三十日 『夏の燈』

「……ぁ?」


 落ちていた意識が戻ってから、目を開いて最初に映ったのは炎のゆらめきだった。ぼんやりと定まらない輪郭に、俺はまだ夢でも見ているのかと思ったが……脳の覚醒後も、その光はしっかりと像を結び、確かな熱を帯びていることから、それが現実であると分かる。


「……なにしてんだ?」


 その炎は松明トーチともしびだった。とはいっても、オリンピック聖火のトーチのようにしっかりしたモノではなく、こん棒のような木片の代物だが。


 そして、そのトーチを掲げているのは……


「……な、なにも」


 仰向けに寝ている俺の顔を覗き込んでいた、常世。俺が目を覚ましたことに気づくと、はじかれたように身を上半身を引いて距離をとった。


「顔に落書きでもしようとしてたか?」


「そ、そんなことはしようとしてないよ!」


 ……「は」ってことは、なにかしらの悪戯はしようとしてたわけだ。暗くて俺の顔がよく見えなかったからか、常世が俺に顔を近づける素振りも確認できてたし、ギリギリのところだったんだな。


 俺は上半身を起こして、背中についた雑草を払う。その動作で自分が上裸であることに気づきつつも、まあ常世の前なら気にするほどでもないかと思い直して、


「神社に帰ったんじゃなかったのか」


「帰ったよ。帰って、また来たんだよ」


「こんな夜遅くに、なにしに」


「何って……それは……暮定が……」


 そんなに答えづらい質問だったか? と疑問に思うが、常世は口をまごつかせて視線を泳がせる。その先にあるのは――


「まあいい。……ところで、その松明はなんだ?」


 と俺が訊くのをよそに、常世は片手にぶら下げていたビニール袋――今気づいた――から、キャンプなどで使う薪を取り出して、器用に並べ、そこらの手ごろな石で風よけをつくり――


「――えいっ」


 その中に、もう片方の手が持っていたトーチを投げ入れた。

 その火はやがて薪に移り、パチパチと小気味いい音を立てて燃え始めた。


「焚火完成、だよ」


 ドヤァ……と高慢な笑顔で腰に手をあて、胸を張る常世。自然、俺の視線はその強調された胸に吸い寄せられ……禊の場での抱擁を思い出して、サッと視線を外す。


「……暮定、ちゃんと見てよ」


「……は? お、お前とうとう恥も外聞もなく求めるようになったのかっ?」


 と、今日一番の驚嘆を隠せずに尋ねるが……


「……何言ってるの? ほら、よく見てよ。分からない?」


 形が整ってることがか? などと心の中でつぶやきつつ、常世に目を向けるが……冷静な目でみてみると……なんだ? 常世というより……その横、焚火から微量の魔力が感じられるぞ? しかもこの魔力の感じは、覚えがある。今日、葉月が常世に憑りつくまで神籬として変化していた玉響の巨石だ。あれと同様の魔力を、この火からは感じる。


 ……炎で、神である葉月と同様の魔力と言えば……今の俺に思い当たる節は、一つしかない。

 その推理が外れていればいいなと思いつつ、


「鬼神か?」


 俺の問いに、常世はとくに深刻そうな顔をするでもなく頷いた。


「暮定と水神様のおかげで、鬼神の被害は最小限にとどまった。水神様は雨を降らせて消火活動を行った後、元の場所に戻られたよ。勿論鬼神の落とした雷の炎を全部消し終わってね。……消化し終わった、はずだったんだけど」


「この火だけ、残ったのか」


「うん。ボク達が舞を奉納した舞殿の屋根に燃え残ったこの火種だけ。燃え広がるわけでもなければ、水をかけても、砂をかけても消えないんだよ」


「それはまあ、神の魔力だからな」


 見かけはただの小さな火に見えても、それはかつて神であった鬼神の魔力の揺らめきだ。ただの水や消火器なんかで、消せるわけはないだろう。


「それでもう一度水神様に確認したら……水神様は、一月たったらひとりでに消える、っていうんだよ」


「……あ、ああ。そうなのか」


 水神の説明に納得のいっていないらしい常世の困り眉を見て、そりゃそうだと思うが……説明は、後でいいか。

 とにかく、 


「この火は8月の間だけ燃え続けるんだな」


 とある理由から、まだ完全には鎮まりきっていない鬼神の魔力の置き土産。それは夏の移ろいと共に徐々にその光を弱めていく、この夏にのみ翡翠の地に燃え続けるともしびというわけだ。


