11.おうまが死闘トワイライト

 時はわずかに遡り、新藤翠が目覚める少し前。


 河瀬宮高校 校庭。

 寂しさすら感じる静寂に包まれた空間。夏季休暇というだけでは説明のつかない不自然な静けさ。

 黄昏は過ぎ、が訪れた空がその寂しさと不気味さを助長させる。


 逢魔時――。

 魔物、あるいは災いが訪れると信じられていたことから生まれた言葉。

 まさに今、彼女は遭遇した。


「化け物が……ッ」


 校庭の中央。そこに立つ一人の男を化け物と形容する他、アケミ・ルシエードは相応しい言葉を持ち合わせていなかった。


(アーノルドが呼んだ増援部隊との通信が途絶えた時、嫌な予感はしていた)


 その行いに狂気が宿っていたとしても、色・聖魂紋章を宿す御剣清蓮の根本的な部分は善人であるはずだ――そんな僅かな希望に縋った自分がどうしようもない愚か者だと認めざるをえないと、視界に映る地獄を前にアケミは酷く後悔した。


 化け物・御剣清蓮の周囲には勇敢なる戦士たちとの戦いの痕跡と、その結末として生まれた無数の血だまり。その赤い水面を揺らすは、愚かな希望を抱いたアケミを嘲るように降り注ぐ赤い雨――発生源は糸で吊るされているかのように、ぶらりと空中に固定された増援部隊の姿。

 最早、そこに魂は無く。雨雲としての利用価値しかないただの抜け殻。

 

「化け物か……。いや、僕に躊躇いがなかったと思うかい?」


「……は?」


 化け物の問いにアケミの思考は停止し、感情が心で暴れ回る。

 声は震え、表情は強ばり、瞳が乾く。


「彼らとも面識があったさ、ニコルは甘い物が好きで確か――そう、ケラルコッタのチーズケーキが好きだったね」


「ぁ……いみ、が。? わからない。だまれよ」


 ぼとり、と赤い雨を降らしていた人型の雲が地に墜ちる。

 耐え難い憎悪と怒りのはけ口として、強く握りしめた拳から血が垂れていく。


 ――どうして? いや、止めろ。どうして彼らの名前を、趣向を知っているかなどどうでもいい。どうでもいいこと。


「ジェーンは……あぁ、君のファンでよく君の凄さを語られたっけか。優斗はゲーム好きで、よく一緒にやってたっけか。徹夜で遊んで、任務行きの飛行機で爆睡してたら君に怒られたっけ」


「いや、だから。なに、なに? っや、だまれ、て」


 彼の言葉に、嫌でも仲間たちとの思い出が再生され、胸が強く締め付けられて呼吸が不規則に変化する。


 ――意味がわからない、コイツは何を言っているんだ。わからない、わかろうとしなくていい、無駄だ、頭が腐る、頼むから、お前が彼らを語るな、やめろ。やめろ。やめろ。やめろ。


