二十五日 『VS鬼神、chase after!』

 食堂で紅葉さんと会った時、「僕」と「俺」の暮定像があの人の中で一致していた。つまり、芦花は神社で一緒に参拝した時には、既に俺の小手先の演技など見抜いていたということになる。

 著名な映画監督や劇作家ですら気づかなかった演技を見抜ける唯一の慧眼の持ち主が、まさかこの村の少女だったとは。


「……よし」


 鬼神きしんの能面を被り、真剣を腰に携えて戸外に出る。それと時を同じくして、舞姫も姿を現した。

 境内がにわかにざわつくのを感じて、一歩一歩、ゆっくりと前へ進んでいく。

 舞殿の端に居座っている楽師たちが、篳篥ひちりき竜笛りゆうてきなどの管楽器による音を奏で始めた。

 

 左右からそれぞれ出てきた俺と舞姫が、丁度舞殿へ向かう道のところで、至近距離で向かい合わせになる。


 舞姫は、ちらと俺を能面の上から一瞥して……俺にしかわからないほどの、本当に短い逡巡の後、また厳かな動作で舞殿に向かって歩を進めていく。


 これは……気づかれたっぽいな。俺が、晴人じゃなくて、暮定だってこと。どうやってかはまったく分からないが……そんなに変な動きは、してないハズなんだけどな。


 境内を流れる管楽器の音に、琵琶びわ鞨鼓かつこなど爾余じよの楽器も、徐々に演奏を始め……バラバラだったその音色は束ねられ、一つの響きを生む神楽歌となる。


 ――俺と舞姫が、舞殿に上がった。


 それぞれ一礼し、数多くの村民や、もしかしたらいるかもしれない観光客の視線を浴びる中……


 舞の奉納が、ついに始まる。


(……!)


 最初に、舞姫が動いた。


 左手をあげると、千早――白絹で、巫女が祭祀の際に着用する装束だ――の白が、灯篭とうろうかがりに明滅して、舞姫の傍を巡った。


 ――「ちはやふる」、という言葉がある。某漫画で有名になったそれは、和歌に使われ、その中で「神」を導く枕詞としての役割を担っている。

 現代では枕詞としての意味のみが残るその言葉も、元は『千早振る』――神前で神楽舞を奉納する巫女の着用する千早の揺れる様が、神をも降ろす清雅な雰囲気を醸していたことからつけられたものだ。


 目の前で行われている舞は――正に、ちはやふる。

 神の説話を元にした式神楽に相応しい巫女舞だった。


 そんな舞姫の横の、俺はといえば……

 社務所で待機していたときに抱いたような不安感は、今はもう覚えない。

 うまくできるかどうか、なんて……そんなことを考えるのは、目の前の舞姫を侮っていたから生まれたものだ。

 俺はただ、舞姫の動きに合わせるように、剣を振るうだけ。鬼神に対し、その身に神を降ろして翡翠の地を守ったあま少女おとめの導くままに、その怒りの刀身を光らしていればよかった。


 むしろ俺自身が、舞姫の、指先が宙に弧を描く様、時折奏でられる神楽鈴の音色、鬼神の持つ刀のような乱暴さを塵ほども感じさせないほこの切っ先、そういうものに魅入られないようにすることだけで精一杯で、自己の内面へ向けられた不安など、覚える暇がない。


 かくして、神楽は静謐な雰囲気の中で始められた。取り返しのつかないようなトラブルもなく、順調に舞を奉納できている。


 ……ように、思えた。


(……? 常世?)


 その空間が崩れ始めたのは、常世の異変が原因だった。といっても、これもまたすぐそばで剣の舞をしている俺ぐらいでないと気づけないほどの、些末な変化だが……


 ……今の常世、今の翡翠村にとり、それは見過ごすことのできない、大きな変化。


 ――舞姫の周囲に、段々と、魔力が集まりはじめている。


(これは……)


 と、剣舞を舞いながら考える。先程まで緩慢な物腰で千早を揺らし、緋袴を引きづっていた舞姫の舞に……小さな、荒々しさのようなものが見え隠れするようになった。


 巫女舞は、そのときの巫女の心情を現す鏡のようなものだ。

 

