第58話 八咫純連は、転移者と共に生きる約束を交わす
純連から体を離した途端に、周囲の光景は、もとに戻った。
「なんだ、これは」
「…………」
大和は口をあんぐりと開けて立ち尽くした。
一方で、純連は視線を逸らしていた。
あたり一帯は土煙が立ち込めている。
コンクリートの地面はひどくひび割れ、ビルは粉々。電柱も火花をあげてバチバチと危険な音を鳴らしている、
「すみちゃん。これ、どういうことだ」
「え、ええと……どう説明したものでしょうか」
倒壊したビルの瓦礫の上に、立ち尽くしている状態だが、純連は困ったような態度で質問に答えてくれない。
だが、そうしているうちに、かすかに記憶が蘇ってきた。
記憶にない、記憶だ。
大和はますます青ざめていった。
「これ、俺がやったのか?」
「そういうことになってしまうのでしょうか……」
その返答で確信を得た大和は、天を仰いだ。
「も、もちろん、■■さんのせいじゃな――ふぇっ」
フォローしようとした純連は、とっさに喉を抑えた。
大和は、つい今生じた困惑も忘れて、じっと純連を見つめた。首から手を離して、誤魔化すように笑った。
「あはは……やっぱり、名前を呼ぶのはだめなんですね」
一瞬表情に現れた寂しさを、大和は見逃さなかった。
純連は咳払いして、気を取り直す。
「とにかく、これはあなたのせいじゃありません」
「で、でも……」
「ないったらないんです! 安心してください。あなたのことは、どんなことがあっても、全力で純連がお守りしますから!」
ふんす、と無い胸を張ってみせた。
「ああ、ありがとう……すみちゃん」
その幼い態度が、他のどんなものよりも頼もしく思える。つい大和も微笑んでしまった。
今巻き込まれている状況は、最悪だ。
記憶がなくたって分かる。
(あの夢のから戻ってこれて、本当によかった)
夢で見たものは、地獄だった。
無性に苦しい孤独の感情を掻き立てられ、苦痛に喘ぎ、地面を這っていた。記憶はなくても、あの不快感だけは忘れられそうにない。
純連が来てくれなかったら、戻ってこれなかっただろう。
「どうしましたか?」
「え。あ、いや……」
きょとんとした顔の純連が、とても近い距離で覗き込んでくる。
大和の姿は、すでに若い頃に戻っていた。
身長差もなくなり、顔がかなり近づいている。
「……何でもないよ」
感謝を告げるつもりだったのに、気恥ずかしくて、言えなくなってしまった。
しかし数秒後、不意に思いつく。
「……いや、待て。何でもなくはないぞ」
「何ですと」
「街をぶっ壊したのって俺なんだよな。もしかして、逮捕されたりするのか……?」
「それは大丈夫だと思いますよ」
純連が笑って否定した。
二人で、街をあらためて見回した。
「このあたりの建物はもう使えませんから。ことちゃんも、たまに建物を壊してしまいますが、何も言われたことはないそうです」
破壊された場所以外も、そもそも酷い状態だ。
コンクリートは所々欠けて茶色ばんで、植物のツタが巻きついている。鉄筋が剥き出しになっている柱も多い。
廃墟を気にして戦っていては、魔法少女が十全に戦えない状況を作ってしまう。政府は、その責任を負わせないように法律を整備していた。
クランに加入している大和にも適用される。そのことを教えられて、ほっとした。
とりあえず、賠償金は払わなくてよさそうだ。
落ち着いた頃、純連を見ずに話しかける。
「なあ、すみちゃん」
「はいっ、何でしょう」
「この街にいる元凶の正体も、もう知っているんだよな」
大和は、真実を知ってしまった純連にしか伝わらないことを尋ねた。
「そうですね。全部、見てしまいましたから」
「……そうか」
大和に対して、純連は複雑そうな表情を浮かべて、腕を組んでうなっていた。
世界中のトップクランや、最先端の研究者が解明していない秘密を知ってしまった。どうしたって自分たちだけでは解決できない問題に、どうすればいいか分からないという顔だ。
しかし、大和が本当に言いたかったのは、そのことではない。
「この街は、最後に待っているボスさえ倒せば、元通りになると思うんだ」
「はい。みんなとって、それは一番の朗報です!」
「でも、そうなったら俺も、この世界からいなくなるかもしれないんだ」
「えっ」
純連の表情が固まった。
大和は空を見つめたまま、そこから視線を外さない。純連は寂しげに呟いた。
「……そうでしたね」
隣で落ち込む少女の姿を、見ようとはしなかった。
少し前に、研究所で議論を交わしたことは記憶に新しい。
元凶がなくなれば、街に存在している異物も丸ごといなくなる。そんな仮説が世界の著名な研究者が提唱していると、研究者・魔法少女の庵が話してくれた。
そして、それは正しい。
この世界の元となったソーシャルゲーム"アルプロ"のストーリーでも、そういう演出だった。
ボスが倒されれば街は元通りになる。
この世界にとっての"異物"である大和が消えて、完璧にもとの姿を取り戻すのだ。
根拠はないが、むしろ残れる可能性のほうがずっと低いと感じていた。
「すみちゃんは、これからどうするんだ」
大和が尋ねたのは、この先の魔法少女活動のことだ。
そんな将来を知ってどうするのか。
聞いておきながら、どんな返事がかえってくるのか怖くなった。
「純連は、必ずこの街を取り戻します。みんなと約束しましたから」
