2.ぐうぜん夕暮れチェイス


「ん~~っ……」


 ようやく地獄の夏期講習から解放されて、俺は凝り固まった身体をほぐすように大きく伸びをする。

 青々としていた空は赤い夕陽に染められて、自分が長い時間拘束されていたことを嫌でも実感させられる。気怠い身体を無理矢理動かし、ふらふらと力ない足取りで帰路に就く。今日は寄り道しないで真っ直ぐ帰ろう。


「……はあ」


 駅前の家電量販店で配っていたうちわをぱたぱたと仰ぎながら、ふと昼間の少女のことを思い返す。

 夏場にロングコートの美少女に罵倒を浴びせられる。なんか得したのか損したのかわからない謎のシュチエーションだった。……いや本当謎過ぎたし何ひとつ解決していないから此処でまさかのバッタリ再会! とかあるかもしれない。


 例えば目の前の曲がり角で食パン加えて衝突とかとか。


 淡い期待を抱いて曲がり角をまがってみる、が。少女漫画などありがちな出会い頭に衝突事故なんてものは起こらず、僅かに身構えた身体を迎えたのはそよ風だけ。すっごい虚しい。


(まぁ、ですよね、知ってましたとも、悲しくないですとも。つーか? 再会してもまた何か言われるのがオチだろうし? 淡い思い出として胸にしまっておくのがベストオブベストってヤツよな)


 なんて自分に言い聞かせる自分が哀れで哀れで、疲労感でガタガタの心の隙間から乾いた笑いが零れる。どうせ俺は色恋のない勉学奴隷としての道を歩むしかねぇんですよ、と決意を新たにしながら、何気なく視線を上へ向けた。


 そこにあるのは緩やかな坂道。

 あぁ、偶然か必然か。どちらにせよ、奇跡というヤツはあるらしく。


 曲がり角の先にある緩やかな坂、そこには見覚えのある黒い点があった。印象に残らないといったら嘘になるあの出で立ち、肉眼でハッキリと視認できる距離、絶対に見間違えるはずがない。

 膝丈まである冬用のロングコート。風に靡いて、ちらりとのぞく紅い髪。その姿を見たとき、身体の怠さがすこしだけ消えた気がした。


 紛れも無く、あれは昼間の彼女だ。

 まだあの暑苦しいロングコートを羽織っているということは、今日一日ずっとあの恰好をしていたのか。偶然ついでにその見てるこっちも暑くなるコートを脱いでてほしかったが。


(ん?)


 そこで俺は他に人がいることに気が付いた。驚くことに、昼間は誰の興味を引く事もなかった彼女が何者かに話しかけられていたのだ。

 つまり、あの子は幽霊とか超常的ななにかではなく、ただの超絶寒がりな普通の女子だった、ということになる。……俺って時代に取り残されてるんか? あれが今の最先端ハラジュクファッション?


 何はともあれ、彼女は幽霊じゃあない。疑問が解決しただけで今日頑張ったかいがあったというもの。

 男性のようなシルエットが少女に気さくに話しかけている光景から目を逸らし。安堵感とほんのわずかにもやもやとした感情を抱えながら、俺はふただび帰路に就こうとした。


 刹那。閑静な住宅街の中、包丁がまな板を叩く音やテレビの音とは別種の、本来この場で発生するはずのない異質な音が微かに鳴ったのを聴覚が捉え、そちらに目をやると。


 シルエットから逃げる様に走り出す少女の姿が十字路の陰に消えていくのが見えた。


 俺は瞬時に理解した。異質な音の正体がその二人組の男の笑い声だったということに。しかしそれはただの笑い声ではなく、“獲物を前にしてどうやっていたぶろうかと嬉々として思案する獣”のような、理性のかけらも感じられない狂気に満ちていて。


 理解したと同時にざわざわと肌に嫌な予感が走り。深く考えるよりも前に、俺の脚は駆動していた。

 長時間勉強漬けによる気怠い感覚デバフが全身を拘束しているが、気にしてなどいられない。

 心をざわつかせるこの嫌な予感が的中していたら彼女はどうなってしまうのか、そんな不安を払拭させるため、俺は一呼吸のうちに一気に坂を駆けあがり、彼女らが消えていった十字路の先に視線を向けた。


 こんなに身体って動くもんなんだな。なんて自分でも驚くほど咄嗟に身体が動いた結果か、幸いにも二人組の背中を捉えることに成功した。後はただ、ひたすらそれを見失わないように追うだけ。

 途端、全身を鈍らせるような、強い緊張が心臓をバクバクと強く脈打たせる。

 もし、見失うことなく彼らに追いついたとき、いざこざなく円満に解決できればいいのだが。荒事になった場合、俺は間違いなく100%返り討ちに合うだろう。


 だって、俺には武術の心得なんて無いし、喧嘩に明け暮れた青春な日々を過ごしていたわけでもない。平凡極めた一般高校生なのだから。

 ……いやほんと、小さい頃かっこつけで通信教育の空手でも受けときゃよかった。人生なにが起こるかわかりませんね、ホホ。

 僅かな弱音がふっ、と脳裏を掠めただけで底なし沼にじわじわと沈んでいくかのように、身体の動きが鈍くなる。


 このまま最悪を想定して走り続けたら、引き返してしまうかもしれない。そんな思考を振り払うように唇の端を強く噛みしめて走り続けた。


 だけど、うん、あのね。


 君らに追いつく前に体力的にダウンしそうなんですけど。



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