十七日 『俺は違うからな』

 よく考えれば、俺も常世のことを笑えないくらいには一人称をコロコロ変えていたな、悪いこと思ったかな、まあでも常世だしいいだろう、とついさっき名前を知ったばかりの他人以上知り合い未満の相手を卑下しつつ店を出ると、その後を芦花がとてとてついてきて、こういった。


「暮定、これから暇」


 俺は口を開いて……また、「僕」と言いそうになって、寸前で噤んだ。さっきの今で、これだ。

 さっき、常世について話していたときは、芦花母の前でもしっかりと本来の暮定で話せていたんだ。そんな俺を、暮定母は、嘲笑したり、貶したりしなかった。あの人はそんな人柄でもないし当然のことだが、俺にとっては、一番重要なことだ。

 芦花だってそうだ。本当の、何もかもうまくいかない自分をさらしたところで、いきなり悪態をつかれるようなことは、ないだろう。

 分かっている。分かっているが、それでも、やっぱり……


「うん。祭りの時間は、18時だったよね。それまでは、特に用事はないかな」


 ここでまた僕に戻ることが、どれほど取り返しのつかない馬鹿げた行動なのかは俺が一番知るところだが、それでも、やっぱり、怖かった。

 素の自分を否定されることが、ではない。

 相手の期待を裏切り、落胆させることが、何よりも重い罪に思えてしかたない。

 だから、俺はまた芦花の前で、分厚い仮面をかぶってしまった。


 そんな俺の心中を知るわけがない芦花は、


「それじゃあ……暮定、あっち」


 と、指さして、俺の服の裾を引っ張る。

 どうやら、どこか連れて行きたい場所があるようだ。



   ☽



「……着いた」


 芦花に手を引かれて連れてこられたのは、広い草原……丘陵地? の、頂上。

 視界を遮るものは何もない、青空だけがそこに広がっている、村を一望できる野原だった。


「いつもここで遊んでる」


「村の皆と?」


「うん」


 こういう村は人口が少なく、なんとなく小学生は芦花ぐらいなのかと思っていた自分がいたが、そうでもないっぽいな。


「……ほら」


 芦花の指さした先には、


「おお」

 

 確かに十人近い子供たちが、おそらく鬼ごっこでもしているのだろう、走り回っていた。


 そのうちの一人が、芦花を見つけてこちらに走り寄ってくる。


「芦花、誰だよそいつー」


 少年が訊ねると、その声を聞いた他の皆も俺を見つけて、俺を囲むように群がりだした。


「兄ちゃん、観光客か?」


「そうだよ」


「お祭り見に来たのー?」


「そうだよ」


「名前は?」


「暮定、だよ」


「くれさだ……昔の人みたいだね」


「そういう家柄なんだ」


「『家柄』ってなんだ?」


「ええと、特定の慣習を持った……いや、これも難しいかな。そうだね……」


 などと、質問攻め。特に男の子は俺の手を押して引っ張っておもちゃみたいに扱うので、しんどくなった俺はその場にしゃがみ込み、成り行きを黙って見守っていた隣に立っている芦花に耳打ちする。


「なにかな、この人気っぷりは」


「多分、外の人で、暮定みたいな人は珍しいから」


 ……あー、と。あれか。そもそも観光地でもないこの村にわざわざくるようなのなんて、常世狙いの魔術師か、そうとうの旅行好きくらいで、俺みたいな一見すると普通の高校生の観光客が、こいつらにとっては新鮮だってことか。


「兄ちゃん、どうせ暇だろ」


「一緒に遊ぼ?」


「おれたち、これから河で魚捕まえに行くんだけど、兄ちゃんも来いよー」


「鬼ごっこはもういいのかい?」


それは芦花がの地に来たるときまでの寸暇すんかにて行われていた前哨戦、なれば芦花のある今暮定を連れて河川に赴くは道理」


「行こうぜ、暮定ー」


「聞いてるか、くれさだー」


「くれさだー」


 なんか一人変なのがいたが、気のせいだろう。


 芦花に連れられてこの場所に来た俺は、判断を芦花に委ねるが……


「そのために、ここに連れてきた。……知ってほしいっていうのもあったけど」


 らしいので、俺は子供たちにあえなく連行される。朝の警官より、この子たちの方が警察に向いてるんじゃないか?



   ☽



 そんなこんなで……というのが経緯の説明として最低なのは俺も重々承知なんだが、いかんせん方向音痴を極めてしまっている俺には、ここに来るまでの道のりを上手く述べられる自信がないので、便宜上そう記すしかない。というわけでそんなこんなでこの場所、昼前に晴人に観光スポットとして紹介された、翡翠かわせみ……の、この村の固有種であるワタリソニドリが憩いの場に使っている川へやってきた。

 道の端の、縁石とも呼べない乱雑に配置された岩々を跨いで、川辺にまで降りて、子供たちは素足をさらす。そして男子が突として、女子はおもむろに服を脱ぎだすと、下に水着を着ていることが明らかになった。学校で使われているスクール水着だ。


「暮定、服、脱がないの?」


 俺が服を脱ぎだす素振りを見せないでいると、みんなと同じくスクール水着姿になった芦花が、俺に脱衣を促してくる。……というか、芦花、その恰好であんまり近づくなよ。俺は違うけど、お前、今、一部の犯罪者予備軍にはダイレクトヒットする恰好してるんだからな。俺は違うけど。


「聞き方が危ないよ……僕は水着を持ってきてないからね。見たところ浅瀬みたいだけど、ところどころ深い場所もある。溺れる子がでないように、ここに座って監視してるよ」


 服を脱ぐといえば、今朝方この村で上裸になろうとした露出狂が出没したと芦花から聞いたが、はて、彼は今どこで何をしているのやら。そんな変態は、間違っても芦花みたいな小さい子には近づけちゃいけない。なので、不審な人物が近づかないよう、俺が芦花についていなければいけない。

 証明終了。二回目。


「……プールの監視員みたいだね。泳げるの?」

 

「演劇部で、水泳部のエースの役をやったことがあるんだよ」


「……それ、ホントに泳げるの」


「泳げるよ。演劇部だからね」


「……よく分かんない、けど、分かった。行ってくるね」


 芦花は笑みを浮かべて、みんなのいる流れの緩やかな浅瀬の中へと、しぶきをあげながら走っていった。


「信じて貰えてないな、あれ」


 泳げるのは本当だ。

 演劇部関係なく、体育の授業や友達と行ったレジャープールで泳げるようになっただけだけど。

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