二十一日 『実は中学生の頃、ネカマしてたんだ』
舞の時間まではまだある。
常世があの時、何を思って、どう感じていたのかを俺は知らない。知り得ない。それでも、今からでも謝りにいった方がいいだろうか? ……彼女は舞姫だ。居場所なんて限られている。この境内の中から出るようなことはないだろう。探せば見つかるはずだ。
「……いや」
ダメだ。今の俺じゃ、常世を安心させられるような回答を用意できない。それだけは分かった。今の俺、今の「僕」には、常世の気持ちが分からない。分からないけどとにかく謝る、ということほど無意味なものはない。それはただ誠意の証明になるだけで、何の解決にもなることはない。俺たちに限っては、それじゃダメだ。
「あと1時間半ってとこか」
舞の奉納まで、あと二時間を切っている。それまでに「僕」との折り合いをつけて常世の前に立つことができるだろうか? 長年外す事のできなかった仮面の外し方が、そんな短時間で見つかるだろうか?
☽
「――暮定ー!」
どこか遠くから、俺を呼ぶ声が聞こえた。見れば子供が数人――芦花達が、こちらに向かって笑顔で手を振っている。
……そうだ。俺は楽しい楽しい祭りに来ていたんだ。こんなどんよりしたシリアスな雰囲気は、誰も求めるところではない。みんなの期待する暮定は、子供たちとわいわい縁日をまわって思い出作りに興じていなければならない。御霊祭、縁日ないけど。
そう思いなおして、俺は芦花達の元へ、「僕」の仮面をかぶって合流した。
「暮定」
俺を見て、芦花が花笑んだ。
「あれから、体はなんともないのかな」
川で溺れてから、数時間。なにか器官が悪くなっていて、症状が現れ始めるとしたら、今ぐらいだろう。
「なんともない」
「そっか。よかった」
「うん。……ありがとう」
わたしを助けてくれて、ということだ。先程は、落ち着いてお礼を言えるような雰囲気じゃなかったからな。
「目の前で溺れてる人がいて、何もしない人はいないよ」
謙遜ではなく、「僕」はそう思った。
……思った、んだが……
なんか引っかかるな? あの時芦花を助けたのは……
「僕」、だよな?
「……?」
なぜか今回は、そう言いきることができない。正直、あの時は芦花を助けるのに必死で、自分がどんな状態で泳いでいたか覚えていない。
まあ、助けられたってことは、演じてたんだろう。「僕」が、水泳部のエースを。
「……ところで、暮定、今暇」
昼食後もそうだったが、芦花のこの言い方は明らかに断定であって、疑問ではない。つまり忙しかろうと無理矢理時間をつくってわたしに付き合えということだ。その積極性は俺にはないものなので見習っていきたい所存です。
「うん、暇だよ。神楽の時間まで、特にすることもないかな」
することがない、というのは本当だ。しなければならないことはあっても、それはとても今すぐにできるようなものではない。だから、することはない。
「……わたしたちと一緒に焼きそば、食べにいこう?」
うん、うん、と芦花に賛同するように、周りの子供たちも頷いている。
「あれ? 出店はないんじゃなかったかい?」
訊くと、芦花ともう一人の男子が俺の手をぐいぐい引っ張って、どこかへ連れて行こうとする。俺はそれに抵抗するでもなくついていく。
「出店はない。お母さんが、出張中」
なるほど。普段から定食屋を経営してる芦花母……紅葉さんが、祭りの日に合わせて個人的に屋台を開いているというわけだ。
「……そういう割に、境内から離れているのはどうしてだい?」
彼女たちは境内を抜けて、山を上へ上へと登っていく。
「――あの場所」
どの場所? と一瞬ツッコみたくなったが、すぐわかった。俺と芦花の二人が共通して知っている「場所」といえば、一つしかない。
そこは案外神社の近くだったらしく、俺が芦花に、思い浮かべた場所の確認をする前に、視界は開けた。
……昼食後、芦花に連れられてきた、村を一望できる草原。眼下には、ぞくぞくと神社へ向かって歩いてきている村民たちの姿が小さくなって映っている。方角が合致しているらしく、太陽の沈みつつある西の空に残った光の残滓が瞬いて、よく見える。