 祭りの直前、俺のバカな言動により心が不安定になった常世。そんな状態の彼女は、それでもギリギリのところで踏ん張って、舞を舞っていたのだろう。それは晴人と同じ、この村のため。そして戸隠の血筋を継いだ宿命を背負って。

 

 しかし、その堅い決心が、揺らいでしまった。それは恐らく……舞の相手が、晴人ではなく、俺だったから。


 自らの心を砕いた相手と共に、神楽を舞うという……ある種皮肉めいた状況におかれたことによって、常世の内に抑えられていた負の感情が溢れ出し……それが、舞の暴走という形で、表面化した。


 それならまだいい。……いや、戸隠常世という個人の精神状態を考えた場合には何もよくはないんだが、「神楽」という祭礼の進行を基準に捉えた場合には、その舞の荒振りはさほど祭事には影響を及ぼさなかっただろう。


 だが、問題は起ころうとしている。着々と、舞姫の身に集まる無数の魔力によって……


 魔力とは、人間の強い心の力、想いの力に反応するといわれている。強く願えば願うほど、その想いはより神に届き、より叶われやすくなる。

 そしてその想いの力とは……なにも正の感情だけを指すわけではない。


 夥しい負の感情……憎悪、嫌悪、哀惜、悔恨、嫉妬……そんな鬱屈したマイナスの感情にも、魔力は等しく反応してしまう。


 今の舞姫は、正にその状態。


 俺の言葉によって何らかのショックを受けた常世。そうして奈落に突き落とされた彼女は、今、深い悲哀の海の中を漂っている。


 その悲しみが、舞姫に莫大な魔力を引きつけている。


 そうして凝縮された魔力は、やがて……


 現代では形式だけが残っているはずの巫女舞を、本来の姿へと戻してしまう。


 すなわち――――と、俺が一つの結論に至ろうとした、その瞬間。


 ――世界が、激しい閃光につつまれた。


(……な、なんだ……⁉)


 一瞬にして過ぎ去った光に、俺も、舞姫も……それまで静かに祭事の進行を見守っていた観客も、皆一様に辺りをきょろきょろを見回しだす。

 そして。


 ――ドゴオオォォォォンッッ――――‼‼


 耳をつんざく轟きと共に、空より一筋の光の柱が落ちてきた。

 なんの予兆も前触れもなく突然落ちたそれは……稲妻。


 それだけなら、ただの雷だ。最近よくある急激な気候変動による自然の悪戯という事で済んだ。


 だが、その先。


 とどろく稲妻の落ちた先は……ここ。俺と舞姫と村民の集まる、玉響神社。その本殿。

 

 ――、


「か、火事だーッ!!」


 誰かが叫んだ。


 雷の落ちた本殿の屋根は発火し、ぐんぐんと勢いを増して燃え広がっていく。

 火の手は本殿から、拝殿へ……そして神社全体へと広がっていく。また山の中に位置するこの神社だ。火の粉が木々に飛び散り……それは、大きな山火事となった。


 暗い闇が支配していた森は、瞬く間に火の海となってしまった。


 災害の渦中におかれて、村人は参道を逆走して境内から逃げていく。そこは流石、村のコミュニティといったところか、この緊急事態にあって不必要な押し合い圧し合いをすることなく、全員で協力して最短時間での避難を目指していた。この分なら、一般住民に被害が及ぶことはないだろう。


