ACT 1 そうだ、海に行こう!
1(1)そうだ、親睦会をしよう!
一年間務めた職場を辞め、なぎが紅茶館を経営するようになってから三、四ヶ月が経ったある夏の日。
イギリスに向かった祖母と入れ替わりに現れた元従業員たちと、バタバタと始めた店は軌道に乗りつつあった。
七歳半の割には落ち着いている、口数が少なく、表情のあまり変わらないありすは、なぎにとって妹ではなく対等か、それ以上の相談役とも思える存在になっていた。
そのありすと同じく鏡の国の住人であるアールグレイ、リゼ、ダージリン、アッサム博士のことは良い人たちだとは思う。不思議だとか奇妙だとかいう感は拭えないが、紅茶館にはなくてはならない存在であった。
アールグレイとリゼの淹れる紅茶は美味しく、まだまだ自分は彼らのように茶葉ごとの特徴に合わせた淹れ方はマスターしておらず、アッサム博士のように茶葉のブレンドも出来ない。彼らからも学ぶことは多い。
「そりゃそうだよ、僕たちは王宮でお茶を淹れる係だったんだから、なぎちゃんが追い付くにはまだまだで当然だよ」
そうからかうように言って笑うアールグレイ。
「焦らなくても大丈夫です。毎日淹れていれば、いつの間にか覚えられますよ」
と、微笑むリゼ。
でも、いつまでも二人に甘えているわけにはいかないと、なぎは早く戦力になりたいと思っていた。
そんなことを考えながら休憩室を掃除していると、ふと見慣れないティーポットに気が付いた。
紅茶館店内のようにイギリス調を思わせる花柄の壁紙、ソファ、テーブル、少し離れたところにはチェス盤の乗るサイドテーブルがあり、部屋の壁際には暖炉がある。
そのマントルピースに、なぜかティーポットが置かれている。
「なんでこんなところにあるのかしら? みーくんのイタズラとか?」
菓子制作担当の少年ダージリンを、紅茶の注文と混乱しないよう、なぎは
暖炉の上にそんなものを置くようなおかしなことをする者は、彼以外には思い当たらない。
といって、ありす以外の者がまともであるとも、なぎには言い切れなかったが。
「なんだか重たいわね。お茶ではなさそうだし、何か入ってるの?」
ポットを抱え、なぎが蓋を取ると、有り得ないことが起きた。
ピンク色の丸まった毛の塊が見えたと思うと、ニョ〜ッと中から伸び上がり、中の茶がこぼれ落ちたかのように、徐々にポットが軽くなっていった。
と同時に、ポットから出て来たピンク色のものが足元から人の形へと移り変わっていった。
「ふう、今回は早めに出られた!」
声変わりのしていない声が、目の前の十歳ほどの少年の口から発せられたのを、なぎは思い切り見開いた目で見つめ、声も上げられないほど驚いていた。
「やあ、なぎ。久しぶりだね」
ピンクのショートヘアに色の白い外国人の少年は、手を肩の高さで振り、笑ってみせる。
「あ、……あなたは……キャンディ?」
「そうだよ! ボクを覚えててくれたんだね! ま、そう仕組んだのはボクなんだけど」
「なんで……なんでポットに入ってたの? それも、にょ〜って出てきたわよね? 鏡の国の人たちは、そんなことが出来るの? みーくん——あ、いえ、ダージリンたちも?」
ハハッとキャンディは高い声で笑った。
「残念ながらポットに入れる芸当を持つのは、ボクくらいだよ」
「芸当……」
「それよりも、このボクをポットに閉じ込めやがったバカダージリンは、どこにいるのかな?」
なぎが二回連続で
「みーくんが閉じ込めたの? あなたを?」
「そうなんだよ! こんな狭くて暗いところに……ポットの中にシロップがなければ生き延びられなかったよ」
キャンディは泣きそうな声で訴えるが、シロップと言った後には少し幸せそうな顔になっていた。
「ひどい! みーくんたら、どんなイタズラするのよ!」
「そうだよ、なぎ、叱ってやって!」
「ちょっと、みーくん」
紅茶館と中庭を挟んで隣に経つ、彼らの住む洋館に、なぎはキャンディを連れて行った。
いつものように、赤い茶髪のリゼと黒い長髪の
三時ぴったりに、ありすにお茶を出すためだ。
近くのダイニングテーブルでは白髪の博士が英字新聞を逆さにし、片眼鏡の位置を直す。ティーカップを口元へ持っていき、一足早く自分で淹れたお茶を飲んでいた。
七歳半のありすとテレビの前で、紅茶館を訪れた老人客のくれた紙風船で遊んでいた少年が振り返った。
あちこちの方向に跳ねた金髪、褐色の肌に琥珀のような瞳がなぎをとらえた。
「なに?」
「キャンディのことをポットに押し込めたんですって?」
「え? キャンディ?」
一斉になぎに視線が集まってから、なぎの後ろから顔を覗かせたショートヘアのピンク髪の少年に、視線は移った。
