第35話 転移者とクイーンスライム 前編
魔物の根城と化しているという、川の合流地点は、清流沿いに続く道の先にある。
ここは、かつて街が平和だった頃、有名な観光地として賑わっていた場所だ。今は立ち寄る人影は見当たらない。川に挟まれた陸地に、紅色の塊がくつも蠢いているからだ。
それら全てが魔物だ。
悍しい数の魔物が、蟻のようにひしめいている。さらに、その中でも一段と目立っているのは、水晶のような球状の物体を内包した怪物だ。
車一台を包み込めるほどの大きさを誇っているそれは、たまに体を揺らし、川に何かを排出していた。
それらは、核を持ったスライムだ。
全てのスライムの根元がそこにいる。
その存在は、現実ではクイーン・スライムと名付けられている、特別な魔物だ。
大和たちは、背筋に鳥肌がたつようなぞっとするような光景を、建物の影から観察していた。
「あれが討伐対象か……」
「何か、気付いたことはあるかしら」
シリウスはいたって冷静に、青い顔をした大和にささやいて、新たな情報はないかと尋ねた。
「いや。これといって、新しいことは思いつかない」
「そうですか、分かりました」
大和は役に立てないことを申し訳なく思ったが、予想の範疇だったのか、それほど残念だとは思っていない声のトーンだ。
(こんな時でも冷静なんだな……)
シリウスは、じっくりと時間をかけて敵を観察している。
目の前の非現実的で恐ろしい光景を、大和はまだ受け入れ切れていない。さすがは最強クラスの魔法少女だと感心させられた。
「聞きたいんだけど、ボスのところまで行くには、スライムが多過ぎないか?」
「ええ。これは少々厄介ですね」
大和の懸念とまったく同じことを、シリウスも考えていた。
このパーティに遠距離魔法の使い手はいない。クイーン・スライムを倒すためには、近付いて剣を届かせる必要がある。しかしその台地は、千をゆうに超える小スライムに取り囲まれている。
道どころか、足の踏み場は皆無だ。
今度は純連が尋ねる。
「少しづつ倒していくことはできないのですか?」
「そうしている間に、魔物の方が攻撃を仕掛けてくるでしょうね」
遠距離の、厄介な攻撃方法があることは、大和のノートと、戦闘経験のある魔法少女のレポートの両方に記されていた。
同じ姿の個体ができるのなら、できることを前提に動くべきだ。迂闊に近づけば、余計な傷を負ってしまう。
「方法は一つ。まずは周囲のスライムを、まとめて殲滅します」
シリウスは氷のように冷たく、鋭い空気を纏った。
本気になった剣の魔法少女の迫力に圧倒されて、大和は唾を飲んだ。
「ですが、ことちゃん。そんなことができるのですか?」
「魔法で動きを加速させて、直線、最短経路で目指せば可能でしょう」
「途中で、攻撃を食らってしまいませんか……?」
「気づかれる前に、一撃で屠れば問題ありません」
シリウスは当然のように言い放った。
「ですが最初の一撃で決まらないか、気づかれてしまう可能性も十分にありえるでしょう。その場合は、安全に戦えるまで、周囲のスライム狩りに集中します」
「……そのときは純連が、あの魔物の遠距離の攻撃を防げばいいのですか?」
「ええ。殲滅が終わるまで、守りはあなたに任せます、純連」
「はいっ、お任せくださいっ!」
かなり緊張を高めて純連は、敬礼して応えた。
この戦いは息の合った連携が不可欠だ。
そう言った意味で、もともと親友同士である二人は非常に相性がよかった。
純連は一人で気合を込めた。
「純連は絶対に、ことちゃんの役に立つんです……!」
そんな風につぶやいているのが、隣にいる大和にも聞こえてきた。
守る魔法少女として役に立つ。
大和が言ったことを心の柱にして、彼女は自らを奮い立たせていた。
(自分も、必ずすみちゃんと守ろう)
汗の滲んだ手を拭って、剣を構えた。
今までとは違う、本当に危険な戦いが始まろうとしていることを悟って、心臓が鳴り止まなくなっていた。
「では、魔法をかけます!」
