考えていない、とイコライは気づいた。

 自分は確かに、ソラを心のよりどころとして戦っている。

 でも……こんな自分に、ソラのために戦うなんて言う資格が、本当にあるのだろうか。

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