第66話 魔法少女と最後の戦場 前編


「なぜ”天橋立”の女が、妾の作り出した空間に侵入している……!」


 神は、怒り狂った。

 九の尻尾が総立ちになった状態で、全身に黒い魔力を纏った。般若のような形相で、額には血管が浮き上がっている。


「ことちゃん、どうやってここに……?」


 ボロボロの純連は座り込んだまま、まだ状況が読み込めていなかった。

 やがて、目を丸くしてはっと気づいた。


「まさか抜け道が……!?」

「そんなものがあるはずないッ!」


 神が感情を剥き出しにして否定する。

 一方で、シリウスは冷静に剣を構えた。

 敵の動揺を目の当たりにしても、感情が揺れることはない。


「行きます」


 大地を押すように、強く踏み込んだ。

 僅かな土煙を残し、爆発的に加速した両足で駆け抜ける。しかし首元を狙った攻撃も、二度目はなかった。


「妾に、同じ手は二度通用しないッ!」


 稲荷神が両腕を交差させると、黒色の魔法陣が浮かび上がる。


 シリウスとの間に、魔力の壁が三重に作り出された。

 かすかに表情を曇らせたが、構わずに防御破壊の魔法を宿して、剣を振るった。


 一枚は、触れた瞬間、粉々に破壊された。

 二枚目で勢いが止まったが、かろうじて破壊した。

 しかし、最後に残された壁を破ることができない。

 

 判断は一瞬だった。

 飛び退いた瞬間、シリウスのいた場所に、何本も黒の雷が落ちる。それらは地面を黒焦げに焼いたが、もう魔法少女の姿はない。

 神は舌打って、盾を解除させる。

 純連の方に戻ってきたシリウスは、剣先を真っ直ぐに伸ばした。


「厄介な盾を持っているようですが。二度同じ手が通じないというのは、こちらも同じことです」

「戯言を……!」


 神は憤怒を露わにしたが、シリウスの言葉は、決して強がりなどではない。


「この剣は、幾重にも魔力を封じることができる」

「…………」

「その防御、次は打ち崩してみせます」

「チッ……!」


 大和がシリウスに与えた刀は、魔法を三つ込めることができる特別製だ。

 魔法少女シリウスのみが装備できる。

 剣の魔法少女の専用武器だ。

 純白だった霊剣は、シリウスの魔力を吸って、澄んだ海のようなエメラルド色の輝きを増していた。


 稲荷神を傷つけるためには、あの異常な防御を崩さなければならない。

 だが、成長した今のシリウスは、それを成し遂げることができる。神も状況を理解しており、迂闊に動かない。


「っ、この間は、そんな武器は持っていなかったはず……」


 だが背後の大和が笑ったことに気づき、ようやく状況を察した。

 ぎり、と歯軋りする。


「そういうわけか。其方がッ、忌々しい上位世界の"魔法"を使ったんだなッ!」

「さあ。どうかな」


 そんな風に余裕ぶって見せたものの、大和は、自分に向けられた殺意に怯えていた。


 その場に立っているだけで、足が震えそうになる。しかし何度も殺意を向けられてきたおかげで、感情を表に出さずに済んだ。


 神の言う通り、魔法少女シリウスを呼んだのも、武器を与えたのも大和だった。

 


(フレンドの救援機能が、本当に使えるなんて……!)