純連は、自らの手をシリウスに重ねた。
蒼色の光が二人を包み込む。スライムから身を守るための防御バフの魔法だ。
「みんなの力で、ぜったいに倒しましょう、ことちゃん」
「……ええ。必ずあれを倒しましょう」
シリウスは一瞬だけ何かを言おうとしたが、すぐに口を閉じて、言葉を飲み込んだ。
今は、チームの想いを一つにしなければならない時だ。
八咫純連の過去も、七夕琴海の後悔も関係なく、人類の敵である侵略者を排除する。
そうするべきだと、全員が分かっていた。
やがて無言のまま、純連が魔法をかけ終わって、光の消えた手を離した。
シリウスは腰から剣を抜いて、眼前に構えた。親友としての優しい表情ではなく、魔法少女としての真剣な顔に切り替わっていた。
「では……行きます」
その一言が、契機だった。
まるで蜃気楼のようにシリウスが消えた。
「えっ……?!」
大和は目を疑った。
そして目の前で起きた変化に気がついた。
数メートル先で、漫然と体を揺らしていた三匹のスライムが、核ごと横にずれて、崩れ落ちたのだ。
すでに剣を振った、魔法少女シリウスの姿を見た。
――そう思った、次の瞬間にはまた姿が消えた。さらに五匹のスライムが崩れた。
目にも止まらない速さで、次々に敵を屠っていることを理解して、戦慄した。
(嘘だろ、なんて速さだ)
今まで、最弱魔物のゴブリン・スライム狩りだったために、本気を見たことがなかった。
魔法少女シリウスは、上位の魔物にも引けをとらないステータスの持ち主だ。
このくらいはできると知っているはずなのに、いざ目の当たりにすると、茫然としてしまう。
次々に魔物が消える様子を見ていると、純連に手を引かれた。
「純連たちも行きましょう!」
「あ、ああ……」
手を引かれるままに、二人で建物の影から出て、駆け出した。
魔法は無限に届くわけではない。
純連の盾は遠距離にも出せるが、その範囲には制限がある。クイーン・スライムの攻撃からシリウスを守るためには、できる限りボスに近く必要があった。
しかしそれは、スライムがひしめく危険地帯に踏み込むことを意味している。
ここからは地道な魔物討伐が待っている。
――はずだった。
「全部倒されてる……」
「ことちゃん、すごいです」
また、茫然とした。
大和は剣を持って、純連は盾を出せるように構えて警戒していたが、まったく無意味だった。
周囲にはドロップアイテムであるスライム核の破片が、大量に転がっている。
生きたスライムは狩り尽くされた後だ。
現実の魔法少女シリウスは、想像の範疇を遥かに超えていた。
もともと動きの遅いスライムは、彼女になすすべなく斬り伏せられ、ただの粘液に身を戻していく。次々に光になって、空に消えていった。
一対、圧倒的多数。
だが、圧倒的不利なのは魔物のほうだ。
紅色の海は、モーゼが杖をかざしたかのように破れた。
そして中心の道を突き進むシリウスの先には、粘液の魔物の親玉が存在している。
「いけっ……!」
大和は思わず、声をあげてしまう。
このまま倒してしまえば勝ちだ。最強のシリウスの攻撃が決まれば、最弱のボスはひとたまりもないのだ。
しかし、シリウスは表情を歪めて不自然に飛び退いた。
「っ!」
「『ブロンズ・シールド』!」
純連が両手をかざして、魔力を放って叫んだ。
その直後に水音が跳ねた。
シリウスの目の前に迫り上がってきた、青緑色の壁は純連の魔法だ。
魔法の象形文字が刻み込まれた金属の板に、粘液が激突して、ジュウジュウと煙をあげた。つんと鼻につく異臭は、それが危険物であった証でもある。
壁は蒼色の魔力に還っていく。
シリウスは、最悪の魔物と対面した。
「さすがに、気付いたようですね」
顔を持たないはずの、クイーンスライムが、シリウスを見ていた。
大和の背筋が冷たく痺れた。
魔物の放つ殺気は、無機質で冷たかった。
(な、なんだよ、あれ……)
最悪の舞台が、目の前で始まった。
