第3話 転移者と現実からの逃避


 それからの大和は、部屋に引き篭もった。


 食事や生活用品は、近所にスーパーが営業していたので何とかなった。だがそこで、学生と思わしき少年少女を見かけても、かたくなに視線を逸らして話しかけず、青白い顔のまま日々を過ごし続けた。


 最初は夢だと思っていた。

 だが何回寝ても、夢は終わらなかった。

 


 

 それから数日が経って、入学が近づいてきた頃。


 大和はアパートの扉を開けた。

 日は暮れ始めており、過ごしやすい気温まで下がっていた。

 真夏だが、この時間はとても快適で過ごしやすい。

 マンションの入り口まで出てきて、あたりを見回す。入居しているアパートのほかに、明かりが点っている建物は一つもない。

 まさしく、ゴーストタウンという言葉が似合う、不気味な街だと改めて思った。


「この夢を、早く終わらせないと」


 大和は何度も、自分に言い聞かせる。

 夢遊病患者のように歩き進んだ。

 夕暮れの空の向こう側に、邪悪な暗雲が見えている。だが決して、真正面から向かい合おうとはしない。


 街で、他の人とはすれ違わない。

 国が運営している施設も、この時間には全て閉まっている。民間の店は一店舗も存在しないので、夜は出歩く意味がない。

 だから大和は、いまも一人ぼっちだ。


 夜風が、服の内側を吹き抜けて、寂しい感情を揺り起こしてくる。

 地面を踏み締める音が街に響く。

 五感が、否応なく現実感を煽ってくるが、ここは現実ではないんだと、自分自身に何度も言い聞かせた。

 

(ゲームの世界に来たなんて、そんな話があってたまるか)


 なぜ、こんな夢を見るのか。

 大和には心当たりがあった。

 このゲームに人生を賭けてきた。

 現実を見ずに済む、一番都合の良い心の逃げ場がここだった、ということだろう。


 都合の良い妄想を信じたりはしない。

 なぜなら、自分の人生に良いことなんて起こるはずがない。

 今までずっとそうだったし、まして今いる場所が"本物“だなんて、ありえない話だった。

 だからこれも、今までと同じ結果に終わるだろう。



 勉強していい成績を出しても、第一志望の大学に入れなかった。

 就職活動では、ようやく内定を貰えたと思ったらブラック企業。

 仕事では、どんなに努力して完成させても、褒められるどころか、けなされた。


 一見、いいことが起きても、最後は失敗に終わる。それが鳥居大和の人生だ。

 この夢がどんなに望んでいたものであっても、一番良いところで裏切られることは分かっている。

 おおかた、『自分の大好きなとあるキャラクター』が出たあたりで、全部なかったことになって、目覚めるのだろう。


 だから大和は、受け入れることを拒む。



「全部、早く終わらせて、目を覚まさないといけないんだ……」


 こんな悪夢は、早々に終わらせければいけない。

 一刻も早く帰還して、積んでしまった仕事を消化しなければけない。

 自分がいないと、仕事は回らないのだ。


 今からこの夢を終わらせる方法を実践する。

 簡単だ。

 夢が自分の都合のいいようになれば終わるのなら、都合のいいようにしてしまえばいい。


 このゲームの中には、大切に思っている登場人物キャラクターがいる。

 そのためにゲームを続けていたのだ。

 その人物に会えれば、大和は最も幸せになれる。だから、会いに行けば、この馬鹿げた夢も終わるだろう。


(……もし会えたら、そこでも死んでもいいな)


 現実に帰還できるか、愛しい少女に出会うことができるか。

 どちらに転んでも都合がよかった。



 



 紙の地図を取り出して、周囲の景色から、現在位置を確認する。


「はぁ、はぁっ……まだ、結構先か。遠いな」


 歩いてみて、案外マップが広いことに気付いて、疲れた声を出した。

 地図には目的地の×印と、経路を手書きしてある。地図機能のあるスマートフォンには、追跡のGPS機能がついているため、万一を考えて置いてきた。


「はぁ、確か、この辺りだったはず……だよな」

 

 滲み出た汗を拭いつつ、目的のものを探す。

 しかし途中で足を止めて、とっさに身を隠した。遥か向こうで、赤いランプが点滅しているのが見えたからだ。

 