 正直なところ、この次元に呼び出せる可能性は低いと考えていたため、心の中で安堵と喜びの声をあげていた。


 ――もともとユーザーである大和は、この世界の理には従っていない。


 だからレベルアップもしなければ、名前を呼ばれることもない。

 そのかわりに、ユーザーの操作に相当するゲーム機能を引き出すことができた。



 大和が気づいたのはたったの二つ。

 ゲームにおけるアイテム獲得方法である"ガチャ"。

 そしてもう一つ。


 "フレンド救援機能"という仕組みがある。

 戦闘中、手持ちの魔法少女のほかに一人だけ、別なユーザーの所持魔法少女を呼び出すことができる仕組みだ。

 それを、大和は使うことができた。




『七夕さん。お願いだ、俺とすみちゃんを、助けてほしい』


 研究所で二人きりになっている時、大和は琴海に頭を下げた。

 それに対して琴海は、大和に尋ねる。


『それで、純連は助かるのですか』

『分からない……できるかどうかも分からない』


 七夕琴海は、静かに大和の言葉を聞いていた。

 できるかどうかは分からなかった。

 だが大和は、喉から声を絞り出して、リーダーに頼み込んだ。


『けど、もうこれしか思いつかないんだ』

『……いいでしょう』


 シリウスは組んでいた腕をほどいた。


『勝つためなら、何でもするつもりです。あなたの申し出を受け入れます』


 大和は七夕琴海と、直接友達フレンドになった。





 神の権能と同じ程度に、ユーザーの権限は絶対だ。

 異空間に救援を呼ぶ唯一の方法はこれしかなかった。

 それが、成功した。


(でもこれで、もうユーザーとして打てる手は残ってない)


 これが正真正銘、最後の策だ。

 他に大和がユーザーとして使える機能は、皆無だ。

 都合のいい手段は何一つ残っていない。


(頼む。勝ってくれ、二人とも……)


 シリウスと純連が死ねば、自分も魂を奪われて殺される。

 目を瞑って、手を組む。

 祈るような気持ちで、勝敗の行方を見守った。


 


