第34話 転移者と最初の壁


 いよいよ決戦の夜が訪れた。

 魔物と戦う前の時間は腕が震える。今から相手にするのは、生物として圧倒的に格上で、人類の捕食者である上位の魔物だ。緊張しないほうがおかしい。

 しかし純連は、いつもと様子が違った。


「……何かあったのかしら」


 すでに変身を終えたシリウスが呟いた。

 昨日までは、弱気と不安が伝わってくる態度だったのに、今は俄然やる気に満ちている。まるで、試合前に武者振るいする野球選手のようだ。

 しかし本人は、いつも通り振る舞っていると思っているらしい。じっと見つめられていることに気付いて目を丸くした。


「どうかしましたか、ことちゃん」

「もう緊張は解けたのですか」

「はい。今日の討伐は、すみちゃんにお任せください!」


 自分の胸をどんと叩くほど、強い自信があった。

 

「……そう」


 事情を知らないシリウスは、横目で大和を見る。彼女がそうなった理由は知っているため、大和に戸惑いはない。

 それ以上深く聞いてはこなかった。


「では戦闘の前に、あなたに二、三確認したいことがあるのですが、構いませんか」

「俺に?」

「ええ。あなたの書いたノートは読ませていただきました。この内容について確認したいことがあるのですが」

「ああ、もちろん」


 シリウスが懐から取り出したのは、彼女のスマートフォンだ。写真のアプリを開いて、大和のノートを見せてくる。


「ではまず、なぜあなたは、見たことのない魔物についての詳細を知っているのですか」

「新しい魔法が使えるようになったんだ」


 そう告げると、シリウスは眉を顰めた。


「一体いつ、分かるようになったのですか」

「それは……この間、魔物と戦ったあとからできるようになったんだ」

「変化があったのなら、すぐに報告してください。そう言っておいたはずですが」

「ごめん。色々あって忘れてた……」


 大和は冷や汗をかきながら言い訳した。

 言わなかったのは、純連を励ますために、急遽"そういう設定"を作ったからだ。全面的に謝るほかに選択肢はない。

 

「具体的にその魔法は、どのような効果があるのですか」

「次の進化に使う魔物の素材があるだろう。その詳細が、頭に思い浮かぶんだ」

「……そんな便利な魔法があるなんて、信じがたいですね」


 シリウスが疑う様子を見せるたび、大和は肝を冷やした。


(そりゃそうだよな……都合がよすぎたか?)


 いくら情報が真実とはいえ、魔法を使っているという部分が大嘘であることには変わりない。

 問い詰められるたびに、なんでこんな嘘をついてしまったんだろうと後悔してしまう。


「ですが、ノートに書かれている内容と、すでに戦闘を経験した魔法少女のレポートの記述内容に矛盾はないようです」


 しかしシリウスも、否定的な様子ではあるが、真っ向から否定しているわけではない。興味津々の純連が尋ねた。


「それじゃあ、合っているのですか?」

「分かりません。ですが自分では気づけないような不測の事態を想像できるという意味では有用……というところでしょうか」


 結論がそれだった。

 "進化素材"は外れていても問題ないが、今回は違う。魔法から得た情報というのは不確実性が強い。たとえ真実であったとしても、それを前提に行動するのは危険だ。シリウスはリーダーとして、決断を下した。


「これからも、その能力で得た情報を主軸に行動することはありません」

「ああ。俺もそれでいいと思う」

「そうですか」


 大和も、その意見には賛成だった。

 というより、そのまま信じられてしまったら、その方が怖かった。


 魔物の特性はある程度覚えているつもりだが、記憶違いがあったら大変だ。それにこの世界は、全てがゲームの通りに動くわけではない。隠し玉があったって運営に文句は言えない。最大限、無難な行動を取るべきだろう。


