第5話 シンクロニシティ
国語の教科書って意外と面白い。それに最近気付いた。
そのキッカケ、それは彼がクラスに居るから。なぜだか分からない。だけど、好きになっちゃった彼。
どうしたら、この思いを伝えられるのだろう。
わからない……
そんなとき教科書の中の、この文章に出合った。
──人間が心に思うことを他人に伝え、知らしめるには、いろいろな方法があります。たとえば……
『文章読本』谷崎潤一郎 著
タニザキって…… 曖昧だったから調べたら、百年くらい昔の文豪なんだって。
ふ〜ん……って感じなんだけど、その名前と文章がなんか色っぽい感じで、ちょっと気になった。
* * *
オレはどうしても国語が好きになれなかった。相性が悪いんだろうな、多分。
それは四字熟語の小テストでのことだった。
(問)つぎの四字熟語を完成させなさい。
① 危□一□
オレの答➡危機一発
(正解)危機一髪
……なんで髪なのさ。
薄毛芸人のネタみたいじゃんか。一発のほうが雰囲気出てるだろうが。ファイト〜って。
② 相□相□
オレの答➡相愛相愛
(正解)相思相愛
……アイアイ?
じゃぁ、アイアイと。
なんだこりゃ、お猿さんだね。
③ 金□玉□
オレの答➡金ノ玉玉
(正解)金科玉条
……おいおいシモネタをブチ込んできたぜ。
ここ、学校だぜ?
今回も軒並み不正解だった。国語が得意なやつがうらやましいぜ。
そうつぶやきながら、オレの頭にはクラスメイトの奈緒の顔が浮かんでいた。
キュン…… 小さく胸が鳴る。
あっ今、いいこと思い着いた。
彼女に勉強のコツを聞く場面を作り、自然体で親しくなって行くってのは、どう?
奈緒って、文学少女っぽいじゃん。自分の得意なことならスンナリ受け容れてくれるよね。
「それ、大喜利なら85点かな。テツローくんのそういうセンス、わたし好き♡」
って、ならないかなぁ……
オレは独り、ニヤけながらそんな妄想に耽っていた。
* * *
今日もまた暑い一日だった。
こんな時は薄暗い廊下が気持ちいい。学校中で唯一、ヒンヤリしてる場所。校舎北側に位置しているためなのだろうか。
もう皆んな帰ってしまったので、廊下はシンと静まり返っていた。そこを通り、オレは昇降口へと向かう。
校舎の玄関を出たところで、スニーカーの踵がまだ収まりきっていないことに気づいた。つま先をトントンと蹴り、靴を履きながら歩く。
ん?自転車置場に誰かいる……
ひとりションボリ立っている女子がいた。
奈緒? 奈緒ちゃんだ!
そうだ、今がチャンス。国語のテストの話題を振ってみよう。
「ヤッホー、オツカレー。今、帰り?」
遠慮がちに声を掛ける。
「あ、テツローくん!ちょうどよかった!」
振り向きざまの顔が、パッと輝いて見えた。
よし、今だ。
「あのさぁ……」「あのね……」
オレと奈緒は、同時に何かを話しだそうとしていた。
「あ!」「え?」
あぁ、また……
二人とも自然と笑みがこぼれた。
「奈緒ちゃんって、チャリ通だったっけ?」
「ううん、今日だけ。でもパンクしちゃって……」
奈緒のうつむいた視線の先には、ぺちゃんこのタイヤがあった。
「遅刻しそうだったから、慌ててチャリったら……」
「あらら……とりあえず空気入れて、パンク・チェックしようか。体育倉庫に空気ポンプあるから」
幸い体育倉庫の扉に鍵は掛かっていなかった。ゴトゴト重い音をたて引戸を開ける。
湿った匂いが鼻をかすめた。ライン引きから白い粉がダラしなく溢れている。その白い粉、石灰が放っていたのだろうか。どこか懐かしい匂いだった。
テツローは、馴れた手つきで空気ポンプをセッティングする。
シュー、シュー…… ポンプから充填されて行く空気。
車輪がパンパンに戻る。だが作業はまだ終わらない。引き続きその外周の黒い表面を、テツローは丹念にチェックしていた。
「原因はバルブかな……」
そう呟くと、バルブと呼ばれる車輪内側に突き出た、空気充填口のネジを外しにかかった。
工具が無い中、素手ではネジひとつ弛めるのもシンドイ。テツローの額には、汗が浮き出ていた。
ポタリ。
その額から、一滴の汗が地面に落ちる。白っ茶けた地面に黒い水玉がひとつ現れた。
渇ききった大地が、そのわずかな水分を奪い合う。みるみるうちに吸い込まれ、薄まりゆく黒。
まくり上げた袖。陽に焼けた腕に力がこもる。グイッ、グイッっと腕を動かすたびに、筋肉が膨らんだ。
「おぉ… ネジ、弛んだょ」
汗にまみれた笑顔が振り向いた。奈緒にその喜びを伝えている。
「……あぁ、やっぱり。パンクの原因、これ」
破れたゴム管を被った、小さな部品。それがテツローの指先に摘まれていた。
「ありがとう、自転車屋さんみたい。スゴい!」
その作業内容よりも、テツローの汗と筋肉に、奈緒は感動していた。
「一応タイヤに空気入れてるけど……虫ゴムってやつ替えないとダメなんだ」
「ムシ?」
「うん。虫っぽいゴム管。100均に修理キット売ってるけど…」
「じゃ行こうよ!これから」
百円均一の店は、帰る方向の街なかにあった。校門から続く桜並木を、二人は自転車を押しながら歩きだす。
「そういえば、さっきテツローくんが言い出しかけたこと、何だった?」
「あぁ… オレさ国語、苦手じゃん。どうしたら好きになれるかなって」
好き、という言葉に、奈緒の心拍数が少し上がる。
「そうだな… わたしなら、ラブレター書くための勉強って思う」
(あ、アタシ、思っていること、そのまま言っちゃったょ。どうしよ…)
とりつくろうように言葉を続ける。
「言葉を楽しんじゃえ! そうすれば好きになるって」
(アタシ、妙に彼のこと意識してるってば)
そのときであった。
「ぎゅるるるるぅーー」
(なに何?! アタシのお腹? 鳴っちゃった! もぅ、アタシったら最低!)
「ごめん… わたし、お腹空いてるのかな」
「あ、オレも今、あれを考えてた」
「えっ? 何?」
「すきや!」
きゃー! 好きって言われた!
奈緒の全身に、電気が走る。
一瞬の硬直。ブレーキ・ハンドルをギュッと握ってしまい、自転車が前のめりになった。態勢が崩れる。
危ない、倒れる……
その時……
奈緒の目の前に、手が差し出された。とっさにその手を掴む。
手と手が、しっかりと握られていた。
シンクロニシティ……
意味のある偶然。言葉が、心が、手のひらが…… 重なる。
( 唇も、重ならないかな…… )
心の声が溢れた。
みるみるうちに頬が高潮してくるのが自分でもわかる。
「奈緒ちゃん、大丈夫?ねぇ、お腹が空いた。百均のあと、すき家で牛丼食べようよ」
テツローが脳天気に、そう言った。
そんなことより、アタシ顔が熱いよぅ。変だと思ったんだ。関西弁で告るわけないじゃん。もぅ……
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