「本当に厄介ねえ。あなた達、魔法少女は……ッ!」


 稲荷神はまるで翼でも生えているかのように縦横無尽に動き回り、シリウスに向けて暴虐の魔法を展開する。

 しかし、いずれも素早く地面を駆ける彼女に届かない。

 純連が支援の防御魔法を発動させて、いくつもの攻撃を弾いていた。


「ことちゃんは、傷つけさせませんッ!」

「ああ、忌々しい、腹が立つ……! 貴様から捻り潰してッ……」

「潰れるのは、貴女よ」


 純連に意識を向ければ、シリウスが隙を突いてくる。

 神はとっさに自らの魔力で漆黒の剣を作り出して、応戦した。

 黒白の剣技が、ぶつかりあう。目に見える空気の波動が、円状に広がっていく。


 両者の攻撃はいまだ致命的な傷を与えてはいない。自らを倒しうる魔法少女への警戒心は、異常なほどであった。


「魔法少女、お前たちはなぜ、それほどまでに命を賭けられる……!」


 閉ざされた舞台の空に渦巻く雲が、地上に幾重もの稲光を落とした。


 膨大なエネルギーが地上に破壊をもたらした。

 ビルは倒れて、色を失った火の手が、次々に伸びていく。切り離された世界は次々に崩壊していった。

 だが、それを案じる者はいない。

 再び剣の腹同士が擦れ、つば迫り合いになった。顔を近づけて問いかける。


「妾はもはや、この世界に興味はない。お前に戦う理由はないはずよ……!」

「何ですって……?」


 神が力を込めて剣で薙ぎ払うと、暴風が起きた。

 シリウスは背後に飛んで、地面で剣を構える。その表情には困惑が見えた。


「あなたは聞いていなかったわね。なら、教えてあげる……!」


 稲荷神は、まるで踊りを求めるように、シリウスに向けて優雅に手を伸ばした。


「その男さえ引き渡せば、この地から魔物を全て引き上げさせましょう」

「何ですって……?」


 それは悪魔のような囁きだった。

 魅入られたように見上げるシリウスを見て、純連が慌てて叫んだ。


「駄目ですっ、ことちゃん……!」

「し、シリウス……」


 それは、甘言だ。

 大和の魂と引き換えに、この土地を支配する魔物を消すという契約だ。


 街の平穏と、今後救われるかもしれない大勢の人間の命。

 そして大和一人の命。

 等価ではないことは誰もが分かっている。


「異界の人間一人の命を犠牲に、この地が救われる。安いものよねえ?」


 神は、何度も別世界の自分を殺した"天橋立"と戦うことを恐れている。

 だから自ら手を差し伸べるのだ。

 お前が、部外者であるその男を差し出せば全て丸く収まるぞ、と。



「何か、勘違いをしているようですね」

「っ!」


 しかしシリウスは、地面を蹴って跳んだ。

 神は不愉快な表情を浮かべながら、振るわれた剣を受け止める。剣の魔法少女が返したのは、冷たい答えだった。


「わたしは貴女を倒すつもりで来ました。交渉の余地などありません」


 迷いのない返答に、神は表情を曇らせた。


「街から魔物を消すことができれば、より多くの命が救われるでしょうに」

「ええ、その通りです」

「平穏や、他の多くの命よりも、その男の命を取ると言うつもりかしら?」

「わたしが剣を握る理由は、ただ一つ」


 シリウスは、改めて剣に魔法を込めた。


「この世界が偽りだったとしても、わたしは構いません。ですが"本物"とやらの世界に移動した後の、貴女の行動は変わらない」

「…………」

「魔法少女として、人類に仇なす貴女を必ず倒す。それだけのことです」

「ことちゃん……!」


 親友の想いを知った純連は、喜びを露わにした。

 例えそれがこの街の人間であろうとも。

 世界のどこかの人間でも、まして異界の人間であっても同じだ。

 神は息を吐き、心から落胆したようだった。


「分からないわねえ。なぜ、関係のない存在のために、命を賭して戦うのかしら……ッ!」

「そもそも貴女の交渉は破綻している。神になど、させるわけにはいきません」


 異空間の戦場から逃してしまえば、束縛から解き放たれる。

 その時は、この世界も無事では済まない。


 魔物だけでなく、万物を支配する存在になってしまえば、この世界を地獄に変えられてしまうかもしれない。

 許すことができるはずもなかった。


「もう二度と後悔しないために、わたしは、魔物を全て滅ぼす。何より、魔物をこの世界に引き入れたあなたを決して許さない」


 剣の魔法少女は、目にも止まらない速さで、神の防御を次々に打ち破っていく。

 神はそのたびに防御を張り直し、自らの黒剣や雷の魔法で応戦した。だが、どれも目前で純連の魔法によって防がれてしまう。


「あ、ぐあっ!?」


 いよいよ、鋭い一撃が、神の腕を半分切り裂いた。その傷を負って動揺したのか、稲荷神はより高く浮き上がった。

 血が滴る片腕を抑えて舌打った。


「っ……魔法の力を得ただけの人間風情が、妾を傷つけるなど……!」


 着地したシリウスは、白く輝く剣の切っ先を、仇為す神に向けた。


