第36話 転移者とクイーンスライム 後編

「シリウスッ!」


 柱より巨大な触手が二本、シリウスに向けて伸びる。それを見た大和が悲鳴をあげたが、余裕をもって背後に跳躍して飛び退いた。

 直後、建物が倒壊したかの如く、重低音が鳴り響く。

 川辺の石は粉砕されて飛び散って、水面に無数の波紋を作り上げた。


 シリウスは、苦々しく敵を見上げた。


「まさか、これほどに成長していたというの……?」


 最悪の事態は想定していたはずだった。

 だが、これは想定外すぎる。

 本体は車ほどの大きさなのに、触手の大きさはそれを凌駕している。明らかにアンバランスな姿だ。


「厄介な図体をしていますね……っ」


 敵として認識されたシリウスに、またも触手が振り下ろされる。飛び退いて避けると、今度は、雨のように細かな酸性の粘液が飛来した。

  

「ぶっ、『ブロンズ・シールド』っ……!?」


 すんでのところで壁が作り上げられ、散弾のような攻撃は弾かれた。

 しかし振り上げられた触手はまだ六本残っている。それらが次々に襲い掛かり、防戦一方に追い込まれていった。



「ど、どうなっているんですか!? 前は、あんなに大きくなかったのに……!」


 あの魔物を知っている純連は、目に見えて混乱していた。

 魔法少女になる前。そして一度挑んだ時には、これほどの個体ではなかったはずだ。

 しかし、この状況に最も混乱しているのは、全てを知っている大和だ。


(ほんとに、どうなっているんだ……!?)


 ゲームでは、こんな巨大な触手を持っている描写はなかった。せいぜいが魔法少女を絡めとる程度の細いものだったはずだ。

 それが一体、何がどうしてこうなったのか。


 大和は小さなスライムとしか戦ったことはない。しかし、ゲームとこの世界における強さの感覚を何となくつかんでいる。

 その経験が、目の前のボスが、設定されたステータスを明らかに逸脱していることを理解させた。

 

(まさか、負けるのか……?)


 最悪の可能性が浮かんできた。

 もしもあれが後半ステージ級の魔物であれば、その未来だってありうる。

 全員が屍を晒す。

 その可能性が、現実味を帯びてくる。



「しっかりしなさいッ!!」


 恐怖に囚われかけていた二人は、はっとした。

 叫んだのはシリウスだ。

 背後に待機している二人に横目で視線を送り、そして改めて敵と向かい合う。


「やることは、何も変わりません……!」


 その言葉で、まっさきに純連が我を取り戻した。

 シリウスの居た場所に、またも触手が振り下ろされる。しかしそこにはもういない。空を跳んだ彼女は、大振りに、触手目掛けて剣を振った。


 ――一本、切り伏せた。


 電柱よりもずっと太いそれが切り離され、地面に落ちる。


「やった!? ……いや、危ないっ!!」


 本体のクイーンスライムが、そして囲っていた触手が、地面を激しくのたうった。

 砂利が弾丸のように飛び跳ね、あたりには派手に水飛沫が散る。

 だが、その行動は予想していたのだろう。

 危なげなく回避したシリウスは、離れた場所で膝をついていた。


「っ、これは……!?」


 だが、その直後のことだ。

 直後に甲高い、気味の悪い唸り声が地中から響いた。


「なっ、なんですか、今のは……!?」


 苦しむ敵と、不気味な声音に、いよいよ嫌な予感が最高潮に達した。

 大和もようやくシリウスと同じ想像に行き着いた。


「嘘だろ……」


 よく見ると、地面中から、微妙に紅色が染み出している。

 それらは行動を阻害するものではない。

 身体を構成する粘液の一部なのだ。

 面積だけで、地上に出ている頭部のおおよそ十倍以上。触手の大きさに見合う巨大な体躯を垣間見てしまった。


 その姿に心を囚われているうちに、クイーン・スライムは空に向けて、大量の『何か』を放った。


「っ、まさか……!?」


 空を見ると、無数の紅色が飛んでいるのが見えた。

 酸の雨だ。

 その攻撃に気付いた純連が、咄嗟に手の先に魔力を練り始め、防御魔法を発動させた。

 

「っ、させません! 『ブロンズ・シールド』ですッ!」


 ブリッジ状の銅壁を、シリウスの真上に作り出す。その直後にまたも紅色の粘液の雨が降り注いだ。

 先ほどよりも濃度が高いのか、派手に砂利を溶かし、ところどころで細かい煙をあげる。


 さらに、小さいスライム達にとってもそれは脅威だったのだろう。

 愚鈍な動きでシリウスを追いかけるだけだった、無能の軍団は、よろよろと退避していく。だが逃げ遅れて、次々に雨に打たれ、無残に溶けていった。

 いよいよ敵も味方も、関係なくなったらしい。


「厄介ですね……ッ!」

 

 銅の壁から出てきたシリウスは表情を歪めて、間髪入れずに鞭のようにふるわれた触手を、跳び退いてかわした。


 クイーン・スライムは激怒していた。

 厄介な攻撃のテンポが、二度と触手を切らせない。回避したばかりのシリウスの真上に、酸の雨が降り注ぐ。純連がいなければ今頃は溶かされていただろう。


 シリウスは体力が余計に消耗させられており、今までにないほどに追い込まれていた。

 そして純連も必死になって、決して攻撃を届かせないようにと、シリウスの前に壁を作り続けていた。


 その攻防に魅入られていた大和だが、不意に背筋に怖気が走った。

 殺気だ。

 悪寒に釣られて、その方向に視線を向ける。


「危ない、純連ッ!」

「え……」


 大和が大声で叫ぶのを聞いて、魔法をかけている最中だった純連は呆気にとられた。

 気が抜けたような声を出し、続いて"それ"を認識して、青ざめた。

 気付かれていた。

 今まではシリウスに向いていた巨大な触手が、純連の真上に迫っていた。

 

 シリウスは動けない。

 大和はとっさに、重くてろくに振り回せなかった剣を放り捨てて駆け出した。


「すみちゃん、ぐぅっ!」


 大和が純連の小さな体に、全力で体当たりした。

 体をぶつけられた純連は跳ね飛ばされる。


「あう"っ!?」


 勢いよく体が横に転がった。

 幸い、魔法少女であり魔法がかかっている彼女にダメージはない。

 やがて頭を抱えて起き上がった純連は、恐ろしい光景を目にした。


「ああっ、そんな……!」


 紅色の触手が、大地から離れていく。

 その粘液で構成された部分が、人間である大和を潰すことなく、完璧に包み込んでいた。生きている姿が見える。もがき出ようと、必死に腕を動かしていた。

 だが抜け出すことができないまま、触手ごと、地上を離れて連れ去られていく。


「待って! だめ、連れて行かないでくださいっ!!?」


 焦り叫んで、粘液に手を伸ばしたが、届くことはない。

 クイーン・スライムは邪魔者の魔法少女に気付いてしまった。大和を、その一人だと思い込んでいる。

 始末すべく、体内に酸性の液体を滲ませると、包まれた体が蒼色の明滅を始めた。

 あれは、防御の魔法が切れかけている証だ。


「こ、ことちゃん!」


 もう純連には、なす術がない。

 泣きそうな声をあげて、震える声のままに親友にすがった。

 だが泣き止んで、声を失った。

 シリウスが、今までで最も強い魔力の渦に包まれていたからだ。

 

「ようやく、隙を見せましたね」


 地面から舞い上がる風と、水色の粒子に髪が扇がれる。銀色だった剣は、自ら発光してリンドウ色に輝いていた。


 剣の魔法少女は、それまでとは比較にならない殺気を、その身に秘めた。

 クイーン・スライムもそれに気付いて、僅かに体を震わせる。しかし、もう遅い。


 新たに振り上げた触手の一本が、時間が止まったみたいに動きを止めた。

 だが、真っ二つに裂けて、地面に落ちる。

 瞳の内側を水色に光らせたシリウスが、既に剣を振った状態で屈んでいた。

 

「終わりです」

 

 シリウスは僅かに視線をずらし、触手に囚われ、苦しげに首を抑える大和を見た。

 だが、本体に視線を戻す。

 スライムの本体は、六本の触手を体の前に取り巻かせた。

 まるで自らを守る壁を作ったみたいだ。


 ――だが、それは全くの無意味だった。


 シリウスは、攻勢が基本の相手には弱い。

 だが、最強の攻撃力を誇る剣の魔法少女に、防御なんて一切通用しないのだ。


 粘液の六腕は切り刻まれて、崩れ落ちた。

 ずるりと、巨大だった粘液の体ごと、真っ二つに崩れる。

 波にさらわれる砂の城のように、身体を融解させていく。

 断末魔は聞こえない。



 地面のところどころから赤色の粘液が染み出し、光の粒子になって消えていった。

 肥大化した粘液の体の大半が、地面に沈み込んでいたらしい。

 地面が、蟻地獄のようにすり鉢状に沈み込んだ。



 著名な観光地で、スライムの繁殖地と化していた場所は、見る影もないほど無惨に崩落した。

 

