二日 『部長、on the stage!』
人並みに悩みを抱えているらしい悩みのなさそうな少女、名前を……聞き忘れたが、そいつと別れた後。
俺は一度来た道を引き返し、徒歩で村に戻ろうとしたところ、半日に一本だけ出ている巡回バスに運良く拾われて快適かつ速やかに
……そこまではよかったんだ。問題は次にある。
というわけで地図アプリの使えない俺は、村の役場で紙の地図を手に入れた。役場がバス停の近くにあったのは、不幸中の幸いだ。
地図のついでに玉響神社までの道について聞いてみると、役場の職員は距離と方角を交えて丁寧に教えてくれた。これによって田んぼがどうとか言ってた彼女の説明が如何にへたくそであったか、よく分かった。
その後役場を出て、地図と職員の説明に沿って歩いていたのだが……
「迷った」
一つ分かったことがある。田舎には目印がない。
左向く、田んぼ発見。右向く、田んぼ発見。……いや、右の田んぼでは麦わら帽子をかぶった人のよさそうなおじいさんが耕運機を持って進んでいるな。あと一本の木が生えている。それぐらいの違いだ。
「二つ目の田んぼ、か」
どこから数えて二つ目だよ。
あいつの説明をあてにしなくてよかった。
「地図をみながらでもよく分からないのに、あんな抽象的な言葉で着けるわけないな」
そんなに広くない村だ。分かれ道も少ない。……が、致命的に風景が変わらない。途中、ぽつんと置かれた民家がいくつか遠くに認識できるくらいで、しばらく歩いていると自分が今どちらに向かって歩いているのか分からなくなってくる。
「……休もう」
暑さに体力を奪われるだけだ。丁度木陰を見つけたので、そこに腰を下ろす。
誰か村民が通りかかるのを待とう。その人に聞けばいい。
しばしその場でじっとする。
聞こえてくるのは、蝉時雨。
目に入るのは、田園、森林、青空、白雲。それだけだ。
人工物が入り込む隙なんてない。
自然というテーマで風景画を描けば、こんな景色になるだろう。
「凄い場所に来たな」
しばしの間、目を閉じて、心を落ち着かせる。
今見た光景を、忘れないでおこう。
そう思った。
☽
三十秒くらい経っただろうか。
視覚を取り戻すと、眼前の風景が少しばかり変化していた。
……小さな女の子。小学校の……低学年か高学年かの判別が難しいくらいの歳の少女が、その二つの眼をじーっとこちらに向けて立っている。
白のワンピースを着て、左手には長い木の枝を握っている。
こんな場所に一人でいるということは、この村の生まれとみて間違いないだろう。神社への道を知っているはずだ。
「なあ」
その場に座ったまま声をかけると、
「うわっ、しゃべった……」
俺から視線をずらさないでいた少女はビクッと肩を震わせ、一歩後ずさった。そりゃ喋るよ。
「な、なに……」
肉食獣に見つかった草食動物のように警戒心MAXで対応された。
理由はよく分からないが、不審者にでもあったかのような態度を取られている。
このままでは、神社までの道を訊きだす前に逃げられてしまうだろう。
――でも、なにも問題はない。
こういう時、どう接するべきかを、俺は
「
「……うん」
「それで、ここで休んでたんだ」
混乱させないため、一度に多くの情報を与えすぎない。慌てた心でも理解できるように一つ一つ話していく。
それが、平常心を失った相手への接し方だ。
「それは、知ってる」
「……?」
小さな手で、自信なさげに俺を指さす。
「見たことない」
なるほど。
田舎特有の、横のつながりというやつだ。村民は互いに皆、顔見知りなのだろう。だから顔を見ただけで、村の外からきた人間かどうかは判別できるということだ。
「……あと、外で服を脱ごうとした人がいるって、噂になってる。……あなた?」
警戒されてた理由はそれか! 完璧な自業自得だった。
「……そう見えるかな」
