第54話 邪悪な魔物と魔法少女の決断


 大和は、黒い泥に包まれた世界の中で蹲っていた。

 周囲には誰もいないはずなのに、耳に染み付いた嫌いな声が、何度も繰り返される。

 


 ――無能のお前が、どうして役に立てているなんて、勘違いができるんだ。お前は、何の役に立たない無能だよ。


 ――あ、鳥居さん。すいません。この仕事やっといてくれませんか……やー、ありがとうございます。じゃ、ちょっと今日は遊ぶ用事あるんで。


 ――あーまたやったんすか? こんなの自分でもやらないッスよ。部長の言う通り、注意力が足りないんじゃないですか?

 


 大和は、仕事以外になんの価値もない人間だった。


 日々を生きる日銭を稼ぐだけの人生だ。

 やりたいことも、生きる目的もない。


 いつからこんな風になってしまったのか分からないが、そこから抜け出すことができなくなってしまっていた。 


 大和を見る人間の視線は、全て冷淡なものばかりだった。仕事上の付き合いしてこなかったから、当然だと思う。

 そんな環境の中に居続けて、少しづつ心が死んでいった。




 生きている意味なんて何もない。

 死にたいと、そう思ったことは何度もあった。

 

 そんな大和を引き留めてくれた偶像キャラクターがいた。

 だが、そのひとには、もう二度と頼ることができない。

 



『あなたが"誰"なのか、いつか、純連に教えてくださいね』


 自分を救ってくれた人の大好きだった笑顔も、愛らしい声も、仕草も。

 今の大和の心には、棘のように突き刺さるだけだ。


「違う。俺は、そんな人間じゃない……」


 大和は、深く頭を抱えた。

 自分にとって純連は最高の相手だ。

 しかし純連にとって自分は、きっと最低の相手だろう。


 嘘をつき続けて、秘密を打ち明けることもできない。

 年齢も、容姿も、人間としての価値も、何もかもが釣り合わない。

 

 それでも好いてくれるのは、本来の姿――情けない『鳥居大和』を知らないからだ。

 



 大和を責める声は、どれも本来の姿を見せつけてくるようなものだった。

 体育座りのように膝の中に顔を伏せる。

 

 失望されるのが怖い。

 純連に、自分の情けないところが知られてしまって、見限られてしまうことが恐ろしかった。

 こんなことになるなら、画面の前で恋心を抱き続けるだけでよかった。


『俺は、バカだ……』


 どうして、さっさと打ち明けてしまわなかったのだろう。

 嘘をついてまで一緒にしようとしたのだろう。

 自分なんかと一緒にいてくれるはずがないし、物語をめちゃくちゃにした以上、顔向けなんてできない。


 現実に帰りたくない。

 だが、この世界の居場所さえなくした大和は、一人で咽び泣くことしかできなかった。

 





 




 宿主の負のエネルギーを吸い上げ続ける巨人は、完全に元の巨体を取り戻した。


 ビルよりも大きな体躯に膨らんだ体で、足を引きずりながら再び前に進む。

 街をボロボロに劣化させ続けながら、街を目指していた。攻撃を仕掛けてきた魔法少女のことは、忘れたみたいだった。

 だが暴虐的な相手に、魔法少女達のチームは、なす術を失った。


「光ちゃん、回復するね……」

「ありがとう……」


 今は全員、ビルの影に隠れて、体力を回復させている。

 彼女達の雰囲気は、ほとんど死んでいた。

 半ば諦めかけていた。

 ただ一人だけ、目が生きていた。


「純連に、やらせてください……!」

「……だめだ」

 

 小さな巫女姿の魔法少女に、歯切れの悪い答えを返すのは、リーダーの緑だ。


「泥のダメージは身をもって体験した。今となっては、危険すぎる」

「ですがっ、あの中から直接連れ出すほかに、なんとかする方法はあるんですかっ!?」

 

 純連は、自分の提案した作戦の遂行を主張した。


 それは泥の中から仲間を引っ張り出すという、単純な提案だった。

 確かにそれならば全員ができると、納得ができた。道具を壊して、引っ張り出せば、とりあえず手出しは可能になるだろう。


 しかし、それは防御魔法が有効に機能すること。そして生きて泥の中から帰ってこられることが前提だ。


 あの泥が、防御魔法を貫通して苦痛を与えてくると知った今となっては不可能だ。

 だが、そう言っているのに、純連は言うことを聞かなかった。


「純連は絶対にやりとげてみせます! どうか、お願いします……!」


 自信があった。

 そして、絶対にやらなければいけないという、焦燥に駆られていた。あの得体の知れない泥に包まれた魔物に飛び込むことは、怖くなかった。


 もちろん緑は、首を縦には振らない。


「あの痛みは、到底耐えられるものじゃない。僕はあの程度で済んだけれど、あれを直接に浴びたらどうなるか……」

「そんなの、どうとでもなります! 純連をなめないでください!」

「仮に耐えられたとしても無理だ」

 

