第38話 八咫純連は、転移者に心を打ち明ける
再び扉がノックされたのは、夜の十時頃のことだった。
暇つぶしに掲示板を確認していた大和は、いったい誰だろうと不思議に思った。持っていたスマートフォンをテーブルに置いて起き上がる。
「どうぞ……?」
誰であってもいいように、丁寧に呼びかけた。
しかし扉は開かない。もしかして、風の音を聞き間違えたのだろうか。
そう考えていると、亀のようなゆっくりとした動きで扉が開いた。ツインテールの少女が、申し訳なさげにうつむいていた。
「すみちゃん?」
学生服姿に戻った純連だった。
ひどく落ち込んでいる様子で扉を閉めた。大和が何かを言う前に、その場で深々と頭を下げた。
「今回は、本当にすみませんでした」
「えっ……?」
突然の謝罪に、頭がついていかない。
そして純連は頭を下げたまま動かない。
「えっと、とりあえず座って」
ひとまずそう促すと、純連は素直に従った。
近づいてきて、大和の示したベッド側の丸椅子にちょこんと座る。大和も、布団から足を下ろして向かい合った。
近くで見ると、表情が疲れ果てていることが分かった。目も赤く染まっている。それが魔物と戦った後の疲れと関係ないことは、すぐに分かった。
「どうして、すみちゃんが謝るんだ?」
「純連のせいで、ひどい怪我を負わせてしまいました」
理由を聞くと、純連は間髪入れずに言った。
やっぱりかと大和は思う。
庇ってしまったせいで、話がややこしくなってしまったようだ。元気付けるように、腕を曲げて力こぶを作った。
「大丈夫。もう、全然痛くも痒くもないし!」
にっと笑ってみせた。
実際、回復の魔法をかけてもらったおかげで調子がいいのだ。怪我を負う前よりも元気なくらいだ。
しかし純連の笑顔が戻る気配はない。
むしろ、ますます落ち込んでしまった。
「守るのが純連の役目なのに、それを果たせませんでした」
「……でも、それは仕方なかっただろ。あんなでかい化物の相手を完璧にやろうとしても、いきなりは無理だよ」
「ことちゃんが倒していなかったら! あなたはっ、命を落としていたかもしれないんですよ!?」
絞り出すような悲壮な言葉が、刺のように突き刺さった。
大和は何も言えなくなる。
その通りだ。
今回の討伐、運が悪ければ溺れ死んでいたかもしれない。少しでも琴海の討伐が遅れれば、大和は死んでいた。そのことを思えば、純連の気持ちは理解できた。
もちろん大和は、純連のせいだとは思っていない。
「いいんだって。すみちゃんも助かったし、こっちも命は助かったんだから!」
「そうはいきません! 友達を、あんな目に遭わせてしまうなんて……」
「あんな場所に行ったんだから、俺だって覚悟してた」
強く断じると、驚いたような表情で言葉を失った。
それは間違いなく、大和の本心だ。
「結果的には誰も死なずに倒せたんだ。それでいいじゃないか」
少し強引に説き伏せる。
そうでもしなければ、純連は絶対に認めてくれないと思ったからだ。
「純連は、悔しいです」
そのかわり、辛そうに拳を握り締めて、絞るように言った。
「こんなにも強くしてもらったのに。守ることが役目だったのに、それを果たせなかったんですよ……?」
上目遣いで、泣きそうな顔で見上げてくる。
大和は、その気持ちが痛いほどに伝わってきた。『守る』魔法少女になるのだと、決断したばかりでの今回の出来事だ。悔しいに決まっている。
だが、あえて大和は言った。
「失敗するのは当然だ」
「え……」
弱った表情に、怯えの色が混ざった。
しかし大和に迷いはない。純連の心の中が手にとるようにわかったからだ。
今の彼女は、まるで三年前。
社畜続きで死にかけていた自分を見ているみたいだった。全てを自分の責任だと信じて、抱え込もうとしているのだ。
「あんな強敵との戦闘で、いきなりうまくいくはずない。そう言っただろう」
だからそれは違うのだと、伝えなければならなかった。
「七夕さん、シリウスだって最初からうまくできたわけじゃない。すみちゃんはちゃんと自分の役割を全うしたよ。悪いのは、飛び出した俺なんだ」
恩を返したい。その気持ちも込めて、あの時に誰かにかけて欲しかった言葉をつむいだ。
しかし純連は、納得しない。
「ですが、そんなの、言い訳になりません……死ぬかもしれない怪我をしたんですよ?」
「俺が死んでたら、そう思えなかったかもしれないけど。この通り死んでないからな」
大和は自分の胸をどんと叩いた。