軽く微笑んで、質問に質問で返す。笑う時は、眉尻を下げて相手の同情を誘う。
「……どうだろう。ちがう、かも」
「僕じゃないよ。信じてくれると嬉しい」
最後に、少女の良心に訴えかける言葉。……これで、
「……わかった」
よそ者に対する警戒心は解けただろう。
「それで、なんで話しかけたの」
ようやく話を聞いてくれそうだ。
目線を合わせるために座ったままだったが、もう立ち上がっていいだろう。
「観光に来たんだ。
そう願いながらも、さっきの今で、面倒くさがられるか、断られるかの二択を予想していたんだが、
「いいよ。……わたし、
意外にもすんなりと承諾され、それだけでなくおまけに向こうから名前まで教えてくれた。
「ありがとう。僕は
今朝の犯罪者予備軍である彼女には教えなかった名前を、芦花の前で名乗る。
久慈暮定。それが俺の名前だ。
「……うん。ついてきて、
木の枝で、右を差し示す。……よかった。
「あの分かれ道、左行こうとしてたんだ」
「地図持ってる」
「目印がないから、それでも迷うんだよ」
「……? あれは
右の田んぼ、左の田んぼ。それぞれ見比べる。……ダメだ。
「……どれも同じに見えるけど」
「見分けつくのに。……方向音痴?」
にへら、と
……それは、確かに俺に向けられたもののはずだ。
「う、うん……」
なのに――また。いつもの感覚だ。
相手との……長い長い、距離を感じる。
今、芦花と話しをして笑っているのがだれなのか、分からなくなる。
それが嫌で、ここに来たはずなのに。
朝の彼女とは、久々に
あれはあいつが特別なんであって、俺が成長したなんてのは、まったくの思い違いだったらしい。
俺はいつも、いつも都合のいい返事ばかり――
『暮定くん、いつもは真面目なのにおもしろくてノリもいいし、絶対モテるよね』
『――』
『そうだよ~! 勉強もスポーツもできるクラスのまとめ役! 私が好きな漫画に出てるイケメンそっくり!』
『――、――』
『この間も勉強教えてくれたしな。お前のおかげで、なんとか赤点は免れたぜ……サンキュな』
『――――――?』
『え、でも大丈夫? 演劇部、全国決まったんだよね。これから練習とか忙しくならない?』
『――――!』
「……っ」
拳に力が入る。腹に溜まったどす黒い何かが込みあげてくるように錯覚した。
今すぐにでも、ここから逃げ出したい。こんな小さい子を笑わせて平然としている自分が、こんなのどかな村にいていいはずがない。
今からでも、この村から出て……
「どうしたの、暮定」
――ふと、右手に何かが触れた。温かい。
「バッタを食べちゃった男の子みたいな顔してる」
先程まで芦花の握っていた木の枝が、道の端に置かれている。――芦花が両手で、俺の右手を包み込んでくれていた。
「……それをことわざでは、「苦虫を噛み潰したような」顔っていうんだよ」
ダメだな。出会って間もない芦花に心配かけてるようじゃ世話がない。
俺はいつもみんなの求めるように、笑っていればいいんだ。
「……玉響神社まで、あと少しだから。神社についたら、一緒にお参りしよう。
舞姫様、といったな。察するに、この村特有の玉響神社の巫女の呼び名だろう。
「ありがとう、芦花」
……そういえば、彼女――芦花から純真さと落ち着きと常識をひいたようなあの彼女だ――は、村の住民は戸隠の巫女を疎んでいるといっていたが……少なくとも、芦花からそんな雰囲気は感じない。寧ろ俺の思っていた通り、敬われている気がするが……。
まあ、子供は古い噂を真に受けない傾向にあるしな。ああいう村の伝承的なのは、概して一部の村の有力な古老たちが信じているだけということが多い。ソースはドラマや漫画。
とりあえず、ようやく目的の神社を目にすることができそうだ。
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