第3話 借り物の恋

「その日だけでいいのです、神様。ジャンジャン雨を降らせ、体育祭を中止にしてください」


 先週からオレは、機会あるごとにそう祈りを捧げていた。

 だが、その当日は……


 窓の向う側。しきりに鳴く小鳥の声で目を覚ます。

 カーテンの明るさが、これ以上ないくらいの晴天であることを教えてくれていた。


 ポン、ポン、ポポーン…… 

 花火の音だ。

 目覚し時計を見る。

 am6:30


 体育祭実施のお知らせだった。


「はぁ── 」


 大きくタメ息をつき、オレは布団を抜け出した。



 重い足どりで校舎に近づく。

 朝一番から、拡声器が軽快な音楽を流していた。

 放送部の奴らめ、その音楽、耳に突き刺さるんだよ。


 悪態をつきながらも、リズムに合わせて歩いてしまう。そんなオレが、実に悲しかった。


 この喧騒から早く逃れたい…… ただそれだけを、オレは願っていた。

 この忌まわしい、体育祭という学校行事よ、早く過ぎ去ってくれ……


 オレが体育祭を、そこまで嫌う理由。それはオレの運動神経が、凄まじく悪かったからに他ならない。


 何ゆえに全校生徒、更にその家族なんかにまで、ブザマな走りを晒さなきゃならんのだ。


オレの走る姿は、いわゆる 〈乙女走り〉というやつだった。

 腕を横に振り、内股で走るアレ。

 さらに情けないことに、慌てると「キャッ」とか声まで漏らしてしまう。


今どき、女子でもこんな走り方しないって。

何度も矯正指導はされてきた。だけど緊張しちゃうと、駄目なのよ……


 さらにもう一つ、大きな問題があった。

 同じクラスにいる、大好きなあの娘に、オレの走る姿を見られたくなかったのだ。


「ぅっ、奈緒なおちゃん…… オレの走る姿、見るなよ。マボロシなんだからな」


 いま、こうして彼女を思い出しているだけでも、胸が苦しい。

 どうしよう……



 体育祭のプログラムは、順調に過ぎて行く。いいぞ、その調子だ。早く終われ。


 次の競技は〈借り物競争〉だった。まあ、余興みたいなもんだ。

 クラスの半数しか出場しない。だから、待機組のオレは余裕をぶっこいて、出場すると聞いている奈緒の姿を目で追っていた。


パーン……

スタートの合図が鳴り、競技が始まった。


おっ、いきなり彼女の出番じゃないか。「お題」が書いてある四つ折りの紙を広げて読んでいる。


奈緒が顔を上げたかと思うと、キョロキョロとオレたちの方を見て、誰かを捜している。

奈緒と目が合った。

 キュン……胸が小さく鳴る……


えっ! 何? 

 彼女が微笑みを浮かべながら、オレに向かって一直線に走って来るではないか。


一体、お題の紙に何て書いてあるんだ。まさか「好きな男子」なんて書いてあるんじゃないだろな。


「テツローくん、お願い!」

「あ、はい……」


 奈緒が右手を差し出した。

 彼女の柔らかそうな手が、目の前にある。憧れの女子の手だ。


 その右手にオレの左手を重ねた。二人はごく自然に手を握っている。


「オレを選んでくれて、ありがとう」

 

 心の中で、意味不明な感謝の言葉を伝えていた。


奈緒に導かれるように、オレは走った。どっと、笑い声があがる。

 その姿はまるで、仲の良い姉妹のようだったに違いない。

 オレの姿が、いま、笑いの渦を巻き起こしている。それは会場全体の空気でわかった。


そんなことより、大切なことがある。オレは今、確かに彼女と手を繋いでいる。その事実。

 もう、何も要らない。笑われたって構わない。

 オレは幸せだった。


オレたちは今、全校生徒とその家族たちから笑顔で祝福されている。

 初めての協同作業が、本日の出席者から写真とビデオに撮られていた。


 突然、降って湧いた幸運。生きていて良かったと思える瞬間だった。

そして、あっという間にセレモニーは終わり、オレたちはゴールインしていた。


「ところで、借り物競争のお題って、何だったの 」


 オレは奈緒に尋ねた。


「お題? あぁ、これ…… 」


彼女が差し出した紙には、こう書いてあった。

 

「カタカナの物」


オレの名前、テツローだけど……

確かにカタカナだけど、なんか違う。

 そもそも、モノじゃねえし。

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