第5話 転移者と偽りの入学式


 この世界には、特殊な教育機関が存在している。

 国家が直接管理しているその学校では、小学生から大学生程度の幅広い年齢の、とある"才能"を秘めた少年少女が集められ、普通とは違う教育を受けることになる。



 どういうわけか、大和もその『国立桜花学園』に入学することが決まっていた。

 とっくの昔に社会人になったはずなのに、朝を迎えた今、男性用の学生服に着替えていた。


「……コスプレかよ」


 洗面所の鏡にうつった自分の姿を見て、思わずそう言って自嘲した。

 既にアラサーである自分がこんな紺色の服を着ても、痛すぎるだけだ。


 ――だが、肉体が若返っているため、姿は案外さまになっていた。普通に過ごしていれば学生の集団に紛れても違和感はない。

 気づかないのは、当人ばかりだ。

 

「はぁ……気が重いな」


 着替えても、憂鬱な気分は晴れなかった。

 こんなにも気分が沈むのは、これから始まる二度目の学校生活を憂慮しているせいだけではない。


「……やらかしちゃったもんなあ」


 それもすべて、数日前の出来事のせいだ。




『とにかく、もう危ないことはしないでくださいよっ!』


 大切に思ってきたキャラクターと出会い、そして大迷惑をかけてしまった。

 彼女が大和の危険な行為を咎めるのは、当たり前だった。

 あの失態が、数日間続いている気分の落ち込みの最大の原因だ。


「ちゃんと、謝らないと」 


 会ったら、改めて謝らなければいけない。

 数日間過ごしてきて、ゲームの世界が現実になっていると、ようやく大和も認め始めていた。

 後ろ向きな理由ではあったが、同じ学園に通っているはずの少女と再会できることを願っていた。

 






 その日は、真夏の日差しが街に射し込んでいた。

 綺麗な日本晴れだ。

 手で太陽光を遮るが、熱気で湿って気持ち悪くなったシャツの感覚は止められない。服を握しめりながら、スマホを頼りに進んでいく。

 地図アプリで学校の位置を確かめると、家からは意外と近いみたいだ。


「……学生しか見かけないな」


 周囲に、同じ学生と思わしき人影が現れ始めた。

 しかし当たり前の光景だ。

 なぜなら、この地区に他の学校や、会社はない。

 きっとあの全員が、ゲームの舞台となる国立桜花学園の学生なのだろう。


(それにしても、女子が多いな……?)


 しばらく観察していると、大和は気づいた。

 相当にレベルの高い美少女ばかりが揃っているのに、男子はいたって普通の顔ばかり。そして歩いているうちの八割が女子学生で、人数差が、偶然で済ますことができないほどに偏っている。


(まさか、美少女スマホゲームだから、とかか?)


 不可解さの理由を推察して、背筋が寒くなった。

 ここは現実のようだが、やはりゲームの中なのだろう。

 まるで紛い物の中にいるような、得体の知れない、気味の悪い感覚になった。


「…………はぁ」


 楽しげな学生の横で、浮かない表情を浮かべる。

 まるで自分だけが仲間外れみたいだ。

 大和は、誰とも目を合わせないように歩いた。


 



