第65話 転移者と絶望の運命

「どうして、そんな酷いことを……」


 絶句する大和の代わりに、純連が呟く。

 宙に浮かんだ稲荷神とうかのかみは、悪びれずに手を差し伸べた。


「望まぬ破滅の運命を知れば、それを変えるために挑む。生ける者として当然のことではないかしら」


 そう語った神の背後から、空気の上に、巨大な黒色の穴が開き始めた。

 純連も大和も身構えた。

 直後、豪雨のように、無数の黒色の雷撃が二人に降り注いだ。


「っ!? ぶっ、『ブロンズ・シールド』です!」


 予想外に多すぎる攻撃を見て、焦って作り出した銅の大盾が、かろうじて二人の身を守った。


 人間を焼く魔力の雷撃は、激しくうねって押し通ろうとした。

 だが、地面から伸びた金属の表面を黒く焦がすだけで、通り抜けることは叶わない。

 しかし安心する間はなかった。


「すみちゃん、危ないっ!」


 音もなく近寄ってくるそれに気づいた大和が、叫んだ。

 壁から回り込んでくるように、ドローンのような緩慢な動きで、何かが近づいていた。

 十を超える数の球体だ。

 先ほど目にしたばかりの、コンクリートを一瞬で抉る力を持つ魔法である。


「っ、『リフレク・シールド』……!」


 慌ててもう片方の腕を掲げると、半透明な壁が形成される。球体は壁に触れるが、能力を発動させることなく、跳ね返ったボールのように地面に落ちた。

 だが落ちた途端に、空間が軋む嫌な音を何度もあげながら、コンクリートに、蟻地獄の穴を次々に作り出した。

 ゾッとした。

 気が付いていなかったら、死んでいた。

 

「その魔法少女を、時間をかけて、随分と育てたみたいねえ」


 自動で攻撃を繰り出す次元の穴をさらに増やして追撃を仕掛けていく。

 優位に立つ神は、必死に大和を守ろうとする、名前も知らない魔法少女を嘲笑った。


「でも何の取り柄もない魔法ばかり」

「っ……」


 純連は、悔しさでさらに強く歯噛みした。

 駅の壁は粉々に砕け散り、塵が乱暴に巻き上がる。ロータリーの屋根は台風の最中のように剥げて、遠くへと飛んでいった。

 唯一、純連の作り出す壁だけが障壁だ。

 しかしどれもが特別な魔法ではない。

 特段、防御力が高いわけでもない。

 

「並行世界で戦っていた"天橋立"や、強力な魔法少女達には、遠く及ばないわねえ」


 暴力的な戦場を作り出した元凶は、必死になっている純連を嘲った。

 さらには、純連を選んだ大和を哀れんだ。

 

