第4話 転移者と片思いの創作物
危険地帯に足を踏み入れてすぐに、想像していた通りに"聖地"を見つけることができた。
「間違いない、ここだ」
一見すると何の変哲もない交差点で、特別な場所には見えない。
観光地でもなければ、オブジェが存在しているわけでもない。
しかしここは間違いなく、アルプロの中で『背景CG』として使われている場所だ。
そして何より、ここが”彼女”のキャラクターストーリーの中で頻繁に登場する場所なのだ。
大和は体を回して、建物のすみからすみまで見逃さないように探していく。
「どこにいるんだ……?」
この場所には、"彼女"がいるはずだ。
あたりを探しながら、ゆっくりと交差点の車道を歩き回ってみる。
真っ直ぐに伸びる、明滅する街頭の夜道。
長く使われた気配のない廃屋。
人の気配は皆無だ。
どんなに待っても、想像していたような人物は現れない。
「あ、あれ……?」
奇妙な現象は、何一つ起こらなかった。
ぽつんと一人。荒廃した街で佇んでいる。
少しづつ焦燥感がこみ上げてくる。
「お、おい。夢なら覚めろよ。早く、もういいってば」
心寂しい感情に襲われた大和は、慌てて空に向かって叫んだ。
だが、返答はない。
しだいに表情が青ざめていく。
いまの自分が、とんでもない行動をしでかしていることに、ここにきてようやく思い至ったのだ。
大和が訪れても、特別なイベントは発生しなかった。
夢は、それほど都合よく作られていなかった。そのことがわかると、しだいに焦る気持ちに支配されていく。
「やばい……は、はやく戻らないと」
いるかどうかも分からない相手のために、こんな恐ろしい街に残ることなんてできない。この場所は、素手の大和にとって本当に危険なのだ。
逃げ出そうと踵を返そうとした。
――その瞬間だった。
「……え?」
背中の方向から、物音が聞こえた。
痛いほどの静寂の中、ひたひたと聞こえてくる。コンクリートの上を裸足で進む、何かの生物の足音だ。
背筋に、ぞっと嫌な汗が流れた。
振り返りたくない。
だが、恐怖に駆られていても、思わず振り返って確かめてしまった。
「ひぃっ……!」
喉の奥から溢れたのは、生まれて初めて捻り出した、悲鳴だ。
明滅する街灯の下から姿を現したのは、緑色の人型。二体の、子供のような背丈の異形。
ファンタジー世界に関わる創作でしか見たことのない"魔物"が、たしかにそこにいた。
「っ、や、やば……っ」
手ぶらの大和の腰は、完全に引けている。
望んだ相手の姿なんてどこにもない。
棍棒を持って、にじり寄ってくるのに、すぐに逃げ出すことができなかった。
ゲームでは、ゴブリンは最弱の魔物だ。
しかし、現実に殺意を持って迫ってくる相手は、画面越しに見るものとはまったく違っている。一介の社畜でしかない大和が、冷静でいられるはずもない。
「や、やめろ、夢覚めろ、はやく覚めろよっ!」
頭を抱えて、何度も必死に念じる。
しかし覚める気配はない。
少しづつ距離を詰められ、状況が悪くなっていく。現実逃避をしている場合ではなかった。
(逃げないと……!)
考えている時間はなかった。来た方向に戻ろうとして、鶏を締めたような悲鳴があがった。
「ひぃっ……!」
向こう側にも、いつの間にか新手のゴブリンが二匹、行手を塞いでいる。
背後の二匹もいつの間にか散開しており、大和の逃げ道を完全に無くしていた。
『ギギッ、ヒィ』
ゴブリンは醜い顔に悪辣な笑みを浮かべた。
武器さえ持たずにこの場に来てしまった、妄想に取り憑かれた哀れな人間を、嘲笑っているみたいに、下衆な声を鳴らしている。
考えもなくこの場所に来てしまったことを、いまさら後悔した。
だが、もう遅い。
『ギャギャァッ!』
一匹が大和に向かって、棍棒を振り上げながら、強く地面を蹴飛ばした。
「や、やめろっ!」
腕を掲げることで、せめて頭を守ろうとした。
そんなもので、攻撃を防げるはずがない。
腕の骨は確実に折れる予感があった。
怖くて、目を開けていられない。
『ギャッ!』
だが。
悲鳴をあげたのは、ゴブリンの方だった。
「え……?」
その異変に恐る恐る目を開ける。
ゴブリンは仰向けにひっくり返って、コンクリートの上で痙攣していた。
何が起きたのかわからない。襲ってきた相手が、今は地面に倒れていた。
「な、なんで……?」
ゴブリン達の視線が、大和ではない別な方向に向いていることに気づいた。
大和も、その方向に視線を向ける。
二階建ての廃屋の上に、小さな人影があった。
「悪行はそこまでですっ、ゴブリンさん!」
曇り空が裂けた、月夜の下に、少女が立っていた。
四匹のゴブリンは、乱入者に警戒する雰囲気を見せる。
大和は、少女の声に聞き入っていた。
夜陰に覆われた、小さく愛らしい姿に魅入られ、胸が高鳴った。
「とうっ!」
廃屋から軽く飛び降り、何事もなく着地してみせる。
その少女は、青色基調の巫女服のような、非常に珍しい和装をまとっていた。
「かかってきてください。最強の魔法少女が、相手になってあげますっ!」