「あなたには、傷つけた全ての人間に対する罪を償ってもらいます」


 敵にどんな甘言を囁かれても、戦う理由は曲がらない。

 それが、英雄と呼ばれるまでの才能を引き出した、剣の魔法少女シリウスの原点だ。


「罪だと……?」

「この力を持った、あの忌々しい日。わたしは純連を救えなかった」


 魔物が溢れた日のことは、鮮明に覚えている。

 シリウスはこの町で魔法少女として目覚めた。長く会っていなかった親友に会うために訪れていたのだ。

 だが、魔物に襲われた。

 警察も自衛隊もいなかった。だから目覚めた力を使って、必死になって街の人を救い続けた。


 一番大事な人を救うことができなかった。

 駆けつけたときには、全てが終わっていた。


「もう誰にもあんな想いはさせたくない。だからわたしは、あなたを倒します」

「……ことちゃん」


 魔力が枯渇寸前で、力なく座り込んだ純連は、親友の言葉を聞いていた。


 あんな理不尽を味わわせられた挙句、後悔を植え付けられていいはずがない。

 例え異世界に行こうとも、暴虐を行う存在見逃すなんて、選択肢にはなりえなかった。

 神は、諦めたように息を吐いた。


「そう……なら、来るといいわ。魔法少女」

「ええ、そうさせてもらいます」


 再び剣に三度、防御を破壊する魔法を掛け直す。

 これで確実にダメージを通すことができる。それを携えて、駆け出した。




「さあ、その剣を妾に振るうがいい」


 そして。

 純連と大和、そしてシリウスでさえも目を剥いた。


 稲荷神とうかのかみは両腕を広げて、向かってくるシリウスを抱きとめるように胸を張った。

 防御の魔法を使う気配も、回避の気配さえ感じない。だが、その顔は狂気に染まっている。


「何のつもりですか!?」

「フフフ、妾を倒したいのでしょう、剣の魔法少女ッ!」


 その叫び声に、得体の知れない不気味さを感じたが、シリウスは躊躇しなかった。

 大和は混乱しながら思考した。


(どういうことだ……!?)


 たった二人の魔法少女を相手に野望を諦めるとは思えない。

 何かがある。

 全ての知識をひっくり返して、その理由を想像し、そして最悪の考えに思い至った。


(何のつもりで……え。まさかっ)


 静止を叫んだのは、手遅れになった瞬間だった。


「ッ、駄目だ!!」


 思いついた時には、もう遅かった。

 止まることなく、隙を見せた稲荷神の胴を切り裂いた。

 それは、シリウスにとっても決定的な隙・・・・・だった。

 

「――追い詰められて、力を引き出すのは、其方達だけじゃないのよ」


 仰向けに倒れていく神は、最後まで笑みを浮かべていた。






 切り裂かれた胴体から、闇が溢れた。 

 津波のような風の壁が、大和や純連のほうまで襲い、広大な異次元を飲み込んだ。


「あ、ぐぅっ!?」

「ことちゃん! う、うぅっ!?」


 竜巻に巻き込まれたシリウスは、仰向けに、体ごと飛ばされてくるのが見えた。

 純連は片腕で目を守りながらシリウスに寄って、大和は蹲って耐えた。


『ふふ……あ、ははははっ!』


 叫び笑う声は、嵐の向こう側からでも届いた。

 灰色の空の渦雲の目に、竜巻は真っ直ぐに伸びている。

 何も見えないほどに濃い黒色の暴風。その中で巻き上げられた塵が降り落ちてくる。


「これは、一体っ……」


 衣服の一部を破かせて、腹部や脚部の肌を露出させた。シリウスは歯を食いしばりながら起き上がる。

 神は風を打ち破って、姿を顕現させた。


『其方たちは、妾に勝利できると、本気で思っていたのかしら』


 内側から現れた時、姿が変貌していた。 

 耳と尻尾の毛は黒曜石のように輝いており、豊満な体を包む衣服には紅色の線が入って、より華美に彩られていた。

 顔面に棘のような痣が刻まれている。

 完全に余裕を取り戻した表情の通り、シリウスが負わせたはずの傷は、綺麗になくなっていた。


「なんですか、あれ」


 まず純連が、絶望の声をこぼした。

 存在しているだけで膝を折りたくなるほどの、暴力的な魔力を感じとっていた。

 シリウスでさえ、かすかに瞳を揺らしている。


「其方たちの勝利の運命は、妾が最後の手段・・・・・を使わないことが前提のもの」


 新たな"進化"を遂げた神は、言った。


 両腕を広げ、魔力を操る。

 神が力を振るうと決めた瞬間から、空は不規則に荒れはじめる。まるで神殿に立つ柱のように、地上に万雷が降り注ぐ。


「其方達程度にこの手を使うのは惜しいけれど、止むをえないわよねぇ……!」


 物語を理解している神は、空を向いた。

 全能感に酔いしれた。

 そして、眼球だけを三人に向ける。


「さあ。神の前に平伏なさい。愚かな魔法少女ども」

 

 神の口元は、恐ろしい三日月に歪んでいた。

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