十一日 『人間失格?』

 汗が額をつたうのも気にしないで、真剣なままで剣舞を終えた晴人が、タオルを首に巻き日陰に移動していった。

 それを遠巻きに、なんとなくぼんやりと眺めている俺の、その横から、竜禅寺さんが声をかけた。


「暮定。お前もやってみるか、剣舞」


 そんなことを言ってくる。当然話が見えずに、困惑して聞き返す。


「俺がですか? どうして」


「さっき俺に刀を向けた時に、お前の太刀筋の優秀なことは確認済みだ」


 あの百回ボコられた時か。一合目から刀身ごと素手で掴まれて、満足に刀なんて振るえなかった気がするけどな。


「……そういうことなら、やってみます」


「別に上手くできたからって、今から晴人と役目を代われ、なんてことにはならない。本気で、のびのびと舞えばいい」


 補足と励ましの言葉を送ってくれる。やっぱり、根は温厚な人なんだろう。


 そうして木陰から出て、忘れかけていた陽の激しさに少々やる気をそがれながらも、再び木刀を握る。

 竜禅寺さんが顎を引いて……それから、なにかを思い出したように顔をあげて、こちらへ近づいてきた。


「あと……ほら、暮定。これつけろ」


 と、竜禅寺さんが手渡してきたのは……


「能面……ですか?」


 主に能楽に用いられる、能面だった。顔を赤くして怒りをあらわにした、犬歯剥き出しの、の能面だ。


「本番では、舞姫様は増女ぞうおんな、晴人は鬼神きしんの能面をかぶって舞を奉納する。まあ、雰囲気づくりだ」


 ちなみに増女というのは、「能面」と聞かれて真っ先に思い浮かぶであろうあの白い顔の女の面のことで、気高き神聖なあま少女をとめだとされている。


「……なんだ、厭か?」


 ……無意識に、不機嫌な顔をしていたんだろうか。

 竜禅寺さんが俺の顔を覗き込み、面を被ることについての是非を訊ねてきた。


「い、いや。そんなことないですよ」


 能面を受け取って、それを被る。体のどこにも違和感は覚えない。

 視界が狭まり、先程までよりも一点を集中して見据えることができる分、むしろこちらの方がやりやすいぐらいだ。


「全部、覚えてるか」


「はい」


 舞い方は、晴人の剣舞を見て覚えた。あとは、演劇をするとき同様、だけだ。


「よし、なら始めろ」


 ――その一言を聞いて、俺は魂の深いところまで潜り込んでいく。


 俺は……鬼神だった。

 その昔、この翡翠村を踏み荒らし、焼き尽くし、あまねく不幸を呼び込んだ悪霊だった。

 人間の嘆き苦しむ姿を眺めることが、最上の娯楽だった。

 数多の高名な陰陽師が、有力な武士が、大群を引き連れた殿上人が俺を祓おうと奮迅したが、すべてが悲痛に顔を歪めて、それらを睥睨する俺から逃れられずに果てていった。

 まったく、極上の時代だった……だったと、いうのに。

 あの女、あの神が、その平穏をぶち壊した。

 村の巫女に呼ばれて、態々わざわざ高天原から降りてきて、今、まさに俺を鎮めようと躍起になっている。

 足りない。こんなものじゃ、足りないぞ。もっと、もっともっともっと――屍を積んでは、その仇だといってのこのことやってくる人間をさらに嬲るまで、満足するわけがない。

 ――だから、あんな女神一柱ごときに、祓われるわけにはいかない。

 俺は、荒ぶる神、堕ちた鬼。

 あの神を殺して、俺に歯向かうことの無意味さを、脳髄にまで叩き込んでやる――



   ☽



 舞い終わると、隣には晴人がいた。

 能面をとり、刀を置いた途端、全身から疲労感が込み上げてきて、その場に手をついて座ってしまった。


「すげーじゃねえか、暮定!」


 晴人は、俺を見るなり開口一番にそういった。


「俺、あの舞を覚えるのにけっこう苦労したんだぜ? それをお前、一度見ただけで、鬼神の迫力まで完璧に覚えやがって……」


 悔しそうだが、それでいて嬉しそうでもある、よく分からない表情で拳をギュッと握る。


 俺はといえば……ただ、鬼神として無我夢中で刀を振るっていただけだ。あの時の俺は、鬼神だった。だから、自分が何か賞賛されるようなことをした気にはならないし――実際、そんなことを、俺はしていない。


 あれは、鬼神のしたことだから。


「……暮定」


 そうだ。俺のしたことじゃない。俺の舞じゃない。だから、分かる人には分かってしまう。


 俺を見る竜禅寺さんは、とても晴人に勝るとも劣らぬ剣の逸材をみつけた、なんて嬉しそうな顔をしているようには見えない。


 むしろ、奥歯に何かが引っかかったように、居心地が悪そうに眉を寄せていた。


「まあ、のびのび舞えっていったのはオレだけどよ……お前、本当にあの舞い方でいいと思ったか?」


「……」


 ……そう訊く竜禅寺さんの声色は、親父が説教するとき特有のような不機嫌さを伴ってはいなかった。


「お前のあれは舞じゃない。ただの怒りだ。剣舞は、「久慈暮定」が鬼神として刀を振るうことで初めて意味を持つ。「鬼神」が、快楽のために暴れるんじゃダメだ」


 道理の分からない子供に、一つ一つ、噛んで含めるように諭していくようだ。

 俺の目をみて。俺の心に問いかけるように。


「……今の俺には、この舞い方しかできません」


「そうか」


 その様子を……俺は、恐いと思った。

 それは、小さな子供が本能的に父親を怖がるのと同じ。

 憤りのままに怒鳴りつけるようなステレオタイプの雷親父には出せない、静かな恐怖。


 晴人があれだけ怯えていたのは、この恐怖が原因か。


「……他の奴がどう思うのかはわからないが……オレは、さっきの剣舞よりも、晴人と徒党を組んでオレに斬りかかってきてた時のお前の方が、生き生きとして見えたぜ」


「……竜禅寺さん」


 ……それは多分、俺が求めていた言葉。

 俺が、この汚泥から抜け出すために、必要な言葉。

 俺が、演劇部の部長として全国優勝までしても、ついに聞くことのなかった指摘。 

 それを、この人は――


「稽古は終わりだ。晴人、あとは今夜の本番でな」


「はい!」


 といって、木刀と仮面を持って行ってしまう。

 振り返ることなく、手だけを振って「じゃあな」と告げるその姿は、今朝俺がやったものよりも、断然カッコよく映って見えた。

 やっぱり、俺には何もかも足りないらしい。

 

 それはきっと、俺が俺として生きていないから――

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