 緑はキッパリと言い放つ。


「本体には防御の魔法がかかっている。あれがある限り、彼には近づけない。その作戦は、成り立たないんだ」

「っ……」


 その否定に反論できず、言葉を失った。

 主張し続けてきた策はもう破綻していた。



 緑に膝をつかせるほどの苦痛を全身に浴びた上で、耐えなければならない。

 シリウスの一撃を弾くほどの敵の防御魔法がある限り、触れることができない。


 純連は、それを破る術を持っていない。



「ですが……っ」

「残念だけれど、僕たちにもうできることはない」


 必死になっていた純連も、もはや反論することができなかった。

 すると、外から戻ってきた光が報告する。


「やっぱり、あれは、街に向かっているみたい」

「……そうか」


 外の様子を伝えた光の言葉に、緑は覚悟を決めたみたいだった。

 ポケットからスマートフォンを取り出して、集っているみんなに見せた。


「街の魔法少女を召集して、あれを迎撃する」


 それは正真正銘、残された最後の手段だ。

 緑の苦しそうな言葉に、"天橋立"の面々が反論なく、視線を逸らした。純連が絶望した。



 今集まっている他にも、魔法少女はいる。

 その全員を召集して力を合わせれば、倒し切ることができるかもしれない。


 だが、その時点で救出はできなくなる。

 自分たちの本気でも勝利できない魔物、手加減なんてできるはずがないのだから。



「強力な魔物が現れたことはもう報告している。招集の用意も整っているはずだ。電話さえすれば、それで動き始めてくれる」


 巨人が出現した時点で、最悪の事態を想定した行動は終えていた。

 街の方では、非常事態が通達されている。

 今頃は多くの人間が動いているだろう。

 あとは、決断するだけだ。


 純連は、骨が軋むまで拳を握り締めて、歯噛みした。

 その判断が正しいことは分かっている。

 だから反論ができなかった。


「いや、です」


 絞った本心は、もう誰にも届かない。

 命のような時間が、刻一刻と過ぎ去っている。

 もはや"彼"の命を助ける道はなかった。


「じゃあ、連絡するよ」


 緑が持っているスマートフォンは特別製で、国家に直接通話をつなげることができる。

 ボタンは一押しで、一報を入れれば、それで決まる。





「待ちなさい」


 静かな声が指先を留める。

 全員の視線が、それまで黙っていたシリウスに集まった。

 

「まだ、一つだけ手は残っています」

「えっ……」


 純連が、幼なじみの言葉に、吐息を溢した。


「シリウスちゃんには、あれを止める手があるの?」


 コレットが、気まずそうに尋ねる。

 するとシリウスは、ポケットの中から何かを取り出して、指先でつまんで掲げてみせた。

 それが何なのかは、すぐに分かった。


「これは……さっき倒した魔物の羽?」


 大量に倒した、烏の魔物の残骸だ。

 ほとんど全員、シリウスが何を言いたいのかわからないようだった。


「ことちゃん……!?」


 しかし純連はいちはやく全てを察して、息を呑んだ。

 同じクランの純連は、"それ"が特別な意味を持つことを、大和から聞いて・・・・・・・知っている。


 連鎖するように気づいたコレットも、叫んだ。

 

「シリウスちゃん、もしかして……」



 魔物の死骸は、普通は廃棄物でしかない。

 本来であれば集めるどころか、触れようとする者はいないだろう。


 しかしこの場にいる魔法少女は、それに秘められた可能性を知っている。

 この状況で彼女がそれを持ってきたのだ。

 理由は一つしか思い当たらなかった。

 