「だから、暮定と焚火を囲もうかな、って」


 そこが分からない。


「そもそも、本来ならもう電車に乗ってる時間だぞ。俺がここで寝落ちしてなかったら、常世は一人で焚火をするつもりだったのか?」


 俺は若干の皮肉的な嫌味を込めてそう言ったんだが、


「……だから、嬉しかったよ。まだ暮定が、帰らないでいてくれて」


 わりにストレートな喜びをぶつけられて、なんだかきまりが悪くなる。


「……ただ眠くなっただけだよ。三大欲求の一つに抗うのは、人間として愚かな行為だろ」


「うんうん」


 適当に誤魔化そうとする俺の意図を見透かした常世が怡然いぜんとして相槌を打つのが、とてもウザい。


「なんでもいいよ。動機がどうであれ、暮定はまだこの村にいてくれた。言いたいことを言えずに別れることが、なくなったんだから」


 ……まあ、本数の少ない田舎の駅だ。もう終電もいった後だろうし、今更嘆いてもしかたのないことだな。


「言いたいこと?」


 視線を常世の方にやる。


「――今日一日の、お礼。ありがとう暮定、暮定ありがとうっていう、感謝」


「別に感謝されるようなことはしてないぞ。俺はただ、悩んでる常世に自分を重ねて、その自分がいたたまれなくなっただけだ」


 などというのは……謙遜や照れ隠しではなかった。事実、俺は舞姫と戸隠常世の狭間で泣いている常世に、僕としての暮定を見出していた。

 俺は芦花や現の助けがあって、その暗闇に全身まで呑まれてしまうようなことはなかった。そんな、長年の悩みと折り合いをつけた俺の前で、同じような悩みを持つ者が苦しんでいたら、それを過去の自分のように思って助けたくなるのは、当然の成り行きといえるだろう。……尤も、それだけが理由かと言ったら、断言はできかねるんだが。


「……ああ、それだよ暮定!」


「……?」


「ボクの舞姫としての悩みは、暮定に知られちゃったよ」


「……結果的にはそうだな。なんだよ? 俺に恥ずかしい過去を知られたままなのが嫌だっていうなら、常世についての記憶がとぶまで殴ってくれても構わないけど」


「暮定はボクを何だと思ってるの! そんなことしないし、暮定に忘れられるのはイヤだよ!」


「じゃあ、なんだ」


「暮定のことだよ。暮定はボクの過去を知ってるけど、ボクは暮定について、何も知らない。だから……」


「俺だけが一方的に知ってる今の状況は、不満か?」


「不満だよ」


「じゃあ教えてやるよ。小学生の時に同じクラスの女子生徒が――」


「ちょ、ちょっと待って暮定! そんな面倒事を処理するみたいな最適効率の語り方じゃなくて!」


「なんだよ、面倒臭いな」


「「みたい」じゃなかった⁉」 


 目にうるうると涙を浮かばせた常世の顔が、火に照らされて赤みをはらんでみえる。

 子供みたいに表情をコロコロ変えてはしゃぐ常世は、やっぱり……かわいいな。そこに本人の性格も相まって、月のような美しさを纏っている。風にそよいだ黒髪の先端がゆらゆらと揺れ動くその様にすら、なにか特別な意味を見出してしまう。

 

「……もっとちゃんと、ボクは、暮定のことが知りたい」


 その目には確固たる意志が燃えていた。


 今までの俺なら、自分の過去を人に話そうなどとは、死んでも思えなかっただろう。それは俺に取って、後悔と無念だけが残る、苦い記憶でしかなかったから。

 そのことは、常世も重々承知のはずだった。承知の上で、聞いてきたのだ。それは常世が、自分の好奇心かわいさに俺のことを考えない卑劣な女だとか、そういうことではなく。

 俺と同様に、「過去の肯定」を済まし、しっかりと過去の自分にも目を向けられるようになった常世は、理解しているんだ。

 自分の過ちばかりだったように思えた過去も、存外、無駄なことばかりでもなかったんだ、と。


 俺の悩みはこの一日、この村の住民たちと共にあった。

 今の俺は、村民との出会いなしには実現しえない存在だっただろう。


 だから……いいだろう。

 この八月一日、翡翠村を駆け回って過去の自分との折り合いをつけた暮定がその締めとして、俺の一日の始まりを告げた常世に、聞かせてやるんだ。戸隠常世に、久慈暮定の一日を。


「……」


 今は確かに強く燃え盛る、今日一日が幻や妄想などではなかったことを示す、この夏の燈を挟んで。



 彼女は言った。



「聞かせてよ」



 ――と。

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