雌伏の章
第一話 二人のとっておき
無事帰国したランベルトは休む間もなく軍を再編し、すぐに国境の守りを固めた。
ライフアイゼン王国は東西に山脈を抱え、北の国境には南山関という要害が存在する。
長らくその役目を失っていたが、南山関から北の領土全てを失ったため、急遽修理、改修して、敵国の侵攻を防ぐ必要があるのだ。
また、避難してきた領民の為の施策や新たな土地の開発計画、やるべきことは山ほどある。
今日もいつものように執務室にて山のように積み上げられた書類に目を通していた。
「父上、お呼びでしょうか」
「おおレオン来たか。今日はお前に紹介したい人がいる。リーザこちらに」
「はい、お義父様」
ランベルトに呼ばれると、執務室に備え付けられた隣の部屋から小さな少女が侍女と護衛を伴い入ってくる。
「レオン、リーザだ。先の大戦で亡くなられたローゼ公爵の娘で、この度俺の養女とすることにした」
「レオン様、お初にお目にかかります。先のローゼ公オットマール・ローゼが長女、リーザ・ローゼと申します。正式にライフアイゼン家の養女となりましたので、本日よりリーザ・ローゼ・ライフアイゼンとなります。以後、よろしくお願いいたします」
ローゼ公と同じ淡い金髪でレオンより少し背が高いその美しい少女は、その幼い外見に似合わず見事なカーテシーを披露する。
「レ、レオン・ライフアイゼンです、よろしくお願いします」
思わず見惚れてしまったレオンは、なんとか挨拶を返すと同時に、諸侯の家族が戦火を避けるために、ルーヴェンブルクに避難してきていたのを思い出す。
「レオン様はおいくつになられましたか?」
「九歳です、この夏に十歳になります」
「あら、では春に十歳になったわたくしはレオン様の義姉になるのですね、レオンこれからよろしくお願いいたしますね」
「は、はい、リーザ様」
「レオン、わたくしは義姉なのですからお義姉様と呼んで下さいませ」
「リーザおねえさま......わたしにお義姉様ができたのですね!」
レオンには兄弟姉妹がいない。
政務で忙殺されながらも可能な限り時間を作り愛情を注いでくれる父ランベルトが居ても、やはり寂しい気持ちはあった。
せめて弟か妹が欲しいと思っていたが、レオンの母は病弱で、先年亡くなっている。
兄弟姉妹を諦めていたのに、こんな綺麗な人が姉になるのだと知って、思わずレオンは喜びの声を上げる。
「ええ、そうですよレオン。さぁお城の中を案内していただけますか? わたくし、ここへ来てまだ十日程しか経っておりませんし不案内ですの。お義父様、レオンをお借りしてもよろしいでしょうか」
優しい笑みを浮かべて二人のやり取りを見守っていたランベルトは大きく頷く。
「お義父様ありがとう存じます! さぁレオン参りましょう!」
リーザはランベルトの肯定を確認すると、素早くレオンの手を握りあっという間に執務室を出ていく。
先程まで淑女然としていたのが嘘のような変わりようだ。
リーザ付きの侍女やレオンの側近達が慌てて後を追いかける。
「なるほど、たしかにお転婆だ」
くつくつと笑いながら執務に戻るランベルト。
「しかし強い子だ。家族を失ってなおあの明るさとはな。流石に無理をしているのだろうが、レオンと変わらぬ歳であそこまで気丈に振舞えるとは。やはりお主の子たちは優秀だよオットマール」
◇
「ねぇレオン、あの大きな部屋はなんでしょう?」
城内の探検を始めてから既に半刻は過ぎただろうか。
東塔の三階にある執務室から順番に階を下り、一階に到着すると、今までには無かったほどの大きな空間があった。
「訓練場です。他にもいくつかありますが、わたしは良くここでカールと剣術の訓練をしています」
レオンは側に控えている護衛隊士のカールをちらりと見る。
「カール、レオンはどれくらい強いのですか?」
「殿下は大変良く頑張っておられます」
カールは微笑みながらリーザにそう答えた。
「でしたらカール、今度わたくしもレオンと一緒に稽古をしてくださいませ!」
カールは「陛下にお伺いしておきますね」と返事をすると、レオンが驚くようにリーザに問いかける。
「お義姉様も剣術をなされるのですか?」