ちょっとした丘のようになったその低いところに、紅葉さんは「焼きそば」というでかでかとした文字を掲げた出店の前に立っていた。
「くれさだ連れてきたぞー」
「神社でぼっちで寂しそうだったから声かけてやったんだぞ!」
「感謝しろ、くれさだー」
男子たちが騒ぐと、紅葉さんは柔和な笑みを携えて俺を見た。
「あんまり女の子を泣かせないように、ね?」
第一声に、そんなことを言ってくる紅葉さんは……明らかに、俺と常世に何があったのかを知っている様子だ。
……それはおかしいんだけどな。彼女と別れてすぐ、ここにきたんだから。
「常世が、ここに来てたんですか?」
「あら、なんのことかしら? 私は何も聞いてないし、知らないわ。ただ、なんにもなければ今頃は、常世ちゃんと一緒にここにきてたんじゃないかしら、と思っただけよ」
嘘か真か、曖昧な飄々とした表情で受け流される。
今は謝るべきでないと分かっていても、その場に常世がいるかもしれないと分かると、どこからか湧いてくる情けない焦燥感に駆られて、つい確認してしまった。……それで気づいたが、どうも俺は、「俺」として話せる数少ない知り合い(そうだ。俺と常世はまだ友達とすら呼べない関係なんだ)を失うことを怖がっているらしい。
だから、今の質問を適当に流されたのは、少し肩透かし感が否めないんだが……まあいいさ。たとえ常世が屋台の裏にでも隠れていたとしても、上っ面だけ覚悟完了している風に見せているだけの今の俺には、どうすることもできないんだからな。変に気まずくなるくらいなら、会わない方がいい。
そんな、矛盾した気持ちを抱くくらいには動揺していた。
「暮定、焼きそば」
片手に焼きそばの入ったパックを持って、俺に差し出してくる、芦花。
「僕の分?」
「そう」
そうだ。
芦花の前で、未だに「僕」なんて言っている今の俺には――
――『何かほかに、言いたいこととか、ないかな。舞姫じゃなくて……ボクに』
あのときの言葉から考えられる、常世の悩み。それは、俺の抱えているものと、よく似ている。だから、今はまだダメだ。
「ありがとう」
この芦花に向けた笑顔が、世辞や建前ではない、心からのものだと胸を張って言えるようになるまでは、まだ。
☽
「おいしい」
「そうだね」
草の上に座り、眼下に広がる翡翠村を眺めつつ、芦花と焼きそばを食べていると……
「……?」
――ペン、ポンポン、ピンッ――
――カン、カンカン――
と、なにやら聞きなれない音が二つ、静かな風に乗って、どこからか聞こえてくる。
音のする方向に目をやると……
そこでは二人の女の子が、口先にフラスコのようなもの咥えて立っていた。そして……
――ポン、ペン、ペン――
――カンカン、コン――
またしても、一つは綺麗で面白い、もう一つは鉄を金槌で叩くような音を出す。どうやら、あの枝付きフラスコのようなガラスからこの音はでているようだ。
俺が二人を見ていることに気づいたのか、焼きそばを食べ終えていた芦花は俺の服を引っ張って、
「行こう」
と二人の方を指して居催促するので、急いで焼きそばを頬張って、芦花と共に、ガラスを吹く二人の元へと向かう。
そこでは、
「だから違うって! あんまり強く吹きすぎると割れちゃうから、ゆっくり、軽く吹くくらいでいいの。やってみて」
二人のうち……というよりは、先程から俺に付きまとっているこの村の子供たちの中では一番の年長っぽい雰囲気を纏った、中学に上がったか上がってないかくらいの彼女は、腰に手を当ててもう一人にそう教えていた。教えていたというのは、おそらく、このガラスの上手な吹き方。
そして、その指導を受け……
――カンカンカンカン、ベン、ベンッ――ガンッッ――
という、工事現場みたいな音を奏でているのは……うわ。いやいや、女の子に向かってうわとか言っちゃいけない。ただ彼女が、周りが子供らしくはしゃぐ中で一人、純文学の文章みたいな硬い言い回しをしていた女の子だったから、驚いただけだ。