「純連も、ノートを見たとは思いますが、初見のつもりで臨むようにしてください」

「もちろんです。絶対に、油断はしません」


 拳を握って、気を引き締めている。

 その様子を見た大和は反省した。


(余計なことを吹き込んじゃったかな……)


 励ましたくて、わざわざ新しい嘘をついてしまったが、その必要はなかったかもしれない。

 今の純連はやる気に満ちている。

 その根源は、表情を見れば伝わってくる。強い感情で目が燃えていた。

 

(親の仇……か)


 今夜戦うのは、純連にとって因縁の相手だ。

 ゲームでは惨めな敗北をもたらした相手であり、この世界では両親を殺した仇だという。平静でいられるはずがない。

 大和は、純連の願いを叶えたい。

 それには、この討伐を必ず成功させる必要がある。役に立てる限りは、命を尽くしたいと思った。

 





 街の坂を下り切り、神社のバスロータリーまでたどり着いた。

 ここが、悠長に話をしていられる最後の場所だ。


「もう一度、立ち回りを確認しておきましょう」


 シリウスは、クランのリーダーとして、まず大和に命じる。


「あなたは事前に打ち合わせた通り、純連の傍に待機していてください」

「分かった。何をすればいい?」

「近寄ってくるスライムの討伐程度は、問題なく行えるでしょう。他にも新しく"魔法"で情報が得られれば、すぐに教えてください」

「分かった」


 すぐに了承した。

 身を守る魔法を使えない大和に合った役回りだ。

 

「純連は、全員に防御の魔法を。安全地帯の確保と、わたしでは防ぐことのできない遠距離攻撃の防御を任せます」

「そのお役目、確かに承りましたっ!」


 純連も同じく、綺麗に敬礼した。

 そして残ったシリウスは当然、メインアタッカーとして剣を振るう役だ。


 シリウスがボスにダメージを与えて、純連が彼女を守る魔法を使う。

 大和は、戦闘に集中できるように純連を守り、情報が得られるのであれば伝える。


 役回りの割り振りは完璧だ。

 だがその采配を行なったシリウスは、申し訳なさそうに声を低めた。


「あなたにも討伐を任せたかったのですが……ごめんなさい」


 大和もすぐに察した。

 いつ話したのかは分からない。しかしシリウスも、今夜戦う魔物が、両親の仇だということを知っているのだろう。

 だが純連は分かっていたように返した。


「いえ。純連は、純連の与えられた役割を全力で果たすだけです」


 すでに覚悟の上だったらしい。

 ゲームでは自分の手で討伐することに固執していたが、今は違う。


「純連の魔法では、きっと倒すことができません。ですから、ことちゃんに託します」


 純連はシリウスの手を握り締めて、深々と頭を下げた。

 シリウスは僅かに口を開けて、表情を固まらせた。表情からは分かりづらいが、呆気にとられているという風だ。


「……必ずお守りします。そのかわりに、必ず倒してください」

「…………」


 口を閉じて、目を瞑った。

 数秒間が過ぎた。

 シリウスは唇を結んで、何かを堪えているみたいだった。そこから何を考えていたのか、大和では読み解けなかった。


「あなたの願い、確かに受け取りました」


 表情こそ変わらないものの、返した返事には強い力が籠っていた。

 シリウスは、クランのリーダーだ。

 それまでは冷静にメンバー二人を率いる姿勢があったが、様子が変わっていた。まるで純連が内に抱えている、燃えるような心がうつったみたいに、拳を握りしめている。


「魔法少女シリウスの名にかけて、必ずこの討伐は成功させます」


 純連の腕に力がこもる。大和も使い慣れていない剣を、強く握りしめた。


(やれることは、全部やってきたはずだ)


 今分かる情報は全て話した。

 純連の強化も可能な限り済ませている。

 心構えも済んだ。

 シリウスがいる以上、負ける要素も思いつかない。


「新たな未来を拓くために――行きましょう」


 シリウスは剣で、重い空気を切り払った。


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