「っ、やば……」


 汗がつうっと、額を流れる。

 しかしパトカーではなかった。

 赤ランプの回転灯は、その場所から動くことなく、固定されて設置されている。


 あれは検問所だ。

 この場所が安全地帯で、向こう側は“敵”の出現する危険地帯。二つの地区を区切るために設置された施設がすぐそばに迫っていた。

 数人の人影が動いているのが見える。

 大和がやろうとしていることは、不法侵入にあたる。

 見つかったら大変なことになってしまうので、そそくさとその場を離れて、抜け道を探した。


 ぽつんと、森の中に真っ直ぐに続く獣道を見つけた。


「やっぱり、全部ゲームの通りだ……」


 これはゲームのキャラクターが使っていた、検問所を通らずに危険地帯に向かうための、特別なルートだ。

 検問所の人間は、大和に気付いていない。

 静かな夜に、雑草をかきわけて、奥へと足を踏み入れていった。




 森の中は、足下を見るのも苦労するくらい暗かった。

 スマートフォンがないため、ライトもない。ついでに武器もない。地図のほかに何の用意もしてこなかったことを後悔したが、いまさら遅かった。


「どうせ夢なんだから、関係ない。大丈夫……!」


 しかし、問題ないと強気に首を横に振った。

 どんなに暗かろうと、敵が出てこようと、夢から覚めるだけなのだから何だって構わない。

 深く考えずに、手探り、足探りで笹をかき分けて、なんとか先に進んでいく。


 やがて暗かった目の前が、少しづつ見えるようになってきて、立ち止まった。


「本当にあった……」


 木々の隙間から見える、あれは街灯だ。

 坂道を滑り降りて砂利を踏むと、明らかに人為的に作られた道に出る。あたりに生物の気配は全く感じない。虫の声さえも聞こえない。

 向こう側に、幅の広い道路が見えた。

 道に沿って歩いていくと、大きなロータリーのバス停を見つけることができた。

 朱色の鳥居が、大和の前に鎮座している。

 ここがゲーム内に登場する神社だということは、すぐに分かった。


「ゲームの世界とは思えないな、やっぱり……」


 本当に、現実みたいだ。

 周囲の街灯はちらちらと明滅しており、看板はどれも惨めに茶色く錆びている。木造の建物も痛々しく破損し、蜘蛛の巣が何重にもかかっていた。

 きっと見捨てられて、数年は経っているのだろう。


「…………」


 この先に進めば、目的の場所があるはずだ。

 今から足を踏み入れる。

 そう思うと、背筋が寒くなった。

 だが、ここまで来て足が止まるはずがない。


「……行こう」


 夢かどうかを確かめるためにも、"彼女"に会わなければならない。

 ありったけの勇気を出して、無人の神社を背にした。


 





 決して振り返らないように、先に伸びる道路を恐る恐る進んでいく。

 そして橋を渡ると、信じがたい光景を目にすることになる。


「夢……なんだよな、これ……?」


 決して現実であってはならない。


 一見すると、普通の住宅街と変わらない。

 だが、その街に人間が住んでいないことは明らかだった。

 その場所にも、終わりの景色が広がっていたのだ。



 バス停があるにも関わらず、車は一台も走っていない。それどころか、割れたコンクリートの隙間から、好き放題に雑草が生い茂っていた。

 電柱が倒れて、電線が切れている。だが歩道の信号は青赤に、不規則な明滅を繰り返している。小規模な商業施設は、閉店しているにも関わらず、残されたネオンだけが無理に輝こうとして、火花を散らしていた。

 ここは、まるで亡霊の住む街だ。

 心臓がきゅっと収縮して、胸を抑えた。

 

「やっぱり、夢だ」


 こんなのありえない……現実のはずがない。

 乾いた声で、笑う。

 やっぱり現実感なんてない。ありえない。



 大和は一度、現実でこの場所に来たことがある。

 いわゆる聖地巡礼というやつだ。

 会社の出張に乗じて観光したときの記憶が、頭の中に残っているのだろう。だから、こんなにも景色が鮮明なのだ。


「……行こう」


 もしも場所が変わっていないのなら、この先にある。

 鳥居大和が"アルプロ"を始めるきっかけになった少女が待ち構えているはずだ。


 危険地帯に、足を踏み入れた。

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