 境内には俺と常世が残った。もう二人だけかと辺りを見回すと、鳥居の下、石段の手前から見知った顔ぶれが俺たちを呼んでいた。


「「「「暮定ー!」」」


「「「常世|(ちゃん)ー!」」」


 それは芦花、ささめ、沙織、紅葉さん、竜禅寺さん……この一日で俺が出会った、この村の友人や大人たちだった。

 それを受けて、俺は目の前の大火を前に……拳を握り、横でその光景を見ていた常世に声をかける。

 もう、俺の瑕疵で大切な人を傷つく様は見たくなかった。


「常世、逃げるぞ!」


 といって、常世の手を取り、避難を促すが……


 その常世の手が、俺の手からするりと抜け落ちた。


「おい、常世?」


 常世は俺の言葉には耳を傾けずに、その場にぺたんと座り込み……


 呆然自失として、眼前で起きている惨禍を瞳に映していた。


『…………ああ』


「常世!」


 と、もう一度叫ぶが……


『…………ああ、なんという、ことでしょう』


 ……なにか、常世の様子がおかしい。


『この娘の心は、其れ程までに……』


「……っ」


 ……今の言葉で、理解した。

 恐れていたことが、起きてしまった。


「――お前、常世じゃないな。……失礼するぞ」


 そう一言、常世の能面をとって、顔を確認する。

 相変わらず憎いほどの美少女顔だが……そうではなく。

 能面の下の常世は、ひたすらに表情を失くして、虚空を見ていた。


 ――巫女舞の持つ、本来の役割。


 それは……その身に神を降ろし、神の力を操ることで、国を統治し、繁栄させること。


 通常ならば、この玉響神社での巫女舞も、神前で清廉な巫女が舞を奉納するという、あくまで祭事の中の進行の一つでしかなかった。


 それが、心の不安定な常世が舞ったことで、魔力が集まり……それが結果的に、神懸かみがりを為し得るまでになってしまった。


 つまり目の前にいる常世は、常世であって、常世でない。


 その魂に神が宿った、半人半神……現人神あらひとがみとして存在しているんだ。


 そんな……常世の中に入った神が、虚ろな目で俺を見つめ、言葉を発した。


『――中史の末々すえずえよ。落ち着いて聞いてください。……岩の封が解かれました。私は鬼神の暴走を食い止めます』


 ……思ったよりも理性的で、こちらに友好的な、神だな……というか、


「……岩の封……っ、玉響たまゆら巨石きょせきか……!」


 ……玉響の巨石。昼前に晴人に案内されて訪れた、この村の観光スポットのひとつ。

 それは、この村に伝わる神話の中で、巫女に降ろされた水神すいじんが、鬼神を封じ込めるために岩に姿を変えたものだった。つまり……あの岩自身が、水神。


 その封印が解かれた、ということは……


「……あなたは、この村を守った水の神ですか」


 その考えに至ったことで、今起きている惨状について、理解できた。

 常世が水神を降ろしてしまったために、それまで鬼神を封じていた巨石がなくなり……鬼神が、再びこの村を襲いだした。

 あの雷は、鬼神の力によるものだったというわけだ。


 常世の中に降ろされた水神は、ふわりと、俺に、


『此のような災厄を前に、あなたのような益荒男ますらおが隣にいてよかった。……この娘を、頼みます』


 そういう水神の言葉には、どこか我が子を慈しむ母親のような面影があった。


「……」


 それと同時に、常世の身体をつつんでいた魔力の塊は外へ抜け出し……天高く登っていく。

 目を凝らしても見えなくなるほど上空まで行ったのを確認すると……

 どこからか、神社の空に暗雲が立ち込めた。

 その雨雲は瞬く間に翡翠全土を覆い……

 激しい、土砂降りの雨をもたらした。


 これは……水神の、神の力だ。翡翠の地を焼く鬼神の大火を、豪雨によりかき消そうとしている。

 

 その、勢いは……


「五分五分、ってところか……?」


 拮抗、していた。水神が一つの火種を消化したころには、鬼神の火は次の森へと燃え移り、またメラメラと赤くのびていく。水神が消し、鬼神が増やす。その繰り返しだ。


 だが、俺たちが安全に避難できるだけの時間は作ってくれている。

 水神の「この娘(常世)を頼む」という言葉の意味は、よく分からないが……


「今度こそ行くぞ、常世」


 もう常世の身には、神はいない。今ならば逃げられる。


 そう思い、常世の方を振り向くと……


 ……っ、これは……


『…………憎らしい……』


 少しの間、空へ、目を向けていた隙に。


 常世の身体に、先程の水神のものとはまた違う、激しく、刺々しい……別の魔力が纏われている。


 


『……憎らしい、水の蛇ごときが……!』


 自らの悪逆を邪魔する岩はなくなり、神懸かりするのに丁度いい巫女の身体から、水神がいなくなった今。


「常世を頼むって、こういうことかよ……!」


『死に変わり、生き変わり……恨みはらさでおくべきか……!』


 大昔、この翡翠の村に厄災をもたらし、悪逆非道の限りを尽くした、堕ちた神……鬼神が、常世の中に降りてしまった――!