「えぇ、剣術も槍術も一通りお父様とお兄様に習っておりましたの。レオンは王太子なのですからしっかり訓練をしないといけませんわね」
「はい、お義姉様」
「さぁレオン、次は中庭を案内してくださいませ」
そういって再びレオンの手を握って歩き出すリーザ。
手を引かれながらレオンは先程の会話の中でほんの少しだけ違和感を覚えていた。
彼女は父と兄を先日の戦で失っている。
公国の首都シェレンブルクに残った母親と一族は、残されたわずかな兵と共に降伏することなく自裁したと聞いた。
悲しいそぶりも見せず明るく振舞う彼女だが、先程の訓練場で父親と兄の話をした時にほんの少しだけ彼女の感情が揺れた気がしたのだ。
「(クララ、ちょっと)」
レオンは側に控える専属の側近であるクララ・グナイゼナウにこっそり何かを伝える。
父であるバルナバスと同じ赤い髪を肩まで伸ばしたクララは、彼女が十歳の時に産まれたばかりのレオンの側につけられた腹心である。
クララは少し難しい顔で「かしこまりました」と小さな声で返事をすると、女官の一人に指示を出す。
リーザはそんなやり取りに気づかずに、興味津々で周囲を見まわしながらもおしとやかに、だけどほんの少し大股でずんずんと歩いていく。
リーザと一緒に避難してきた彼女の専属侍女フリーデリーケ・バイルシュミットはレオンと側近のやり取りに気付き、リーザに問いかける。
「姫殿下、中庭には東屋があります。そこで少しご休憩をされてはいかがでしょうか?」
リーザは執務室を出てからずっとレオンと手をつないで城内を探検しているのだ、しかもずっとリーザのペースで。
先程のレオンと側近のやり取りを、フリーデリーケはレオンは休息したいのでは無いかと考え、気づくのが遅れたことを反省する。
「そうですね、レオンよろしくて?」
「えぇ、少し疲れましたし休憩しましょう。お義姉様」
「レオン、わたくしたちだけの時はお義姉様じゃなくてお義姉ちゃんとお呼んでくださいませ」
「お義姉ちゃんですか?」
「仲の良い姉弟はそう呼ぶのが当たり前なのです」
「わかりましたお義姉ちゃん!」
にっこりと微笑みながらそう答えるレオンに、リーザは顔を真っ赤にしてレオンから視線を外す。
「フリーデリーケ、お茶の支度をお願いできるかしら?」
「かしこまりました、ポシェットはわたくしがお預かりいたします」
「いえ、大丈夫です。それとあれを一緒に」
「あれは王族の方にお出しするような物では......」
「あら、わたくしも今は王の養女でしてよ。大丈夫です、味はわたくしのお墨付きですから自信を持ってくださいませ」
「かしこまりました。お茶と一緒にお持ちいたします」
そう答えるとフリーデリーケはゆったりと優雅に歩いているように見えて素早い速度で下がっていく。
「レオンは甘いものはお好きかしら?」
「はい大好きです」
「では喜んでいただけると思いますわ。さぁレオンこちらの席に」
「ありがとうございます」
東屋に到着すると、リーザは名残惜しそうにレオンの手を離し、上座を勧める。
レオンが側近に椅子を引かれ着席するのを確認すると、リーザはレオンの正面では無く左側の椅子を侍女に引いてもらい着席する。
「レオンの部屋は東塔でしたかしら?」
「はい、東塔の最上階に部屋があります。お義姉ちゃんは今西塔ですか?」
「えっええ、今は西塔の客室を仮の住まいとして使わせて頂いてますが、正式に養女になりましたので
東塔にわたくしの部屋を準備していただいてます」
「わたしの部屋の近くになると良いですね」
「そ、そうですね、姉弟なのですから当然ですわね!」
「王太子殿下、姫殿下、お待たせいたしました」
レオンにお義姉ちゃんと呼ばれるたびに顔を赤くして慌てているリーザの姿を見て、フリーデリーケは笑いを堪えながら声を掛ける。
「フリーデリーケ、貴女もわたくしたちだけの時は畏まらなくてもよろしくてよ、それからそちらの......」
「クララ・グナイゼナウと申します姫殿下。王太子殿下の側近を務めております、以後、お見知り置き下さいませ」
「ええクララ、こちらこそよろしくお願いいたしますね。貴女もわたくしの事はリーザとお呼びくださいませ」