魔法少女だって人間だ。ゲームのシナリオではないのだから、失敗する方が自然なのだ。
「俺は恨んでもないし、むしろ感謝してる」
何度でも、必死にそのことを伝えようとする。
もし今回の件で怒る人間がいるとすれば、それは大和のほかにはいない。しかし微塵もそんな気持ちはない。ひたむきに取り組んでいた彼女を責める者はいない。
ならば、本当に肝心なのは、無事だったという事実だけだ。
「それより、俺はすみちゃんに、この経験で強くなってほしいんだ」
「えっ……!?」
信じられないと言わんばかりの表情で見上げられた。
そのときの顔で、過去の自分を思い出してしまい、苦く笑った。
憧れの少女が、昔の自分に重なるなんてどうかしている。
「俺みたいにならないで。心を折らずに、今まで通り夢を追い続けてほしい。最強の魔法少女になるんだろう」
ぽふ、と。
手を伸ばして、捨てられた犬のような顔をしていた純連の頭を撫でた。
彼女と自分は違う。
自分は"現実"で心が折れてしまったけれど、目の前の少女には未来がある。
いつも明るい自信家で、それでいてみんなに胸を張れるような、強い魔法少女でいてほしいと、大和はいつでも願っている。
だが、そうしていると手が固まった。
「え……っ!?」
スカートに、ぽつんと滴が落ちたのが見えたのだ。
純連が泣いているのに気がついて、ぎょっとした。
(え、頭を撫でたのは、やりすぎだったか……!?)
憧れの女の子を泣かせてしまったのか。
どうしよう――。
オロオロと戸惑った次の瞬間に、純連は膨らんだ感情を爆発させた。
「う、わぁぁぁ……っ」
純連は天井を向いて、コップから水を溢れさせるみたいに、両頬を伝ってぼろぼろと涙をこぼした。
「ごめんなさいっ、すみれが、もっと、しっかりしていれば……うあぁっ」
「い、いや、だからそれは、仕方がないって……」
や、やばい。どうすれば泣き止んでくれるだろう。
そんなことを考えていると、純連は、ベッドに座る大和の胸の中に飛び込んできて、ぴったりとおさまった。
「すすすすっ、すみ、すすみすみ、すみちゃん……っ!?」
両手で大和の腰を掴んで離れなくなる。
大好きな女の子に抱きつかれた大和の顔は、真っ赤に染まった。
「まもれなくて、ごめんなさい……っ」
泣きながら打ち明けられた、純連の言葉を聞いた途端に心が凪いだ。
純連は自分が許せなかった。
自分自身が弱いこと、そしてこの結果を招いた自分自身を憎んでいた。そしてそれは、大和が痛いほどに知っている、劣等感と後悔の気持ちだった。
長くその感情と向き合ってきた大和は、こういう時にどうすればいいのか、答えを持っている。
「ちょっとずつ、強くなっていくしかないよ」
それが、ブラック企業で自分を養い、長年をかけて出した結論だった。
いきなり一足飛びに強くなることなんて、できないのだ。
魔物をコツコツと倒さなければレベルが上がらないように。あるいは膨大な仕事の知識を少しづつ覚えることしかできないように、現状を打ち破るためには、少しづつ進むしかない。
(俺はできなかった。でも、君ならできる)
大和は、それができなかった側の人間だ。
世の中の変化に追いつけず、強くなれないまま、緩やかに死んでいくことを選んでしまった。だからこそ、変わらない今の現状に甘んじている。
でも。
挫折を経験して、心が折れている少女には、輝いている未来がある。
いつか彼女も、自分のように限界を迎えることを、大和は知っている。
低レアを運命付けられた彼女には『レベル上限』という壁が待っているのだ。
現実の大和は、その『上限』を迎えてしまっている。だからいつかは自分のようになってしまうのだろう。
しかし、それは今じゃない。八咫純連にそれが来るのは、まだずっと先なのだ。
「大丈夫。すみちゃんは、まだ強くなれるから」
すみちゃんなら、きっとできる。
そう囁くと、より深く顔を埋めて、泣き声を押し殺した音がした。
自分と同じ挫折に躓いた少女の背を優しく撫でる。制服が少し冷たく感じた。
「すみません……ぐすっ、取り乱してしまいました」
純連は顔をあげて、丸椅子に座り直した。
指先で涙を拭いながら、手近にあったティッシュ箱から何枚か取り出す。それで勢いよく鼻をかむと、ティッシュがひらひらと浮かび上がる。
「もう大丈夫か?」
「はい。大変、お恥ずかしいところをお見せしてしまいました」
赤っ鼻で、恥ずかしそうに照れ笑っていた。