「"進化"したのっ……!?」


 シリウスは目を瞑って、鞘に収めた剣の柄を親指でいじった。

 魔法少女シリウスの衣装が僅かに変化していることに気づいたのは、彼女が一番早かった。

 ミニスカートの洋装のデザインがわずかに違っている。そして他にも変化はあった。


「すでに新たな力がわたしにも宿りました」


 全員が息を呑む中で、シリウスは剣を抜いてみせた。


 銀色だった刃の色が、湖面のように淡く輝く水色に変化している。

 純連の時にはなかった大きな変化だ。

 全員、言葉を失った。



 先の戦場は、綺麗に片付いていた。

 夜桜光の一撃で、戦場に山ほど落とした魔物のドロップ品は、今はほとんど消えている。

 全て、シリウスに光となって吸収された。



 シリウスは、そのまま剣を鞘に収めた。


「ですが新たに得たこの力は、一人では意味を為しません」

「どういう意味だい……?」


 緑が慎重に尋ねた。

 それに対して、シリウスが『新たに得た魔法』の詳細をチームに伝えた。

 進化した瞬間、”天啓”のように理解した新たな魔法の効果を噛み砕いて言葉にする。

 魔法は、今の状況を打ち破るものだった。


「純連。あなたが、作戦の要です」


 魔法少女シリウスの進化は、あり得なかった可能性をもたらした。

 純連は、思わずシリウスに近づいた。


「新たな魔法をあなたにかければ、魔法の壁を突破することができます」

「純連が……」


 大和から素材を教わっていなければ、たどり着けなかった未来だ。


 そしてシリウスは一番の親友に手を伸ばす。

 急に、握手を求めるみたいな仕草で求められたことに、純連は目を丸くした。


「あなたの作戦が失敗すれば、彼を救う手段は失われるでしょう。成功しても、あなたは大きなダメージを負うことは間違いない」

「…………」


 純連は、目の前に差し出された手を、息をするのも忘れたように見ていた。

 今必要な力が、渡されようとしている。


「それでもやるというのなら、あなたが決断して」


 唾を飲んで、息を止める。

 これが最後のチャンスだと、理解したのだ。

 純連は、この場のリーダーである緑の様子を伺った。


「……残念だが。予定通り、迎撃の用意は整えてもらう。これは変わらない」

「緑くんっ!?」


 緑はうつむきながら告げた。コレットが叫んだが、光が手で制した。

 まだ、言葉には続きがある。

 顔を上げて真正面から視線を合わせた。


「だが君がやるというのなら、少しだけ待ってもらえるように頼み込もう」

「本当、ですか?」

「ああ。僅かかもしれないが、時間は取ってみせる。それで構わないね」


 そのリーダーの判断に、コレットもシリウスも、何も言わなかった。


「……はぁぁーっ!!」


 純連は息を大きく吸って、思い切り声を出しながら吐き出した。

 一瞬だけ肩の力を抜いて、そして。

 

 進化を経た、剣の魔法少女と向かい合う。

 伸ばされた親友の手。

 それを、真っ直ぐに掴んだ。

 救う覚悟はとっくに決まっている。


「ことちゃん、力を貸してください」


 あとは、自分がやりとげるだけだ。

 純連は一度も見せたことのない、決意の表情を浮かべていた。

 シリウスの表情が揺らいだが、しかしすぐにうなずいた。


「純連。必ず、二人で帰ってきなさい」

「はい。純連は必ず、あの人を救い出して戻ってみせます」


 強い返事を聞いたシリウスは、新たに得た『魔法』を発動させた。


 彗星のように、美しい光に包まれる。

 流れ込んでくる魔法の力は、盾の魔法少女を強化して、未来を拓く力をもたらした。





 ――純連には、叶えたい願いがあった。




(まだ、あなたのことが、たくさん知りたいんです)

 

 想いが募る胸に片手を当てた。心臓がとくとくと、脈打っている。

 こんなところで別れるなんて、絶対に嫌だ。

 自分を救い出してくれた人を助けるためなら、命だって賭けられた。



 もう両親を殺した魔物クイーン・スライムに怯えていた頃の、かつての自分とは違う。


 今から、あの時よりも強大な魔物を相手取ることも分かっている。


 下手をすると死んでしまうかもしれない。

 しかし、手を伸ばさない後悔のほうがよほど怖いことを、純連は誰よりもよく知っている。

 心の中にある柱が、恐怖を寄せ付けない。


「純連ちゃん、本当にやるの?」

「はい。このお仕事は、魔法少女すみちゃんにしか、できませんから」


 コレットのほうに、無邪気にも見える笑顔を浮かべた。


 シリウスの授けてくれる魔法の光が消えても、一度抱いた想いは消えない。

 巨大で悍しい魔物に変えられてしまった"友達"のほうに向かって、純連は踵を返した。


「では、いってきます」


 純連は堂々とした姿勢で、足を進めた。

 魔法少女達は、歴戦の戦いを経た緑でさえも、その迷いのない姿に呑まれた。






 八咫純連は、大勢いる魔法少女の一人ではなくなっていた。


 たった一人で過ごして、燻っていたところを救い出してくれた。

 その出来事が、弱い少女を強く変えた。

 好きな相手から受けた大きな恩を、ここで返すのだと、純連は決めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る