「ではフリーデリーケもわたしの事はレオンと呼んで下さい」
周囲にいる側近、女官、護衛達はリーザの身の上話を知っている。
それでも気さくな態度で周囲とあっという間に打ち解けていくリーザに感心した。
「ではレオン様、姫様。アプフェルシュトゥルーデルと紅茶をご用意させていただきました」
フリーデリーケはクリームを添えられた焼き菓子を乗せた皿をレオン、リーザの順に並べる。
紅茶もその順で注ぎ終わると、頭を下げたままそっとリーザの後ろにさがる。
リーザは準備が整ったのを確認すると、わくわくした様子でレオンを促す。
「さあどうぞレオン、添えてあるクリームと一緒に召し上がって下さいませ」
ライフアイゼン王国は今は敗戦によって国力が半減したが、それまでは大陸一の大国であった。
質実剛健で華美な食事を是としない家風とは言え、あまり見栄えのしないその菓子はレオンにとっては珍しいものだった。
レオンは焼き菓子にナイフを入れ、フォークで持ち上げる。
「これは......中に入っているのは林檎ですか?」
「ええ、ライフアイゼン産の林檎を生地で包んで焼き上げた焼き菓子です。わたくしのとっておきですのよ」
焼き菓子特有の香ばしい香りと共に砂糖やリキュールで煮詰められたのであろう林檎の甘い香りにレオンの頬が緩む。
何故こんな短時間で焼き菓子が用意できたのだろうと不思議に思いながらもアプフェルシュトゥルーデルを口にする。
「すごく甘くて美味しいです!」
それまでは完璧なマナーを披露していたレオンだったが、初めての味に思わず声を上げてしまう。
リーザとリーザの母親の好物の林檎を使い、フリーデリーケが二人の為に作ってくれたとっておきのお菓子。
レオンのその反応を見て、予想以上に喜んで貰えた事に喜ぶリーザ。
「ふふふっ、でしょう? 見た目は素朴ですけれど、フリーデリーケの作るお菓子は大陸一ですのよ」
「姫様。恐縮でございます」
「まぁレオン、口元に粉砂糖がついていますよ」
そう言うとリーザは素早く席をおり、レオンに駆け寄るとお気に入りのポシェットからハンカチを取り出してレオンの口を拭う。
「ありがとうございます、お義姉ちゃん」
「わたくしはお義姉ちゃんですもの、レオンのお世話をするのは当たり前なのですよ」
なるほど、すぐにお世話ができるように正面では無く左側の席に座ったのかとレオンは出来たばかりの義姉を微笑ましく思う。
満足そうな顔で席に着くリーザを確認すると、レオンが少し姿勢を正して発言した。
「ではわたしからもお義姉ちゃんに召し上がって頂きたいものがあります。クララ」
「本当によろしいのですか?」
「うん。お願い」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
少し大仰ではないかしら? とは思いつつも、それよりもリーザは気の置けない主従の会話を聞いて羨ましくなった。
「レオンはクララとは随分仲がよろしいのですね」
「わたしが産まれた時から側に使えてくれていますから」
「わたくしにもそれくらい砕けた感じで話してほしいですわ」
「うーん。じゃあ僕たちだけの時はそうするね、お義姉ちゃん」
「っええ! その方がわたくしも嬉しいです!」
レオンのはにかむような笑顔と共に紡がれたその言葉に、リーザの顔が林檎の様に真っ赤に染まる。
リーザはレオンの視線から逃げるように顔を背けると、周囲の者たちが堪えきれずに笑いを漏らし、更に顔を赤く染め上げるのだった。
「お義姉ちゃんは甘いものは好き?」
「わたくしはレオンのお義姉ちゃんですもの。レオンの好きなものは全部大好きです」
照れ隠しか、淑女として甘いものが大好きと子供みたいな事を言いたくないのか。
答えになってない答えを聞いたレオンは満足そうに頷くと、これから出す物がリーザに気に入って貰えるといいなと思う。
「リーザ様、お待たせいたしました。こちらローゼ領産の檸檬を使ったツィトローネンゾルベでございます」
リーザの前にツィトローネンゾルベが乗せられた皿を置く。
クララが持ってきたのはリーザの幼い手で作った握り拳よりも小さいサイズの菓子が盛られたこの一皿だけ。
