青色

ぱたぱたと、幼い足音が木霊する。白い大理石の廊下。緩くウェーブのかかったブラウンの長髪を揺らしながら、少女は走る。

 ぱたぱた、ぱたぱた。走る、走る、走る。その先にひとつの扉を認めて、少女は無表情ながら瞳を輝かせた。


青色ラン


 呼びかける声に振り向いて、ふわりと微笑む女。青い刺青のような痣が左目の上から下を貫いている。ぽふ、と抱きつてきた幼子に、彼女は柔らかく暖かい視線を向けた。


「あら、無色ゼロ。私たちの可愛いお人形。我らが『しょうじょ』との逢瀬は終わったのかしら?」

「うん」


 褒めて、と期待を込めて見つめてくる目の前の少女に、その世話役たる女は笑を深くした。


「いい子ね、ゼロ。じゃあ今日は黄色ファンに貴女の大好きなケーキを作ってもらいましょう?」

緑色リユには?」

「そうね。花の冠と花束を」

赤色ホンはなにかしてくれるかな?」

「そうね、お歌を歌ってくれるかしら?」

「ドクトルは?」

「きっと貴女の大好きなご本をくださるわ」

「うれしい」


 決して嬉しいようには見えない無表情で。しかし確かにその二つの蒼玉を喜色に光らせて、少女はその小さな顔を女の腹に埋めた。

 女はその柔らかい髪を梳きながら、ただ愛おしそうに少女を見る。まるで大切なものを見るような、尊いものを見るような、そんな視線で。


「さて。ゼロ、お着替えしましょうか。その服は動きにくいでしょう?」


 白とピンクと黒の、不思議で不気味な色合いの愛らしいドレス。貴族の息女が着ているようなそれは少女によく似合っているものの、幾重にも布を重ねたそのスカート部分は明らかに動きづらそうである。


「どんなおようふく?」

「そうね、ゼロは何色がいいかしら?」

「えっとね、えっとね、きょうはランとおんなじあおいろがいい」

「あら嬉しい。じゃあ今日は青色のワンピースと、白いお花の髪飾りでどうかしら?」


 ぶんぶんと頭を縦に振り、嬉しさを体全体で表す少女の表情は、しかしあまり動かない。それでも瞳は確かにほころぶから。女はとても、嬉しくなるのだ。

 するり、と雪のように無垢な頬を撫でる。女にある様な目元の痣も、ホンにある様な額の痣も、ファンやリユにある肩や腕に存在する痣もない、汚れなき肌の少女。色付カラーズであるにもかかわらず、色無ドール達のように色の証を持たない異端。色を持たないからこそ製作者ドクトルの最高傑作と呼ばれ、色を持たぬゆえに贋者と蔑むものもいる。


「ラン? どうしたの?」

「……いいえ、なんでもないわ。さあ、お着替えしましょう」


 こてりと首をかしげるゼロに、ランは微笑み首を振った。着替えを促し、己に背を向けさせる。複雑な仕様の留め具をひとつひとつ丁寧にはずして行きながら、彼女は問いかける。


「今日は、我らが『しょうじょ』とどんなお話を?」

「……よくわからない」


 ふ、と。「しょうじょ」のお人形たる彼女は眼を伏せた。かすかにまゆをひそめ、痛ましげな表情を浮かべる。


「でも、とてもかなしかったの。かなしいのはわかるの。とってもとってもかなしかったのよ、ラン」


 きゅっと、小さな掌でスカートのすそを握る。それに気付き、ランは微笑むと少女の目の前にしゃがんだ。


「どうしたの、私の可愛い無色の貴女」


 優しい微笑み。それに、少女はくっと唇をゆがめた。


「ラン、ラン。わたしね、みんながすき」

「ええ、そうね」

「でもね、おなじくらい、『しょうじょ』もすき」

「ええ、そうであってくれると嬉しいわ」

「だからね、わらってほしいの。たのしいっていってほしいの」

「そうね、笑ってほしいわよね」

「ねえ、ランはわたしのまえのお人形だったんでしょう?」

「ええ、そうだったわね」

「ランのとき、『しょうじょ』は『ほんとう』にわらってくれた?」

「そうね……」


 どこか不安そうに瞳を揺らす目の前の少女に、女は安心させるように微笑んだ。


「わからないわ」

「わからないの?」

「ええ、わからない」


 ごめんなさいね、と、彼女は少女の頬に手を添える。目元に影をつくる前髪をかき分けてやる。


「でもね、ゼロ。私はこう思うの」


 頬を両手で包み、相変わらず無表情な少女を真正面からみる。不安そうな顔。それにただ、愛おしさがつのる。


「我らが『しょうじょ』を、あの可哀そうな可愛そうなあの子を、私達が幸せにするの。私達が、するのよ、ゼロ」


 白刃の視線。それが、それだけがこの箱庭の存在理由なのだとただ告げる。カラーズだろうとドールだろうと避けられぬ定め。その最たる「お人形」たる目の前の少女に、かつてそうであった女は、真剣に。


「ね?」

「……うん」


 女に据えられた瞳はもう揺れない。まっすぐランを見つめ、頷く。


「わたし、がんばる。『しょうじょ』に、わらってもらえるように。がんばる」

「……ええ、頑張りましょうね」


 額にひとつ口づけを落として、女は笑った。


「さあ、お着替えはもう済んだからファンにケーキを頼みに行きましょう」

「うん」


 目に見えて眼を輝かせた少女に、女は口をほころばせる。手を伸ばし、手を取り。歩く。穏やかな空気。幸せだと、女は思った。本当に。


「ラン、ラン。ねぇ、ランってば」

「なぁに? 私の可愛いお姫様」


 少女が笑う。本当にほのかに、かすかだけれども。無垢に、無邪気に、屈託もなく。


「わたしね、ランがだいすきよ」

「……私もよ。私の唯一の貴女」


 細められた眼差しに、隠された、真意一つ。

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