第37話 転移者と病室
真っ白な天井と、アイボリー色のカーテンが視界におさまっていた。
心地のいい感覚に包まれている。大和はようやく、自分が知らないベッドに横たわっていることに気がついた。
「ここ、どこだ……?」
真っ先に考えたのが、ここが病院であるという可能性だ。
自分の手を見て、体が僅かに光っていることに驚いた。ベッドの隣で、赤頭巾を被った魔法少女が手をかざしていた。
「あっ、やっと起きたね」
大和と視線が合うと、にこりと微笑んだ。
少女の声はどこかで聞いたことがあったが、まだ頭がぼんやりとしていて、思い出せない。
「ここは……?」
「診療所だよ。あなたは怪我をして運びこまれたの。覚えてるかな」
視界が定まってきて、ようやく相手が誰なのかが分かった。
「え、星川、さん」
「うぇっ!?」
大和は、普通に名前を呼んだつもりだった。
だが赤頭巾が特徴的な魔法少女は、一気に警戒するように身を引いた。表情がひきつっている。だが、少しして息をついた。
「ああ、そっか。そういえば、あなた達には、ばれてるんだったね……」
コレットは疲れたように、ため息を吐いた。
星川 実。
可愛らしい小顔の少女は、性格は誰にでも分け隔てなく優しく振る舞う、クラスのアイドルのような性格だ。
常に笑顔を浮かべて、いつも周囲に幸せを振りまいている。
綺麗な茶髪が自慢の女子高校生だ。
しかし彼女は裏の顔を持っている。
『えっ、怪我しちゃったの? 見せて。痛くないように治してあげるから!』
真の姿は、稀有な回復魔法を扱うことのできる魔法少女。名前はコレットだ。
赤頭巾が最大のチャームポイントで、ゲームにおいては範囲回復魔法や、バフを振りまくことができる優秀な性能を持つ。
回復魔法を扱える彼女を求めてガチャを回したユーザーは多く、そして高レアキャラ特有の低い確率ゆえに、数多くの屍を築いた。
笑顔で高課金を要求してくる魔性の女。
多くのユーザーがそう呼んでいた。
寝転んだ大和は、そのことをぼんやりと思い出していた。
だが現実になった魔法少女コレットが、そんな事情を知るはずがない。急に何を深々と考え始めたのだろうと、首を傾げた。
「回復は終わりましたか」
その後ろからもう一人。
七夕琴海が、腕を組んでやってくる。
するとコレットは「ちゃんとやったよ」と、不満げに頬を膨らませた。
「もう。お風呂に入ってたところを急に呼び出されてびっくりしたよ。もっと早く呼んでくれれば、出かける用意もできたのに」
「すみません。今回の失態は、全てわたしの責任です」
「……うーん。まあ、シリウスちゃんを責めても仕方ないんだけどね」
深々と頭を下げた琴海に対して、コレットはばつが悪そうに、腕を組んで唸った。
こんな状況を招いたのは、想定が甘かった自分のせいだと、琴海は本気で思っているみたいだ。
それを言うのなら、自分のほうが悪いことをしたと、大和は思う。
知識を記したノートを渡してしまったせいで、心のどこかで、油断を招いてしまったのかもしれない。ゲームとこの世界は違うと分かっていたはずなのに。
「彼の身体は、問題なく治りましたか」
「シリウスちゃんから頼まれた仕事だもん、ちゃんとやったよ」
はぁ、と大きく、わざとらしくため息を吐いて大和を見た。
「外側もそうだけど、スライムの粘液が体の中に入っちゃったせいで、内側から火傷したみたいになってた。もちろん、そのへんも完璧に治しておいたよ」
「……助かります」
「普通じゃ、治すのに何ヶ月もかかるんだから、すごく感謝してほしいな」
コレットはうんうんと、自分で何度もうなずいた。
大和の負った怪我は、普通は簡単に治る類のものではない。完治まで数ヶ月を要するような怪我もあった。
今はもうなんともないが、魔法がなければ危なかった。
もし、あの痛みがずっと続いていたらと思うと、ぞっとする。
「ここまでしたんだから、約束は守ってくれるんだよね」
コレットはそう言って琴海に迫った。
琴海は少しの間、無言を貫いたが、やがて言った。
「そのことも含めて、明日話します……それで構いませんね?」
「いいよ。わたしとシリウスちゃんの仲だもん!」
コレットは満足そうに体を離して、その場でくるりと回転した。
すると身体を光り輝かせて、制服姿の『星川 実』の姿に戻っていく。
(あ、やば……あれ。大丈夫、だ)
変身を解除するときは、裸になる演出はなかった。
普通に制服に戻ったことに安心していると、
「今日は寝てたほうがいいよ。体力は戻っていると思うけど、心の疲れまでは回復しないからね」
「あ……はい」
「それじゃあ、お大事にね!」
ゲームでもそうだったが、純連とは違うタイプの明るい雰囲気だ。クラスにいたらきっとみんなから愛されるタイプだっただろう。
以前、秘密を教えて欲しいと迫られた時には考えられないほどにフレンドリーで、大和の抱えていた警戒心も、いつの間にかほぐれていた。
コレットが去ったあと、ベッドに背中を預けて息をついた。
窓の外はカーテンに仕切られてよく見えないが暗く、壁の時計を見ると夕食を終えたくらいの時間だ。そして反対側を見ると、琴海がじっと大和を見つめていた。
