第55話 八咫純連と鳥居大和 前編
純連にとって、大和はとても不思議な人だった。
同じ気弱な性格なのに、いつも自分を気にかけて、助けてくれる優しさがある。
何度も励まされたおかげで、純連はなりたい自分になれたと、そんなふうに感じていた。
だが、感謝しきれないほどの恩を感じているのに、彼は、他の誰よりも自分に対する自信を持っていない。
なぜそこまで自分を嫌っているのか、純連には分からなかった。
大和と出会ってから、しばらく経った頃のことを思い出した。
純連は、琴海の薦めもあって、正式に魔法少女として登録することになった。
そのときに呼び出されたのは、職員室をそのまま代用した、立ち入り禁止の国家機密エリア。招かれた部屋は、重厚な木材で作られた元・校長室だ。
そこで一人の女性と向かい合っていた。
『ひとまず、これで本日進められる手続きは終了です』
『は、はいっ……』
あまりに特別過ぎる待遇に、純連は汗をだらだらと流し、膝の上で拳を作って緊張しまくっていた。
担当となったのは、黒スーツの女性。
胸のネームプレートには『篠井瑞穂』と書かれている。
彼女はクラン関係の書類を手に持ちながら、純連に言った。
『私は以前、こちらの彼を担当していたことがあります』
それまでは乾いたような返事ばかり返していた純連は、顔をあげた。
『えっ、それは本当ですか……?』
『ええ。そのときは、候補者として、契約のため会いにいったまでなので、今の八咫さんほどの繋がりはありませんでしたが』
親しい友人の話になったおかげで、純連の緊張が少しだけほどけた。
クランの設立にあたっての書類には、シリウスのほかに純連と大和の名前も記されている。篠井もそういった事情から、二人には注目していた。
『魔法少女シリウスとともに、お二人も討伐活動に参加されるのですね』
『はい。昨日もいっぱい戦ってきました!』
『昨日? まだ八咫さんは、正式な魔法少女の許可は降りていないはずですが』
『……ことちゃんが戦っているのを見ていました』
しらーっ、と視線を逸らして、下手くそに誤魔化した。
少しの間、空白の時間が流れた。
しかし、篠井は特に追及はせず、クランの詳細が書かれた書類を机に置いた。
『これからの話ですが、八咫さんに伝えておくことがあります』
『何でしょうか?』
『"魔法少女の進化"についての話です』
篠井が話を変えたことを察して、純連はさっと姿勢を正した。
『八咫さんに、伝えておきたいことがあります』
『何でしょうか』
『学園で、どこからか"進化"についての噂が漏れて、出回っているようなんです』
『えっそうなのですか!?』
その反応を見た篠井は、指先で眼鏡を持ち上げた。
『ええ、すでに大勢の人の興味を引いているようで、学園中に知られていて、掲示板もアクセスが集中しています』
『みんな秘密にしているはずなのですが……』
『詳細な情報は漏れていません。真偽にばらつきが大きく、信憑性もなく、どれも誰かの又聞きといった程度。現在の段階では支障はないと判断しています』
よかったと、純連ははぁっと息を吐いた。
『ですが、あなたも彼も、今後はよりいっそう注意深くなるべきでしょう』
『どういうことですか?』
首を傾げる、よくわかっていない純連に、現実を突きつける。
『この件が発表されれば、あなた方は、普通の生活はできなくなります。そのことは理解していますか?』
『ふぁっ!?』
目を丸くして声をあげた純連は、一瞬前のめりになった。
『そ、それはどういう……?』
『シリウス、いえ。七夕さんの友人であるあなたなら、話は聞いているのではないですか?』
『ことちゃんですか……?』
かろうじて両手で身体を支えつつ、思い出した。
『彼女は、この街の英雄です。もしも"シリウス"の姿で学園に訪れたらどうなるのか、想像してみてください』
言われた通り、思い浮かべてみた。
魔法少女シリウスは、この地域では最も名高い魔法少女だ。
単に忙しいからという理由もあるが、正体が暴かれるリスクを極力避けるために、授業を一緒に受けていない。さまざまな面で、純連とは異なる生活を送っている。
『……とても、大変なことになると思います』
もし彼女が学園に来たら、どうなるのか。
そして正体が暴かれたときに何が起こるのか。
純連も、最初は正体が親友だと知らずに、魔法少女シリウスに憧れていた一人だ。そして同じ魔法少女として、ずっと一緒に過ごしてきた。
想像できないわけがなかった。
『研究成果が発表されれば、あなたの名前は出さざるを得なくなります。一般には公開されなくても、研究者の間では共有されます。どこかで名前は漏れてしまうことは、想定しておくべきでしょう』
篠井の冷静な言葉に対して、純連は緊張するみたいに自分の手を見つめた。
いまの純連の立場は、魔法少女の新たな可能性、"進化"の第一人者だ。
たとえ国から大々的に発表されなくても、各国の魔物対策のために、全世界に論文は共有される。そこには純連のデータが載っている。その魔法少女が誰なのか、いずれは分かってしまうだろう。
国で管理しきれない以上、純連の情報を隠しきることは難しい。
震える自分の手を見つめた。
『テレビとかに出てしまうのでしょうか……』
『国として可能な限り守りますが、報道陣が来れば、あるいは』
『も、もしかして、インタビューの原稿を用意しておいたほうがいいでしょうか』
その返答に、篠井は一気に気が抜けて、額を抑えた。
『……そういうことではありませんが、まあ、用意しておくに越したことはないですね』
この場に大和がいれば、純連らしい答えだと苦笑しただろう。
気の抜けるような回答だったが、純連は決して怯えていないわけではなかった。
(思ったよりも、大変なことになってしまいました……)