蟻の大群が砂糖に群がるように、それまで不規則に動くだけだった数百の子供が、徐々にシリウスの方向に這いずっていく。
自分たちには気付いていない様子だが、それなのに、足が竦んで動けなくなった。
「あれが、最弱のボス……?」
震える腕を、強く抑えた。
信じられない。ゲームの画面で出ていた敵に抱いた印象とはかけ離れている。
純連も同じものを感じていたようだが、初見ではないためか、恐怖をこらえることに成功しているようだった。
「ことちゃん……」
その証拠に、純連はシリウスから決して目を離さない。自分の役割をまっとうしようとしていた。
「いいでしょう。すべて、まとめて相手になってやります」
シリウスは姿勢を低くする。
大和たちから聞こえない場所で何かを呟くと、銀色だった剣先が、水色に輝き始めた。
「散りなさい」
何の警戒もなく迫ってくるスライムに向かって強く、地面を蹴った。
――風が戦場を抜けた。
スライムはいっせいに動きを止めた。
エネルギーの源である核が、横にずれて、数百の全ての粘液が崩れ落ちる。
瞬く一瞬の内に、川辺に光の花園が出来上がった。
「す、すごい……!」
大和も思わず声を溢した。
あれは恐らく今まで見たことのなかった、魔法少女シリウスの"魔法"だ。
だが、次の瞬間にシリウスは空を見上げて、息を呑んだ。
「っ……!」
「させません、『ブロンズ・シールド』ですっ!」
大技の直後で硬直したシリウスを覆うように、青銅のアーチが地面から出現した。その直後、酸性の粘液がばちゃ、ばちゃと跳ねた。
異臭と黄土色の煙を漂わせたが、壁を溶かすには至らない。
「これで、終わらせます」
その声を聞いたクイーン・スライムは、びくりと身を震わせた。
「シリウス!」
いつの間にか、シリウスは川辺の跳び石の上に立っていた。
純連の作り上げた壁が消えると、粘液も地面に滴り落ちた。だがその中に、すでに剣の魔法少女の姿はない。
蠢くスライムに相対するシリウスは、クールタイムを終えて剣を構え直した。
十分な時間は、反撃の機会をもたらした。
もう一度。
爆発するような速度で、クイーンスライムのもとに踏み込んだ。砂利を散らして駆けるシリウスは、まるで獲物を狙って急降下する鳥のようだった。
剣が届く。
大和も純連も、勝利を確信した。
確信した瞬間――突然、躓いたみたいに、シリウスの足が止まった。
「なっ……ぐぅっ!」
当然、攻撃が止まって、剣を包んでいた水色の魔力も消失する。
大和と純連は、目を剥いた。
「ことちゃんっ!?」
シリウスは慌てて、不自然に沈み込んだ足下を確かめる。
そして止まった理由を知った。
「なんですか、この、っ……!」
表情を顰めた。砂利を被った赤色の粘液が、シリウスの足を深く絡めとっていたのだ。
ひりひりとする痛みが、防御魔法越しに伝わって、表情を歪めた。
しかし異変は、それだけで終わらない。
「これは……っ!?」
シリウスは慌てて周囲を見廻し、状況が一変したことを、ようやく認識した。
足を引き摺り出して飛び退き、改めて正面に剣を構えて、最大限に警戒を高める。
遠目に見ていた大和と純連からは、全てが見えていた。
「なんだよ、あれ……!?」
「あ、ああっ……」
大和は、震えながら川辺を指差した。
川の水面が真紅に染まった。
幾人もの血液が流れた後のような、凄惨で、不気味な光景が作り上げられていく。
水面が浮き上がり、水飛沫を散らしながら、"巨大な何か"が這い出てきた。
「嘘、だろ……?」
こんなのは知らない。
ゲームの頃を知る大和は、つぶやく。
「そんなの、ありかよ」
こんな強力な敵ではなかったはずだ。
這い出してきたのは、粘液で構成された太くて長い塊だ。ビルの柱や、鉄骨のように太いそれが、合計で八本。川の中や砂利の隙間を割ったのは、蛸のような触手だ。
最弱のボスを遥かに逸脱する証。
それらが本体を囲うように、空に伸びた。
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