 人の流れに沿って歩いてきた大和は、建物を見上げた。

 山の中に建てられた校舎。

 本物はもっと重厚で、現実感があって、それでいて活気に満ちていた。


「ここが、国立桜花学園か」


 ゲームで見た景色とはまるで違う。

 そこは普通の学校よりもずっと広く、何棟も続いている、風格ある建造物だった。 


 世代ごとに建物が違うらしく、看板に書かれている案内の矢印は多岐にわたっている。

 大和の行くべき建物は、奥の方だ。

 リアルに動いている学生が、楽しげに雑談をしながら、列をなして建物に入っていく。その入り口には、『桜花学園高等部二期生入学式』と書かれていた。


 今は入学式を行うような季節ではないのだが、この時期のイベントは、常に入学生を受け入れている桜花学園ならではだ。

 "才能"を得た子供は希少であり、逐次的な受け入れを行っているらしい。

 慣れた様子の学生と、初々しい雰囲気の学生が混ざっているのは、そのせいだ。


 物語の部外者であったはずの大和も、その一員として、彼らの中に混ざっていく。

 下駄箱の前の掲示板に学生が群がっているのを見つける。

 そして、多少は緊張しながら、クラス分けの掲示板に書かれた自分の名前を探した。


「……あるな」


 間違いなく、"鳥居大和"の名前を見つけた。

 入学自体が何かの間違いだった、ということはなさそうで、少しだけ安心した。



 人混みを抜けて、スマホを確認しつつ、一人で指定された教室に向かう。


 学校の雰囲気はずいぶん久しぶりだ。

 会社や列車の人混みとは全然違う、和気藹々とした空気は嫌いではない。この空気を懐かしみながら、階段を登った。

 その途中で、スマホを持ったまま、足を止める。

 

「あれは……」


 視線は、廊下の向こう側に固まった。


「同じクラスでよかったっ。よろしくね、ろくくん!」

「ああ、よろしく頼むよ、光」


 知っている顔の少年と、可愛らしい少女が談笑しているのが見えたのだ。

 親密な様子の二人は、互いに幸せそうな笑顔を浮かべている。

 無関係なはずの大和は、そんな二人から目が離せなくなっていた。


「ん……?」


 歩いて来た彼らは、廊下の真っ只中で立ち尽くす大和に気がついた。

 学校の中でも、群を抜いて綺麗な少女が、不思議そうに大和に話しかけてくる。


「あの、どうかしましたか?」

「えっ」


 話しかけられると思っていなくて、言葉をつまらせた。


「あ、い、いえ。その、何でもないです」


 怪しまれないように、大和は、慌ててとりつくろった。

 桃白色の少女は不思議そうに首を傾げる。


 大和が、動揺しているのには、理由があった。


(うそだろ、ヒロインと主人公だ……っ!)


 目の前に現れた二人のことを知っていた。


 彼女こそが、作中の正ヒロイン。夜桜光。

 そして傍らで微笑む、黒髪の彼は、"アルプロ"の主人公――青陽せいよう ろく

 

「そうか、君も同級生なんだね。ということは、一人で学園に入学したのかな」

「は、はい……そうです」


 大和に対しても、緑は優しい言葉をかけてくる。

 彼こそが物語の中心軸となる人物であり、多数の美少女ヒロインを引き連れて、命がけで戦う使命を背負ったキャラクターだ。

 プレイヤーの代理人でもある彼は、大和にも優しかった。 


「色々と大変なこともあるだろう。わからないことがあったら、声をかけてね」

「ありがとうございます……」

「じゃあ僕たちは行くよ。同じクラスだったらよろしくね」


 笑顔で大和のことを迎え入れてくれた二人は、廊下を歩き去っていた。

 大和はしばらく立ち尽くしたが、やがて逃げるように反対側に歩いていく。

 主人公勢から離れると、人目につかない踊り場の物陰に隠れてから、胸元を抑えた。心臓がバクバク鳴っていた。


「アルプロの主人公……ちゃんと、いるんだ」


 興奮がおさまると、一気に安心する気持ちになった。

 もしかすると自分が"主人公"の立場になったのではないかと危惧していたからだ。

 予想が外れて、心底ほっとした。


(よかった……)


 たとえゲームの世界でも、人命や、世界の命運を掛けるような、過酷な運命なんて自分が背負えるはずがない。ただの会社員でしかない自分に、そんなことできるはずがない。

 しかし主人公になってしまったのなら、やらなければならなくなってしまう。

 とりあえず、そうはならなそうで安心した。


 だが……。


「いや、それはそれで、全然よくないだろ……!」


 それは朗報ではない。モブの一人になってしまったのなら、それはそれで大問題だ。


 なぜなら、この世界のモブキャラクターは、ある宿命を背負っているからだ。


「俺、悲惨な目にあって死ぬんじゃないか……?」


 ゲームのプレイヤーだけが知る裏事情を、理解してしまっている。

 そのせいで、悲惨な末路が容易に想像できてしまったのだ。



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