「妾を倒さんと願う上位世界の者達は、強力な魔法少女を選んでいたわ。誰でも選べたというのに、物好きねぇ」

「うるさいっ、黙れ。余計なお世話だ!」


 生まれて初めて、強い怒りを覚えた。

 頭が沸騰しそうだ。自分のことのように苛立った。腕に力がこもり、腹の底が煮えくりかえる。


「その子を随分と大切に思っているようだけれど。まさか恋でもしているのかしら」

「どうだっていいだろう。お前には関係ない! さっきから聞いていれば馬鹿にしやがって!」

「あらあら。なんでも構わないけれど。そんな愚かな其方に感謝しなくてはねえ」


 神は顔面の横、頬のあたりに自らの手をかざした。黒色の魔力が収束する。


「其方がその子に執着してくれたおかげで、妾が真に恐れる魔法少女は脆弱なまま。磐石な用意を整える時間が稼げたのですから」


 魔力は、明確な一つの形を形成した。

 二人は固まった。

 顔面の横に出現したのは、黒の毛並みを持った、見覚えのある狐の仮面。

 怒っていた大和は、今度は青ざめた。


「お前っ、それは……!」


 神は仮面を指先で弾いて、そのまま魔力に戻して消滅させた。

 見覚えがある。忘れるはずがない。

 大和を魔物に堕とした道具だ。


「上位世界から引き摺り下ろされただけで、こうも脆弱になるものなのねえ」


 心臓が、バクンと鳴った。

 この世界に大和を招き、魔物に導いた。

 全ての元凶は最後の敵だった。


「妾の手の中で踊る姿は、滑稽で、可笑しかったわよ」

「お、お前えええぇぇっ!」

「ふふふ。運命はすでに変わった。これで妾を縛るものは、何もない……!」


 "物語"という鎖から解き放たれた最悪の敵は、大和の叫びを聞いて甘美な笑みを浮かべた。

 縛るものを消し、狂ったように笑った。


「守れるものなら守ってみなさいッ! 攻撃しなければ、妾には勝利できないわよ!」


 次々に攻撃が放たれる。

 純連は必死になって、魔力の雷撃も、次元干渉の攻撃もいなしていた。

 だが、いよいよ綻びが出始めていた。


「う、うぐぐっ……」


 全ての攻撃が、今までの戦いで経験したことがないほどに重かった。

 純連は筆舌に尽くし難い経験を積んだ。

 ボスと呼ばれる魔物の攻撃も、天橋立との活動で培った力もある。そのうえ、装備で実力を底上げされていた。


 それでも最後の敵の攻撃は、想像を遥かに超えていた。

 銅の壁は削られ、透明な盾は何度も破れている。体内の魔力が失われていく。

 一つでもすり抜けてしまえば、それだけで二人とも死んでしまう。だから集中を切らすわけにはいかなかったが、限界が近づいていた。


「あなたには、感謝しているわ、■■■■ッ!」


 狂気の歓喜は、大和にのみ向けられていた。

 

「あなたを"運命"に加え入れたおかげよ! 全を導くはずのあなたが、"こうれあれてぃ"の魔法少女の手助けをしなかったからッ! 妾は願いを叶えられるッ!」

「黙れええぇぇっッ!!」


 大和は泣きそうになりながら、負け犬のようだと分かっていながら、吠えた。

 敗北を認めるわけにはいかなかった。

 腹の底から否定する。


「そんなの知るかっ! 勝手なことばかり言うな! 今からだって、お前のやりたいようには、絶対にさせないッ!」

「あらあらあら、可愛らしいわねぇ。この世界に呼び寄せた時とは大違い」


 大和の泣きそうな顔は、神の機嫌を上向かせるだけだった。

 そんな稲荷神が真っ直ぐに腕を上げると、攻撃を繰り出していた次元の穴が閉じた。


 純連は攻撃が止んだことで、盾を解除して膝をついた。

 息が死にそうなほど荒い。汗が滲んで滴っている。もう限界だというのは、傍目に見ても明らかだった。


「すみちゃん、大丈夫か……!?」

「へ、へいきです。このくらい、なんともありません……」


 そんなはずがない。

 一気に魔力を使いすぎたせいだ。あれだけの攻撃を防ぎ続けていた純連の負担は尋常なものではない。

 有効打を与えられないまま、ひたすらに魔力だけが失われていく状況に、焦燥を感じないはずがなかった。

 だが、その焦りを見越したように囁く。


「いいことを教えてあげましょう、魔法少女」

「……なんですか」


 純連は、疲れ果てた様子のまま返事した。


「妾はもう、この世界に興味はないの」

「えっ……!?」

「街の魔物は全て、引き上げさせても構わないと思っているわ」


 信じられない宣言だった。

 不愉快そうだった純連も、思わず視線を逸らすのをやめて、神を見上げた。


「ど、どうして今更そんなことを……意味がわかりません」

「必要ないからよ。紛い物の世界なんて、神である妾には相応しくない」


 街を取り戻すために戦っていた純連は動揺していた。

 攻撃を放っていた稲荷神は、それを可愛らしいものを見るように見下している。



 魔物がいなくなれば街が戻ってくる。

 全ての元凶の言葉を真に受けたわけではなかったが、それは切望していた未来だ。 

 揺らいでしまうのも、無理はなかった。

 

 だが、まだ肝心なことを話していないことに気づいて、続けて言葉を発した。


「待ってください! それならあなたはそのあと、どこに行くつもりですか!?」

「分かりきったくだらない質問ねえ」


 心底呆れたような、冷たい答えが帰ってくる。

 一方で、大和は答えを察した。

 純連以上に青ざめて、震えていた。


「まさか、お前は……」

「そうよ。あらゆる事象が誰かの掌の上。どうとでもされてしまう世界なんて、統治するに相応しくないわ」


 敵の目的を理解してしまった。

 ラスボスが、支配を目論んでいたこの世界から去る理由なんて一つしかない。


 彼女はこの世界を統治しない。

 それならば一体、神を名乗る存在は君臨する世界を失うことになる。

 そのとき、どこに向かうというのか。


「そんなこと、できるわけないだろ!」


 そうではないと分かっていながら、大和は躍起になって否定した。

 だが、余裕ぶった態度で笑われる。


「できるわ、そのために其方が必要なのよ」

「ど、どういう意味だよ……?」

「其方の持つ上位世界の魂。それを妾が吸収すれば、一体どうなるのか……想像はつくでしょう?」


 大和は呆然と、口を半開きに立ち尽くした。一方で、まだ理解が追いついていない純連は大和に訴える。


「ど、どういうことですか。あの元凶の人は、何をするつもりなんですかっ!?」

「…………」

「あら。ここまで言って理解できないなんて。哀れな魔法少女もいたものねえ」 


 その様子を見ていた稲荷神は、見下したような態度だ。両腕を掲げて、周囲に次元の黒穴を出現させる。


「この力をもって上位世界に降臨するためには、其方の魂が必要になる」


 最後の敵は、確実に大和を殺すために、この領域に招き入れたのだ。


「其方は、生贄よ」


 全ては製作者の世界げんじつに君臨するために。

 壁を乗り越える術を見つけてしまった神は、物語を終わらせるために、全力の魔法を背後に靡かせた。


 魔力の嵐は、風に触れている肌が常に痺れるような濃密な気配を混ざらせている。

 稲荷神の背後で地獄のようにうねる稲光と無数の球体に、二人は絶望した。


「妾が、全を支配するために、犠牲になってもらうわ」


 最後の敵ラスボスは、物語を逸脱した最悪の結末に導いた。









「そうはさせません」

「ッ!?」


 優位だった稲荷神は目を見開き、反射的に手を振るって、はねのけた。

 その直後、硬質な音が響き渡る。

 腕にかけられた黒の防御魔法と、美しい白の霊剣が軋む音を奏でた。おかげで首を切られることは免れた。


「なぜ、あなたが、ここにっ……!」


 神は、不測の事態に驚愕していた。

 口数の少ない乱入者は、返事を返さない。

 代わりに防御を砕く魔法を発動させて、剣が一瞬輝いた。砕けるような音と共に、神の魔法は打ち破られる。


「がぁ……っ!」


 衝撃で反対側に飛ばされた神は、建物の壁を砕いた。

 九尾の尻尾を擦りながら落ちていき、地面に着地した後、忌々しげに前を見た。

 初めて、彼女はダメージを負っていた。


「が、はっ……くっ、やってくれたわね……」


 一方的な蹂躙を愉しんでいた時と一転。

 怨みの篭った視線を乱入者に送りつける。


「遅くなりました」


 純連が前のめりになって、暴虐の場に介入した魔法少女の名前を叫んだ。


「ことちゃん!!」

「シリウス……!」


 剣の魔法少女シリウスは地面に着地する。

 傷ついた二人を守るように、自らの剣を、稲荷神に向けて構えた。

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