「そうだよな……」
当たり前のことだ。
八咫純連は、この街を守るために戦っている。
大和だってそれを望んでいる。
どんなことがあっても、命を賭けて敵に向かい合う。その真っ直ぐな姿に憧れていたのだ。
(当然だ。すみちゃんは、そうするべきだ)
そのことを受け入れるのが辛かった。
街を守るか、大和をこの世界に残すか。
そんなの誰だって前者を選ぶ。
純連はすでに、運命を背負う覚悟を持っている。
そして夢を叶えるためには、あの直下にいる最後の敵を滅ぼし、失ったものを取り戻さなければならない。
「お母さんやお父さんのためにも、ことちゃんや、みんなのためにも」
雲の中心に向かって手を伸ばす。
だが、次に、世界から音が消えた。
「そして、■■さん」
大和は、隣で強く笑う魔法少女を見た。
「あなたのためにも、純連は最後まで戦うつもりです」
純連は、何の迷いもない笑顔を見せていた。
何を言われたのか分からなかった。
「俺のため……?」
「はい。考えてもみてください。街がこんな状態になっているのと引き換えなんて、あなたも純連も、全然幸せじゃありませんよ」
純連は伸ばした手の、拳をぐっと掴んで目の前に持ってくる。
その手には、まだ何も掴んでいない。
しかし掴みにいく。
その意思を確かに持っていた。
「信じて進めば、きっといい未来が来る。純連は信じています」
「…………」
「だから一生懸命、命を賭けて戦うんです」
二人が望む先は、まったく同じだ。
しかし純連の方が、ひたむきだった。
「一緒に、ゲームの物語になかった、
たどり着きたい未来を、笑顔で語ってみせた。
大和と同じものを見ているはずなのに、そんな風に強がれるのは、あまりに
大和は、胸の底から温かいものが湧き上がってくるのを感じた。
たどり着ける保証なんて何もない。
それなのに、小さな少女についていけば、本当にその未来がやってくると、そう思えてくる。
(ああ、そうか。そうだったんだ)
大和は今、理解した。
なぜあれほどに心を奪われて、彼女を追い求めるようになったのか。
目の前の可愛らしい少女は、大和がこんな風に生きたいと願った、理想の姿そのものだった。
そして今の彼女は、大和のなりたい"理想"だった。
妙にすっきりした心に感じ入っていると、純連が声をかけてくる。
「あ、あの……」
「ん?」
顔を上げると、さっきまでの自信はどこにいったのか。一転して、オロオロとしていた。
「も、もしかして、向こうの世界のほうが良いとか……そういう感じでしょうか?」
大和は、ぱちくりと目を瞬かせる。
そしてぶんぶんと横に振った。
「それはない」
「それなら、全部終わった後に、純連がそちらの世界に行きますが……!」
「止めておいたほうがいい。っていうか、全力で止める。ダメだ、絶対に!」
きっと来るべきじゃない。
自分の生きる世界はろくでもないことばかりだ。それでなくても、純連の場所はあそこにはない。
純連が「そうですか……」としょんぼりしたところを見計らって、言った。
「俺も、すみちゃんの望んでいる未来についていきたいと思ってるよ」
「本当ですか!?」
ぱぁっと、花開くような笑顔を見せた。
そんな姿見ていると嬉しくなる。
(ついていく、か)
あとを追うことしかできない自分が少し情けなくなった。
だが、そんなちっぽけなプライドよりも、"なりたかった自分"を追いかけるほうがずっと大切だと、今は分かっている。
「俺も全力を尽くす。勝てるように頑張るよ」
「……! はいっ、一緒に戦いましょう!」
純連を、しっかりと手を握り合う。
人生で初めて、大和が自らの意思で決断を下したと言える瞬間だった。
しかし。
握り合った手を見て、大和は表情を変えた。
「えっ……なんだ、これ」
純連も気付いて、きょとんと自分の手の甲を見つめた。
手を放して観察する。
肌色しかないはずの部分に、薄黒い痣が浮かび上がっていた。
「なんですかこれ。んっ、とれないです」
服の裾で擦っても取れない。
観察していると、急にその部分が熱くなる。もう片方の手で抑えた。
「……あつっ!?」
「あ、あついですっ!?」
おおむね数秒、痛みが続いた。
その間に形を為していく。手を震わせながら涙目で観察し、大和は青ざめた。手の甲に現れたのは、どちらもまったく同じ文様だった。
「な、なんですか、これは……っ」
純連の顔色は悪い。
その理由は痛みではない。
大和と同じく
「おーい! ……いたぞっ! みんな、こっちだ!!」
茫然としている二人は、遠くからの叫び声を聞いて、顔を向けた。
崩れた瓦礫の下で手を振っているのはリーダーの緑だ。他にも"主人公勢"と呼ばれたメンバー達が姿を表している。
本来なら、生還を喜んでいたはずだった。
だが、こちらに向かって手を振る彼の手の甲に、黒色はない。
「嘘だろ」
大和は、不審な文様が刻まれた手で、自らの顔を抑えた。
この現象を知っている。
これは、過酷な運命を背負う者にのみ刻まれる証で、一般人に刻まれる代物ではない。
「……俺たち、死ぬんじゃないか」
そんな呟きを、青ざめた純連も否定しなかった。
夢想していた未来が、遥か遠くに行ってしまったみたいだった。
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