   ☽



 その身に鬼神を宿した常世は、目を瞑り、ゆらりと立ち上がってこちらの出方を伺っている。


 俺はひとまず、鳥居のところで待ってくれている友人たちに、先に逃げるように行ってから……この鬼神の対処方を、考える。


 ……歌でも歌うか? 鬼神の心を感動させるのは歌だって、万葉集にも書いてあったし。

 

 ……などと、多少の冗談を言う余裕が、今の俺にはある。

 「僕」でも「俺」でもない、久慈暮定は安定している。


 後は、それを常世にも……


「常世!」


 と、叫んでみるが……


『翡翠の巫女……吾にあだなし、神を降ろし、吾を封じた村の小娘が……』


 その声は、常世には届かない。それどころか完全に魂を乗っ取られてるようで、鬼神は自らが憑依した常世の手を見て、忌々し気に何かをつぶやいている。

 まずは、この神懸かりを成立させている、常世の負の感情――『過去の肯定』をしてもらわなくては、拉致が明かなそうだ。


「常世、聞こえるか! 今のお前の心では、鬼神の力には到底かなわない! だからまずは……」


『口五月蠅い、中史の小僧がッ!』


 説得を試みるが……そうはさせないとばかりに、鬼神が素早い身のこなしで、魔力により鋭利になった鉾を、俺に向けて突き刺してくる――!


「さっきの水神もそうだったが、鬼神まで中史を認知してるとか、俺の家凄すぎだろ……っ! あぶねぇッ」


 その攻撃を、真剣を抜いて受けとめるが――神の魔力の宿った鉾に押されて、真っ二つに折れてしまう。

 それは想定内だったので、一度鬼神から大きく飛び退いて……自らの魂に、魔力の流動に、意識を集中させる――


 芯に溜まった魔力は、俺の左眼へと移り――その眼の色が、黄色へと変色する。


「『綿津見眼わだつみのまなこ』」

 

 魔力を秘めた眼で、虚空を見つめると……そこには月光により象られた利剣が顕現する。


 真剣の代わりに、その刀を握る。こっちは、そもそもが月の魔力が固められて造られている……魔剣のようなものだ。ヘタな受け方をしない限り、そうそう破損するようなことはないだろう。


『……ふんッ……!』


 またしても一足で俺の間合いにまで入り、振るわれた鉾に対し……俺は、光の魔剣でしのぎを削る。


「……っく」


 とても重い……ダンプカーを相手にしているような感覚だが、なんとか受けきることができた。

 一撃を正面から受け止められた鬼神は、俺をしばし見た後……


「お、おい! どこ行く!」


 くるりと踵を返して……参道を走り抜け、境内の外へ向かっていく。……鬼神?


「……ッ、まさか……!」


 その意図に気づいて、急いで鬼神の後を追う。

 ――鬼神は元々、この地に厄災をもたらした存在。自らの愉悦のために、無差別に人を苦しめ、死に至らしめた災厄だ。

 だからおそらく鬼神は、ターゲットを変えた。殺そうとしても一筋縄ではいかない俺から、この村の一般住民へと。


「待て!」


 全速力で走り、住宅へ向かう鬼神を見つけると……俺は剣に魔力を込めて、光の斬撃を飛ばす。


『……ええぃ、小賢しい、今様の中史程度に!』

 

 やむを得ず振り返った鬼神が、鉾でその斬撃を受け流す。

 その、鉾を持つ手が……震えている。


「……!」


 これは……俺の魔力が強い、というよりは……常世が、少なからず抵抗しようとしている証拠だ。元々、巫女舞により降ろされた神というのは、通常のの力の十分の一も扱えないといわれている。それは仮にも形代としての役割を果たしているのが、人間だから。人の器に収まらない神の力は、神自身にも扱えないんだ。