「…………」


 シリウスが剣を構えたまま、できあがった大穴を見下ろす。

 もう魔物の気配は感じない。

 新たに上流から流れ込んだ水が、少しづつ溜まっていく様子が見えるだけ。あれほどいたスライムは、もう一匹も残っていなかった。



「しっかりしてください!!」


 緊迫した声に、シリウスは背後を見た。

 魔物の討伐を一番喜ぶはずだった純連は、その方を見てはいない。泣きそうな顔で、倒れた男を抱き起こしていた。


 粘液の触手は残っていない。

 それなのに真っ青な顔で何度も、苦しげに咳き込んでいる。吐き出された一部の粘液が地面に落ちると、それでようやく光に還っていった。


「返事をしてください、お願いします、っ」


 純連は完全にパニックを起こしていて、とにかく必死に呼びかけ続けた。

 しかし大和から返事はない。


 意識はないが息は荒くて、苦しげなうえに不規則だ。肌も強い赤みを帯びて腫れている。防御の魔法はもう残っていない。

 近づいたシリウスが、その場で屈んで、容態を見た。


「純連。見せてみなさい」

「どうしましょう、純連のせいで、油断した、から」

「落ち着いて。まずは、防御の魔法をかけなおすことが先決よ」


 そう言いつつ、それは気休めにしかならないだろうと考えていた。

 純連の魔法に、既に負ってしまったダメージを回復する力はない。素人目に見ても酷い状態だ。だがやらないよりはマシだろう。


 しかし、そんな時に大和は、僅かに目を空けてみせた。


「う……ここ、は」


 呻くような、乾いた声だ。

 二人の視線が集中する。純連は身をのりだして迫った。


「よ、よかった、生きていますかっ!?」

「ああ……ごめん、ちょっと、痛いけど、大丈夫……ゲホォッ」


 また咳き込んで、口元をぬぐった。

 体内から吐き出されて落ちた粘液が、光に変わって消える。胃液だけが砂利の上に残った。

 体の内外が焼けるような痛みに、狂いそうだ。

 それでも、心配をかけてはいけないと、起き上がろうとした。


「だめです! 今は、寝ていてください……!」

「いや、苦しかったけど、平気……う、げぇっ、ほっ」


 皮膚が風に当たるたびに、ひりひりと痛みを感じる。体の内側で、とんでもない異常が起きていることを神経が伝えてくる。咳をするたびに体中が悲鳴をあげる。

 ヤバいかもしれない。起き上がれない。


(死ぬ、のか)


 一瞬で死ぬのではない。

 蝋燭が消えていくように、苦痛の中で緩やかに命の灯火を消えていくのだ。

 純連に必死に励まされていることが分かった。一方でシリウスは、スマートフォン越しに、誰かと話していた。


「ええ。話していた通り、今すぐにお願いします」

「ことちゃん……?」


 純連が、震える声で親友を呼ぶ。

 しかし通話を切ったシリウスは、急いだ様子で命令した。


「治療の用意をさせました。今すぐに拠点まで戻れば、間に合うはずです」


 それを聞いた純連は表情をこわばらせて、全力で、こくこくと頷いた。


「純連はっ、何をすればいいですか!?」

「彼を運んでください。わたしは魔物を寄せ付けないように、道を切り開きます」

「わ、わかりました! では、純連の背中に捕まってください……!」

「う……ごめ、ん」

 

 今は、甘えることしかできなかった。

 なんとか手を回して、純連に背負われ、持ち上げられた。

 意識が薄れていく。


(やば……俺、死ぬかも……)


 大和は、ぼんやりと死を悟った。

 視界が揺らいでいる。酸素の行き渡っていない脳が思考を緩やかにさせる。心地のよい香りに包まれていることが救いだった。


 背負われた大和は激痛の中で、ゆっくりと気を失った。

 

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