第47話 転移者と帰郷の憂慮


 もしも、突然この世界から弾き出されてしまったら、自分は一体どうなってしまうのだろう。


 大和は真夜中にそんな不穏な想像を巡らせて、そのたびに深く気分を落ち込ませた。


「ううう……」


 眠れないせいで、真っ暗な自室で意味のない問答を何度も繰り返してしまい、そのたびに同じ結論を出し続けた。


「無理だ。もう絶対生きていけない……」


 生きていける自信がなかった。

 本当なら、この世界にいることのほうが異常なのに、日常に帰ることが何より恐ろしくなってしまった。戻るくらいなら、ゴブリンに襲われたほうがまだマシだと断言できた。


(本当にずっと、この世界にいられないのか……?)


 心のどこかで、永遠にこの世界にいられると思っていた。


 世の中には、突然異世界にやってきて、そこで第二の人生をスタートさせるというのがコンセプトの創作が、数多く存在している。


 しかし自分は、唐突に、この世界で目覚めただけだ。

 交通事故に遭ったわけでもなければ、神様にも出会っていない。原因が分からない。

 ならば、ある日突然に夢が終わってしまっても納得できてしまう。


「誰か、助けてくれ」


 布団に顔を伏せて、嘆くように言う。

 帰りたくない。

 そう思うのに、弱気な声は天井に吸い込まれて、誰にも届かない。



(すみちゃん……助けて、くれ)


 心の支えである、少女の顔が思い浮かんだ。

 魔法少女で、憧れで、この世界に来てから友人になった八咫純連だ。


 大和はうつぶせになってスマートフォンを握った。画面の明かりがぼんやりと、情けなくなった顔を照らし出す。

 うつされたのは、いくつかの連絡先を示したチャットアプリだ。

 現実では喉から手が出るほど欲しくてやまなかった、『八咫純連』の名前と、元気いっぱい両手をあげた姿の写真がうつされた。


 友達同士で、メッセージのやりとりができる。

 しかし入力画面にまで進み、文字を打ちはじめたのに、途中で手が止まった。

 画面の明かりが消えてしまう。

 操作がなかったスマートフォンが、スリープモードに戻ったのだ。


「だめだ……」


 スマホを放り出して、今度は仰向けになり天井を見上げた。

 相談することはできない。


(きっと、どんな相談をしても、真剣に聞いてくれるんだろうけど)


