赤色

 緑色リユとともに摘んだ花を手に、少女はとてとてと歩く。真っ赤な花々を胸一杯に抱きしめて、わたす相手を思い瞳をほころばせる。

 彼女は喜んでくれるだろうか。笑ってくれるだろうか。少女は「箱庭」の住人なかで最も歳の近い彼女を好いていた。もちろん世話役であり母のような青色の女には及ぶべくもないし、父であり母であるあの「箱庭」の管理人にも及ばない。けれどそれとはまた異なる好意を持っているし、一種の友情を感じているのは本当だ。きっと彼女は嫌がるだろうけれど。

 とたとたと歩く。心なしかその歩調は速く。見えるのは赤い扉。漏れるソプラノの歌声は透き通り美しく、きっと天使のと形容されるだろう。

 駆け寄って、そっと扉をあける。中にいるのは美しい黒髪の少女。その容貌も負けず美しいことを少女は知っている。真紅の額飾りのような痣。カラーズの証。彼女の誇りを示すもの。


「……赤色ホン?」

「……何かようかしら、無色ゼロ


 静かな敵意に揺れる声に、少女は軽く首を傾げた。敵意を敵意と認識できぬがゆえに。揺れる瞳に浮かぶ嫌悪を、嫌悪として理解できぬゆえに。わからぬままに、少女は瞳をほころばせ、胸に抱いた花束を差し出した。


「ホンにあげる。リユといっしょにつくったの。ホンとおなじあかいろよ。ホンがだいすきないろでしょう? リユがぎっとよろこんでくれるって」


 その花束は確かに彼女の好みをついた赤色の花。いくつか混じった白色の花は姉のような人の差し金だろうか。包む青にも緑にも見える薄紙がそれを肯定しているし、同時にそれがリユの希望であることも示していて、目の前の少女より無表情で無口な青年を思い浮かべて彼女はため息をついた。


「そうね。アリガトウ。とおってもうれしいわ、ええ、トテモ」


 片手でぞんざいに、しかし花への最低限の配慮とでも言いたげに少しだけ丁寧な指先が花束を受け取る。軽く花々のなかに顔をうずめ、香りをかぐ。甘い香りに、思わず顔がほころんだ。


「…………」

「……なによ」


 無言で投げられ続ける視線。少女の無表情も相まって居心地が悪く、赤の少女は眉をひそめる。それに彼女は首を傾げる。そして、少し目を細めた。相も変わらず、無表情には変わりないけれど。


「ホンがわらってくれたから。うれしいなっておもったの」


 細められた目は分りにくいがしかしはっきりと喜色にきらめいていて、彼女はしわを深くした。にじり寄る敗北感に不快感が増していく。勝てない、勝てない。勝っているはずなのに。負けているなんて、認められないのに。


「色のない出来損ない風情が、随分と偉そうなのね」


 怒りなのか、悲しみなのか。判別しがたい歪な表情を浮かべた少女は、花を抱く手に力を込める。くしゃりと音を立てる薄紙に、無色の少女はこてりと首を傾げる。


「できそこない? なのかな?」


 よくわからない、と瞬きをする。赤い彼女は、はんと鼻を鳴らす。蔑むように目を細めて、少女は花を抱きしめた。

 呼吸するたびに体内をめぐる甘い匂いはむせ返りそうなほどで、顔を歪める。それでも、目に映る淡い青はあまりにも手離しがたくて。更に力を込める。


「出来損ないよ、貴女は。リユやファンでさえもっているカラーズの証すらない。貴女に、色はないじゃない」


 腕の中の赤色を、額の矜持に押し付けた。赤い額飾り。彼女が「赤色」を冠する証。「彼」の、傑作である証。「かのじょ」の、愛を受ける資格。

 目の前の「無色」の幼子に、奪われたもの。


「『色無ドール』のくせに」


 呪詛のように零れおちた言葉は、色無しの少女の瞳を割るよりも、赤色の少女の瞳にひびを入れる。

 凍りついた瞳は、虚ろに歪んで、愛らしい唇が空気を吐く。


「『色無』の、出来損ないのくせにっ……!」


 か細い悲鳴は、大きな部屋に反響することもなく消えた。握り締めて、くしゃくしゃになっても尚投げ捨てることができない花束は、か細い蜘蛛の糸のように頼りなく。その爪先は御仏に繋がるわけでもない。

 無垢な少女の、穏やかな呼吸音だけが部屋に響く。震える指先が花の茎を押しつぶし、小さなきしみ。定まらない瞳孔が無意味に彷徨う。ぎりと歯を鳴らして、腕の中の花束から逃げたくて、投げ捨てるように力を込める。


「いらないの?」


 素直な声が、耳を打つ。そこには嫌悪も憎しみも、喜びすらもない。ただ、そう思ったから、そう言葉にしただけの声。

 敗北感。屈辱感。己を表す色を持たないくせに、自我を確かに持つ目の前の異端に、何一つ負けてなどいないというのに。

 教養も、歌声も、振る舞いも。ただ「おにんぎょう」として愛されるためだけに、磨き上げていたのに。

 投げ捨てようと力を込めた手のひらが、どうしたって動かない。憧れ続けた青色を、どうしたって手放せないことに、行き場のない衝動。

 動かない赤色を、不思議そうに眺めていた無色の少女は何を納得したのか、目元を少しほころばせて、それじゃあね、といった。


「こんどは、おうたをきかせてね。わたし、ホンのおうた、とってもすき」


 表情はさして動かない癖に、とろけるような甘やかな声を残してするりと少女は扉から出ていく。

 残された赤い少女は、しばらくの沈黙ののち、ひそやかに歌声を響かせる。だってもうそれだけが、彼女がここにいる意味なのだから。

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夢の少女の箱庭で @mas10

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