表情の中に、最初のような暗い感情は、全く残っていない。
立ち直ってくれたらしい。
大和には、それが何よりも嬉しかった。
「それと……あなたに、言わなければいけないと思っていたことがあるのです」
「ん?」
「あの時は、助けてくれてありがとうございます」
膝につきそうな勢いで、深々と頭を下げた。
重いトーンで感謝を述べてくる。
大和は少し照れたように目を逸らした。
「あ、いや……うん」
自分の勝手な行動だ――と言うのは、今は止めておこうと思った。
真っ直ぐな感謝を断りたくなかった。
眩しい笑顔が、自分にだけ向いている。それがどうにも気恥ずかしい感じだ。
「それはそうと。ずっと気になっていたことがあるのですが、よいでしょうか……?」
すると彼女は顔をあげて、前のめりに迫ってきた。
かなり近い。制服の隙間から胸元が見えてしまいそうだ。これはまずいと顔を逸らした。
「な、何だ?」
純連は胸の上に手をあてがった。
「今まであなたの名前を、ちゃんとお呼びしたことがなかったなと思いまして」
「え?」
大和は純連の顔を見返して、一瞬呆けた。
確かにそうだ。
そのことに気付いて、いまさら手を叩く。
「そう言われれば、そうだな」
「友達になれたのに、これはどうしたことでしょう。大失態です」
純連はそれを許せず、さらに後悔しているみたいだった。
しかし全然気づかなかった。
大和は現実において、職場以外で自分の名前を呼ばれることは極端に少なかった。いや、病院に行った時を除けば皆無といっていい。
人との関わりが薄すぎて、そのことを不思議に思わなかったのだ。
「これからはあなたを、名前で呼んでもいいでしょうか……?」
少し恥ずかしそうにしながら、そう申し出てくる。
上目遣いで、ちょっぴり照れたように言われて、大和は思わず赤面した。
(すみちゃんが、俺のことを名前で呼んでくれるの……!?)
マジで? と言わんばかりの表情を隠せなかった。
クリスマスと、正月と、ゴールデンウィークが突然いっぺんに押し寄せたような幸福感が、泉のように湧き上がった。
ドキドキする。
こんなことがあっていいのだろうか。
一瞬ためらったが、すぐさま自分を納得させた。
(そのくらい、いいだろ。というか許してください)
この世界に来たばかりの頃だったら、無駄に躊躇っていただろうが、今回は頑張った。
このくらい"いいこと"があっても、いいだろう。
「じゃ、じゃあ、いい感じの呼び方でお願いします……」
「はいっ!」
純連は嬉しそうに目を輝かせた。
明日死んでもいいと思えるほどに嬉しい。名前を呼ばれるのが、こんなに待ち遠しかったのは初めてだ。
「あ。でも俺の名前、覚えてる?」
「もちろんです! あなたの名前はしっかりと、この頭の中に記憶していますから!」
大和の僅かな不安も、胸を張って打ち消してくれる。
ちゃんと、名前を覚えてくれていたんだ。それだけで死ぬほど嬉しかった。
「では、いきますよ」
顔を傾けながら、とびっきりの親愛の笑顔で、名前を呼んでくれた。
「――■■さんっ!」
二人の間に流れていた空気が、死に絶えた。
「え…………?」
何が起きたのか、分からなかった。
名前が、呼ばれなかった。
いや違う。名前は呼ばれた。肝心の『名前』の部分だけ、ぽっかりと音が抜け落ちた。
純連も喉をおさえる。何かがおかしいことに、気付いているのだ。
「■■さん……え、■■さん。えっ……?」
意図的に名前を呼ばなかったわけでない。
まるで下手な編集で、その部分の音だけを切り取ったみたいだ。何度か試してみていたが、どうしても呼ぶことができないらしい。
名前を呼ぶ一瞬、世界から音が消える。
大和も試しに、自分の名前を呼んでみた。
「鳥居、大和」
声は途切れずに聞こえた。
自分自身では、名乗ることができた。
それを聞いた純連は混乱したように、それまでと一転して、不安な顔で見上げてくる。
「■■■■……さ、ん」
きっとフルネームを呼んでくれたのだろう。だがそれは、誰の耳にも届かない。
「これ、どういうこと、ですか……?」
問いかけられても、その答えを持ち合わせてはいない。
不合理な現象に、純連は明らかに怯えていた。だが大和も、気味の悪さに耐えきれず、強い怖気が駆け抜けていた。
何か、得体の知れないものの存在を感じて、二人の間に沈黙が降りた。
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