第41話 ■■と八咫純連の独白
秘密の話をするために純連と訪れたのは、校舎裏にあるちょっとした広場だ。
ここには、かつて運動部の部室として使われていた小さな建物が点在している。だが今は部活がないため、どこも使われていない。
人の出入りはほとんど皆無であり、機密情報を管理しているエリアからも離れているので、監視の目もない。
(よくこんな場所を知ってるな、すみちゃん……)
純連の後ろをついてきながら、感心した。
だが見上げて納得した。
ここは、いつも弁当を食べている屋上の真下だった。見下ろして気づいたのだろう。
「すみちゃん、もういいんじゃないか……?」
全く手入れされていない場所に、知らない人が来ることはないだろう。
呼びかけると、純連はぴたりと足を止めた。そうやって後ろ姿を見せたとき、再び、あの不合理な現象が引き起こされた。
「――■■さん」
やはり、名前は聞こえなかった。
不自然な現象に、大和は身構えてしまう。
いよいよ聞かれるのか。
だが純連の口から紡がれたのは、追求の言葉ではなかった。
「呼んだのは、あなたに感謝を伝えたかったからなんです」
「え……?」
予想外すぎて、戸惑った。
自分を問い詰めるような時間じゃなかったのか。
「どういうことだ……?」
「とても嬉しいんです。あなたのおかげで、夢に向かって手を伸ばせるようになりました」
純連は空に向かって、手を伸ばした。
その先には暗雲の切れ目があり、澄んだ青空が見えている。
しかし、まだその先にあるものを掴めたわけではない。空気を掴んだ手を引き戻した。
もちろん純連の"夢"は知っている。
あの街を取り戻して、あるべき姿に戻すことだ。
「それは……すみちゃんが頑張ったからだよ。強くなったのも、"天橋立"から誘われたのも、実力があったからだだ」
「いいえ、それは違います」
首を横に振って、それから大和の方を向いた。
純連は可愛らしいタイプの美少女だ。
それが自分をじっと見つめてくる。丸い蒼色の瞳に、深海のように心が引き込まれていった。
「純連は確かに、魔法少女として、ずっと強くなれました。ことちゃんと一緒に活動できるようになって、お母さんとお父さんの仇もとれました……」
あまり実感はありませんが、と付け加えて苦く笑った。
倒した後に、色々と迷惑をかけてしまったから、無理もない。申し訳ない気持ちになったが、そこはまだ本題ではない。
「ですが、成し遂げたことが全部、誰かの実力だったなんて思っていません」
「…………」
「確かに、頑張って、たくさん努力しました。ですが、あなたが来る前は、どう努力していいかも分からなかったんです。おかげで純連の未来はかなり変わったと思います」
純連は、過去の自分を思い出していた。
魔物に両親を殺された後。魔法の力を見出され、この街に戻ってこれることになった。
変身して、見つからないように街の外に出た。
そこで非合法に魔物を倒す活動をはじめたが、それが苦行のはじまりだった。
「どんなに倒しても魔物は減りませんでした……ことちゃんがあれだけ倒しても減らないんですから、今思えば当たり前ですね」
「まあ、あれはな……」
今思い出しても凄まじい思い出だ。
「それに、それ以上強い魔物は倒せませんでした。一人ぼっちだったら、今もあの日々が続いていたと思います」
そう語って、空を見上げる純連は、どこか遠い場所を見ているようだった。
「だから純連は、あなたが連れ出してくれたことに感謝するんです」
その声には、温かい感謝の熱がこもっていた。
この世界に自分が来なければどうなっていたのかと、大和は思う。
きっと、あるべき物語通りに進んでいた。
世界は確実に救われただろう。
しかし八咫純連という魔法少女は、今と同じように笑えていただろうか。
(勝手に介入した、お邪魔物なんだけどな、俺は)
余計なこと考えてしまった。
大和は、自分が来ないほうがよかったと思っている。
この街は救われていたのだ。
彼女は大成することはなかっただろうが、それでも"夢"は叶う。どんなに取り繕っても、自分は余計なことをしたに過ぎない。
「……買い被りすぎだよ、それは」
負い目がある大和は、受け取ることができない。