 絶対に勝てない相手、というわけでもなさそうだな……これで十分の一ってのが、恐ろしいところだが。

 『綿津見眼』の力により、一時的に神の力を宿している今の俺なら、希望がなくはない。あんまり楽勝だとか言うと、フラグになりそうだから言わないが。


 そんな俺の考えをよそに、なおも住民を狙う……俺から逃げるような形になった鬼神へ向けて、走り続ける。


 夜の底。焼ける山々を背に、輝く刀剣を携えた俺と、伝説の鬼神が、ただ二人。地を駆けていく。

 

 その差が……段々と、縮まりつつあった。生憎こちらは今朝、お前が今憑りついてる宿主と一緒に、お前なんかより何倍も怖い国家権力様との鬼ごっこを制したばかりなんだよ。何年も岩の下で眠りについていた小鬼程度に……負けるはず、ないんだ。


『嗚呼……嗚呼、吾の後をつけるな、吾の前に立つな……!』


 逃げ続ける鬼神に……ついに、追いついた。零れる汗が鬼神の魔力に煌めいて……その間を、俺の剣が駆け抜けた。


「しっかり受け止めろよ……っ!」


 でないと、常世が傷つくからな!

 

 大きく飛び上がり、大上段から鬼神を狙う一撃に……


『……っ、中、史……!』

 

 再度振り返った鬼神は、神楽鈴と鉾の両方を使って、俺の言葉通り、刀を受け止める。

 その力は……やはり、互角だ。受け流そうとする鬼神の動きを読んで、俺はさらにぐっと刀を押し付ける。かといって最後まで押し切れるかというと……そこは神、どこから湧き出てくるのか分からない魔力量の暴力で、堅く守られてしまう。

 が――


「常世! 聞こえるか!」


 ――その鍔迫り合いを、俺は待っていた。

 至近距離から、常世の名前を叫ぶ。俺が先程、芦花にそうしてもらったように。何度も。


『……無駄を……吾の力をしのぐほどの心を、この娘は………………、っぬ?』


 鬼神……常世が、顔をしかめた。


『……憎しみ、悲しみ……ではない、世を希う心……!』


「常世!」


 ――叫んだ。叫んで、


「………………、くれ、さだ……?」


 ――常世が、微かに顔を出した。いつの間に知られていたのか分からない、俺の名を呼んで、苦し気に眉根を寄せている。


『――巫山戯るなァ! 人の身で、吾に……!』


 が、すぐに鬼神の魔力が常世の心の力を上回り、隠れてしまう。


「聞こえるか、常世! ……いいか、今のお前の心は鬼神に憑かれ、落ち込んでいる! それを解決するには常世が抱える悩み……過去とけりをつけなきゃならない! だから……」


『吾の前には、皆等しく血を流す! それが世に経る命の定めだァ!』


「……っく!」


 説得の途中で、鬼神に邪魔をされてしまう。

 その中で常世を救う方法を、なんとか……


「…………ボクは、戸隠の巫女……」


 小さな、小さな声が聞こえた。

 怒りに燃える鬼神の中から、こちらに手を伸ばそうとする常世の声が、聞こえる。


「……誰もボクを、見てくれない……戸隠巫女、ばかり見て……」


『五月蠅い! 煩い!』


「……戸隠常世を、見てくれない……!」


 鬼神は俺の剣を振りほどき、またしても農村へと走っていく。

 やっと常世が、力を振り絞って声をあげてくれたのに。

 このままじゃ、いたちごっこだ。


「ちょっと我慢してくれよ、常世…………『地祇火柱ちぎのひばしら』」


『……なァ……!』


 そう唱えると同時、鬼神の進行方向から燃え盛る炎の柱が出現した。それはすさまじい勢いの風を伴って、常世の身を焦がす。


 俺は、剣を月の光の中に収め……魔力により、ハリケーンよりも強力な火災旋の中を飛ぶ常世を抱いて……元の神社の方へ向くよう、その柱を操る。


 神社の上……空へと向けられた柱に沿って、俺と常世の身体が、宙に投げ出された。

 

 一瞬の静寂。


 後、轟音。豪雨と、暴風。


 上から雨に降られ、下には闇が漂っている。

 そんな、めぐるましく風景の変化する空中で……常世は、語り続ける。


「……誰を尋ねても、戸隠巫女。……誰に訊ねても、戸隠巫女。誰もボクを、求めない。みんなわたしをほしがる。わたしをもとめる。戸隠の巫女を………………」


 それは、初めて常世から出た本音。戸隠の家に生まれた巫女としての、責務。

 同じ悩みを、「俺」も持っていた。 


「俺もさっきまでは、そう思ってたよ! ……でも、そんなものはないんだ!」


 ささめは俺に、教えてくれた。「俺」も「僕」も、等しく暮定だと。

 うつつは俺の背中を押してくれた。『過去の肯定』をできないでいた暮定を、好きだといってくれた。そんな紛れもない本音で、励ましてくれた。

 芦花は俺を、俺らしいと肯定してくれた。「俺」でも「僕」でもない暮定を、暮定らしいと断言してくれた。


「全部、常世のしたことだろ! 村の皆が舞姫を敬ってるのもそうだ!」


 三人の助けがあって、今、俺は常世と共にいる。

 どこまでも昏い空の中、落ちゆく鬼神と共に、常世に語りかける。


「常世が一生懸命舞を舞ってたから、村の皆は常世に歴代の「舞姫」を見出したんだよ! 常世が努力したから、みんなの中に「舞姫」が生き続けたんだ! それは全部、常世の頑張りの結果だろ! 戸隠常世も舞姫も、常世なんだよ!」


「……く、れ、さだ…………」 


 閉ざされていた瞳が、開いた。


『…………あり得ぬ……人が、為し得ぬことだ……』

 

「だから自分を認めてやれ! 常世は、常世が思ってる何倍も素晴らしい人間なんだって、自分に言い聞かせてやれ! 後悔だけが残ってた過去を、肯定してやれ! 常世!」


 常世は、少しずつ前を向こうとしている。

 負の感情ではなく、正の感情で以て、鬼神の邪悪に打ち勝とうとしている。

 徐々に、常世の身体から神の力が抜け出ているのが、肌で分かる。


 ……そんな、あと、すこしのところで……


『中史、貴様は許さぬぞ……!』


「……ぐぅっ……!」


 俺は、常世を抱いていた。つまり、ゼロ距離だった。そんな中、一瞬でも常世の身体の支配権を取った鬼神が……


 俺の腹に、鉾を突き立てた。

 じわじわと赤黒い地の模様が、服に広がっていく。


「……! くれ、定!」

 

 熱。熱だ。

 腹部が、とても熱い。

 だが、そんな熱など気にならなくなるくらいの猛烈な痛みが、少し遅れて到来する。

 空中で、腹部を抑えて丸くなる。


 だがもう一つは、朗報だ。

 ……どうやら今ので鬼神は、俺の思った通りの場所に斎いてくれたみたいだな。


「……気にするな、俺に構ってる暇があったら、自分の内面に目を向けろ……!」

 

 常世がこの場に居なければ、みっともなく泣き叫んで暴れたくなる痛みが、体を襲う。

 でも、そんなことはどうでもよかった。

 常世を救うために、俺はここにいた。


「…………なんで、なんでそこまでボクに……」


 もう鬼神の瘴気も抜けきり、自我を取り戻しつつある常世が、そんな問いを俺に向けてくる。


「なんでボクなんかのために……だって、暮定はこの村の人でもない……ただの……」


 常世の頬に伝う、雨粒か涙かわからないそれが光るのを見つめて……


「……それは」


 黄昏時、「越殿楽」が奏でられる草原の中――現に言われた言葉が、頭の中に響いた。


「……一度やると決めたことを……、最後まで貫き通す姿は……そこそこかっこよく見える、らしいからな……っ」


 片手で常世を、もう片方の手で自分の腹部を抑える。流石に痛みを無視する、っていうのは無茶だったらしい。


「――俺は、今朝の常世も、神楽を舞う舞姫も、どっちも好きだから」


 思わず眉間に皺を寄せて、常世にいらない心配をかけそうになった。それを、寸でのところで我慢した。


「……どっちかを否定しようとする常世が、嫌だったんだよ……」


 ……そして。


「…………うん」


 夜の空を、落ち続けて、落ち続けて。


「その通りだよ、暮定。…………とっても、かっこいいよ」


 上も下も、右も左も分からなくなったころ。


「暮定……ありがとう」


 俺と常世は二人、固く手を繋いで、深い海の底に落ちた。

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