第57話 八咫純連と鳥居大和 後編
「どうして、こっちを見てくれないのですか?」
純連の寂しげな問いかけにも、膝の中に顔を埋めた男は答えない。
「大和さん」
もう一度。
純連は、呼べないはずの名前を、確かに口にした。
おそるおそる顔を持ち上げて見えたのは、疲れ果てた大人の顔だ。目の隈は何日も眠ってないように深くて黒い。男は弱々しい声でかえした。
「すみちゃん……」
純連が呼び掛けた名前の人とは、似ているが明らかに別人だ。何も知らなければ、兄弟ですか、などと尋ねたかもしれない。
しかし純連は確信を持っていた。
「やっぱり、あなたなんですね」
ぺたんと座り込んで、同じ視線まで落とす。大和はばつが悪そうに顔を逸らした。
純連は安心したように表情を崩して、子供っぽく微笑んだ。
「無事で、本当によかったです」
純連の言葉を聞いて、信じられないものを見る目を向けた。
心底嬉しそうにする魔法少女と親友なのは、"若い姿"の自分だ。今ここにいるのは、くたびれた大人だというのに。
だが、今までの自分に向けられていた視線と、何も変わらない。
「どうして……?」
「何がですか?」
純連は可愛らしく首を傾げる。
「だって、その……今の俺は、こんな姿だし」
「ああ。やっぱり、老けてしまいましたよね。顔も不健康な感じになりましたし」
「うぐっ」
自分から尋ねておきながら、ダメージを受けた。
いまの大和に反論の余地はない。
「まあ、そこは今は置いておきましょう」
「置いておいていいのか……?」
「はい。それよりも、純連もあなたも、お互いに聞きたいことがあるはずです」
「それは、まあ」
「では、先に質問をお譲りします」
大和が気にしていたことを何なく流して、会話のボールを渡してくる。
戸惑ったが、確かに今すぐ尋ねたいことがある。少し考えた後、真っ先に思いついた疑問を口にした。
「俺はどうなったんだ? そもそも、ここはどこだ?」
魔物の群れと戦った時を最後に、記憶がなかった。
覚えているのは、突然に自分がこの"元の姿"に戻されて、思い出したくもない記憶を繰り返していたことだけだ。
「あの魔物の大群は、何とかなったのか?」
「大丈夫です。みんな無事ですよ。あなたが戻ってくるのを待ってます」
「そうか……よかった」
尋ねられた純連は、わずかに視線を落とす。僅かに言いよどんだことにも気づかずに、安堵の息を溢した。
しかし、本当に聞きたいのはここからだ。純連もそのことが分かっているのか、僅かに裾を握って身構えた。
お互いに気まずい雰囲気が流れる。
大和は、勇気を出して尋ねた。
「やっぱり、見たんだよな」
「はい」
即答された。
「……どのくらい見たんだ?」
「全部だと思います」
その返答を聞いた大和は、顔を抑える。
全部。
それは、大和が見えられていた"現実"の光景を、全て見られていたことを意味する。
「何度も、あまり良くない記憶を繰り返していたのを見ました」
「…………」
「やっぱりあれは全部、大和さんの……?」
「ああ、そうだよ。間違いなく俺の記憶だ」
情けない声で認めた。
かつての職場で怒鳴られ、一人ぼっちで部屋で過ごしていた。
良いことなんて何もなかった。
心が折れかけていた日々。
どの記憶も本物で、繰り返される地獄の日々に、狂いそうになっていた。
最初に顔を伏せていたのは、その余韻が表情に残っていたからだ。
「秘密にしてたことは、全部、ばれちゃったんだな」
「……はい」
神妙な表情で頷いた。
さっきまで無事を喜んでくれていた少女は、不安げな様子に変わった。
「純連の"絵"が、純連と同じ声で、知らないことを喋っていました」
到底、受け入れがたい光景だった。
自分や友人が、ただのイラストとして数多く描かれた、スマートフォンのアプリ画面があった。大和はそのゲームを遊んでいた。
それがどういうことなのか。半ば理解しかけていて、でも信じられないという顔だ。
「あれは、一体何なんですか……?」