ふっくらツインテールの少女は、ゴブリン達を順に見比べて、ふふんと息をつき、少し調子づいた声で、先頭のゴブリンを指差して挑発した。
ゴブリンの関心は、大和から一気に、挑発した彼女に向かった。
『ギャ、ギャァ! グギャ!』
先頭の二匹が、醜い叫び声をあげながら、棍棒を振りかぶって跳躍した。
「お、おい、危ないっ……!」
「通しませんっ、『リフレク・シールド』ですっ!」
振り下ろされた棍棒は彼女に当たる直前で、水色がかった透明な壁に弾かれ、棍棒は思い切り跳ね飛ばされた。
二匹のゴブリンは、衝撃のまま、コンクリートに頭を打ち付ける。
『ギ……ガッ』
それで、意識を失った。
目を瞑った頭は横を向く。残った二匹も攻撃をやめて足を止め、慄いたように和装の少女を見上げた。
「まだやりますか? 相手になりますよ!」
そんな挑発に、今度は互いに顔を見合わせる。
そして二匹とも諦める決断を下したのだろう。踵を返して、戦いの場から、建物の影に向かって、素早く逃げ出していく。
少女は、それを追いかけなかった。
それで戦いは終わった。
「あ……」
すると目の前で、不思議なことが起こった。
反動で倒れていた二匹のゴブリンは光に包まれ、白い粒子になって夜の中に消えて、緑色の体が跡形もなく消えたのだ。
現実的ではない光景を、尻餅をつきながら、唖然と見ていた。
「危ないところでしたね」
和装の少女は、ほっと息をついて、それから大和を呆れたように見る。
「ところで……どうして夜中に普通の人が、ここにいるのですか?」
本当に、呆れ返っている声色だったが、大和は心ここにあらずといった具合だ。
そんな態度が、少女をますます呆れさせる。
「まあ、魔物に襲われて、動けなく気持ちはわかりますが……」
少女の小言は、全く聞こえなかった。
いや。より正確に言い表すならば、その声色だけを、いつになく正確に聞き取っていた。
言葉にならない感情が、喉を塞ぐ。
それは"アルプロ"で、繰り返し、何度も聞いた声だ。
「それ以前に、そもそも、ここは立ち入り禁止区域でして――」
間違えるはずがない、彼女だ。
仕事で疲れ果てた時には、彼女の声を聞いて慰められてきた。
専用のサブストーリーを、何度もリピート再生したし、トップページで、リーダー・キャラに設定した彼女を何度もタップした。
放置ボイスを聞くために、ゲームの画面を付けっぱなしにしたことも忘れられない思い出だ。
「武器も持たずに来るなんて、さすがに常識がありませんよ――」
切望した新規ボイスが、惜しげもなく次々に繰り出されている。
「って……あーっ! さては聞いていませんね!?」
怒ったように頬を膨らませて、迫ってくる。
遠慮のない和装の少女は、どうしようもなく、弱った大和の心を奪った。
画面の向こう側の少女が、目の前に立っている。
手を伸ばせば届く距離に立っている。
感動と安心感の波に襲われる。しかしそれが過ぎ去ったあと、ようやく謝罪の言葉が溢れた。
「ごめん、なさい」
「はい。ちゃんと感謝してくださいねっ」
それを聞いた和装の少女は、大和の態度を見て、鼻息を吐き出した。
腕を組んで、ふんぞりかえる。
「これから出歩くときは、ちゃんと誰か護衛の人をつけるなり……えっ」
少女は、大和の様子が変わっていることに、ようやく気がついた。
「あ、あのっ、どうして泣いているのですか?」
泣いているのだ。
それも、ちょっと泣くという程度ではない。大粒の涙をボロボロと流している。
「あ、あの……怖かったんですか? わわっ、すみません。きつく言いすぎてしまったのでしょうか……?」
そこからは、すっかり立場が逆転した。
説教する立場だったのに、"彼女"は目を丸くして、申し訳なさげに謝罪に回る。
でも、そうじゃないんだと大和は言いたかった。
息が苦しい。
涙が溢れて止まらない。声が出てこない。
長年願っていた。
"彼女"に恋をした日から、ずっと現実で会いたいと思っていた。
大和はいま、一番見たい夢の中にいた。
勝手で、あまりに一方的な感情だということは分かっている。
それでも彼女は、自分の救世主だ。
ずっと感謝を伝えたいと、ずっと思い続けてきたのだ。
「あ、あっ……」
それなのに、いざ出会ってしまうと、嗚咽が溢れて何も言えない。
長年ため込んできた感情が一気に溢れて、すっかりめちゃくちゃになっていた。
「あっあ、あり、がと……う」
「よし、よし。怖かったんですね。大丈夫です、もう大丈夫ですからね」
和装の"彼女"は少し困ったような雰囲気だったが、感謝を聞くと、慈愛に満ちた笑みで頭を撫でて、優しく連れ添ってくれる。
荒廃した町にそぐわない、穏やかすぎる空気が流れた。
――あり得ない出会いが起こった。
ソーシャルゲームの、しがないユーザー。
そして運営から見捨てられた、ありふれた
二人の出会いは、世界の運命を大きく変えていく。
シナリオライターでさえ知らない、ありえない未来へと導いていく。
この出会いが、全てを始まらせた。
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