第4話 アイイロの雨

 ぽつんとひとり、奈緒なおは待っていた。

 誰も居ない放課後の教室。

 

 随分と、待ち続けた。

 だが今日はもう、あいつは来ないだろう。

 クラスメイトに託した伝言は、どうやら彼氏の耳に届いていなかったようだ。



 とうに授業も終わり、部活も無いこんな雨の日。学校に残っている生徒など誰も居ない。

 しんと静まり返った教室が、こんなに寂しいものだとは思っても見なかった。


 そう、それは先週末の体育祭での出来事だった。

 奈緒は「借物競走」で、偶然彼と手を繋いだのである。

 それ以来、「好き」という彼への感情が抑えきれなくなっていた。


「アイツもたぶん、奈緒に好意を持っていると思うよ」


 そう言う親友の言葉に背中を押された。それなら気持ちが熱いうちに告ってしまおう、そう決心した矢先だった。

 それなのに、おもいっきり出鼻を挫かれてしまった。


 彼の席は、窓側のほぼ真ん中あたり。その机だけ、なぜだか明るく輝いて見えた。

 ずっと眺めていたい……

 そのすぐ後ろの席に座り、彼の背中を思い浮かべてみた。

 机の上に両腕を乗せ、うつ伏せ姿勢のまま、目の前の机を眺める。


 あいつの顔が浮かんで見えた。

 恋しい顔が、いつものように少し照れながら笑っている……



 来ぬ方の 後ろの席に 寝転びて

 側そばに座れし 十五の心



 国語の授業で習ったばかりだった石川啄木の歌を、パロって詠んでた。 

 ちょっと、むなしくなる。


 切ない…… 泣きたくなった。

 ぎゅっと、何かに心をわしづかみされる。一粒の涙が頬を伝った。


 横を見ると、窓ガラス一面に雨の雫がついている。その向こう側には、藍色めいたアジサイがぼやけて見えていた。


 アジサイの花言葉って、何だったっけ。梅雨に入るころ、奈緒は調べたことがあった。


 移り気。浮気。冷淡。高慢…… 


 ひどい言われ方。おそらく青が主体となり、微妙に変わってゆく色あいから来る印象なのだろう。

 あんまりだ。あまりにもアジサイが可哀想…… 


 ひとつだけ、心に残る花言葉があった。


 辛抱強い愛情。


 これだ。そう思った。

 いまのワタシにピッタリな言葉。

 涙が流れ出たおかげか、心が落ち着きを取り戻した。


「何をやってもうまく行かない。まぁ、しょうがないか。そんな日もあるよね……さ、もう帰ろ」


 教室を出て、薄暗い廊下を通り、昇降口へと向かう。

 今年買い替えたばかりの長靴に履き替え、奈緒は学校を後にした。

 新しい長靴は、明るい藍色をしている。


「あ、なんかモギたてのナスみたい」


 キュッキュッと音を立てるように、雨粒をはじき跳ばしているのが愉快だった。

 雨は嫌いではない。明るいパステル調の傘をさしている今は、むしろ心が踊った。

 ただひとつ、贅沢を言わせてもらえるなら……


「アイツと相合い傘で帰りたかったな」


 本当のことを言うと、ね……

 でも、今はもう吹っ切れたから、こうして独りで歩いていても心は軽い。


「明日また頑張ればいいや」


 いい感じに肩の力が抜け、寂しい気持ちを吹っ切ることが出来た。

 気が付くと、自然に何かの歌を口ずさむ自分がいた。


「歌ってもらえるあてが無いなら、自分で歌えばいい。どんなに強い雨の中でも、自分の声は聴こえるからね」


 そんな歌詞だった。

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