「想像している通りで合っているよ」
大和は、観念したように肩を落として、真相を語る。
「じゃあ、もしかして……」
「ああ。俺にとって、この世界はゲームの中で、みんなはその登場人物だったんだ」
まともに顔を見ないまま、正直に答えた。
一生の別れを告げているみたいな気持ちになって、胸がしめつけられる。
一体どんな顔をして向かい合えばいいのだろう。
こんな形で言いたくはなかった。
だがこれは、今まで逃げ続けてきたツケだと、我慢した。
「……そう、ですか」
純連もショックを隠しきれず、視線を落としてうつむいた。
すぐに信じられるような内容ではないはずだが、純連は、事実を受け入れた。
声色は明らかに沈んだ。
「大和さんは、こことは違う世界にいた人だったんですね」
「そうだ」
心臓が絞られたような痛みが走った。
大好きだったはずの少女の声も、今は、緩やかに苦しむように調合された毒のように、心をしめあげる。
「あなたは、純連のことをゲームで好きになったんですね」
「……そうだ」
確かめてくる一つ一つに答えていく。
どれも大和にとって、知られたくない事実ばかりだった。
どういうわけかうまくいっていた、純連との関係も、これで終わりだろう。
「それなら聞かせてください」
「ああ」
「あなたにとって、純連は、"ゲームの中の人"ですか?」
「えっ……?」
その問いかけは、まったく予想していないものだった。
顔を上げると、純連は唇を結んでいた。涙は溜めているものの、弱々しい少女のような雰囲気ではない。
赤い顔は、感情が爆発する前触れだ。
「え、ええと、すみちゃん?」
「純連が泣き出してしまう前に、早く答えてください! お願いします!」
「な、泣くって……」
目尻に涙を溜めて、睨みながら大和に要求してくる。
「俺にとって、君は……」
――答えは、イエスだ。
八咫純連はゲームの登場人物である。
そう言おうとした。だが、喉まで出かかったのは、声にならない音だけだ。
「……違う」
そうじゃない。
口が勝手に否定した。
ここで頷くことを心底拒んでいた。
大和はかたくなに、首を横に振った。
「すみちゃんは、違うんだ」
考えるまでもない。『魔法少女・八咫純連』は、ソーシャルゲームの登場人物でしかありえない。そのはずなのに。
「ゲームのキャラだけど、違う。違うんだ!」
問いかけに頷きたくなかった。
なぜ言葉が出てこないのか、自分でも分からない。しかし自分が言おうとしたことが、無性に怖くなって、否定してしまった。
認められない。
そう、認めたくないんだ。
理由は自分でも分からないけど、だめなんだ。
「えっ」
つんと、胸に何かが当たって、思考が中断する。
「す、すみちゃん……?」
警戒もせず、純連は今までと同じようにそばに近づいてきた。
大人になった大和の胸の上に手を当てる。
「純連は、"ゲームの中の人"じゃありません」
さっきまでの感情の爆発が嘘のような、静かな声だった。
しかし落ち着いているわけではない。
肩が僅かに震えていることに気がついた。
「純連も、大和さんが、"ゲームの外の人"じゃないって思います」
声は震えていて、普段の自信は伝わってこない。
「この世界で、みんな生きています。絶対に、作り物なんかじゃありません」
「…………」
すがってくるような視線だ。
大和にも、それを認めてほしい。顔にはそう書いてあった。
「それともやっぱり、目の前にいる純連のことを……ゲームのキャラクターだと思いますか?」
「…………」
言葉を整理するのには、数秒の時間が必要だった。
答えを探る。
そして、時間をかけて探し当てた。
自分の中で結論づけた本心を告げた。
「同じところはある。見た目とか、魔法とか。でも、同じじゃないと思う」
「……そうですか」
すると、大和の胸のあたりに顔を押し付けてくる。
嫌われると思ったのに、むしろ安心したような雰囲気を漂わせていた。
「そう思ってくれているんですね」
もとの大人の姿に戻ってしまったためか、普段よりも純連の体が小さく感じた。
本当は、このくらいの身長差があったんだなと、ぼんやり考えた。
「なら、このことは、これで納得することにします」
「それでいいのか……?」
やがて、純連は顔を触れさせたまま言った。
ずっと言えなかった秘密を、あっさりと受け入れたことに、思わず聞き返してしまう。抱きついてきた純連は動きを止めた。
「いいなんて、思っていないですよ」
聞いたこともない、重い声だ。
大和は、ぞくっと背筋を震わせた。
「ここが知らない人が作ったゲームの世界で、自分が人気のないキャラクターだったと知ってしまって……落ち込みました」
「…………」
当然だと思った。
そんなふうに扱われているなんて、あまりに悲しすぎる。大和もずっとそのことで運営に憤ってきた。
純連は、また予想外のことを言った。
「ですが、それも、今はもういいです。置いておきましょう」
「え、置いておいていい話なのか……?」
「それより純連は、もっと言いたいことがあるんです」
わなわなと震えている。
大和から体を離して距離をとった。そして袴を回して振り返る。その表情が、怒りと情けなさ。そして疑念に染まっていた。
「大和さんのことが、理解できません!!」
「え……」
大声で叫んだ。
「どうして大した役も貰っていない純連に、あそこまでのめり込んだのですか!?」
「え、えっ、え」
大和は言葉を失った。
「他にも色んな可愛い子がいるのに。現実に触れ合えるわけでも、ちゃんとお話ができるわけでもないのに。純連を選ぶなんて、変です!」
「それは、その……」
戸惑う様子を見ても、濁流のように言葉が止まらない。純連の本心が露呈していく。
「純連はずっと、どうしてこんなに気にかけてもらえるのかを考えて、夜も眠れなかったんですよ! 悩んでいた時間を返してください!!」
そんなことを言われても、と言いそうになった。
しかし何も言えない。
「ちゃんと分かりました! 大和さんの気持ちも伝わってきました!! ですが、そんな理由を思いつくなんて無理ですよっ!」
感情を爆発させた意味を理解した。
その怒りは、当然のものだ。
大和がずっと惚れていたのは
大切に想ってくれていることを知って、それで好きになったのに、理由が自分とは無縁なものだったのだ。弄ばれたと思われても仕方がない。
「大和さんっ!!」
「は、はい!」
全てを受け入れる覚悟で、背筋を正した。
そんな大和の顎に、びしっと指を向けてくる。
「ゲームはゲーム、現実は現実! 純連も大和さんも、いまはこの世界に生きています! そうですよねッ!」
「え……」
「違うんですかっ!?」
「いや、それはそうなんだけど……」
一体、この少女は自分に何を伝えようとしているのか。
息を切らした純連は、ようやく言った。
「ならっ、それならっ……!」
息を溢れさせる魔法少女の目尻には、溢れんばかりの涙が滲んでいた。
「純連は、大和さんを、今までみたいにっ、信じてもいいんですか……?」
自分が大切に思っている相手は、
息をすることを忘れた。
純連は、ふらついて膝から崩れ落ちる。
涙が頬を滑って、底の見えない闇の中に滴り落ちた。
「純連は、大和さんがどんな人でもいいです。どんな姿でも、お爺ちゃんでも、なんでもいいんです」
視線を決して外そうとしてこない。
言葉を失った大和を、見上げている。
「あなたがいなくなったら、純連は、どうしていいかわからないんです」
消えてしまいそうな、弱々しい声だ。
もう大和は欠かせない存在だった。
それなのに、相手は自分のことを見ていない。よく似た誰かが好きなのかもしれないと知って、絶望しかけている。
「……あなたを、信じてもいいんですか?」
八咫純連は、鳥居大和にすがっていた。
さっきまでの激情が嘘のように、静寂が戻った。
大和は、自分が呼吸を止めていたことに気がついて、首を抑える。このまま自分を絞め殺したいと思うほどに、苛立っていた。
(俺は、今まで何をやっていたんだ)
本当のことを話すべきだと言い続けていたのに。そうしなかったせいで、大切に思っていた相手を、こんなにも苦しめてしまった。
(すみちゃんが確かめてくるのも、当たり前じゃないか)
この世界は現実ではないからと、現実ではやらないような無謀なことをし続けてきた。
危険地帯だと知っていながら、大好きだったキャラクターに会いに行った。
慣れない武器を持って、魔物と戦いに出た。
無謀にも、ゲームの知識を披露した。
それは、どんなに違うと思っていても、心の奥底で、この世界がゲームの中だと舐めるような気持ちがあった証だ。
目の前に立っている少女は、大好きだったゲームの登場人物ではない。
超常の力を操る力を持っている、明るい性格の女の子というのは変わらない。
しかし、一人の人間なのだ。
そのことを、分かっていなかった。
(怒られて当たり前だ)
自分はゲームの中の人じゃないし、大和はゲームの外の人ではない。さっき純連が言った言葉が、ようやく腑に落ちた。
「……すみちゃん、ごめん」
うつむきながら言ったので、焦がれていた魔法少女の表情は伺えなかった。
だが、感情が動いたことは伝わってくる。
「俺、ずっと分かってなかった。すみちゃんや、みんなのことを、ゲームと重ねて知った気になっていたんだ」
三年間もゲームをプレイしていたのだ。
そうするなという方が難しい話だ。
しかしそれが誤解だと気付くチャンスは、いくらでもあった。
それなのに気付けなかった。
大和は純連を、”自分を救ってくれた架空の人物”として扱った。
純連は大和を、"自分を救ってくれた友達"だと思っている。
想いがすれ違うのは、当たり前だ。
「今は、純連のことを、どう思っているんですか」
耐えきれずに尋ねてくる。
大和は、顔を上げずに答えた。
「すみちゃんは、ゲームの中の人じゃない。大切な人だ……でも」
息を飲んだような音が聞こえた。
溜めた大和も、胸の内から出た、最後の懸念を口にする。
「今も、本当は……一緒にいるのはダメなんじゃないかって思ってる」
「それは、どうして……?」
「……ズルをしているみたいに思えるんだ」
純連にとっては、予想していたどんな答えとも違っていたのだろう。目を丸くした。
どんなに焦がれても、友達になるどころか、出会うはずがなかった相手だ。
他にも美少女キャラクターと出会いたいと願っているユーザーはいたはずなのに、大和だけが現実を置いて、この世界に来てしまった。
心のどこかで、そのことへの後ろめたさを感じていた。
「それだけ、ですか?」
「うん……」
「それなら、そう思うのは当然です」
大和は顔を上げて、目の前の相手と視線を合わせた。
「いいんじゃないですか。ここにいるんですから」
「こんなに可愛らしい美少女に好かれているのですから。合わせて一生分の幸運を使ったんですよ、きっと」
大和は、呆気にとられた。
にやっと笑って親指を立てる。
「そんな理由なら心配しないでください。幸せになるのは、いいことなんですから」
胸の中で、何かがほどけていく感覚があった。
ずっと重石になっていたものが外れて、心が羽のように軽くなる。
(一緒にいてもいいのか……?)
受け入れてくれた。
嬉しくなって、今までの辛かったことを全部忘れたみたいな気持ちになる。
苦笑うような微笑みが、自然にこぼれた。
「それ自分で言うのか」
「はい。宝くじに当たったと思って、死ぬまで喜んでください」
自分に思わぬ価値があると知ってしまった少女は、それを盾に取って、誇らしげに強がってみせた。
二人は初めて、本音で語りあった。
「すみちゃん」
「なんでしょう、大和さん」
「ずっと、本当のことを言えなくてごめん」
「特別に許してあげましょう!」
大和も、純連も。
晴れやかな笑顔を浮かべていた。
心を黒く蝕んできたものが、消えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます