プロローグ・記憶の断片 2022年12月25日
【記憶を再生】
ペイントのペンキツールで塗りつぶされたような、異色ひとつない真っ白な廊下に一定のリズムでふたつの足音が響き渡る。
「あ、そうそう。名前聞いてなかったわね」
思い出したかのように言うと。セミロングの紅髪をふわりと揺らしながら身体を青年へと向け、両手を腰の後ろに回す。覗き込むような態勢でアケミは問いかけた。
「今か今かと待ちわびていたよ。フッ、僕の名前は
「ごめんそこまで聞いてない……」
通常のトーンよりもわずかに低い声で、清蓮の言葉を遮る少女。このまま喋らせたら、ぬるま湯の温泉に浸かりながら温くなったサイダーを飲む。そんな微妙で悲しい気持ちになると察知し、青年を黙らせた。
「どうしてこんなバカが……翡翠の聖魂紋章つかいなのかしら……」
現実を受け止め切れない呆れの声をあげ、最後に魂まで一緒に出ていきそうな深いため息をついた。
【きおくはここでとだえた】
【記憶を再生】
2021年 8月 13日。
「あ、清蓮」
月曜日の夜、コンビニに週刊少年誌を買いに来た清蓮は突然、向かい側から声をかけられてそちらに顔を向ける。そこにはスマホ片手にこちらに歩いてくるアケミの姿があった。
いつもの戦闘服や制服姿とは違い、白いTシャツにゆったりとしたショートパンツというラフな格好で、胸辺りまである髪はうしろで結わきポニーテールにしていた。
その姿は普段のアケミとのギャップが凄まじく、恐らく声を掛けられなければアケミだとわからなかっただろう。
「アケミ? どしたんこんな所で」
「お菓子の補充」
「へえ、アケミってお菓子食べるんだな……なんか意外」
「う、うん? アンタね……私を何だと思ってるのよ」
「育ちのいいお嬢様……的な?」
きょとん。言葉で言い表すなら、彼女はそんな顔をしていた。清蓮の予想外の返答にアケミは何よそれ、とくすりと笑うや否や。すぐに【いいイタズラを思いついた悪いこども】みたいな笑みを浮かべて、言った。
「ふぅん。わたしが有能で可愛くてハイスペック天使なのは認めてあげるけど、清蓮にそんなこと言われるのはなーんか、気持ち悪いわね?」
「酷くない!?」
「なので、あんたに罰ゲームです」
「ばつげーむッスか……?」
「わたしが買うお菓子、あんたの奢り」
「はい!? 何で?! 理不尽!?」
「私を軽い気持ちで褒めた罰よ」
「お嬢様はお嬢様でもワガママお嬢様だなお前!? 巷で噂の悪役令嬢か!」
「なにそれ」
【きおくはここでとだえた】
【記憶を再生】
2022年 11月 9日。とある海上基地。
塗装の剥げかかった白いベンチに腰掛けて、地平線に沈みゆく夕日を眺める。そんな一度はやってみたい、心地よい雰囲気に浸っていると。
「ついに終わるのね」
潮騒と共に、鈴音のような心地の良い声が鳴る。何度も聞いたその音に清蓮は息を漏らし、小さく微笑みつつ言葉を返した。
「なにさ、怖気づいた?」
つられるように彼女も口元に笑みを浮かべ、潮風に揺れる髪を耳元で抑えながら答えた。
「ふ、あんたじゃないんだから。でも、少し……怖いのは確かよ」
「……」
「またこうして二人で居られる保証なんて、どこにもないもの」
これから向かうのは、文字通りの死地。敵の本陣であるアヴァロン島への侵攻作戦が今まさに始まろうとしているところであった。数多の戦場を潜り抜けてきた歴戦の勇士であり、いつも自信満々で好戦的な彼女にも一抹の不安が垣間見えた。
それに気づいてか、知っていたのか。清蓮はアケミを励ますように声のトーンを一段上げて。
「大丈夫さ、なんたって翡翠の英雄サマがここにいるんだからな! ドンッ!」
左手に握りこぶしを作り、甲に刻まれた紋章を強調するように胸元にもってくる。
戦隊モノのヒーローのような、ノンフィクションでやるには少し恥ずかしいポーズで励まそうとしてくる姿に、アケミは愛おしそうな笑みを浮かべる。
「そ。なら安心ね。…………、前々から言おうと思ってたんだけど、それダサいしみてるこっとが恥ずかしいからやめてもらえない?」
「え゛っ、マジ?」
【きおくはここでとだえた】
【記憶を再生】
【きおくはここでとだえた】
2022年 12月 25日午前11時37分。現在。
澱んだ灰色の雲が空を覆い、耐えることなく降り注ぐ雨。
激しい損壊で廃墟と化した教会。天井は崩落し、遮るモノは何もなく、野晒しになったその身を絶え間なく雨が打つ。しかし清蓮は何もせず、何も感じず、ただ立ち尽くしていた。
(また、失敗した)
翡翠の鋼で形成された刃がひび割れ、まるで自分の心を表しているかのように、半ば辺りでぽきりと折れて黒い地面に突き刺さる。
教会の中心に横たわる紅い髪の彼女は、ぴくりとも動かない。何度も見た結末を前にして、今回も失敗したのだと理解すると何処かがチクリ、と痛んだ気がした。
(酷い話だ)
愛した人が目の前で冷たくなっていくというのに、心境の変化は「チクリ、と痛んだ」程度で済ませられる些細なもので。惨めに無様に泣きわめいてみせたい所ではあるが、もう泣き方がわからない。千にも及ぶ今日を経て、心はとうに枯れていた。
彼女の楽しそうな笑顔も、共に過ごした情景も、紅い髪によく似た色の鮮血が馴染んでいく光景も、清蓮の心を動かすことはもう、無い。
「疲れたな」
ぽつり、と零れ出てしまった言葉は雨音に紛れて消えていく。
(僕はただ君の幸せを願っているだけなのに、なぜそれは叶わないのだろう?)
次はどうすればいい、何を選択して何を捨てれば正解に辿りつける? 考えても、摩耗し擦り切れて、諦めという終着点に辿り着いてしまった心ではもう、まともな案は浮かばない。
「あぁ……、そうか。そういうことか。もう……諦めろと言うことか」
自身の澱んだ心とは裏腹に、穢れひとつない清らかな光を放つ翡翠の聖魂紋章に意味も無く悪態をつく。
「大して役にも立たない癖に、その光、目障りなんだよ。何が救う力だ、人ひとり救えない力に意味なんてあるものか。……ふ、ふっふふ……ここまで来たんだ、来てしまったんだ。お前にも最後まで付き合ってもらうぞ。怨むなら、俺に宿ってしまった運命を怨め。世界を怨め。お前にはそれがお似合いだ」
清蓮は決意する、次で最後であると。例えこの左手に刻まれた紋章がどうなろうと構わないと。
清蓮は決意する、正しく在る意味は無い。世界がどのような結末を迎えようとも構わないと。
「君を、救うよ」
歩んできた万の道に。積み重ねた千の記憶に。すべての思い出に別れを告げて、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます