二十二日 『僕≠俺?』
小学生の「俺」が憧れた、模範的少女。
高校生の「僕」に惚れた、悲劇的少女。
彼女を真似て
あの日、確かに「僕」を見て、彼女は言った。
――『あなたのことが好きです、付き合ってください』
俺の演技にも気づかずに、真剣な眼差しで返答を待っていた。……俺は、目標であった彼女を堕落させてしまったのだ。彼女ですら見抜けぬ、優秀な「僕」によって。
それがショックで俺はすべて
……だが今、その投げ出したはずの過去が起因し、常世は涙を流して能面を被り、消えてしまった。代わりに、投げ出したと思い込んでいた過去の中でも一番色濃く、鮮明な苦悩を俺に刻みつけた彼女が、この村の黄昏と共に俺の前に佇んでいる。
因果応報。全部、繋がっている。全て俺が招いたことだ。中史としての決心がつかないのも、常世を悲しませてしまったのも、彼女をこんな風に変えてしまったのも――全部、俺の巧言令色が原因だ。
「……」
そのとき、俺の耳に入ってきたのは――御霊祭の開始30分前を告げる、
そしてそれを合図にしたかのように、彼女――
「暮定くん、一緒にお祭り、見ませんか?」
頬の赤く染まった上目遣いで、そんな見当違いな提案をしてくる。
「そうだね……どうやって僕がこの村にいることを知ったのかな」
「今日の朝、暮定くんの家に行ったんです。終業式の日の告白は断られちゃいましたけど、私、どうしても暮定くんのことが諦めきれなくて。何が悪かったんだろうって考えたんですけど、やっぱり自分一人じゃわからなくて。だから、暮定くんに直接訊いちゃおうって」
凄まじい度胸だ。これで愛嬌も兼ね備えてるんだから、周りから見た
「この村、良いところですよね。自然豊かで、住んでいる人もいい人達ばかりです。舞姫様、ですよね。彼女も、とってもかわいい子でした」
「なっ……」
ちょっと待て、
「
「はい、なんですか。暮定くん」
「もしかして、現は舞姫様に会ったのかな。会ったとしたら、それはいつのこと?」
「……? ついさっきです。一時間くらい前にこの村に着いて、暮定くん知りませんか、って聞いてまわってたんですけど、たまたまその相手が舞姫様だったんです」
ついさっき。……俺が舌禍を招いて常世が仮面――能面を被った後のことだろう。それ以前なら、さっき俺と顔を合わせた時に
「綺麗なお姉さん……」
「暮定の……彼女?」
「……」
突然の第三者の介入に、沙織は容姿に言及し、ささめは俺と現の関係を疑い、芦花はじっとその大きな瞳で現を見据える三者三様の反応を見せる。これまでは俺以外視界に入っていなかったのか、彼女達が言葉を発したことでようやくその存在に気づいたらしい現が、にっこりと笑って、沙織に「ありがとう」と一言、次いでささめの疑問に答えた。
「ううん、私の片思いだよ。この間告白したけど、お姉さん、フラれちゃったんだ」
余計な感傷を与えない落ち着いた様子で現は言った。
「暮定、フッたの?」
食い気味に芦花が訊ねた。ちょっと口角があがって見えるのは目の錯覚だろう。
「言いづらいことだけど……うん。今の僕には、誰かと付き合う資格はないからね」
つい、こぼしてしまった。舞姫からの助言と、先程のささめへの激励から得た、それはもしかしたら勇気と呼べるかもしれない無謀な心が、芦花にそんなことを聞かせてしまった。
「……そんなこと、ないと思う」
芦花から返ってきたのは、意外にも否定の言葉だった。白のワンピ―スの少女は後ろ手に手を組んで、ストレートロングの黒髪を夜風にたなびかせている。
「そうかな」
――『それで、芦花から聞いた暮定くんと、彼女から聞いた男の子の特徴が、ぴったり同じだったから』
俺の脳内にリフレインするのは、昼間の紅葉さんの言葉。常世は「僕」を知らず、芦花は「俺」を知らないはずなのに、紅葉さんが聞いた暮定像は一致したという。あの時俺は、もしかしたらどちらかがもう一つの暮定に感づいていたのでは、という推測を立てたんだが……
そのどちらかというのが芦花で、何かがきっかけで「僕」の裏に生きる「俺」の存在に気づいていたんだとしたら、この話の筋は十分通るだろう。
「暮定は、自分で思ってるよりも、暮定だから」
その言葉の意味を確かめるように、今度は俺が、じっと芦花の目を見た。
――何かを確かめるとき、「僕」が特に注目するのはその人の瞳だった。喜怒も哀楽もすべて人間は瞳の色と揺れと、その力の強さによって決まるのだと「僕」は信じていた。欣然として花笑む者の瞳は往々にしてその内に青い空を描いているし、何か後ろめたいことがある人間の目はぼんやりと濁って底が見えない湖のように揺れている。だから、芦花の目を見た。
「――」
はたして芦花の目に映るのは、墨を垂らしたような翡翠の夜空だった。灯りのないこの草原にあって光る瞳の中、夜空に浮かぶ暮定は笑っていた。芦花も笑っていた。それだけで、十分だった。
……
「暮定くん……ダメ、ですか?」
俺がすべきは一つ。俺の前に立つ彼女、悪人でも罪人でもない善良な女の子である雲母坂現をこの場から連れ出すことだった。それは現だけではない、暮定の退場も同時に意味していた。それでよかった。この場で「僕」がすべきことは、たった今なくなったからだ。
俺が俺であるために、一時的に「僕」は、いよいよ現を堕落させんと、一歩、歩み寄った。
「そんなわけないよ」
初めて俺の意識に、現という人の姿が映し出された。濃い褐色の瞳に、暗い茶髪のハーフアップ。白を基調としたうちの学校の制服姿で俺を見つめていた。
「現みたいな美少女に誘われて、断れる男はいないよ」
ひどく冷静な、凪いだ心から紡がれた甘言だった。事実ではあるが。
「あ……え、えっと、暮定くん……」
今まで積極的な姿勢を見せていた現は、俺の態度の豹変にたじろぎ、急に前髪なんかを気にしだして露骨に狼狽えていた。
現をここから連れ出すということは、御霊祭を一緒に見るということで、それはつまり舞姫の演舞を現と見ることを意味している。どんな地獄だ。
まあそこの回避法は後で考えるとして、今はとにかく現に都合のいいことを言って自然な流れでここから離れるのが先決だ。
「わ、私なんて……暮定くんなんかとは釣り合わない傲慢な女です……」
それにしても……
現、攻められるの弱すぎないか? お前、普段から学校で褒められるのは慣れてるだろうに。
「こんな言葉を知らないかな?」
と言って、左手を差し出す。
「……?」
突然の誘いに困惑し、手を空中でフラフラと揺らしている、ので……
「恋する乙女は、誰よりも美しい」
多少強引に現の手をとり、こちら側に引っ張った。現の真紅の唇も、当惑に曲がった峨眉も、触れてみると太陽のように熱い耳も、緊張で震える肩も、すべては現の腰に回された俺の左手の中に収まっていた。
「……暮定、くん……」
上気した頬がほんのりと赤らんでいるのが間近に分かった。俺はそれを見てむしろ安心し、「僕」は罪悪感を覚えず、ただ男としての支配欲が満たされた心地良さと現の美貌に魅入られていた。……「僕」の言うことは決して偽りではない。現へ紡がれた蜜語は他ならぬ「俺」の本心だった。
「行こうか」
「……っ、はい……!」
すっかりしおらしくなった現を連れて、俺はあてもなく森の中を進んでいった。
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