「ど、どうしたんだ……?」
用件を話さないのに、なぜか部屋を出て行こうとしない。ずっと静かに見下ろされている。
そんな彼女を見ていると、いたたまれなくなってくる。
何か言わないと。
大和はしばらく考えて、言葉を出した。
「あのさ」
「何ですか」
「……ごめん」
「なぜ、謝るのですか」
「怪我しないようにって言ってたのに、結局、迷惑かけたから」
出てきたのは謝罪の言葉だった。
今回の件は、彼女にも責任がいってしまうのかもしれない。ここまで運ぶのも大変だったはずだ。
「それならば、わたしも、あなたに謝らなければいけません」
しかし、まるで大和と同じ想いを抱えているみたいに、琴海の声は重かった。
「敵の攻撃を受けないようにフォローするべきでした。今回の怪我は、わたしの責任です」
大和は、琴海の手が僅かに震えていることに気がついた。
「俺、よく覚えてないけど、倒せたんだよな」
「ええ」
「あれは俺の勝手な行動のせいだし、七夕さんは、星川さんに頼んで治療までしてくれたじゃないか。そのおかげで助かったんだから、謝られることなんてないよ」
「そうですね。あれは、とても危険な行動でした」
「うっ……」
逆に謝罪をしていた大和を、バッサリと切り捨てた。
ぐうの音も出ない正論に何も言えなくなる。
(い、や、それはそうなんだけど……はだ。なんであんな無茶したんだろう……)
改めてそう思う。
大和は生身の人間なので、無茶をするなと、何度も言い聞かされてきた。
それなのに魔法少女をかばってダメージを受けたのだ。あの判断は間違っていたと言わざるを得ない。
「相当な無茶をしたことを自覚して、今晩は反省してください」
「はい……」
大和は神妙に頷いた。
後悔はあまりしていないが、深く反省していた。
地獄のような時間を過ごした。あのときの記憶は、今でも鳥肌が立つほど鮮明だ。
触れるだけで痺れる粘液に、顔まで包まれた。
必死にあがいても逃れることができず、口の中にドロドロの液体が入ってきた。
息ができなくなって、意識が黒に塗り潰されていく。
あんなの、一生忘れられない。
(死なないために、魔物狩りに出てたはずなんだけどな)
疲れ果てた大和は、また深く息を吐いた。
死にたくないと思って、強さを求めたはずなのに、下手をすれば自分が死んでいたかもしれないなんて、笑えない話だ。
最近は、目的と手段が入れ替わっているような気がする。また深いため息を吐いた。
少しの間、沈黙の時間が流れる。
いつまでもこんな雰囲気の中に居続けるのはたまらない。話題を変えた。
「目的は全部、達成できたのか?」
「ええ。スライムの核も、いったん研究所に預けてきました」
「そうか……」
助け出されたところまでは覚えていたが、記憶は若干曖昧だ。しかしボスドロップも無事に手に入ったらしい。
ほっと気を緩める。これで安心だ。
「この部屋は貸し切ってあるので休んでください。入院の期間や詳しい話は、明日の朝、医者に聞いてください」
「わかった。すみちゃんは?」
「無事ですが別な部屋で休んでいます。呼んできましょうか」
「いや、いい……向こうも疲れてるだろうしな」
あれだけの戦闘の後で疲れているだろうと、断った。すると琴海は、机に置いていた学生鞄を手に取った。
「それでは、今晩はこれで失礼します」
「ああ。今日はありがとう、おやすみ」
そして琴海は背を向けて、病室の扉を開けた。
真っ黒な廊下と、緑色の誘導灯が見える。しかしそこで立ち止まった。部屋よりも冷たい風が吹き込んできて、思わず布団を被り直す。
「純連のことを見てあげてください」
「え、七夕さん……?」
改めて起き上がったが、琴海は背を向けたまま、こちらを見ていない。
「あの子の両親のことは、戦いの前に詳しく調べて知りました」
「やっぱり、そのことは知ってたのか」
「はい。ですが……今のわたしでは、純連には何もしてあげられません。だからあなたに、あの子を頼みます」
そう言うと、大和の言葉を待たずに、琴海は扉を閉めてしまった。
しばらく扉を見つめていた。
だが枕に頭を乗せて、考えるのをやめた。
「……なんで、こうなったんだっけ」
大和は、額を抑えて考えた。
ややこしい状況だ。
純連だけであれば簡単だったのに、主要キャラクターをもう二人も巻き込んでしまっている。もはやゲームの物語は跡形もない。
(この嘘も、いつばれるんだろうな)
手をどけて、もう一度天井を見上げた。
レベルアップしたような感覚はない。あれだけ努力をしたのに、大和の目的はいまだに果たされていない。
社畜として死にかけていた元の世界には戻りたくないが、ゲームの世界でも成長しないのはあんまりだと思う。そのおかげで不安は消えなかった。
「どうしようなあ」
大きくため息をついて、天井を見つめた。
手近な壁に電気のスイッチがあるため、いつでも眠ることができた。
しかし何となく眠る気にならず、ぼんやりと流れる静かな時間を、ゆっくりと過ごし続けた。
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