第69話 異界の転移者は、物語の結末を見届ける
目を覚ました時、真っ先に見えたのは、目を赤く腫らした純連だった。
「すみちゃん……?」
「あ、ああ、あっ! よかったです!」
背中が、細い腕で支えられている。
二人の距離は今までにないほどに近い。
しかしどうして、こんな風になっているのか、頭が追いつかない。
「あのあと二人とも倒れてしまったんです。覚えていませんか」
「いや、全然……シリウスはどこだ?」
「ことちゃんは、あそこにいます」
純連の視線の方向に目を向けると、魔法少女シリウス――変身を解いた七夕琴海が、電光掲示板の壁にもたれていた。
目を閉じたままで、意識がないようだ。
腹部に大きな傷を負っていたはずだが、今は布が巻かれている。最低限の手当ては済ませているようだ。
「怪我は?」
「大丈夫です。誰も、大変な怪我はしていませんでした」
命に別状はないようで、大和も安心した。
シリウスにも防御魔法がかかっていたので、見た目より軽症で済んだのだろう。
でもそれなら。
どうしてすみちゃんは、こんな顔をしているのだろう。
「どうしたんだ……?」
「■■さんっ、体が……」
大和は、純連が何を思っているのか分からなかった。
自分の体に触れてみる。
疲れ果てているほかに違和感はない。
しかし、自分の手のひらを見て声をこぼした。
「あっ……」
手のひらが半透明になって、向こう側が見えるくらいに透けている。反対側も同じだ。
その瞬間になって、全てを理解した。
(ああ、やっぱり、そうなのか)
大和は深く落胆した。
しかし予想していたため、動揺は思ったよりも大きくはなかった。
大和の人生に都合のいいことは何一つとして起こらない。
一番欲しいものはいつも手に入らない。
今回も、そうだっただけだ。
「だ、大丈夫ですか? 平気ですか? 痛くないですか……?」
「ああ、ぜんぜん大丈夫」
純連に抱き起こされながら座り込んだ。
愛しい魔法少女に、ずっと泣きそうな目で見られている。
八咫純連は、とても綺麗で美しくなった。
鏡の盾はどこかにいってしまったが、今もまだ蒼色の、神々しい巫女姿のままだ。
スマートフォン越しに見てきた姿とは、全く違っていた。
(本当、ゲームの頃とは別人だな……)
低レアで、誰からも見放されていた魔法少女はどこにもいない。
自分を守るためにそうなってくれたのだ。
そう思うと、自分のことのように誇らしくなった。
「すみちゃん」
「なんですか……?」
「今まで、ずっと守ってくれてありがとう」
座り込んだ彼女に寄り添って、抱きしめた。
すると、ますます目尻に涙を浮かべてしまった。声を殺してはいたが、いよいよ声をあげて泣いてしまいそうだ。
「それ、お別れみたいで、いやです」
「……ごめん」
大和には謝ることしかできない。
こうしている間にも、体はますます透けている。それを止めるすべはない。
二人は知る由もないが、大和をこの世界に繋ぎ止めてきたのは、駅の中にぽつんと残された黒色の鳥居だ。
主人を失った時から、魔法が自分自身を燃やして、焼け落ちようとしている。
神が最後に残した力が、完全に失われようとしていたのだ。
「いやです、おかわれ、したくありません……」
絶対に逃すまいと、純連は泣きながらすがりついてくる。人類の英雄となったはずの魔法少女は、まるで子供のようだ。
大和も同じ気持ちだったが、大人として、泣き喚くわけにはいかなかった。
自分にはどうすることもできない。だからせめて、最後は優しく頭を撫でた。
「俺もそうだよ。でも、覚悟はできてた」
大和はもともと今日が今生の別れになると思っていたため、ずっと落ち着いていた。
むしろ問答無用で現実に戻されなかったことに感謝した。僅かな別れの時間が残されているだけでも、ありがたかった。
「すみちゃんは、本当にすごいよ。こんなに強くなって、夢だって叶えた」
「う、うぅぅっ」
「これで街も取り戻せた。みんなにも最強だって認めてもらえるよ」
