呪いを解いておうじさま

テイ

善い人



「好きです。俺と、付き合ってくれませんか」


 佐原くんは、かっこいい人だった。私は昔から大人しくて引っ込み思案だったから、とんでもないことを平気でやる男の子たちが苦手だった。でも佐原くんだけは、いつも下世話な話ばっかりの男子の中で輝いて見える。頭が良くて、運動も得意で、周りにはたくさん人がいて。なのに私なんかにも優しくしてくれる、そんな佐原くんのことが、私は好きだった。恋なのかと言われたら、私にはちょっとわからなかったけど、でも私は佐原くんと手が繋いでみたかった。一緒に道を歩くなら、佐原くんと一緒がよかった。

 その佐原くんが今、私に告白をしている。


「…………楠木さん?」

「へっ、あ、はいっ!」

「返事、くれると嬉しいんだけど……」


 佐原くんが困ったように眉を下げて笑う。私と佐原くんの身長差は約三十センチ。そんなはるか高いところから見下ろされているのに、圧迫感はない。佐原くんはいつだって、太陽みたいに暖かい空気を纏っているのだ。


「…………な、なんで、私?」


 佐原くんは冗談なんかで告白をする人ではない。だからこれは本物だ。そうなると私には、この状況が全く理解できなかった。


「楠木さんって、すごい優しいじゃん。ほら、女子から日直の当番押し付けられてたことあったろ?あんなの無視しちゃえばいいのにさ、全然嫌がんないでちゃんとやるし……あとほら、裏庭の花壇。あそこのお世話してるの楠木さんでしょ。前に部活の時にボール飛ばしちゃってさ、そん時初めて花壇があるのに気付いて、それからたまに見に行ってんだ。うち園芸部とかないし、あれ一人でやってるんだろ? すごいよなあ」


 佐原くんは笑顔でつらつらと、私がこれまで誰にも言わなかったちいさなことを話していく。日直当番を押し付けられたこと、壊された花壇の片付けをしたこと、校舎の落書きを綺麗にしたこと、休みの子にプリントを届けにいったこと、授業前に黒板を綺麗にしておいたこと、文化祭で誰もやりたがらない係を引き受けたこと……

 すごいなあ、俺には真似できないよ、本当に優しい人なんだね。

 佐原くんがそんな言葉で私を褒め称える。誰も見ていないと思っていた行為が、彼の口から紡がれていくのが不思議だった。

 褒めてもらえる私のそれは、善行なのだと自分でも思う。自惚れているわけでも、自分が善い人間だと言いたいわけでもなくて、ただ一つの事実として。

 この世界では、誰もやりたがらないことをすると善行になる。やってくれるその人は、誰よりも優しい善人になる。


『あのね、柚葉。あなたはみんなを助ける子にならなきゃいけない。誰もやりたがらないことでも積極的にやるの。柚葉は女の子なんだから、そうしないと愛されないわ。誰かから愛されて、女の子はやっと幸せになれるのよ』

 母は、私よりもっともっと善行を敬虔に信じる人だった。家事をすべてこなし、ボランティアも積極的に参加する。誰も気付かないような歪みに気付いて、誰にも気付かれないままそれを正す。決して驕らず、誇らない。他人の幸せが、そのまま自分の幸せなのだった。

 私はそんな母のことが。母の、ことが____


「佐原くん」

「この前も……ん、何? 楠木さん」

「ごめんなさい。佐原くんとは付き合えない」

「えっ」


 佐原くんはどうやら本気で驚いているようだった。何故だろう。私が彼のことを好きなのが気付かれていたのだろうか。それとも、自分が人好きのする人だってことに、自覚的なだけだろうか。


「私、佐原くんのこと結構好きだったんだけど、今嫌いになっちゃった」

「は?」

「だからごめんなさい。次はもっと、善い人を好きになってね」


 頭を下げて、踵を返す。佐原くんがそれ以上声をかけてくることはなかった。

 今は放課後だった。私は放課後、校舎裏に呼び出されて告白されていたのだ。下駄箱の方に向かう途中、話に出てきた裏庭が目に入った。私はそこが大嫌いだった。

 裏庭だけじゃない。母のことも、私は大嫌いだった。


 昔から父がよく言う言葉があった。威圧的で傲慢な言葉____どうしてお前はそんなこともできない?

 ちょっと料理を出すのが遅れただけで、部屋にわずかな埃が落ちていただけで、自分が欲しい時に欲しいものがないというだけで。父は簡単に母を殴ったし、母は土下座をして謝った。

 母は何も悪くない。共同生活をしている以上、譲歩や助け合いは必要不可欠なものだ。でも母は謝ったし、自分を責めた。そしてあろうことか、私にまでその考えを押し付けた!

 母は呪われているのだ。不可能に決まっているのに、全部の期待に応えようとする。完璧に気を遣わなきゃ愛されることなんて有り得なくって、愛されることだけが自分の価値だと思っている。その一つしか生き方がないと思っている。

 母だけならまだしも、私もそんな風に生きなきゃいけないなんて冗談じゃない。私は絶対に母と同じにはならないと決めていた。けれど結局、私も母と似た行動をしてしまっている。

 そう、私もまた、呪われているのだった。でも、母とは違う呪い。世間一般的には、多分善に分類されるその性質。

 要するに私は、見過ごせないのだ。小さな小さな、私にもできてしまう善行を。当番は完璧にこなされているべきだし、花壇も校舎も綺麗であるべきだ。学校を休んだ子だって先生だって困っているなら助けるべきだし、やりたくないことをやりたくない人にやらせるなんてとんでもない。

 他人が苦しむのを見るぐらいなら、それを助ける方がいくらかマシだ。もちろん、自分が解決できる範囲に限っての話ではあるけれど。

 でも、でもでもでも! 私は母にはなりたくない。善行を搾取され、不出来と罵られても愛されたがる道具なんかになりたくない。私の善行のせいで、私を好きになる人なんかと付き合いたくない。

 だから私は佐原くんを振った。私みたいな善人に、あんな普通の人は釣り合わない。もっともっと、善人じゃないと割りに合わない。

 私が善いことをしなくてもいいくらい、善い人でなければ。


 私の呪いを解く王子様なんてものに会えるとしたら、それはまだきっと、遠い先の話だ。



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