その暫定・二葉逍遥は、ヘンテコな音しか出さないガラスを見て眉を顰めた。
「我の魂は此の翡翠の地と一心にして同体。されば異国の肥前にて生まれいでける戯具を疎むは尤も也」
「またそうやって難しいことをいってごまかそうとする……そんなことしなくても、ちゃんと自分の言いたいことをはっきりと言えばいいんだよ? 私はそれを否定しないから」
「うぅ……歌川広重、嫌い……」
……なんだか、今の俺にすごく刺さる言葉ですね? 俺もこれからは「僕」とかいうのやめて、漢詩を諳んじる芸風にでも変更しようかな、これ以上聞いてると泣けてきそうだし帰ってもいいかな。
などと、俺が密かにテンションダウンさせる、その横で……
「ビードロ」
芦花は、いつの間にかに取り出していた、この二人が持っているものと同じガラスを指してそう言った。
ビードロ、か。言われてみれば、そんな名前をしたアイテムをとあるゲームで見たことがあるような気がする。実物を見るのは、もちろん初めてだが。
さらに芦花は、大人びた彼女を指して、
「
文豪みたいな口調の彼女を指して、
「
そう紹介してくれた。ビードロ。沙織。ささめ、ね。
「あ、芦花」「芦花ちゃん」
二人はこちらに気づき、芦花に笑顔を向けた後、顔をあげて俺をみた。
「暮定さん、ですよね」
沙織が、眉をハノ字にして自信なさげに確認してくる。
「敬語はいらないよ。この村に来てから、誰からも敬語は使われてない」
「じゃあ、暮定」
「……暮定さん」
それでも俺を敬称付きで呼んだのは、意外や意外、ささめの方だった。
見ればささめは、沙織よりもよっぽど自信なさげに眉を吊り下げて、気弱そうな眼で俺を捉えていた。
「ぽっぴん、吹いてみる?」
そんなささめの苦渋を知ってか知らずか、沙織は先程まで自分が吹いていたビードロを俺に渡そうとしてくる。
「ぽっぴん?」
「ビードロのこと。……それと暮定、」
隣にいた芦花が解説してくれた。ビードロはぽっぴんともいうらしい。たしかにさっき、「ぽっぴん」とかそんなような音が鳴っていた気がするな。芦花が何か言いかけていたが、話出すまでに少し間があったため、タイミング悪く俺の返答にかき消されてしまった。
「そっか。じゃあちょっとやってみようか――痛ッ⁉」
俺がそういって沙織に差し出されたビードロに手を伸ばそうとすると、突如左足に激痛が走った。飛び上がって何事か確認すると、俺の左足は、朝出会ったときのような表情筋に乏しい芦花によって降ろされた左足の踵落しによってぺしゃんこになっていた。なんで?
「暮定、それ、受け取っちゃだめ」
俺と目を合わせようともしない芦花の、抑揚のない声音だけが耳に届く。おそらくは、先程俺の声によってかき消された言葉の続き。だからなんで?
「あはは……」
「……」
なぜか沙織は「マズイことしたか」的な苦笑を浮かべて察してるっぽいし、あれほど俺に怯えていたささめはジト目で、それは軽蔑の眼差しとも言い換えられるかもしれないジト目で、睨んでいた。
なぜか女子陣には、今のやり取りのどこが、一見沸点の高そうな芦花の怒りを引き出したのかの見当がついているようだ。他人の感情の機微に敏感な自負のあった「僕」でも分からないのに。
「汝の瑕疵ならずや」
ボソッと小言をいうささめ。なんかイラっときたので、触れてはいけないだろう話題に突っ込むことにする。
「沙織、ちょっといいかな」
「なぁに?」
……とはいっても、本人に直接訊くのはあまりにも酷というものだろうから、ささめと仲のよさそうな沙織に訊ねることにする。
「ささめのあの古めかしいというか、堅苦しい言い回しは、彼女の癖なのかな」
なるべく遠回しな表現で、やんわりと訊きだす。
すなわち、「中二病の早期発現か?」と。
「……ああ、あれは」
答えづらいだろうことを訊かれた沙織は……しかしそんな気を全く見せることなく、ささめに、
「ほら、ささめ。暮定もあの話し方、変に思ってるよ?」
特攻! 何してんの!