先程のやり取りを思い出し、これはきっとレオンの為に用意されていた特別な物なのだろうとリーザは思った。
「このようなお菓子は初めて見ますわね」
アプフェルシュトゥルーデルと同じように、帝都で流行ってるという華美に飾られた菓子ではない。
だがシンプルに盛られたその淡い檸檬色の菓子は、東屋の隙間から漏れる初夏の日差しを受けてキラキラと輝いている。
檸檬を使った菓子だからだろうか、檸檬の形に盛られたその菓子は、コンケーブカットされた大粒のトパーズのよう。
「さぁお義姉ちゃんどうぞ」
レオンに勧められてスプーンを手に取ったリーザは、ツィトローネンゾルベを掬うと待ちきれないように素早く口に運ぶ。
無作法だけど年相応のその行動にフリーデリーケは苦笑する。
「冷たくて、とても甘くて、そしてちょっとだけ酸っぱくて、とても美味しいです! 凍っているお菓子なんて、わたくし初めて頂きました!」
もうマナーもへったくれも無い速度でスプーンを何度も口に運ぶリーザ。
それを見ているフリーデリーケの顔が、凄い速度で青くなっていく。
リーザがツィトローネンゾルベを食べ終わるのを確認したレオンが嬉しそうに言う。
「氷菓子を出すにはまだちょっと時期が早いんだけどね。頑張ってるお義姉ちゃんに食べて欲しくて、とっておきの氷菓子を氷室から持ってきて貰ったんだよ。気に入って貰えたようで良かった」
リーザはレオンの好きなものが大好きと言った先程の自分の言葉を後悔した。
本当にとっておきだったのだろう。
王太子であるレオンがたったこれだけの量しか用意できないのだ。
冬以外の季節に氷菓子という皇帝ですら味わえない程の贅沢。
しかもここは大陸南部。
冬に雪が降る事すら稀な温暖な地。
質実剛健の家風に似合わないそれは、ランベルトが妻とレオンの為に用意した精一杯の愛情の形。
今はもう母親とは一緒に食べられないけれど、楽しみにとっておいた宝物と呼んでも良い位の、レオンの一番大好きで大切なもの。
氷菓なら他にも僅かだが氷室に存在する。
でも他の氷菓では駄目なのだ。
リーザの母がレオンの母の為に贈った、特別な檸檬で作られたツィトローネンゾルベこそがレオンの一番大好きなものなのだから。
――レオンはわたくしに食べて欲しかったのだ。自分が一番大好きなものを。
――先程宝石のように見えたそれは、本当に宝石だったのだ。
――自分では上手く振舞えていると思っていたけれど。
――頑張ってたくさん笑ってみせていたけれど。
――ほんとうの気持ちは義弟にはとっくにバレていて、わたくしを励ましてくれたのだ。
「レオン......ありがとう存じます」
感極まったリーザは席を立ちあがりレオンに駆け寄るとそのままレオンを抱きしめる。
「ちょ、お義姉ちゃん」
「......仲の良い姉弟はこうするのが当たり前なのですよ」
「お義姉ちゃん泣いてるの?」
「泣いてなんていません、ただもう少しこのまま抱きしめさせてくださいませ」
「......うん」
座ったまま抱きしめられたレオンはそっとリーザを抱きしめ返す。
せめて涙が止まるまでは、先程までの笑顔が戻るまではと。
――家族を亡くしたばかりなのに、とても悲しいはずなのに。
――頑張って明るく振舞う僕のお義姉ちゃん。
――少しは元気になってくれただろうか?
レオンの母親は毎年冬になると南国では珍しい林檎をリーザの母に贈っていた。「ライフアイゼンで採れる林檎は、小さくて固くて酸っぱいけれど、お菓子を作るのには最高なのですよ」とレオンに教えていた。
そして、リーザの母親は毎年冬になるとレオンの母が好物だった檸檬を贈っていた。「ローゼ領産の檸檬は酸っぱくてそのままでは食べられないけれど、お菓子を作るのには最高なのですよ」とリーザに教えていた。
リーザは誓う。春の陽だまりのような優しさを与えたくれた義弟を支えて行こうと。
レオンは誓う。夏の日差しを受けて輝く向日葵のようなこの笑顔をずっと守っていこうと。
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