10.くるしみ日常フェードアウト
それから数分、数十分が経過したのだろうか。ずきり、と刺すような痛みが意識を僅かに覚醒させた。
「――……ん」
とおくでだれかの声がきこえる、おんなのこの声だ。
「な――、襲われたですって……?」
ひくいトーン、憤りがかんじられる。
「あなたたちは彼の治療をお願い。私は……大丈夫、動けるわ」
ぼやけたせかいであの子の紅いかみをおいかける。数人のしろいふくに身をつつんだ人達が、あのこを止めようとしているけど、彼女はとまらない。
そこで意識は途絶えた。
次に目覚めたとき、最初に思ったのはここは何処だろうという疑問だった。
知らない天井が眼前に広がっていて、後頭部にある枕の感触は自分が使っているものとは違い、低反発。
やけに頭が重くて思考が鈍る。ゆっくりと上半身を起こし辺りをぐるりと見渡した。
「……」
寂しくなるくらいの静寂。
インテリアは質素で味気なく、殺風景とまで思えてしまうほどシンプルで。
生活に必要な最低限なものだけが揃えられているが、使われている形跡はあまり無く、生活感がまるでない。例えるなら、モデルルーム。本当に人が暮らしているのか? と疑問すら覚える。
此処はどこなのか、答えを探すように頭を動かし、記憶を呼び覚ます。
答えを探すのはそう難しくはなく、すぐにあの少女の部屋であると判明した。そう確信させたのは一つの要因がこの部屋にあったからだ。それはテーブルに置かれた一つの写真立て。
写真には四十代前後と思われる男性と共に紅髪の少女が写っていた。
「――っ」
記憶が決壊したダムから押し寄せる水のように、フラッシュバックしていく。
そして腹の奥底から恐怖がぞわりと湧き上がり、条件反射のように左手を確認するように前へ出した。
「あれ……?」
脳裏に生々しく過る、切断された自分の手。けれど今、その手は確かにそこにあって自分の意のままに操ることができる。頬を抓り、ありきたりな方法でこれが夢かどうかの確認をおこなってみる。
「うん、痛い。夢じゃない、現実……どうなってんだ……?」
思考は巡る。
(あの時公園で起きた出来事が夢で、今ここにいるのが現実? ならなんであの子の部屋で、べ……ベッドの上にいるんだ?)
ごくりと息を呑み、再度辺りを見渡す。テーブルの上に置手紙のようなものがあることに気が付いた。気怠い身体を起こしてベッドから立ち上がり、隅に四葉のクローバーがプリントされた置手紙を手に取った。
『おはようバカ。
多分あんたが目覚める頃には誰も居なくなってるでしょうね。
今日起きた出来事は全部まぼろし、わるいゆめ、すぐに忘れるといいわ。
この部屋から出ればあんたはまたいつもと変わらない日常を送れる、絶対にね。
だから起きたらさっさと自分の家に帰りなさい、ここは河瀬宮町のマンションだからこの近辺に住んでるなら迷わず帰れるでしょ、一応地図も用意しておいたわ、私えらい。気分が悪いなら治るまでその部屋を使えばいいわ、私はもう使わないだろうし、空き家同然よ。
それじゃさようなら、名前も知らない誰か。もう会うことはないでしょう。
PS.物色したら殺す』
「……なんだそりゃ」
最後にとても物騒なワードがつづられていたことには目を瞑り、状況をしっかりと把握するために手紙を読み返す。
「この書き方……。やっぱ、あれは現実に起きた出来事なのか」
今日は人生で一度あるかないかの体験しなくていい経験を沢山して、何度も死にかけた。普通であればこんなこともう二度と起こって欲しくは無いし、綺麗さっぱりサヨナラしたいというのが本音であった。けれど、とある感情がわだかまりとなって喉奥に残り続けていて、とても気持ちが悪かった。
『それじゃさようなら、名前も知らない誰か。もう会うことはないでしょう』
【わるいゆめ】であると無理矢理納得して、何も無かったかのように見て見ぬフリで日常に戻る。それが最善であると心の何処かではわかっていたが、彼にはどうしても踏ん切りがつかなかった。
何故なら、襲われた後のことをうっすらと、しかし確かに彼は覚えていて。罪悪感と感謝の気持ちが発散できないわだかまりとして残り続けていたからだ。
「自分だって満身創痍だったのに。わざわざ俺をここまで運んで、怪我も治してくれたん……だよな。それなのに助けてくれたこと、ありがとうって言えないのは……どうしても納得いかねぇ。というかそもそもこんな内容の置手紙で納得して大人しく帰ると思ってんのかあの子は」
今日出会ったばかりで、数分程度会話を交わしただけの名前も知らない赤の他人をあの子は命掛けで助けてくれたという事実がぐるぐると脳を駆けて。連鎖的に少女を襲った青年の姿が浮かぶ。
(それに、嫌な予感がする)
恐らく、御剣清蓮という男との決着はついていない。
苦痛で悶絶していて状況の把握など全くといっていいほどできていなかったが、そうであろうという確信があり。ざわざわと心が騒ぐ。
だが、自分が行ったところで邪魔になるのは確実。ここから先はただの自己満足で、偽善と蔑まれようとも決して言い訳できない行為であり彼女の善意が無為に終わる結果になるかもしれない。
(それでも……)
あの時、自分を見る清蓮の瞳は嫌に印象的で覚えていた。恐れているような、拒絶しているような、否定しているような、認めたくないような。そんな様々な負の感情が込められていた瞳であったと。
(……あれは、なんだったんだろう。それが解れば、まぁわかっても囮くらいにしかならないだろうけど……はは……)
切断された筈の左手に視線を落とす。次は何が起こるのかと恐怖心が行動力を奪い取っていくなかで、あることに気付いた。自分の左手の甲に何処かで見たことのある形の痣がうっすらと浮かんでいたのだ。
この形には見覚えがある、これがもたらした事象も鮮烈に覚えている。故に彼は立ち上がった。
「ひとつ、できることあるかもしれない」
青年・
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