中二病っていう生き物は、普段は痛々しいことをこともなげにこなす癖して、いざ自分の行いを客観的に指摘されると顔を真っ赤にして半狂乱になる豆腐メンタルの持ち主なんだよ! だからせっかく婉曲的に伝えようと努力してたのに! やめてやれよ沙織!
なんていう抗議の声が漏れ出ていたのか、沙織は、
「大丈夫、そういうのじゃないから」
いたって冷静な態度で返されたので、沈黙。どうやら違ったらしい。ささめのことを何も知らないのに、邪推が過ぎたな。どっかの哲学者の言に習い、語り得ぬ者である暮定は口を噤んでささめの言葉を待つ。
「……私、子供なの」
「それは……見ればわかるよ」
それは、芦花が溺れた時以来の、ささめの言葉。文語のベールを脱ぎ棄てたささめは、どこまでも普通の女の子だった。
「そう、見ればわかる……私を見ると、みんな、ああ、子供がいるな、と思うの」
そりゃそうだ。
「……えっと?」
俺が話を理解できてないことを覚ったらしいささめは、一拍置いて、今度は別の話をし始めた。
「学校でね、夏休みの宿題に、読書感想文がでたの。私が選んだ本は、昔の文豪が著した短編小説。誰でも知ってる、有名な作品だったから」
芦花と同年代だろうささめが、純文学を読書感想文に選んだ。
「私は、その小説を読んでみて思った。――気持ち悪い」
語りながらその時の感情を思い出したのか、震える体を自分で抱いた。
「そこには、たくさんのことが書いてあった。私の知ってること。私も体験したこと。私の知らないこと。それと……私が知っちゃいけないような感情も、もちろん書いてあった。
私はその気持ちを、そのまま感想文に書いた。素直な気持ち。ありのままの気持ち。それでいいと思った。感想文、っていうくらいなんだから、良いことだけじゃなくて、悪いことも書いていいんだと思ってた。……けど、それを提出して、私は先生に怒られた。『ふざけてるのか』って、怒鳴られた。なんで、って思った。大人たち、批評家って言われてる人たちとか、ちゃんと悪いことも書いてるよ、って先生に言ったら……先生は、」
そこまでいって、ささめは口を閉じてしまった。自分の口からは言いたくもない、と言ったところだろう。そして、察してくれ、というメッセージでもある。
『子供なんだから、子供らしい素直な感想を書けばいいんだ』
だいたい、こんなこと。その担任は、ささめに言っただろう。
おそらくその教師は、ささめが奇を衒って、わざとひねくれた文章を書いたとでも勘違いしたんだろう。だから、間違った方向に知恵をつけていくささめを正そうとした。……実際は、ささめが教師の想像を超えた純な心の持ち主だっただけだが。
「それでね」
まだ話す意思が残っていたらしい強いささめが、再び口を開いた。
「先生に怒られて、私が悪い子だったって思ったけど……心のどこかで、私の思ったことも認めてほしいって感じてたんだと思う。だから私は、インターネットに、その読書感想文と同じような内容の文章を、大人の使ってるちゃんとした言い回しを辞書で調べて書き直したやつを、二十歳ですって言って、掲載したの」
インターネットでは、誰もが簡単に自分を偽ることができる。男が女のふりをすることも、日本人がアメリカ人のふりをすることも……小学生が、大人のふりをすることも容易く可能にしてしまう。
そんなインターネット上で、自分の抱いた感情が真に誤りであったのかどうか、確かめたくなったんだろう。
「そしたら、少しした後に、大学で日本の文学の教授をしてるって人から、文章を褒められたの。最初に、嘘かもしれないと思って、その人の名前を検索したら、ちゃんとした大学に名前があったから、本当だってわかった。うれしかったの。すごくうれしかったんだ。学校の先生には「子供が」って怒られたけど、インターネットで、「大人」として褒められたから、うれしかったの。それで私は思ったんだ。私が子供として人に見られてるときは、みんな、ちゃんと私のことをみてくれてないんだって。大人として、難しい言葉を使ってるときだけ、私のこと、ちゃんと見てくれるんだって、思った。