この世界で自分が何を為しても、関係ない。自分がいないほうがシナリオライターの描いた完璧な物語になったはずなのだから。
純連の表情から笑顔が消えて、感情の色が抜け落ちていった。
しだいに口が閉じた。そして胸に手をあてがって、前のめりになって尋ねた。
「教えてほしいことがあるんです」
少し低い身長の彼女から、うつむいて視線を逸らすのはやっかいだった。
きっと自分の秘密について聞いてくるのだろう。不安を抱いていることが大和にも伝わってくる。
きっと気付いたんだ。
それが魔法と称した嘘をついていることか、それとも、自分がこの世界の異物であることなのか。
細かいことまでは、分からないが。
「あなたは――」
一度、喉元で息を詰まらせる。
"それ"を尋ねることを躊躇ったのだろう。
しかし決意する。飲み込むことなく、はっきりと吐き出した。
「どうして純連のことを、そんなにも、気にかけてくれるのですか?」
――それは、違和感だった。
なぜ、と問いかけられた大和の中に、恐れるような感情が湧き上がる。
どんな質問にも答えられない。
そう思っていたのに、純連の問いかけは、まったく予想を外していた。
「どうして、って……」
口に出そうとして、しかしうまい言葉が出てこない。
無意識に一歩退いていた。
「あのあと、そのことをずっと考えていたんです」
あのあと、とは、昨晩の話、
大和の名前を呼べないことに気がついて、そのまま病院を別れたあとの話だろう。
純連は独りになってから、ずっと考えた。
しかし、名前を呼べない“現象"のことではない。
なぜこんな気持ちになるのか。
胸の中で疼く違和感は一体何なのだろう。
一つ一つの感情を丁寧に拾い上げて、頭の中でいろいろな物事を整理した。
そして結論にたどり着いた。
だから大和を呼んで、本心を確かめるために、二人きりになった。
「あなたが純連のことを……特別に想ってくれていることに、ようやく気付きました」
「え……」
大和は、息が止まりそうになった。
純連は真剣で、それでいてかすかに頬を赤らめている。指先でスカートを弄っている様子はあまりに可愛らしいが、今はそれどころではない。
体の中が冷え切って、嫌な鼓動が、胸の中で鳴り響いた。
「誰かに大切に思ってもらえるのは、すごく嬉しいことです。でも……」
そう前置いて、表情を一転させた。
恥ずかしさは寂しさへ。
弄っていたスカートを握りしめて、力を込めて耐えている。
とても『告白』という雰囲気ではない。
「ずっと助けられてきたのに。あなたに特別に想ってもらえる理由が、純連には分からないんです」
声は震えて、口惜しさを滲ませている。
純連は自分を責めているのだ。
そのことを知った大和は、無限の闇の中に落下していくような、気持ちの悪い感覚に包まれた。
背筋に氷水が垂れたような悪寒が走る。
言い訳が、何も思いつかなかった。
落ち着きを失っていく大和をよそに、純連は想いを語った。
「純連は、悪い魔法少女です。強いわけでも、特別に可愛いわけでもありません」
「…………」
「そんな風に想ってもらう価値なんて、ないんです」
普段の明るい姿とはまるで違う、剥き出しの感情を見せていた。
いつも距離感を気にせずに近づいてきて、楽しげな笑顔を振りまいて、励ましてくれる。明るい姿とは似ても似つかない。
これが、八咫純連の本質だった。
大和は何を聞かれても、はぐらかすか、口を閉ざして逃げるつもりだった。
純連が知りたがっている疑問の答えは持っている。だが、うまく説明することができない。
ゲームのキャラクターで、たまたま好きになった……なんて、口が裂けたって言えない。
だが、今何も言わなければ、何かが終わってしまう。
大和にはその確信があった。
「そんなこと、ないと思う」
捻り出したのは、本心の一部だった。
純連はぴくりと体を揺らして、恐る恐る、大和を見上げる。
「すみちゃんには、命を助けられた。無謀な願いだって笑顔で叶えてくれた」
何もしていないというのは、違う。
この世界に来て、冷静さを欠いた大和を救ったのは彼女だ。レベリングに付き合ってくれたのも純連だ。
結局、本質的な解決はしていないが、今生きているのは純連のおかげ。
それだけは変えられない事実だった。
「それに……すみちゃんは、その……」
「……?」
「すごく可愛いと、思ってる」
なぜ、最後に余計なことを言ってしまったのだ。大和は頭を抱えたくなった。
ゲーム画面の前で可愛いを連呼するのとは、わけがちがうのに。
相手は現実の女の子だ。
そして、その言葉を聞いた純連は目を丸くした。顔を真っ赤にして、周囲をキョロキョロと見回して人がいないことを確認して、頭から煙をあげた。
「そ、そんな風に言ってくれたのは、あなたが初めてです……」
「……ごめん」
「いえ……」
「…………」
「嬉しかった、です」
蚊の鳴くような声でかえってきた。もう、穴があったら入りたい気持ちだ。
しばらくそうしていると、やがて気を取り直した純連が先に顔をあげた。
「と、とにかく。それはありがとうございます! 追加でもう一つ、聞いても構いませんか!?」
「お、おう……」
誤魔化すつもりなのか、迫ってくる純連の声には、とにかく勢いしかない。
顔はまだ赤いままだ。
しかし息を吸って、吐いて。
冷静さを戻した。
「これは、間違っていたら言ってほしいのですが」
「うん」
「あなたとは、最初に街で出会いました。ひょっとするとあれは、偶然ではなかったのではないですか?」
核心を突くような疑問に、鼓動が強く脈打った。
「純連のことを知っていたんですか?」
「そ、それは……」
言えない。
先ほどまでであれば、そう言ってやり過ごしていただろう。
答えられない質問なのに、シャットアウトできない。純連を邪険に扱うことなんてできなかった。
「……どうしても話せない事情があるんですね」
だが意外にも、あっさりと諦めた。
大和は目を丸くする。
「話せるようになったら聞かせてください」
知りたがっていたはずの純連は、手を背後に回して、彼女らしい強い笑みで待っていた。
「魔法少女すみちゃんは、いつまでもあなたを待っていますからっ」
そこにいたのは、大和に真摯に向き合う、少女だった。
思わず、純連の方に手を伸ばしてしまう。
(話しても、いいのか……?)
心が揺らぐ。
秘密なんて作りたくない。
だから、全部を話してしまいたい。
そんな風に思っているのに、しかしやっぱり言葉は出てこない。
手を引っ込めて、自分の口を覆った。
(話せるわけないだろ、そんなの……っ)
そんなこと、できない。
この世界がゲームをもとにした世界で、
自分以外はゲームの登場人物で、
自分は一方的に純連のことを好きになっただけの一般人だ、なんて。
(そんなの信じてもらえるはずない)
だが。
もし、万が一、この荒唐無稽な話を信じてもらえたとしよう。
そのとき、この世界の住人である彼女は、ここが"アルカディア・プロジェクト"と名付けられたゲームの物語で形作られていることを、知ってしまう。
自分が架空の世界の住人だなんて言われて、楽しい気分になるはずない。
嘘だって全部バレる。
そうなれば、きっと嫌われる。
「……ごめん」
正直に何もかもを話す勇気を、大和は持ち合わせていなかった。
「そうですか」
純連は少し悲しそうにうつむいていた。
しかし諦めたわけではなさそうだ。
優しく微笑みながら、期待する眼差しを消しはしなかった。
「今日でなくても構いません。あなたが『誰』なのか、いつか純連に教えてくださいね」
きっと純連は多くのことに気付いている。
しかし、大和のことを想って、それ以上聞かないでくれているのだ。
深く握り込んた状態の拳に、力が籠もった。
(今、すべてを話すべきじゃないのか)
そうするべきだというのは、頭の中では分かっていた。
しかし、声を出すどころか唇さえも開かない。本当のことを話せない。
純連に嫌われてしまうのが、他のどんなことよりも恐ろしかった。
「さあ、戻りましょう!」
自ら話を切った純連は、しっかりと大和の腕を掴んだ。
「このあとはことちゃんと一緒に研究所です。急ぎましょう!」
「……うん」
手を引かれながら、自分の中にモヤモヤと吹き荒れる感情に耐えた。
自分が、あまりに情けなかった。
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