だらだらと汗が流れる。
趣味で動画投稿をはじめたら、いきなり登録者数百万人超えの大人気配信者になってしまったような気分だ。
軽い言葉とは裏腹に、プレッシャーばかりが重くのしかかる。
自分が、街の英雄である親友と同じになるなんて、思ってみなかった。
そのことに篠井も気付いたのか、あとからフォローした。
『無論、こちらで八咫さんの身元は全力で保護しますし、契約の通り、生涯の生活を保証します』
『…………』
『ですが、それでも、何が起こるかはわかりません。気をつけるに越したことはないんです』
膝の上で握った拳に、自然と力が入る。
『余計な誤解や行き違いを避けるために、こちらで公式な発表をするまでは、漏洩は絶対に避けてください』
『はい……』
目がぐるぐるに回って、息が苦しすぎて、一瞬吐きそうになった。
全世界で初めて、魔法の深淵に踏み込んだ魔法少女の気は、意外に弱かった。
(純連に、そんな大役がつとまるのでしょうか)
普段はいくら強がっていても、身の丈は、自分自身がよく知っている。
これが親友で、英雄の魔法少女シリウスならなんの問題もなかった。トップクラン"天橋立"なら、皆から歓迎されただろう。
しかし純連は、"何かを成し遂げたことのある"、魔法少女ではない。
無名で、なんの実績もない。
そんな魔法少女が、運がよかったという理由だけで先んじるのだ。
嫉妬どころか、恨みだって買うかもしれない。
それが恐ろしかった。
『ですから八咫さん。何か問題があれば、すぐに連絡をください』
『……わかりました』
絞り出すように返事をするしかなかった。
テーブルに出された緑茶はとっくに冷めていて、湯気はなくなっていた。
あの日からずいぶん経って、純連も魔法少女として、想像以上に大きく成長した。
そして日を追うごとに、いつも大和のことを考えるようになった。
純連は、人の機敏に鈍感だ。
いつも空気を読み違えたせいで友達はできず、たくさん間違えた。しかしそれでも、大和が自分を気にかけてくれることには気付いていた。
自分はそれほどの容姿ではないし、性格も好かれる方ではない。
下心は、ほんのちょっとしか感じない。
ただ純粋に、自分のことを好いていることに気付いたのは、もう随分前の話のようだ。
『絶対、胸を張って戦えるようになる。だから頑張ろう!』
超えられないと思っていた壁を前に、もっと先に進めると言って、背中を押してくれた。
あの日にきっと、自分に足りなかったピースが埋まった。
あれから、目指したかった場所を目指せるように、前に踏み出せるようになったのだ。
いつからか、一緒にいることが心地良いと思うようになり、心の中に温かい想いが募った。
自分だけを見てくれるのが嬉しくて、胸に手を当てて考えると、そのたびに幸せな気持ちになれた。
でも、想いに比例するように、深く考えるようになった。
(どうして、そんなにも、純連のことを見てくれるのですか……?)
ちゃんと知りたいと思った。
しかし、なかなか勇気が出なかった。
もし勇気を出してしまったら、今の関係が壊れてしまいそうだったから、踏み出せなかった。
しかし親の仇だった魔物から、自分を命懸けで守ろうとしてくれた時。
自分は大怪我を負って死にかけたはずなのに、それでも心配ないと言い張って、支えてくれた。
そのときの笑顔を見て、純連の覚悟は決まったのだ。
――自分が一歩を踏み出さないと、このままずっと、何も変わらない。
だから、いつか、全部を教えてほしいと、口に出して伝えた。
その問いに大和は答えなかった。
でもこの人なら、いつか話してくれると、純連は信じていた。もし話したくないと言われても、それでもよかった。
でも今は違う。
その答えを聞けないまま、いなくなってしまうかもしれない。
(純連はまだ、あなたのことを、何も知らないんです)
魔物に変えられて、消えてしまう。
それは、純連には耐えがたいことだった。
ビルの高所に、冷たい風が吹く。
巫女服に似た衣装と伸ばした髪を、ゆらゆらとはためかせる。
屋上から、真っ直ぐに続く道を見下ろした純連の身体が青く輝いているのは、自分にかけた防御の魔法によるものだ。
眼下では、今も暴力的な破壊が行われていた。
汚泥の巨人は、建物をなぎ倒しながら、街の方へと真っ直ぐに進んでくる。
このままでは純連の立っているビルに衝突するだろう。
「純連……」
背後のシリウスが、心配そうに名前を呼んだ。
行く末を見届けるため、他の魔法少女達も、純連のそばに集まっていた。
この先に待っているのは、命さえ落としかねない、耐えがたい苦痛だと、全員が知っている。
しかし、振り返った純連の姿勢は、普段と何も変わらない。
「では、いってきます」
魔法少女達は、言葉を発しなかった。
直前に止めようと思った言葉も、全部引っ込んだ。
汚泥の巨人が蠢いている。
その先に目を向けた純連は、思い切って、駆け出した。
「うおああああっ!!」
屋上の地面を蹴り、飛び出した。
絶叫をあげながら、自殺とは比較にならないほど前向きな感情を持って、高層ビルから身を投じて飛び降りた。
「純連!」
「純連ちゃん……!」
魔法少女達は、追いかけるように、慌てて全員が見下ろしにいく。
純連は、落下しているときさえ、魔物から視線を外そうとしなかった。
腕を伸ばして、膝を引きずりながら進んでいた巨人も、大声をあげて落ちてくる存在に気づいて顔をあげる。
呼応するように、唸り声をあげた。
(あなたを、絶対に、純連が取り戻します――)
少女の絶叫と怪物の音が、奇妙な音色を奏でたあと。
小さな身体は、どぼんと泥の口に沈んだ。
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