第64話 転移者と選ばれた理由
研究所の非常階段を登って、停止したゲートの外に出た二人は、揃って絶句した。
「なんですか、これ」
「嘘だろ……」
外の景色がすっかり変わっていた。
白黒に染まった世界に、大和たちのほかに生物の気配はない。それ自体が非常に不気味だが、今はそのことは気にならない。
それよりも背中にあるはずの研究所が、跡形もなくなっている。くぐってきたゲートはなくなっていた。
「ここは、もしかして、渦雲の真ん中ですか……?」
純連の呟きを受けて空を見る。
黒色の雲が真上で渦を巻いている。
ここはもう見知った山奥の地形ではない。
かつてこの街の心臓部だった場所。
廃墟と化した京都駅だ。
巨大な建物の天井は粉々に砕かれており、崩落している。
バスロータリーは破損して屋根が倒れており、ガラス破片とコンクリートが散乱して、とても人が動き回れるような場所ではない。
どこを見渡しても生物の気配はなかった。
それ以外にも、普段と違う点があった。
(なんだ、あれ。あんなものなかったよな……)
中でも目立つのは、崩落しそうな建物内。
黒色に塗られた鳥居が立っていた。
五人ほどが並んで通れそうなほどの大きさで、異界に続くように、門の向こうに闇が続いている。
今は、灰色の火花が明滅する電光掲示板のそばに、二人で立ち尽くしていた。
「すみちゃん、とりあえず逃げないと……!」
「だめです、動かないでください!」
その叫びで、逃げ腰だった大和の思考が中断した。
純連が両腕を広げて、守るように立ちはだかった。すると建物の奥からコツコツと、足音が近づいてくることに気がついた。
「妾の領域に、逃げ場などないわよ」
暗くてよく見えないが、闇の向こう側に誰かがいた。
聞いたことのある、女性の声だ。
正体はすぐに分かった。
声優が演じる声と何ら変わらない。
何回もリセットして戦った大和が、それを忘れるはずもない。
この異空間は、大和たち以外の生物が立ち入ることは許されていない。
だから影の向こう側から姿を現したのは、唯一の例外。
この空間を作り出した張本人しかありえない。
「すみちゃん。あれは間違いなく、話していたラスボスだ……!」
「あら。『ラスボス』だなんて、嫌な呼び方ねえ」
闇色の膜を張った鳥居から出てきたのは、黒色の毛並みの狐耳を生やした、悠然とした雰囲気の大人の女性だ。
一見すると人間のようにも見える。
背中から伸びる九尾の尾は、彼女が人間でない何よりの証。
その口調は穏やかであったが、大和の言葉を心底嫌そうに表情を歪めた。
「
彼女こそが、この街の魔物を統べる王者。
稲荷神は自らを"ラスボス"と呼称されることを嫌悪した。
弱者呼ばわりされた大和は目を丸くする。
だが、引っかかったのはそこではない。
(いま、俺のことを異界って……)
相手は今まで出会ってきた魔法少女と同じ、ゲームの登場人物のはずだ。
しかしラスボスという単語を理解し、大和を異界の存在だと言い当ててみせた。
「どうしてそのことを知っているんだ!?」
「何でも知っているわ。■■■■、其方のことは……何でもね」
問いに返すべく、甘い言葉を発する途中。
世界から音が消えた。
「どうして……?」
二人とも言葉を失った。
その現象を引き起こせるのは、今までは純連しかいなかったのに。
大和の本当の名前を知っていなければならない。
抽象的な三人称ではなく、強く意識してその名を呼ぼうとしなければならない。
両方が揃ったときにしか起きない現象だ。
稲荷神はやってみせた。
純連は一歩踏み出て、怒ったように叫ぶ。
「どうして、あなたが、その名前を知っているのですか!?」
「嫌ねえ。煩いのは嫌いなの」
そう言って、人差し指の先端を向けた。
黒の魔力が収縮する。
「主役でもない魔法少女は、大人しくしていなさい」
「うぐっ……!?」
光のように早い、一筋の黒色の魔力。
弾丸のように純連の胸を貫いた。息を吐き出すように、前のめりに蹲った。
「すみちゃんっ!?」
大和が悲痛な声をあげた。
しかし、倒れない。
「あら。自動防御の装備なんて、面倒ねえ」
「うぐぐっ……」
純連は僅かによろめいただけで、倒れることはなかった。
小盾を装備した片腕が、自らの胸元を守っていた。盾の表面が焼け焦げていたが本人は無傷だ。
「大丈夫か、すみちゃん!?」
「う、うぅ、ぜんぜんへいきです……」
だが、理解できていないという風な表情で、苦しみながらも自分の腕を見下ろしている。
今のはガチャで引いた、敵の遠隔単体攻撃を、自分自身に引き寄せる盾装備の効果だ。
ガチャを引くことを思いついていなかったら、死んでいたかもしれない。
冷や汗を流した。
「まあ構わないわ。其方たち達なんてすぐに殺せるのですから」
稲荷神を名乗った女性は、多少苛立ちながらも指を下ろした。ダメージを負った純連を見て、ひとまず溜飲を下げたらしい。
大和は、重苦しい声で尋ねた。
「なんで、俺の名前を知っているんだ」
「其方のことは何でも知っているわ。候補の中から、わざわざ其方を選んだのですから」
「選んだって……どういう意味だ!?」
大和が食いかかると、クスクスと余裕ぶって笑う。
稲荷神は全身に黒のオーラを纏い、ふわりと宙に浮かんだ。
両腕を広げながら二人を見下ろす。
そして語った。
「其方は、異なる世界の存在。それもこの世界の上位世界の人間なのでしょう」
「ッ……!」
大和は絶句した。
全部、知られている。
ラスボスと死闘になることは覚悟していたが、自分自身の身元が暴かれていることまでは予想していなかったため、動揺が隠せない。
「この世界は紛い物。其方にとってはゲームの世界という認識なのよねえ」
「どうしてそのことを……!?」
焦って、純連より前に出そうになる。
「妾の能力を知っているはず。想像できない?」
「……っ」
「自分から能力を語るのは、あまり美しくはないけれど……いいわ。其方達は弱いから、特別に教えてあげましょう」
宙に浮かんだまま片手を空にかざすと、黒い球体が出現した。
それはまるで漆黒の穴。
空気中から黒色の粒子を吸い込んで、飲み込んでいる。ブラックホールのようだ。
「妾の能力は、世界の理を曲げて、異界の門を
稲荷神は手を逆さにして、球体を地面へと落とした。
まるで風船のような速度で落ちたそれが地面へと触れて、その途端。
世界が軋む音があがった。
コンクリートを削り取り、飲み込む。
人間の頭ひとつ分程度の蟻地獄を残して、何事もなかったようにあたりは静まった。
純連も大和も、恐怖した。
「この能力も、其方はすでに理解しているのでしょう?」
しかし大和は、必死になって否定した。
「そ、そんなバカな! じゃあ俺は……」
薄ら笑いを浮かべる最後の敵を見上げながら、大和は叫んだ。
「その力で、俺を
「ええ。話が早い子は好きよ」
ありえない。
創作物でしかなかった敵が、現実に干渉することなんて、ありえない。
「そんな……なんで、そんなことが……」
「ふふ、青い顔をして。誰がこの世界に招いたと思っていたのかしら」
「で、でも、"アルカディア・プロジェクト"はただのスマホゲームで……」
「今更ねえ。生物が想像可能な、あらゆる世界は、得てして次元のどこかに実際に存在しているものよ」
人差し指を掲げた。
前に立って大和を守る純連は、ますます警戒心を高めた。
「最初は妾も、其方達の描いた物語通りに、ことを運ぶつもりだった」
しかし、まだ稲荷神に攻撃の意思はないようで、自らを語った。
「でもある日、この世界の"歪み"に気づいてしまった」
「…………」
「勝利を確実にするために、この力で並行世界に干渉して、未来を見ようと試みたのよ」
もともと
だが、それは失敗することを知った。
主人公パーティ"天橋立"に敗北し、身を滅ぼす未来を知ってしまった。
「だから別次元の妾に助言をした――ところが、まったく同じ未来を歩んだのよ」
「どういうことだ?」
「ふふっ。例えば其方は、明日事故に遭うから家を出るなと、自分自身に言われたら、どう行動するかしら」
稲荷神は、大和に問いかける。
「出る間抜けはいないでしょう。でも、そうはならなかった」
「…………」
「他の次元の妾自信に何度も言葉を送ったわ。でも、まるで白痴のように同じ行動を繰り返した。何者かに、破滅の運命が定められているかのようだったわ」
大和が知っているその展開を、この世界の彼女は垣間見てしまったのだ。
神は、絶望した。
並行世界の自分自身に未来を教えても、全てが徒労に終わった。
主人公に倒され、破滅の道を進んでいくのを、一度も止めることができなかったのだ。
並行世界の自分自身は、聞く耳を持たなかったわけではない。
別次元の自分の言葉を聞き入れた。
だが、その上で。
そのことを忘れたように破滅の道を突き進むのだ。
手を出すなと言った相手を無防備に結果に呼び寄せ、危険だと警告したにも関わらず、いたぶるような戦術をとった。
まるで洗脳でもされるかのようだった。
「神たる妾も、運命からは逃れられなかった」
稲荷神は自分の手を見つめる。
「だから抗う方法を探した。そして、ようやく見つけたのよ」
何かを握り潰すように拳を作って、ニヤリと大和を見据える。それを見てしまった大和の背筋に怖気が這った。
「この世界の運命を決めた、上位世界に干渉すれば、未来が変えられる」
「……まさか」
「ええ。そのために選ばれたのが、其方」
神は妖しく微笑み、指先を一本立てた。
「この世界に堕ちた其方は、期待通りだったわ。運命は破壊され、もはや定められた通りには動いていない。"天橋立"はもうここには来ない」
この世界の住人では、自力で物語を変えることはできない。
しかし
稲荷神は膨大な力を注いで、"アルプロ"を遊ぶユーザーの監視をしていた。
そこで見つけたのが大和だった。
「じゃあ、俺は、まさか……」
「心も体も弱い、愚かな者を選んだのよ。それで正解だったわねえ」
そして二本目の指先も立てていく。
純連は心配そうにうつむいた大和を見た。
面白いと思う感情を隠し切れないのか、絢爛な袖で隠しつつ、あざ嗤った。
「妾の思い通りに動いてくれて、感謝するわ――■■■■」
それを聞いた大和は、悔しさに拳を握りしめた。
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