 大和は苦しい時に、彼女に助けを求めて、そのたびに救われてきた。

 画面の彼女を見るだけで救われた。

 しかし今は違う。

 純連の笑顔を想像しても、苦しいだけだった。


「こんなこと、相談されたって困るだろ……」


 何と言って相談すればいいのか、わからなかった。

 そもそも全てを話すことなんてできないし、何より彼女は今、友達や家族のために、命懸けで戦っている最中なのだ。


 大和の抱えているなんて、しようもないことだ。ただの不安だ。

 そのことで不安がらせてしまったら、それこそ最悪だ。だから、流れに身を任せるほかにできることはない。


「戻りたくないなあ」


 枕の中で、涙と一緒に溢れ出た感情が、大和の偽りない本心だった。

 この世界に来て与えられた部屋は殺風景だ。パック飲料の詰まった段ボール箱のほかに、物はまったく増えていない。現実の部屋と変わらない有様になってきた。


 職場で「仕事が生きがい」だとか「やりがいを感じないのはやる気が足りないから」だとか、そんなことを言われ続けたことを思い出す。

 だが、今にして思えば、あんな場所で、今みたいな感情が持てるはずがない。


 必要としてくれる人がいて、大好きな人がいる。自分自身の"生きがい"を、この場所に感じている。

 だからきっと、こんな気持ちになるんだ。



「頼むから、俺をもう、あの世界に戻さないでくれ……」


 この世界にしがみつくように、全身でまるまった敷布団にしがみついた。

 涙声でつぶやくが、今の大和は無力だ。

 自分をこの世界に呼びつけた"何か"に、懇願するほかなかった。









 夕方に差し掛かった頃に、魔法少女達の活動は始まる。

 クランが合同活動をはじめてから、三人の頃の活動は大きく様変わりした。



 とある建物の一角にある、会議室。

 最新式のディスプレイを兼ねたガラス机には、地域の地図が表示されていた。そこに電光ペンを滑らせつつ議論を交わすのは、主に"天橋立"メンバーの三人だ。


「第一目標はこの地点の到達。前回決めた通りに行こう」


 話し合っている内容は、ルート選定や、不測の事態が起きた時の対応など。事前に必要な、色々な事柄を決めている最中だ。


「少し強い魔物が出るエリアだけれど、今の実力ならこのくらい問題ないと思う。意見はあるかな」

「緑くん。進路はどうしようか」

「いつも通り、昨日までと同じルートでいいんじゃないかな。魔物も倒して、多少は安全になってるはずだからね」


 主に緑が中心になって、二人が色々と意見を言い合っている。

 琴海は腕組んで、大和も隅で黙っている。

 純連はぽかんと口を半開きだ。まったくついていけていない様子だった。

 

「こ、こんなにしっかりと計画を決めていくんですね……」

「さすがは、トップクランって感じだな」


 純連のつぶやきに同意した。

 無計画に街に飛び出していた大和達とは比較にならないほど、何もかもがしっかりとしていた。


 これから踏み込むのは未踏の地。

 危険度は段違いであり、出来る限りの準備をしていくのは、あまりに当然のことだった。


(最初にすみちゃんに会いに行った時から、こんなに考えて決めたことってなかったよな……なんか恥ずかしいな)


 会議室に向かう最中、綿密に計画を立てることなんて頭の片隅にもなく、『どこに行くんだろう』などと考えていた。

 大和は肩身が狭くなって、縮こまった。



「うーん……昨日は問題なかったけど、ここまで進むのは早過ぎないかな?」


 するとコレットが、先に進むことに難色を示した。緑が理由を補足する。


「このエリアには、シリウスの強化に関わる魔物が出るだろう。可能な限り早く向かって、戦力を強化するべきだとも思う」

「わたしも緑くんと同じ意見。それほど無茶な挑戦じゃないと思う」

「シリウスちゃんは、そのへんどう思う?」


 全員の視線が、まだ変身してないシリウス――七夕琴海に向いた。

 彼女も議論を最初から聞いていた。意見を出す口調には、何の淀みもなかった。


「問題が起きる可能性は低いでしょう。不測の事態を考慮して、まずは境界線辺りに留めておくのが無難かと思います」

「なるほど。確かに、その辺りが妥当かな」


 緑を含め、討論に参加していた全員が、うなずいた。

 何が妥当なのかさっぱりわからないが、魔法少女としては絶妙なラインだったのだろう。さすがシリウスだと、大和も感心した。


「二人の自信はどうかな。いけそう? それとも、難しそうかな?」


 今度は夜桜光が、当人である二人に尋ねた。

 しかし戦うわけではない大和は、濁した返事を返すしかない。


「俺は、まあ……」

「純連はまだまだ大丈夫です! 強い敵と戦えるなら、望むところです!」


 対照的に、純連は意気込んでいた。

 特に純連の様子を見て大丈夫そうだと感じたのだろう。全員が頷き、話は決まった。


「よし、じゃあ今日はこの計画通りに行こう」

「おー!」

「頑張ろうね、緑くん!」


 話が定まった。

 ならば、これからいよいよ出撃だ。


 盛り上がってくるメンバー達をよそに、大和はブラインドを指で開いた。窓の外を覗くと、茜色は消え始めている。もうすぐ夜がやってくるのだ。

 向こう側の雷雲がかった空は、永夜のように街を闇に包んでいる。

 

(頑張れる、かな)


 背後から、何の迷いもなく未来を目指せる少年少女の熱量を感じていた。

 大和だけが、その輪から外れていた。

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