「そんなの、いりません。あなたにそばにいてほしいんです」
純連は、大和の体にすがりついて、か弱い声で駄々を捏ねた。小さな体の暖かさは、まだ、透けていく体から伝わってきた。
「お母さんと、お父さんのかたきをとれたのもっ、街を取り戻せたのもっ、全部、あなたがいてくれたからです」
「…………」
「あなたがいなくなったら、純連は、どうしていいか分かりません」
消えていく大和に頭を撫でられながら、大和の服を固く握りしめていた。
そうすれば、ひょっとすると残ってくれるかもしれないと思ったのかもしれない。
だが、そんなことで抗えるはずもなかった。想いは同じはずなのに、もうすぐ二人は引き剥がされる。
「一生のお願いです……置いていかないで、ください」
諦め切れない。
理想を現実に変えて、全部の願いを叶えたはずなのに、少女はそれでも足りないと望んでしまった。
大和も胸が張り裂けそうだった。
叶うならずっと、この世界にいたかった。
空は青く晴れ渡る絶好の夏日和だ。
無人の世界の静寂の中。
少女の咽び泣きが、物哀しく響いていた。
瓦礫の上に、焼けて黒焦げになったしめ縄が、どさりと重い音を立てて落ちた。
あとわずかだ。
もうすぐ、夢は醒めてしまう。
伝えられる言葉は限られていた。
大和は、想いを伝えた。
「すみちゃんのおかげで、俺、まだ生きていけそうだよ」
「えっ……」
泣き顔をあげた純連の頬に触れて、優しく見つめ返した。
涙を溜めた惚け顔は心配になるくらい無防備で、そして心からの信頼も感じた。
世界でたった一人の愛しい相手からの好意が自分に向いている。
それが、嬉しくて仕方ない。
「ここに来る前は、もう死にたいって、ずっと思ってた」
「…………」
「でもすみちゃんに、頑張れば何でもできるって教えられた」
頑張ればできる、なんて。
上司に根性論を押し付けられてきた大和にとって、最も受け入れがたい言葉だった。
だが、大和はずっと間近で見てきた。
自分が好きになった少女は、ひたむきで、必死だった。
だからこそ自分の願いを叶えられた。
彼女を好きになった理由は、その生き方に憧れを抱いたからだと、やっと理解できた。
「だから、俺も、それを信じる」
誰にも縛られない世界で、
これで、永遠の別れにしてたまるか。
一度成し遂げられたのだから、もう一度できるはずだ。
強い気持ちを胸に抱いて、語った。
「また会えるって、俺は信じるよ」
「純連も、そう思っていいですか……?」
もちろん、と。
大和は迷うことなく頷いた。
いよいよ透明になって消失する直前。
耳元でささやいた。
「俺も君が、好きだったよ」
「っ……」
すがりついていた純連の体が、大きく震えたのがわかった。
そして、より一層強く抱きしめられた。
こんな間際になってからしか言えないなんて、自分でも情けなく思った。
きっと、最高のタイミングじゃなかった。
でも、迷惑じゃないはずだ。
人生で初めて、他人に本心を伝えられた。
誰からも好かれない人生を歩んできた大和には、声にできただけでも、上出来だった。
泣き顔は、見えなくなっていた。
返事も聞こえなかった。
意識を、闇に委ねた。
数分後。
救援隊の魔法少女が、戦い終えた舞台にかけつけた。
中心部と思われる地域は、他とは比べものにならないほど大規模に破壊されていた。
彼女達は、かつて駅だった場所で、二人を見つけることになる。
一人は無名の魔法少女だ。
両腕を垂れ下げながら、青空に向かって、涙が枯れ果てるまで泣き続けていた。
そして、もう一人の英雄と呼ばれた魔法少女は、傷を負っていたものの意識があった。
しかし、うつむいたまま、動かなかった。
勝利に大きく貢献したはずのもう一人の男がいた。
繋ぎ止めていた異界の扉は、炭になって、もう原型さえ残っていない。
この街から、異界の存在が消滅した。
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