第16話 転移者と心の柱
ここは、与えられたマンションの一室。
鳥居大和の名義で、いつの間にか国から貸し与えられていた自室だ。
寝転がりながら、天井をぼんやりと見つめていた。
「……帰りたい」
あれほど仕事が嫌いで、逃れたいと思っていたはずなのに。
憧れの魔法少女と現実で知り合えたというのに、心は全く晴れない。
「どうするんだよ、こんなの……」
胸を抑えると、気持ち悪く疼いた。先行きの見えない不安と、苦しい気持ちが、大和を追い込んでいった。
パソコンでも見て現実逃避したかったが、スマホは国家に管理されてるインターネットにしか接続できず、望むものはそこに存在していない。
いつものように雑多な情報ばかり掲載されるSNSも、動画サイトも見れず、ソシャゲもインストールすることはできなかった。
「俺のせいで、ストーリーが変わったら……どうしよう」
下手に未来を知っているせいで、悪いことばかり考えてしまう。
身を守るために強くなりたいと願った。
でも、そのせいでストーリーが、どんどん破綻へと近づいている。
七夕琴海はメインキャラクターの一人だ。
主人公とクランを組み、ラスボスと戦う運命を背負っていたはずだった。
しかし、彼女が主人公とクランを組む未来はなくなった。他ならぬ自分の行動のせいで、未来が不確定に変わったのだ。
「いや、きっと何とかなる。今は目の前のことをやらないと……!」
布団の上で唸っていた大和は、唇を噛んで不安に耐えた。
自分に、主人公のような能力はない――そんなことはわかっている。
だが、こんなところで死にたくない。
世界が滅びれば自分も死ぬが、そうなれば、魔法少女達も黙っていないはずだ。
もう、そっちは任せるしかない。
自分は自分で、できる努力をするまでだ。
解決策を持たない今は、漠然とした不安に、ひたすらに耐え続けることしかできなかった。
――気付いた時には、一睡もせずに朝を迎えていた。
「ど、どうしたんですか。目元が凄いことになってますよ……?」
「何でもない。昨日はちょっと寝れなくて」
すでに登校していた純連に、ものすごく心配されてしまった。
大和は苦笑いして、手を振ってかえした。
「もしかして、ゲームとかですか?」
「いや……まあ、色々かな。徹夜には慣れてるから平気だよ」
意識に、もやがかかったような状態だったが、日常的に何連勤もしている大和にとってはいつも通りだ。愛想笑いして返した。
「徹夜に慣れてはいけないと思いますが……せめて休み時間に、少しでも寝てくださいね……?」
「ああ、うん……夜には体調も戻ってると思うから、大丈夫」
徹夜なんてするものじゃないというのは、完全に同意見だ。
体が若返ったおかげか、普段よりもずいぶんと頭痛が少なく感じる。しかし、それでも調子が悪いことは間違いない。
これが日常だった現実には、やっぱり戻りたくない。改めてそう思った。
「……そうだっ、これ飲んでください。気分がよくなりますよ!」
そうして頭を抑えていると、純連が目の前に何かを置いてきた。
未開封のパックのジュースだった。
「せっかく買ってきたのに、それは悪いよ」
大和は断ったが、純連は首を横に振った。
「おうちに十箱ほど買いだめしてありますので、構いません。ぐぐっと飲んじゃってください!」
「箱……えっ、そんなに?」
「お気に入りなので。それに心配いただかなくても、この通り。予備の分もバッチリです!」
ポケットからさらに二つ、同じパッケージのものを、自慢げに取り出してみせた。
「じゃあ……いただきます」
「どうぞどうぞ!」
大和は少しためらいながら、机の上に置かれた、大好きな魔法少女からの貰い物を手に取った。
正直、勿体なさすぎる。
しかし本人が期待のまなざしで見ている。持って帰って感慨にふけることはできない。
ストローを指して口に持っていき、吸うと、甘いバナナの味がいっぱいに広がった。
「おいしい」
「そうでしょうとも!」
曇っていた頭が冴えていくような感じがして驚いた。
甘さがちょうどいい。滑らかな舌触りが、頭が鈍った今は心地よかった。
純連は満足げに鼻を鳴らした。
「無理はしちゃだめですよ。ゆっくり休んで、体をいたわってください」
「あ……」
大和は、心が温まるような、不思議な気持ちになった。
急に、目頭にこみ上げてきた。
咄嗟に袖で、まぶたをぬぐう。
そんな反応を見て驚いたのは、純連だ。
「うぇっ!? どうしたんですか!?」
「あ、いや、ごめん。ほんとに……何でもない。欠伸が出ただけだから」
その場を取り繕うために、とっさに言い訳する。
だが、涙が止まらなかった。心臓が痺れる感じがする。こんなに優しくされたのは、いったいいつぶりだろう。
(もう一生、この夢、終わらないでくれ)
もう、これが現実であることを疑っていない大和だが、そう願ってしまう。
他人とは距離をあけられて、冷酷にこき使われる毎日だった。それが現実だ。だから、こんなに優しくされたことはなかった。
「……大変だったのですね。今は休むといいと思いますよ」
純連は何かを察したのか、深くは聞かなかった。
大和の背中を優しく撫でる。
その表情は、慈愛に満ち溢れていた。
現実ではあり得ない、あり得ない優しさに、より一層涙が溢れそうになった。
「っ……」
彼女でなければ、ここまで感情は揺さぶられなかっただろう。
ずっと心の支えだった彼女が、そばにいて、優しくしてくれている。
それが、あまりに心地いい。
小さな手で背中を撫でられながら、まだ人の少ない教室で、机に突っ伏して涙を隠した。
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