第10話 転移者と魔物討伐


「ところで、なんだか他人行儀な感じじゃありませんか?」


 魔物討伐に向かう道すがら、純連は不満げに言った。うつむいていた大和は目を丸くする。


「何のことだ……?」

「名前ですよ、名前! 純連のことは、名前で呼んでほしいのです!」


 大和の間抜けな声を無視して、びしっと指先を向ける。


「え、ええっと……いいのか?」

「もちろんです。あだ名でも何でもいいので、いい感じにお願いします!」

 

 びしっと敬礼する純連に、大和はすぐに言葉が出てこなかった。

 さっきまでの空気は消し飛んでいた。


(あだ名って……そんなの、いいのか?)


 大好きなキャラクター本人を目の前に、あだ名で呼ぶなんて許されるのだろうか。

 いや、本人がそう言っているのだから、呼ばない方が失礼にあたりそうだ。


「じゃ、じゃあ……純連すみれだから、すみちゃん?」

「おおっ」



 ――攻めすぎたか。


 言ってから後悔したが、意外に反応は悪くない。


「いいじゃないですか!」


 対照的に、純連の反応は、とても好感触であった。

 満足げにすみちゃん、すみちゃんと小声で反復して、最終的に頷いていた。




 こんな攻めた名前を口にしたのは理由があった。

 ネット上で使われていたキャラクターの"通称"。”アルプロ”がスタートした頃に、八咫純連につけられた名のひとつが「すみちゃん」だった。それを大和が使い慣れていた。だから咄嗟に出てきたのだ。

 

「採用です! すごくいい名前です!」


 しかし、こんなに気持ち良く受け入れられるとは思っていなかった。


「ほんとにいいのか、それで……?」

「はい。とても気に入ったので、これからは魔法少女すみちゃんと名乗ることにします!」

「魔法少女すみちゃん」


 SNSの文化を逆輸入してしまった。

 大和はまたも、本当にいいのだろうかと、頭を悩ませた。


(いや、でも、すみちゃんって、確かにこういうキャラクターだよな)


 距離が近くて、親しみやすくて、笑顔が絶えない。

 気に入ったものに対する愛情を、全力で隠せずに表に出していく。そんな生き方が好きな大和は、暗い空気になっていたことも忘れて、思わず笑った。


「ではこれから、すみちゃんを呼ぶときは、そのようにお呼びくださいっ!」

「えっ」

「……なんですか。その『えっ』ていうのは」

「え、だって……」


 それまでほっこりとしていた大和は、しまった、と思った。

 

(この名前、俺が使わなきゃいけないのか……!?)


 とりあえずあだ名を出しただけで、自分で使うとは欠片も思っていなかった。

 この名前を考えたのは自分ではないが、しかし提案したのは自分だ。これから純連を呼ぶときには「すみちゃん」と言わなければいけない。


「じー……」


 ジト目の純連は、さっそく気安く呼ばれるのを待っているようだった。

 SNSで書き込むぶんには、何の抵抗もなかったが、いまの彼女は現実で、年頃の女の子だ。そんな馴れ馴れしく呼んでいいのか?


「わくわく」

(言えない……!)


 いいわけがない。しかし、言わないわけにもいかない。

 そんな大和の躊躇を、たんに恥ずかしがっているだけだととらえたのか、両拳を首元に持ってきて、がんばれ、のポーズをとっている。


(尊い……!)


 言うか、言わないかの天秤が、がくんと傾いた。


「す、すみちゃん……」


 半ば顔を沸騰させながら、恥ずかしさを堪えつつ、言ってしまう。

 死ぬかと思った。

 だがしかし、純連は満足そうに顔をほころばせた。


「はいっ! それではそれでお願いしますねっ!」

「う、うん」


 死ぬ。

 全身が痒くて、恥ずかしくて、でも空に浮かぶような感覚だ。


「それじゃあ、次はあなたの方ですね」

「俺?」

「そうです。次は、あなたの呼び方を決め……あっ。ちょっと待ってください」


 途中まで言いかけた純連は、急に言葉を止めて大和を腕で制した。

 川沿いの道から堤防の下に目を向けている。大和もその方向を見た。坂の向こうに草地の道が伸びており、警戒していた。

 街灯がないせいで暗くてよく見えないが、何かがいるようだ。


「音を立てないように。ほら、あそこを見てください」

「え……? なんか赤いのが動いてる……」

「あれがレッドスライムです。ゴブリンよりも弱いですが、侮れませんよ」


 赤色のスライムが二匹、蠢いていた。

 河原の傍の草むらで、粘液は何をするでもなく、体を揺らしている。


(ゲームの中に出てきたやつだ……)


 大和は、唾を飲んで喉を鳴らす。

 やり込んでいる大和は、当然のようにその存在を知っていた。

 ”アルプロ”の最弱モンスター。

 あれはゴブリンに並ぶ程度のステータスを持つ敵キャラクター、レッド・スライムだ。


 ゲームでは、オートモードで余裕で倒せるため、気にも留めない相手だった。

 しかし現実にして目の当たりにすると、全く感覚が違っている。

 一度ゴブリンに殺されかけた経験が、大和の体をこわばらせる。自然に肩に力がこもった。


「純連が後ろから援護しますから、まずは練習。いってみましょうか」


 弱気になっているのを見透かした純連が、背中を押してくれた。

 振り向くと、親指を立てて見送ってくれる。


「いきなり一人で、あれと戦うのか?」

「問題ないと思いますよ。まずは戦ってみないと慣れないでしょう」


 確かにその通りだ。

 バットを握る手を見ると、異常に、汗が滲んでいることに気付いた。

 気づかれないように、ズボンの裾で拭き直す。


「大丈夫です。危なくなったら、ちゃんと魔法でお助けします」

「わ、わかった……やってみる」


 そこまで言われて、やらないわけにはいかない。

 経験値を稼ぐなら、いつかは通る道だ。

 意を決して、大和は堤防の階段を降り始める。



 近づいてみると、二匹のスライムは人間の頭ほどの大きさであることがわかった。

 体を構成する粘液の中に、黒色の核を内包しているのが見える。あれさえ壊せば、ただのサラリーマンだった自分でも、きっと倒せるはずだ。

 純連も、後ろの方で見守ってくれている。


(大丈夫。こいつらは、レベル一の初期キャラでも倒せる弱モンスターだ)


 バットを握りしめながら、まずは最初の一歩を踏み出した。

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