六日 『翡翠と翡翠』

 雄大な自然の中に、涼やかな群青がどこまでも広がっていた。灼熱を受けて水明かりが輝き、瞬き、俺の瞳を揺らめかせる。

 上を見れば、空。夏の入道雲が高く高く伸びて、世界を覆っている。

 河川と天際てんさいの間を縫うように聳える山々は、今、この場所この村には夏が訪れているんだということを、何よりも雄弁に語っていた。


「……ここは」


 玉響の巨石を通り過ぎて、山道深く、鬱蒼とした森林の中で木漏れ日を浴びつつ獣道を二度曲がったところで、その自然は姿を露わにした。


 その茫洋たる河川に沿って、小さな鳥達が水面近く、影を映しながら飛んでいる。


 小鳥は全身を宝石のように鮮明な青色が包み、くちばしは長く、胸はだいだい色をしている。


「……「翡翠ひすい」のもうひとつの読み方、分かるか」


 飛ぶ鳥を目で追いながら、晴人が問う。


「……翡翠かわせみ、だな」


「そうだ。この村の山川には、夏の間だけ翡翠かわせみがあらわれる。普通、季節の到来を告げる鳥には時鳥ほととぎすうぐいすが挙がるが、この村ではもつぱらカワセミがそれにあたる」


「……カワセミって、そんな生態だったのか?」

 

「いいや。そんな話は聞いたことねえ。だから翡翠村のカワセミは特別なんだよ。――翡翠ひすいの夏に鳴く翡翠かわせみ、「渡翠鳥わたりそにどり」だ」


 俺が空に目をやると、一定の速度で水面ギリギリを飛んでいたそれは、唐突に上へ上へと飛んだかと思うと――急下降し、一瞬、水しぶきをあげて水中に突っ込み、二度目の瞬きの後にはくちばしに小魚を咥えて木の枝にとまり、獲物を呑み込んだ。


「……」


 ワタリソニドリ。

 ……天を自由に翔けていく鳥の名前を胸に抱いて、俺たちはこの場所を後にした。

 


   ☽



 その後、日差しが刺すほどには開けた山道を下っていくと……あれ。


「なんか既視感があるぞ」


 ついさっき、この場所を別のアングルから見たような気がする。


「ここは玉響神社へ続く参道のわき道だからな。山の中を一周して、戻ってきたんだよ」


 そうなのか。ここに来るまで戻ってきていることにすら気づかなかったのは、俺が芦花の言う通り方向音痴だからか、ただ単に土地勘の欠如ゆえか。


「ここから数分歩いたところに、神社がある」


 晴人が指さしたのは、切り立った崖の上。数メートルの高低差がある。あそこが神社につながっているのだろう。


「境内の近くってことは、ここも神話関係か?」


「まあ、玉響の巨石に比べたら地味だが、儀式の場だ」


 そこは、小さな滝だった。岩の隙間から静かに流れ出る清水が一帯を浸した湖のようだが……面積が狭いため、どちらかというとため池のようにも見えるが。


「神社周辺の湖……ああ、禊場みそぎばか」


「察しが良くて助かるぜ。ここは別に観光名所でもなんでもないただの湖だが、一応魔術師関連で教えとこうと思ってな。御霊祭の最初と最後、ここで神職の人間は禊を行う。……っつっても、特に巨石のような云われもなければ、さっきの河川のような生息動物もいないがな。

 ここはこれで終わりで……翡翠村の案内も、終わりだ」


「全部回ったのか」


「さすがに全部ってことはないがな。よく見て回れば、その一つ一つが翡翠の神秘だ。ただ分かりやすい形としての観光スポットは、これくらいだな」


 たしかに今紹介してもらいまわった三ヶ所は、この村にとっての要所であることには違いなかった。

 神の岩。

 ワタリソニドリ。

 禊の湖。

 知っておいて損はない場所だっただろう。

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