十三日 『演劇部として』

 三日坊主という言葉があるように、飽き性な子供だった俺は優等生扱いされる喜びに三日目にして満足してしまった。つまり花に水をやり、友達に勉強を教え、ドッヂボールで活躍したところで、身近になりすぎた礼賛になど興味を示さなくなったということで、全く贅沢な飽和状態だった。

 だから俺は次の日には、元の通りの、元気の有り余りすぎていて困る小生意気な腕白小僧に戻り、子供としての喜楽を求めて笑っていた。……笑っていたら、大変な失望の目を、周囲から向けられてしまった。

 これもまた、具体的にどんな非道い罵詈ばりを受けたか、雑言を浴びせられたかについては、あまりよく覚えていない。ただこちらの記憶がないのは、その悪意を向けられたのが記憶に値しない事柄だったからなどではなく、おそらく、俺がそれを忘れたいものとして記憶を拒否しているだろうからだった。

 これも今となって考えれば、面倒な餓鬼がようやく改心したかと胸を下した矢先に、ケロリとした顔でまた悪戯を始めたんだから、それを受けて騙された騙られたと憤る周囲というものに一分の悪気もないことは明白なんだが、小さな子供だった俺に客観視などという小賢しいことができるはずもなく、心を満たす悲しみのみを感じて、それは深く落ち込んだ。


 その次の日、四日目、俺はまた彼女とできすぎる彼と、ついでに一昨日の自分を参考に、相手の求める対応、相手の喜ぶ返答を学んでいく模範生となった。周囲は、ホッと胸をなでおろして、俺に近づき、そうして例の、偉い賢いの賞賛を送るのだった。

 この賞賛を受けて、当然俺は一日振りに、あの自尊心を高める喜びに触れられるものだと考えていたから、いつまで経ってもそんなような感情が自分の身体を包まないことに気づいた時、親を亡くしたように気が遠くなって、代わりに不安が心を満たした。

 俺はなぜそんなことになってしまったのかとんと理解できずに、困惑し、休み時間は一人トイレの個室で、泣くでもなく、当然笑うでもなく、虚無感に駆られた体を放置していた。

 

 そんなことがあって、俺は、直情な子供としての自分と、生徒の模範となる優等生としての自分とを、何度も交互に入れ替えるようにして生活するようになった。

 周囲は優等生としての自分をかわいがり、持て囃し、反対に素の自分を見せると、まるで虫をひっくり返して腹を垣間見たように顔をしかめて、厭そうに侮蔑の目を向けた。

 この状態が、約二年続いた。中学に上がると、クラスメイトもそれなりの世間体というか、体面をつくろう術を覚えてきて、所謂本音と建て前を使い分ける人が珍しくなくなった。そんな中で、俺が、元の餓鬼の顔を見せてしまうと、どうしても周囲からは浮いてしまい、これまで教師や大人たちが大部分を占めていた「周囲」に、同級生も混じり始め、とうとう、素の自分が誰にも受け入れられることない環境を、自分の奇怪な行動によって形成してしまった。

 

 そうして俺は、自分を偽り、なんでもできる模範生を、常に演じるようになった。


 相も変わらず、勉強もスポーツもよくでき、人当たりもよく常に柔和な微笑をたたえている俺を周囲は頼り、心からのお礼を言ってきたが、やっぱり俺の心が空虚なことから変わりはなく、乾いた目で、乾いた口で、時には「たいしたことない」と謙遜し、時には「そうだろうそうだろう」と驕ってみせて笑わせる。こうして俺は順調に、人に愛想を振りまく術に長けていった。


 高校に入ると、いよいよ餓鬼の暮定を知る人間は消えた。周囲にとっての久慈暮定というのは、いつも笑顔で、文武両道、話は面白く、気遣いのできる、そういう人間のことを指していた。

 この時に俺は、言葉遣いを自分の周囲からのイメージに沿ったものにすることを思い至り、その結果生まれた「僕」という一人称は、俺の優男としての印象を強める手助けをした。そんな俺は当然クラスの委員長を誰からともなく推薦されるままに務め、揉め事があった時などは、率先して割って入り、仲介役として申し分ない活躍をしてしまうものだから、それを見た周囲はますます俺をヒーローとして拍手喝采するようになった。


 部活動を選ぶ時期になって、その頃にはもう自分の意識よりも周囲の待望の眼差しの向く方へ走るようになっていた俺にしては珍しく、久しぶりに自分の意思で、演劇部に入ろうと決めた。


 演劇部というんだから、そこには当然演劇好きな人が集まるわけで、そんな中には、俺と同じような境遇、つまり、本来の自分を押し殺してまで周囲の求める自分を演じる人間、そんな人間が一人くらいはいるだろう、運よくそいつと仲良くなれたら、そいつの前でだけは素の自分でいるようにしよう、などと考えていた。

 しかし実情として、他の学校は知らないので自分の学校を本位として断言させてもらうが、演劇部にいるのは、ただ単に青春を謳歌せんとして入部した、それができそうな部活ならどこでもいいと考える人間、入りたい部活が見つからず、担任に勧められるままに流れで入部した目的意識のまるでない人間、アニメかゲームかの影響で入部したオタク、真っ当に将来は俳優になる気の生真面目な人間、それだけだ。

 

 普段から完璧な演劇を周囲に求められるあまり、それに懊悩し、その解決法を求めて演劇部にやってくるような変わり者は、俺一人だった。こう文字にして並べれば、こんな奇異な人間が学校に二人もいるはずがないとすぐにわかりそうなものだが、人生に困窮している俺に、周囲から求められた行動の他に何もできなくなった俺に、そんな判断、到底不可能だった。

 そういう本当に役立ちそうなスキルに限って、周囲というものは俺に求めず、自己の中で、社会人になるその時を見据えてゆっくりと育てているらしい。


 それでも俺は諦めず、この演劇部という環境に身を置くことで、自分よりも周囲を欺くことに長けた人間というものに出会えるのではないか、また、優秀な指導者の前では、独学にして浅学の自分の演技などすぐに見抜かれてしまうのではないかと、密かに期待していた。

 結局、俺が二年になり、全国のコンクールで優勝をおさめても、そんな人間、ついには現れなかったのだが。

 それどころか、他人を演じる演劇部としての力を磨いていく中で、俺の八方美人はついに境地に至った。

 神さえ欺ける確信がある。


 そんな自分が、醜くて、醜くて、仕方がない。

 ふと鏡をみると、醜悪に顔をゆがめた、周囲が「笑顔」とか呼んでいる表情が映し出されて、込み上げる吐き気に、口をおさえた。

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