「みんな、知ってるさ。躊躇っ――「黙れってい゛ってんだよこのクズ野郎がああああああああああッ!!!!」


 我を忘れて、ただ叫ぶ。喉が焼けるように痛む。

 けれど、どんな痛みよりも、胸の痛みのほうが何十倍も苦痛で耐えがたいものだった。


 突如現れた薄紅色の炎が彼女の気持ちを代弁するかのように、激しく空間に飛び散り、御剣清蓮を呑み込んだ。


「黙れッ……黙れ……! あんたが皆を語るな……っ。知ったような口を、ッ聞くなぁっ!!」


 清蓮を呑んだ炎は塊となり、上空へと飛翔する。

 やがて、天高く上昇したソレのエネルギーは高密度に圧縮され、密度に耐えきれず自壊を開始する。

 自壊音を合図に、アケミは圧縮の呪縛からエネルギーを解き放つと、外界へ逃れようとする力と力がぶつかり合い、超高威力の爆発を引き起こした。


 第二の太陽――。

 そう見間違うほど巨大で大規模な爆発は河瀬宮町の闇を払い、強い光が辺り一帯を照らした。


 耳を劈く、轟音。吹き荒れる砂埃。

 最早アケミに周囲を気遣う余裕など無く、後始末の面倒を憂う気持ちも無い。

 ただ敵を屠ることのみに全神経を注いでいた。


 第二の太陽に取り込まれていた清蓮は爆発で生じた炎熱で地面へと叩きつけられ、校庭には巨大なクレーターが出来ていた。

 即死級の一撃。喰らえば絶命は免れないアケミ渾身の技。しかし中央で倒れていた男は何事もなかったかのように起き上がった。


「容赦がないな、アケ――」


 言の葉を紡ぎ終えるよりも先に。土煙を破り、紅い髪を揺らしながらこちらに斬り込んでくる少女の姿が瞳に映る。その手には炎剣・レーヴァテインが握られ、切っ先はまるで死神の鎌のように確実に命を狙っていた。


「あああああああっ!!」


 振り下ろされる炎剣。しかしそれは翡翠色の刀身によって防がれた。


「なんっ――」


 耳をつんざくような金属音が鳴り、突風が周囲の土煙を吹き飛ばす。

 クリアになった視界でアケミは己の炎剣を易々と受け止める翡翠の刃に困惑する。


「レーヴァテインは防がれない……とでも言いたげだね」

「お前は一体……っ」

「わかってるだろ。君を知る者、殺す者さ」


 雄弁と語る御剣清蓮の手に握られているのは翡翠色の刀身を持つ刀。

 武器の質はアケミのレーヴァテインと同等か、それ以上の力を秘めた神刀は劫火に朽ちることなく威風堂々とあり続けている。


(紋章の力で形成された武器なら、無条件で破壊するレーヴァテインで焼き斬れない――? 今の私が不調だとしても、そんなこと……!)


「さぁ、殺すよ?」


 僅かな会話を交わした後、鍔迫り合いは幕を閉じ。押し負けたアケミはクレーターを滑る。

 靴底が摩擦で鳴り、衝撃が足を伝う。両手の痺れを感じながらアケミは瞬時に距離を詰めてきた清蓮の刃に紙一重で反応。 

 身を捩り、翡翠の斬撃を躱す。


 あと僅かに反応が遅れれば絶命は免れない、そんな的確な必殺の一撃にアケミは冷や汗を垂らす。しかしその必殺は一度では終わらない。

 清蓮が繰り出す剣戟のその全てが、アケミの命が絶たれることを望んでおり、それを為せるだけの威力が秘められていた。

 容赦のない刃を何度いなしても、何度かわしても、左から、右から、風のように縦横に、無尽に、少女の身に幾度となく襲い掛かる。


 僅かでも気が緩めば、その胴は二つに絶たれる。

 一撃一撃をレーヴァテインの刀身が受ける度、望んでもいないというのに、脳裏に自身の悲惨な末路が浮かび上がる。

 もうすぐそこまで迫っている【死】。アケミはそれらを振り払い、いつか訪れる筈の隙を狙い続け、猛攻に喰らいついた。


 例え手足が砕け、劫火の剣が朽ち、己の身すら果てようとも。


「お前だけはッ!!」 


 仲間の為に、斃す。


「くだらない」


 仲間の為。そんな決意は、強大な力の前ではなんの役にも立たない、ゴミなんだよ。


 清蓮はそれを証明するように。柄を握る手に力を込め、翡翠の聖魂紋章から命の輝きコスモスを放出させた。


 刹那。あの時、森の中で感じた力を遥かに勝る絶対的な力が、再び世界を揺らした。


「ぁ……っ」


 地鳴りが響く最中――斃すという決意が揺らぎ、劫火の刀身が鈍り、綻ぶ。


 アケミは清蓮の絶大な力に、畏怖してしまった。

 それは大洪水を前にして、人がそうするように。

 まるで信仰熱き信徒が、神を前にそうするように。

 故に、今アケミ・ルシエードの敗北は確定した。


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