……だから、それからは私、いつもそういう言葉で話すようになった。そうしたら、みんな、私のこと、子供っぽくないねっていうの。だから……」
――だから、普段から難解な言葉遣いをするようになった、か。
「ねえ、暮定。こうやって喋ってても、私は、私にみえる?」
もう敬称もつけるのも忘れて、精一杯の勇気が、言葉を俺のところまで届かせた。弱気な瞳の中に見える純粋で強かな意思が俺に訊ねた。
……本来なら、俺はこの問いに対して、黙っているべきだ。外枠は違えど、本質の部分でいったら、それは俺や常世の「本当の自分をさらけ出せない・認めてほしい」という願望と変わりはない。その願望が叶えられずに願望でしかない自分には、なにも言えるはずがない。
……それでも。
ここで何もいえずに、むしろ首を横に振ってささめの思い違いを助長させるようなら、本当に、おしまいだ。一生「僕」として、その仮面が肌と一体化するのを待つだけの人間になってしまう。
……思い違い、だ。これは間違っている。それを伝えないと、俺もささめも、腐っていく。
「みえる」
――
「どんな話し方をしてようが、ささめは、ささめでしかない。それが変わることはない。大学教授がささめの文を褒めたのは、それが純粋にすごかったからだ。それは事実だ。存分に誇れ。それは大人として評価されたわけじゃないぞ。更級ささめっていう一人の人間として、評価されたんだ」
「……でも」
「ああ。「子供だから」っていう理不尽極まりない理由で正当な評価をしてもらえないこともある」
あるいは、それはもしかしたら「子供に対する」正当な評価なのかもしれないが。
「でもそこで諦めちゃだめだ。もっと強く主張しろ。自分は、自分だって。私はこう思ったんだって、相手がウザがるくらいに騒いでやればいい」
――俺がいったい何を言ってるんだと、笑いたくなった。何を偉そうに、さもすべて悟っているかのように、高説垂れてるんだ? そんな気持ちで、岩が大きくグラついた。
「……私を、主張?」
「そうだ。子供とか、大人なんて変な区分けはないものとして考えろ。子供としての自分がしたこと、大人としての自分がしたこと、全部同じだ。全部ひっくるめて、「更級ささめがしたこと」なんだよ」
――それでも、なんとか岩にしがみついて、しゃがんででも耐えて、俺はそこにいた。雲間から、一筋の光が見えた気がした。
「全部、私が……」
ささめは自分に問いかけるように、胸に手を当てる。沙織は妹をかわいがるような優しい眼差しで、なんとか立ち上がろうとするささめを見守っていた。
「……」
――雲間から差し込む光に手を伸ばす。
「……」
ささめは、目を閉じて、大きな深呼吸をしてから……姿勢を正して、俺を見据えた。
沙織は笑顔で、芦花はまた俺の服の裾を掴んで、上機嫌に腕を揺らして。
「ありがとう、
確かに「俺」に向けられた礼。それは何年ぶりかと回顧しそうになって、そんなことを気にする必要がないとたった今、ささめに言ったばかりだったことを思い出して、笑いそうになった。
そして。
俺は――誰そ彼時、日が沈みかけ相手の顔が認識できないほど暗くなった、そんな草原の下で。
ささめの顔を見て、はっきりと――
――「見つけました、暮定くん」
――岩場が、あっけなく崩れ落ちた。光は雲に遮られて、消えてしまった。
「おじいさんに暮定君の事聞いたら、ここ、教えてくれました」
――さっき――さっきっていつだ? ――よく覚えていない、とにかく今よりも前――俺の思考を邪魔した、
――記憶の中の、模範的少女。
「私、暮定くんのことがどうしても諦めきれなくて……この村まで、来ちゃいました。一緒にお祭り、見ませんか? 暮定くん」
――「俺」が「僕」になった理由。すべての始まり、すべての終わり。
――これで三度目の記憶となる、俺の前に立つ彼女が、恍惚とした笑みを浮かべて、そこに立っていた。
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