「お前、なんでいんの?」
「まっ! そんな言い方ひどいじゃないの」
「そーだよ! そーだよ!」
「なぎちゃん、そいつにはあんまり構わない方が身のためだよ」
「そうですよ」
横目で見ている紫庵と、リゼも眉間にシワを寄せている。
「皆知り合いだったの?」
「そうだよ、ダージリンとアッサムと同じくボクもタルジーの森に住んでたからね、『なんでもない日』にはよくお茶会をしていたんだよ」
可愛らしい声でキャンディがなぎにそう言うのを、アッサム博士が片眼鏡をクイッと上げて目を細め、弥月は「まあな」とだけ言った。
「そうなのね? せっかく仲良くしてた子が遊びに来てくれたんでしょう? それをポットの中に押し込むなんて、まったく、みーくんたらイタズラにも程があるわよ」
「そーだ! そーだ!」
なぎの後ろからキャンディが抗議するのを、当の弥月はきょとんと首を傾げる。
その様子を冷ややかな目で見る紫庵が言った。
「その言葉、そっくりそのままそいつに返してやるよ」
「そうですよ」
「なんだと、そこのネコとウサギ!」
「リゼさんまでこんな小さい子にそんなこと言うなんて思わなかったわ。ありすちゃんにはやさしいから小さい子にはやさしいと思ってたのに……やっぱりロリコンなのかしら?」
最後の方は小さく呟いただけだったが、聞こえていたリゼの顔が青ざめた。
「ち、違いますよ!」
「じゃあ、なんでそんなに皆でキャンディを
「キャンディはちょっとした魔法が使えるのよ」
ソファからありすが顔だけを向けて静かに語る。
「その魔法を悪用してイタズラするの。鏡の国だろうとこの国だろうと。だから、赤のキングから怒られて、こらしめるためにポットにしばらく封印することになったの。全然
淡々と語ったありすの前に慌ててキャンディが飛んでいき、跪いた。
「で、でも、ボクがもう十分反省したからってクイーンが出してくれたんだよ、プリンセス・ありす」
ありすは、珍しくため息をついた。
「なぜか、ママはキャンディを気に入ってるの。たまに、スイーツに囲まれて食べ放題の夢とか、キャンディの魔法で見せてもらって喜んでる」
「……そんな
「現にキャンディは、ナギ、あなたにもこの間変な夢を——」
「わーーーーーーっ!!」
紫庵とリゼが血相を変えてありすの話を遮った。
「ありす、それ以上は言わなくていい!」
「そうです! 言わなくていいです!」
二人の慌てように、なぎは「何かしら?」と首を傾げる。
「悪気があったわけじゃないんだよー」
両手を組み合わせておずおずとキャンディが訴えるのを、ありすは何も映さない感情のない瞳で見下ろしている。
「それに、正真正銘ボクはなぎの味方だよ。ボクが見つけたアリスには悪いようにはしないよ」
「よく言う!」と言いたげな目で見つめる紫庵とリゼだったが、ありすは再びため息をついた。
「無自覚にトラブルに巻き込まない約束は出来るの?」
「もちろんだよ! もう何もしないよ!」
それまで黙って状況を見つめていたなぎが、手を挙げた。
「あの、よく考えたら、わたしもキャンディのことはよく知らないし、皆にも日頃紅茶館を一緒に頑張ってくれてることにも感謝してて、いつか何かやりたいと思っていたの。この際、仲直り兼ねて、親睦会でもしましょうか?」
「え、パーティやるの?」
弥月の瞳がイキイキと輝き始めた。
「そうねぇ、いつもはしないことをしてもいいんじゃないかしら? 暑気払いも兼ねて、皆でどこかに遊びに行ってもいいわよ」
「イエーイ!」
弥月が真っ先に飛び跳ねた。
「よろしく♪ ハハッ!」
キャンディがにこやかに笑顔を振りまくが、笑顔になっているのは彼となぎ、弥月のみだった。
「親睦会ねぇ……」
紫庵もリゼも、まだ横目でキャンディを見ている。
「おい、また変な眠らせる魔法だかなんだかを使って、なぎちゃんを変なことに巻き込むなよ?」
「変な、とは失敬だな! ボクは女子の夢を詰め込んだ夢を見せただけじゃないか。それに、ありす嬢がいるからね、もうボクのアリスには魔法は使わないよ」
「本当でしょうね?」
「信じろ、ウサギ」
十分に疑わしい目でいる紫庵とリゼだが、なぎのウキウキとした様子を眺めていた。
「まあ、せっかくなぎちゃんが思いついてくれたんだし」
「ですね。封印してもメアリー・アンの都合でまた出てきてしまうなら、ぼく達で見張る以外なさそうですし」
「ありすの前でなら、そうそう変なことも出来ないだろ」
「ですよね」
紫庵とリゼは顔を見合わせ、肩をすくめた。
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